Case5 僕とおばさん
駅前の塾は7時に終わる。
帰っても誰も居ない家には、帰りたいとは思えなくて、わざと遠回りして同じクラスのマミちゃんの家の近くを通って帰る。
マミちゃんの家からは、いつもの賑やかな声や音が聞こえてきて、なんだかとってもうらやましい。
でも今日は、マミちゃんもお姉さんも家の前にいた。それに知らない男の人も。
誰だろう?
考えながら、元来た道を引き返し、いつもの通りから帰ることにした。
帰っても誰も待っていない家は、いつも冷たい感じで、マミちゃん家の声や音を聞いて帰った後は、何をしてたのか想像して過ごしていた。
父さんは海外出張中で、母さんはいつもの残業、きょうだいはいない。
夕食もいつも一人で、レンジで温めて食べる。
寂しくて暗い僕のうちに比べると、マミちゃんの家はランプのような暖かい色だと思っている。
歯を磨いて、お布団に入る頃、母さんが帰ってくる。部屋に入ると「ただいま」も言わず、宿題はしたのか、明日の準備は出来てるかとか、今日の塾の勉強や学校の授業の話ばかりを訊いてくる。
僕は眠くないけど眠いふりをして、母さんの質問から逃げるんだ。
そうして、学校でマミちゃんと話したことを思い出しながら目を閉じることにしてる。
マミちゃんの家の前を諦めていつもの通りを帰ったあの日、気になるお店を見つけた。
次の塾の帰りに様子を見ていたら、お店の中から声がした。
「いらっしゃい。何を探してるんだい?」
お店の中に入ると本が並んでいた。
古い本も、新しい本も両方扱う珍しい本屋だった。古本屋とは少し様子が違った。なんでもかんでも揃っている訳ではなく、寧ろ揃っている本ばかりが並んでいた。
「気になる本はあるかい。」
おばさんが優しく訊いてきた。
「どうして新しい本と古い本があるの。」
と訊くと
「全部初版なんだよ。」
「しょはん?」
「一番最初に印刷された本さ。ここをご覧。」
開かれた頁には、新しい本は勿論、古い本にも《初版》と書かれていた。
「お前さんは、何年生だい?
ここには、お前さんが生まれる前の本もあるんだよ。」
「三年生。ねえ、この絵本も?」
「ああ、そうだよ。」
「全部、私が趣味で集めた本ばかりさ。」
確かに、何かの偏りがあった。
でも、なんだか面白くて、次から次へと本を手に取っては読んでみた。
「お前さん、ケーキは好きかい。」
奥から出てきたおばさんは、ティーカップとケーキを持ってきていた。
カップは二つ、でもケーキは一つだけだった。
「ケーキ? 大好き!」
「良かったらお食べ。」
「いいの? ありがとう!」
「お前さんは、良い子だね。きちんとお礼が言えるんだから。」
人通りの多い商店街の中にあるのに、不思議とお客さんは来なかった。
その日を堺に、僕は塾の帰りにはおばさんを訪ねた。
そして学校で起きた楽しかったこと、面白かったこと、辛かったことを話した。
おばさんはどんな話をしても、僕の顔を見て一つ一つに答えてくれた。
話題は自然と僕の家族に移っていった。
「父さんも母さんも、ほとんど家にいない。僕はいつも独りぼっちだ…。」
今まで黙っていたことを話した。
今の生活がとても寂しいこと。
おばさんと一緒に過ごしていると、とても楽しいこと。
出来れば、ずっと一緒にいたいと思っていること。
それを聞いたおばさんは、
「あの子はお前にこんなに辛い思いをさせているのに、それに気付かないなんてねぇ…。」
と言って、泣いていた。
僕もつられて泣いた。
二人で泣いた後、おばさんが訊いた。
「私と一緒にいたいのかい。それなら、明日は大切な人にお別れを告げておいで。」
と。
大切な人、考えたけどマミちゃんしか浮かばなかった。
隣の席のマミちゃん、僕がどんな気持ちの時にも明るく楽しく接してくれた。クラスのみんなもマミちゃんにつられて明るかった。本の虫の僕のこともみんなの仲間にいれてくれた。
一学期最後の帰りの会が終わって一斉に「さようなら」と言った後、みんなが散り散りに去っていく。
マミちゃんが「ばいばい、また二学期ね。」と言って教室を出て行こうとしている。僕は精一杯の声で
「さよなら、マミちゃん! さよなら!」
と言って手を振った。
それから、真っ直ぐおばさんのお店に向かって走った。
…さよなら、マミちゃん…。
お店の前でおばさんが待っていた。
「ちゃんとお別れを言ってきたかい?」
「はい、おばさん。」
「お父さんやお母さんにも告げたかい?」
僕は、首を振った。
「いらない。」
「そうなのかい。」
おばさんは少し寂しげに言って、気を取り直したように言った。
「じゃあ、行こうかね。」
「どこへ行くの。」
「いいところだよ。」
夏休みに入って数日後、マミは話に聞いていたお店を探しに来ていた。
しかし、どこを見ても聞いていたような店はなく、商店街の中にポツンと雑草だらけの空き地が在るだけだった。
おわり
帰り道 森乃 梟 @forest-owl-296
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