エピローグ

桜吹雪

・帝国軍南部戦線第3防衛拠点攻略作戦報告書


 作戦プランA3 陛下承認済み


 第1段階 高高度爆撃に寄る基地表面施設近辺に存在する竜の掃討。効果を認む。この攻撃により敵残存兵力の4割の減退に成功。また、残り6割に関しても、爆撃の効果範囲外、作戦区域外に逃走していた敵兵力であり、効果範囲内においては極めて高い撃破率を記録。竜の逃走と南部戦線第3防衛拠点周辺区域に竜残党が飛散した現象については、プランA3との関連性不明。積極的に活用する上での障害となるべきデータではないと考察。これをもって再度プランA3の有用性をここに示す。


 第2段階 機甲歩兵力による地上制圧。この有用性においては残敵が十分に存在しなかったために不確定。配置兵力数戦術共に有効な情報は得られていない。ただし、この情報を得るべき規模の敵対勢力が残存しないという状況に関してはプランA3の有用性に基づくものと判断しうる。


 第3段階 同機甲歩兵力に寄る内部制圧。こちらに関しても、第2段階と同様。偶発的な基地動力源の暴走により内部構造、及び内部に存在する生命体(死骸含む)を理想的な形で確保する事は叶わなかった。<ゲート>、及び知性体のサンプルにおいても同。報告にあるまじき文体を取れば、爛れ過ぎてどれが何かまるでわからなかった。これによって生じる――


 ~中略~


 備考 戦術A3実施に伴う先行高高度測量において発見された他種族、及び“夜汰鴉”改修機と思われるFPAについて。<ゲート>の破壊を目的として同基地に進行したと考えられるが、その後の首尾は不明。爆撃機搭乗員によるヒトがいた、と言う証言はあるものの、戦時高揚による錯乱の可能性もあり情報としての確度に欠ける。発見から含めて全てここに不確定、未確認情報として記す。



                               検閲済

























 *



 ………それが、私の知りうる全てだった。

 あの、演説の後。私は、色々な所に頭を下げて、時には泣きついてみたりして、帝国軍第3基地―――鋼也が、扇奈さんがいたのだろうその時その場所について調べた。


 けれど、その結果わかったのは、一番知りたい事がわからない、と言う事だけだ。

 鋼也の、扇奈さんの、その後がわからない。


 ただ、そうしている間に、別の事がわかるようになっては来た。

 あの演説は、どうやら、私の政治生命みたいなものを決めてしまったらしい。

 言った私より周りが盛り上がってしまった。休戦じゃない、停戦を。


 その旗頭アイコンみたいな位置になって、兄さんとしても、大和の平和、の中にやっぱり停戦は入っていたみたいで、私の肩書ポストが内政外務特認大使、とか頭が痛くなる感じになりました。

 訳すと、オニの皆さんと話す時だけだいたい皇帝、そんな感じ。


 ……別に、偉くなりたいと思わないのは今も変わらないけれど、それでも、私は、その役割を頑張ろうとも思えた。


 後悔がある。もっと早く、そう、私が決めていたら。

 思い出がある。逃げた先のオニの基地。その場所に私が居た事。

 それが私の人生で、通った道だったから、あの人達と仲良くしたい、すべきだと思ったから。

 もう投げやりじゃなくて。一応、政治的な理想もちゃんとあって。お勉強もして。


 そして、が前より良くわかるようになってきた。

 あの、報告書のニュアンス。

 皇帝承認済みで、あからさまに、戦術の有用性を試用している。

 機甲部隊の兵数削減。より、人間の傷つかない……戦争と勝利のため、だそうだ。兄は隠す気もなく私にそう教えてくれた。


 一番汚いところを私がもう知っているから、公前で暴かなかったから、ためらいがないんだろう。晴れて私は兄さんと同じ穴の狢になったわけだ。

 兄さんが口にする言葉は、合理的で、先見的で、……だからこそ血も涙もない。

 血も涙もなく平和へ邁進する皇帝陛下。


 検閲済み。皇帝制。独裁。


 公式文書であるその報告書で、鋼也達、扇奈さん達をその存在ごと不明瞭としておく。

 停戦に向けてのネガティブな要素の公式な排斥。


 わかった上で、公にはそれを看過する事が効率良いと考える私も、やっぱり血も涙も無いのかもしれない。


 でも、それでも私は頑張ろうと思います。

 世の中が綺麗事だけで済まないって事は、そのまま私のこれまでの人生の話になるし。

 それでも、その結末を綺麗にしたいと思うのは、やっぱり、私の、不細工な生き方そのものだし。


 だから………。

 だからと言って、私が、鋼也のことを諦めたと言う訳ではないです。

 それはそれ。

 これはこれ。

 “桜花”として日常、すべき事をこなしながら。

 “私”は待ち続けて………待ちくたびれた頃に。


 公私を分けようと思って、そうやって振舞った、その公の方から。

 やっと、私の回り道は、行きたい場所に繋がった。



 *



 竜残党の、飛散。

 知性体と<ゲート>がなくなったことで、帝国軍第3基地は竜の住処じゃなくなって、その代わり、元々その近くに居た竜がばらばらに広く薄く広がったらしい。


 ある意味、戦後処理みたいなものだけれど、その竜の残党が余りに何処にいてどこに現れるかわからないから、その区域は暫く通行止め。通ろうにも何処に竜がいるかわからず危なすぎる、そういう状況になっていたそうだ。


 それで、その竜を掃討するのに、帝国軍だけでは手が足りないみたいで。

 私の演説の結果なのか、オニと協力してみる、みたいな話が軍議で出たらしくて。


 その際に交渉役となるのに、いろんな意味でぴったりの人材がいて。

 だから、その人材は………それこそ、焼き増しのフィルムを遡る様に、戻って少し、服のボタンをかけなおしたように。


 帝国軍第3基地だった場所の、新設されたヘリポートへ歩んで。

 あの日と同じ、あの基地で過ごしていたのと同じようなデザインの服を着て。

 ……あの日乗れなかったヘリに、腰を下ろした。



 *



 空から見たその場所は、……ひたすら綺麗だった。

 いつの間にか、春になっていたのだ。春の半ば。

 桜が咲いている。一面、とまでは行かないけれど、基地のところどころに。


 見覚えがある気もするけれど、空からの景色じゃ良くわからないし、何より、戦闘の跡もあって、壊れてしまっている建物もいくつかあって……私が居なくなってから、ここも大変だったのだろう。私が逃げ出したせいだったりしたら、どうしよう。


 そんな不安を胸に抱きながら、それでも、見下ろすオニの基地は、


「……綺麗なお城」


 私は、なんだか、前と同じことを言っているような気がして、少し、嬉しくなってきた。



 *



 桜の花びらを飛ばしながら、ヘリは降りていく――。

 その近くに、人が寄って来た。角の生えた人達。警戒しているらしい、武器をもって、ヘリを睨んでいる。

 兄さん、話通してないんだ。………何よりもまず、私を通すのが早いと思ったのかもしれない。とにかく、私はちょっと懐かしいような気分で、そこに居る人達を見て、……ヘリの中では、私以外の皆が、結構緊張してた。パイロットも、警護兵も、同行してきた私の補佐、と言うか実権を持ってる官僚の人達も。


 デミが……とか言ってたから、それ差別用語ですよ、と、珍しく私が教えて。

 まあ、オニの人達あんまり気にしないんだろうな~と心の中で思いながら。


 ヘリが着陸する。

 安全確保の手順があって、私は一応要人だから、後から出るのが正解だって知っていたけれど……気がはやったのかもしれない。なんだか懐かしくて、嬉しくなって、私は、一番にそのヘリから降りた。


 ローターが回っていて、温い風に花びらが乗って、私を撫でる。

 髪を押さえながら、私は、集まってきているオニの人達を見回した。

 ……いないかな~と。


 けれど、見つけたい顔はそこにはなく………それでも、その場に居た人達が、私に気付いた。


「……あ、食堂の、」

「医局雑用係……」

「……プリティブロッサム……」


 ………偉くなる前から私の肩書は結構多かったらしい。

 妙にのんびり世間話を始めたオニの人達が前に居て、戸惑いっぱなしのヒトが後ろでこそこそ喋ってて、そんな間に挟まれながら、私は、やっぱり嬉しくて、笑った。


「はい。……お久しぶりです!」



 *



「内政外務特認大使………」


 私が差し出した名刺と私の顔を、将羅さんはしげしげ見比べていた。

 場所は、天守閣の頂上の、部屋。窓の外から、桜並木と戦争の跡……直してる途中なんだろう基地の様子が見える。


「立派になられたようで」

「はい。


 微笑んだらおじいちゃんが若干そっぽを向いた。と思ったら、将羅さんはすぐこっちに視線を戻した。


「………謝罪を、する気はありません。大使殿」


 わざわざ、将羅さんはそう言った。私を革命軍に売ろうとした件だろう。部下の手前、この場に居る最高責任者、状況的にオニの代表である以上、ヒトに対して敬意は表すけど簡単に頭を下げるわけにはいかない、みたいな感じだろうか。


「わかってます。私も、前ほど世間知らずではありません。保護していただいていたことは事実ですし、革命軍を帝国と誤認し、保護の延長として送り届けようとした、と内政外務特認大使は認識しています」


 すらすらと、そう言った私を暫く眺めて、将羅さんは言った。


「そうですか。では、使殿の用向きは?」

「それは、私ではなくこちらから、」


 そう言って、私は、一歩引いて、その代わりに、矢面に立ったのは付いてきた官僚の人だ。

 勉強は、している。話の内容もわかる様になってきたし、こういう場面ではなるべく集中して聞くようにもしている。それでも、まだ私が半分お飾りである事に変わりはない。


 焦って立とうとしていたけれど、結局政治は、一朝一夕で堂々と立てるような舞台ではなかったのだ。けれど、いずれは、私が自分で。そういう風に思う。“桜花”として。


 でも、場所が場所だからだろうか。なんとなく、身が入らない。

 一通りの話を官僚から聞いた将羅さんは、そこで人を呼んだ。

 入って来たのは輪洞さんとリチャードさん。細かい話を、その二人がするらしい。


 私がそうしたから格をあわせたのだろうか。

 それとも、代替わりとか考えているのか。


 実務の話をしている横で、いつもならちゃんと聞いているけれど、私は窓の外ばかり気になってしまって、その代わりにもならないけれど、同じように議論の輪の外に居る将羅さんに声をかけた。


「……お部屋片付きましたか?」

「……あれで、十分、使用に耐えますので」

「まだ忙しいんですね……」


 そんな風に呟いたら、将羅さんがちょっと笑った、様な気がした。


「大使殿は、外ばかり気にされているようで」

「……壊れちゃってるな~と、思いまして。………革命軍が?」

「いえ、トカゲが」

「それは、えっと……お悔やみ申し上げます」


 ほっとしました、と言いかけて、基地が壊れてるのにそれはない、と、言い直した。

 その横で、将羅さんが笑った。今度こそ笑っている。

 私、何か面白いんだろうか?

 首を傾げた私を眺めて、将羅さんは言う。


「……気になるなら後で見て回れば良い。誰も、嫌な顔はしないだろう。……懐かしい顔にも会える」


 懐かしい顔。

 それは、鋼也や扇奈さんのことを差しているのだろうか?

 それとも、他の、季蓮さんやアンナさんの事?

 尋ねたかったけれど、尋ねるのが怖くもあった。何も言えなかった私を、将羅さんは、やっぱり少し笑って。


「………言い訳は本人から聞くと良い」


 そんな事を言った。………殆ど、答えてるような言葉を。

 ……………。


「……そうします。今、私は大使」

「立派になられたようで」


 やっぱりちょっと笑ってるお爺さんを横に、私は、会議の様子に耳を傾けた。

 ………どうしても、集中できなかったけど。



 *



 お昼過ぎ位。

 警護の兵士の人に、大丈夫だからと言い聞かせて、私は一人、基地を歩く。

 戦場の跡、としか言えない場所。

 直りかけの場所。

 被害がまったくない場所。


 どの場所にも、桜の花びらが舞っていて、オニやドワーフやエルフが居て、私に声をかけて来る。

 やっぱり、凄く懐かしい。壊れてしまって、季節が変わったとしても、私は確かにここで過ごしていた。


 食堂に行ってみる。建物が半分くらい崩れてしまっている………けれど、その中からは、元気の良い喧騒が聞こえてきた。

 覗きこんでみる。オニの人が何人か、青空の下の食堂にたむろしていて、その奥の厨房、かなり無事に残っているそこは、忙しそうに働いていた。夕食の準備、だろう。

 ドワーフのお母さん、アンナさんがいた。アンナさんは私に気付くと、快活に笑って、手伝って行くかい?と言った。

 私がはい、と答えて袖を捲くったら、その前にやる事があるだろう?と、笑われた。


 少し、世間話をした。派手に竜退治したけど、鎧をなくして帰るに帰れなくなった誰かの話とか。誰かと誰かがなんか怪しい感じになってたとか。私、その話は凄く気になります。

 とにかく、懐かしい顔はあって、けれど探している顔はそこにはなかった。


「入れ違いになったんだね。あっちはあっちで探してたよ?」


 そんな言葉に見送られて、私は食堂に頭を下げる。


 また、桜が降る中を歩いて……今度は医局に行ってみた。

 その建物は記憶の通り、無事に残っていて、やっぱり懐かしいと思いながら、私はその中に踏み込んでみる。

 また大怪我して寝込んでたりとかは……しないみたい。そんな事を思いながらも、一応見て回った後、私は、事務室……というか、井戸端会議の会場と言う方が記憶の中でしっくり来る、そんな場所に向かった。

 白衣のオニ。季蓮さんはそこにいた。なにか、書類を眺めている。

 テーブルの上にはお茶菓子と、湯飲みが二つ。………さっきまで誰かいたのだろうか?


 と、そこで、季蓮さんが私に気付いたらしい。ちらりとこちらを向いて、季蓮さんは言った。

 桜……そこの書類とって、と。なんだか懐かしくて、私はすぐに言われた通りにして、そうしたらやっぱり笑われた。


 それから、またやっぱり世間話が始まった。さっきまでここに居たエルフが、落ちてきた爆弾を逸らした、とか、そういう武勇伝がうるさかった、とか。誰かと誰かが怪しくなった割に結局何にもなかったらしい、とか。ホッとした、……で良いんだろうか?どっちにしろ聞くことは増えましたね?

 とにかく、そこにもやっぱり探している顔はなくて。


「あなた達、わざと入れ違いになってる?」


 そう、ちょっとあきれた様に、また見送られて、私は、医局に頭を下げる。


 また、歩いて。

 整備場にも行ってみて。

 ………行ったらコスプレ衣装が用意してあった。着ませんよ?と言ったらドワーフの皆さんは肩を落とし……、今は、と付け加えてみたら歓声が上がった。


 ドワーフさん達は、本当、趣味に生きてる。そんな事を思いながら、その中を見回して、けれど、黒いFPAも、探している顔もそこにはなくて、私は整備場にも頭を下げて、その場所も後にした。


 背後で、おじさんの怒鳴り声が聞こえた。

 何サボってんだお前ら!……何?嬢ちゃんが来た?とか。

 ……狙って入れ違ってんのかあいつら、とか。


 ………戻って挨拶しようかとちょっと思ったけど、結局コスプレさせられる気がするし、その時はも巻き添えにした方が楽しい気がするから、後で改めて来ようと思います。


 また、歩く。歩く。歩く。

 懐かしい道を、歩く。まだ会っていない顔を探して。


 そうやって歩いていると、………見覚えのある背中が見えた。

 紅地に金刺繍。そんな羽織の背中が、向こうで、通りを曲がって消える。


「……扇奈さん、」


 私は、急いでその背中を追いかけるけれど……辿り着いた曲がり角の向こうに、あの見慣れた背中はなかった。

 見間違い?じゃ、ないと思うんだけど………。


 そうやって首を傾げていると、丁度その場所を通りかかったのか……オニの人が声をかけて来る。

 確か、扇奈さんの部下の人。少し挨拶を交わして、扇奈さんのことを聞いてみたら、その人が、言った。


「ああ。姐さん、お嬢ちゃんにちょいと後ろ暗いところが――」


 とか言っている途中で、その部下の人の頭に、通りの向こうから何かが飛んできて、思い切りぶつかった。コン、と良い音が鳴り、その人は痛そうに頭をさすりながら、言う。


「……なんでもねえっす」


 私は、ちょっと笑って、飛んできた何かを見た。

 飴玉、だ。包みに何か書いてある。私は、それに手を伸ばす。


 後ろ暗いところってなんだろうか?……誰かと誰かが怪しくなってた話?

 でも、それ、別に扇奈さんが後ろ暗く思う話じゃないと思うんだけど……。


 とにかく、飴玉の包みを開いてみる。


『会えないなら待ってみる。家主に似てあの小屋もしぶとい』


 書いてあったのはそんな事だ。扇奈さん、結局気配りしてる。

 とにかく私は、飴が飛んできた通りの向こうに、声を投げた。


「ありがとうございます!」


 すると、返事はなかったけれど、腕が見えた。派手な羽織の袖が、ひらひら、通りの向こうで振られている。それに私は微笑んで、それから。


「あと………諸々鋼也に聞いてみますね!」


 派手な袖は、ぐっと親指を立てた。

 ……別に怒らないし、顔見せてくれたら良いのに。

 そんな事を思いながら、私は笑って、口の中で、飴玉を転がし始めた。


 それから……やっぱり懐かしい気がする、そう、……帰り道を歩き出した。



 *



 プレハブ小屋は、確かに、そのままに残っていた。

 恐る恐る扉を開けて、中を覗いてみるけれど………誰もいない。

 どこかに出かけているんだろう。……というか、方々の噂話を聞く限り、あっちはあっちで私を探して回ってるみたいだけど。

 ……じっとしててくれたら良いのに。って、あっちも思ってそう。

 そんな事を考えながら、小屋の中に入る。


 あんまり、物がない。寝に帰ってるだけなのだろうか、掃除も、そんなにされていない。まだ、ストーブが出しっぱなしになっている。だから、……やっぱり、懐かしかった。


 小屋の一角。いつも座っていた場所に腰掛けてみる。埃が溜まってる。掃除しようか、とか、そんな事を思って、でも、結局、何もせず座っていた。


 何もかもが、懐かしい気分。

 戻ってきた感じがする。

 そう。前も私は、こうやって、何もする事がなくて、ただ待っていた。

 ぼんやり、の影ばかりちらつく窓を見て。


 ………顔を合わせたら何を言おうか。


 扇奈さんと浮気してたの?……は、いきなりはない。

 待ってたけど、帰ってこなかったから、来ちゃいました!今度は私が連れ帰りに来ました!とか?

 マストオーダーです!帰りましょう!とか?

 ……なんか違う。


 なんで帰ってこなかったんですか、とか?

 手紙くらいくれても良かったんじゃないですか、とか?

 ……う~ん。


 ……………私は、一体、どういう風に振舞ってたっけ?最近色々使い分けすぎてたせいだろうか?なんだか、妙に緊張してきた。不安になってきた。


 ちょっと忙しなく、視線を動かしてみて、髪を整えてみたりして、でもまた手持ち無沙汰になって……そうなったら、部屋の隅の埃が気になってきた。

 掃除道具、残ってるかな?そんな事を思って、腰を上げかけて……そこで、窓の外を影が横切った。


 少しうなだれた様に歩いていく誰か。

 多分、私に気付いてなかったんだろう。特に余韻もなにもなく、いきなり、小屋の戸が開いた。


 記憶にあるその景色、開いた戸の向こうで降っていたのは雪。

 でも、今、そこを舞っているのは、桜の吹雪。


 記憶を撫でるのは冷たい風で、今吹き込んでくるのは暖かい春のそれ。


 記憶の中で、最後に見た彼は、悲痛に、覚悟を決めたような背中で。

 今、目の前に居るのは、ただ、驚いて固まっている……どこか気が抜けたような顔。


 片目が、なんか変わってる。どうしたんだろう……、そんな事を思って、でも、私が口にしたのは別の言葉だ。


 思い出したのだ。

 待っているって、そう言った。

 私が欲しかったのは、その続きだった。

 今、押しかけてきてるのは私だから、もしかしたらそれは、おかしな言葉かもしれないけれど。

 いざ、顔を見たらもう………他の言葉は浮かんでこなかった。



 驚きに固まったままの彼を見て、微笑んで。

 私は、暖かい春の香りの中で、ずっと言いたかった言葉を、口にした。



「………お帰りなさい、鋼也」

 


 


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桜吹雪に鋼鉄の楔 蔵沢・リビングデッド・秋 @o-tam

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