少年

@taifuainao

第1話

少年~prologue~


僕はなぜ、ここに来たのだろう?

僕はなぜ、ここから出て行くのだろう?


全部、覚えていた気がする。

全部、忘れた気がする。


誰かと、出逢った気がする。

誰かと、別れた気がする。


誰かを、傷つけた気がする。

誰かに、傷つけられた気がする。


もう、遅いのかもしれない。

まだ、間に合うかもしれない。


終わってしまったのだろうか?

始まっていたのだろうか?


遥か遠くから辿り着き、

遥か遠くへと旅立つ。


僕はなぜ、また歩き出すのだろう?


少年~1~


(今日も、また始まったか…)


いつの頃からだろう?僕は新しい一日に期待しないで、

目覚めるようになっている。


だって多分今日も、高校に行って、授業をサボって体育館でバスケして、

昼メシを食いながらミユキの愚痴を聞いて、屋上の芝生の上で昼寝して、

放課後にゲーセンかカラオケで騒いで、夜中に帰って来て寝るんだろ?


知ってる。っつうか、知ってた。

わかりきってる一日に期待する方がおかしいよな。


「響!早く行かないと遅刻するわよ!」


はっ!デジャヴだ。

昨日も、下に居る母親から同じ事言われた気がする。

いや、一昨日もか?そのまた前も…?


「朝ごはん、食べて行かないの?」


うん、食べない。口の前でバッテンしておく。

のそのそと玄関を開けて出て行こうとすると、聞こえてきた。


「打っても響かない。アンタ名前負けしてるわ」


ちと、ムカツク。この名前にしたのはアンタらだろ?

ったく、これだから最近の中年は…


チャリンコで行こうかなー?それとも遅刻覚悟で

歩いてこうかなー?

あっ、ミユキだ。チャリンコ決定か。なら最初から

考えなきゃよかった。


「ヒビキ!何で昨日LINE返してくんないのよ!」


うわっ、そんなツマンナイ事言う為に、朝っぱらから

ココで待ってたのか?コイツは。でも、モメるのは

メンドクサイ。どう言い訳しようか…


「どうせ、バイブにしてて気付かなかったんでしょー?」


曖昧に頷いてみる。

おっ、納得してるみたいだ。自分発信の疑問を、自分で解決

してくれるとは…。んー、便利な奴。


「じゃあ、罰として青春の二人乗りで連れてって!」


罰って、いつも二人乗りさせられてんじゃん。そして、青春って…。

チャリンコに跨り微笑んでみる。一応、出発の合図。


「しゅっぱーつ!」


一気に加速すると、ミユキの胸の感触が背中に暖かい。

巨乳はイイけど、もうちょい痩せてもイイんだぞ。

やっぱり、心の中で呟いてみる。


少年~2~


「じゃあ、また昼休みねー!」


チャリンコから飛び降りると、ミユキは身体を揺らしながら

走っていった。走れるデブとは、見事なり。


「朝からアツアツだなー」


おっ、油断してたからビックリした。数少ない友人の一人、

ナオトの声だ。人付き合いの極端に悪い僕を、なんの酔狂か

知らんが気に入ってくれた珍しい男。


「自転車の後輪、ペシャンコだったぞ」


笑いながら、ミユキには絶対伝えられない事を平気で言ってくる。

僕も笑い返すのは、知ってる、の返事。


「そういや、知ってる?2組のユザワさん、彼氏と別れたみたいよ」


ちょっと驚いた表情をしてみる。知らない、の返事。


「昔さー、ユザワさん、ヒビキの事好きっつって無かった?」


怪訝な表情をしてみる。マジ知らない、の返事。何でその時に

教えてくれなかったんだ?コイツは。基本的にイイ奴なのだが、

情報を仕入れては人に流す、という事を繰り返してるうちに、

誰に言ったか、誰に言ってないか、を覚えきれないみたいだ。


「まっ、ヒビキにはミユキが居るから別にイイよなー」


別にイイかどうかは、僕が決める。でも、ナオトの言うとおり

ミユキと別れる程の、気合も根性も体力も、今の僕には無い。

現状に満足していないくせに、現状を壊すのがメンドクサイのだ。


「おっ、早く教室行かないと遅刻すっぞ!」


あっ、僕を置いて走り出しやがった。お前が話しかけて来たから、

こんな時間になったんじゃねーの?走るのヤダなー。

でも、遅刻して先生に怒られる方がメンドクサイもんな。

しゃーない、走るか。


少年~3~


「ヒビキ、今日カラオケ行こうよー!」


週に2~3回は、教室に入った途端こういう声が掛かる。

カラオケ大好きのミクは、ナオトに引き続き、数少ない

友人の一人。


「もう、5時から予約しちゃったからね!」


行動が早いのは素晴らしい。しかし、人の予定も聞かず

参加を強制するのはどうなんだ?断ると、1週間位は平気で

機嫌悪くなれる娘なので、ここは笑顔でうなずく。


「今日の参加はねー、私とヒビキとナオトと、特別ゲスト

としてアサミね!」


アサミ…。確か3組の、あまり人付き合いの良くない人だった

気がする。そんな娘、よく誘えたな…。そして、ミクの人脈の

広さにはビックリする時がまれにある。


「今日はナオトの好きなバラード中心にするから!」


ミクは歌が上手いのだ。しっとりしたクリスマスバラードなんか

唄わせると、一気にみんなの耳を傾けてしまう、それくらい魅力の

ある唄い方や声を持っているのだ。


「よーし、今日はいっぱい唄うぞー!」


今日は…?今日も…?先週行った時も、ほとんどマイクを独占して

いた記憶がある。いくら唄っても、声を張っても、最後まで上手く

唄える技術や体力は素晴らしいが、聞く方の身にはなれないらしい。


「そういえばさー、2組のユザワちゃんが彼氏と別れたみたいよ?」


さっきナオトから聞いたから知ってる。軽く頷くと、ちょっと不満そう。

そっか、知らないフリをした方が良かったのか。っつうか、そんな有名な

話なのか?


「相手、同じ2組の船田君らしいよ」


おっ、新しい情報が入ってきた。んっ?船田ってどんな奴だっけ?

なんとなく顔はわかるけど、話した事あったっけかなー?うーん、

よく思い出せない。


「ユザワちゃんが愛想つかしてフッたんだって」


何でそんな事まで知ってるんだ?お前は。


「先週さー、ユザワちゃんから相談されたから、別れちゃいなさい

って言ったらホントになっちゃったみたい」


全然悪そうにしてない所がミクのイイ所。船田君にしたら

勘弁してくれ、って感じだろうが、ユザワちゃんにしたら

良かったのかもしんない。ミクの男を見る目は、大した

モノらしいから。


「そういう訳で、4時半に校門の前集合ね!」


どういう訳?深いツッコミはせず、笑って頷く。了解の返事。


「あっ、先生が来た!」


まだ自分の席にも辿り着けていなかったのか、僕は。

急いでるフリをして席まで早足。慌てたフリをして教科書を

開くと手紙がはさんである。


「ヒビキ様へ」


裏を見ても、差出人の名前は無し。


少年~4~


「じゃあ、今日は教科書の122ページから」


おっ、授業が始まったみたいだ。ここで大っぴらに手紙を

広げられる程、強い心臓を僕は持ってない。

しっかし…、誰からだろ?


「この部分は、か・な・ら・ず、試験に出すからな!」


ナオトやミクを含めた数人を除いて、みんなが一斉に

ノートに取り始めた。この先生は、前々回の試験の前に

今と同じ事を言って、純粋な生徒を騙しているのに。


「しっかり覚えておけよー!」


騙す方もバカなら、騙される方もバカ。この勝負、引き分け。


ところであの手紙、誰からなんだろ?ミユキがわざわざ手紙

なんて書く訳無いし、ナオトやミクにしたって一緒。他に、

僕に何か伝えたい人なんて居たっけなー?


「それじゃあ、今日ポ、行くぞー!」


こいつがバカなのは、≪今日のポイント≫を≪今日ポ≫と

微妙に略す所。早く自分のバカに気付けばイイのに。

あっ、もしかして噂のユザワさんか?


「しっかりノートに書いとけよー!」


いや、んな訳無い。さっきのナオトの話だってどこまでホントか

わかんないし、元々そんなに仲良く無いし、ミユキと仲イイから

ちょっと話した事がある程度だし。


「黒板に書いたのは、今日ポを理解してれば出来る問題だ。」

「出席番号26番!」


ビンゴ!当たっちゃった…。どうしよ?1ミリも聞いて無かった

んですけど…。って正直に言ったら、逆鱗に触れるよなー。

とりあえず立ってみるか。


「何だ、わからないのか?今度の試験どうするつもりだ!」


それは今から自分で考えるので、放っておいて下さい。

ノーリアクションで席に座る。あっ、5組のユキちゃんかも

しんない。最近ちょこちょこ話してるし。


「じゃあ他、わかる人手挙げて!」


だーかーらー、最近ちょこちょこ話してる娘が、わざわざ

手紙なんて書く訳無いだろ?そん時に、ちょこちょこ話せば

いいだけでしょ?ヒビキ、しっかりしなさい!


「正解!みんなも澤田を見習えよー!」


誰だ?誰だ?誰だ?イヤ、ガッチャマンから手紙が来る訳無い。

うーん、気になる。でも、ここで封を開ける勇気は無い。

いっその事、嘘ついてトイレに駆け込むか?それ以上に、最初から

こんな授業出なければ良かったんだ。でも、もう遅い。


「今日の内容は試験に出るからな!しっかり覚えとけよ!」

「今日の授業はここまで!」


神様、ありがと。嘘を1回つかなくて済みました。手紙をポケット

にしまい、F1のスタートのシグナルのように、先生の一歩一歩を

数える。ピッ、ピッ、ピッ、ポーン!


少年~5~


「ヒビキく~ん!」


シグナルと共にポールトゥウィン間違いなしの最高の

スタートを切った途端に声が掛かった。完璧な曲線を

描いて教室を出れたと言うのに…。


「ちょっと待ってよ~!」


この声は、最近グンと仲良くなった5組のユキちゃん。

今一番気に入っている娘であるのは、疑いようも無い

事実である。


「やっと止まってくれた…。」


ハァハァと膝に手をやっているユキちゃんの頭の形すら

可愛く見えてくる。恋ってのはこうやって始まるんだろ

うなー。


「ちょっとだけイイかな?」


今の僕には1秒の余裕も無い。しかし、せっかく仲良く

なり始めた矢先に、冷たい態度を取って良好と思われる

この関係を無くしてもいいのか?


「それとも今度にした方がイイ?」


そうやって他人を思いやれるユキちゃんは素敵だよ。

おもわず微笑むと、大丈夫だよ、の返事と勘違いされて

しまった。まっ、いっか…。


「今日の放課後って何か用事ある?」


ミクにカラオケ誘われてる。いや、バカ正直に言う必要

なんてない。カラオケなんぞはいつでも行けるのだ。

それに比べユキちゃんから誘われるなんて、もう無い事

かもしんないぞ。


「ちょっと、付き合って欲しい所があって…」


よしっ、決めた。ミクやナオトには悪いが、友情よりも

この恋に走らせてもらう。ここから何かが始まるかもし

れないのだ。


「おうヒビキ。さっきミクから聞いたよ。

4時半待ち合わせだっけ?」


ナオトの声だ。お前は今、とんでもないタイミングで、

言わなくてイイ事を言ったんだぞ! しっ、しっ!

早くあっち行け!


「ヒビキ君、今日予定有りなんだ…」


僕、予定あったっけなー?カラオケなんて行く必要無い

と思います。4時半に待ち合わせなんて無いと思います。

だからユキちゃんとデートしたいです。


「それじゃあ、また今度。試験が終わったら声掛けるね。」


天使の生まれ変わりが存在すると、僕は今始めて知った。

背がちっちゃくて、髪がちょっと長くて、瞳がすごく大き

くて、笑顔が眩しくて…。


「今度はちゃんと、付き合ってね!」


その笑顔の為だけに生きていける。神様、今度がちゃんと

ありますように!仏様、その時僕に少しだけ勇気を下さい!

キリスト様、僕達に暖かいスープを…。


「ヒビキく~ん。残念だったね~。」


ミクとナオトだ。わ、笑ってやがる。いつの間に二人に

なってたんだ?つうか、一部始終見てたのか?こいつら。

だったら、何で協力してくれないんだ?


「私のカラオケからバックレようなんて、100万年早いわよ!」


スイマセン。100万年後にリトライしてみます。あーあ、

せっかくのチャンスだったのになー。今年一番の出来事が

降臨したかもしんなかったのになー。


「そういや、ヒビキ、何で急いでたの?」


忘れてた。僕は手紙を読むためにトイレというゴールに

駆け込まなくてはならなかったのだ。こんな所で、油を

売ってる場合ではなかったのだ。


「あっ、チャイムだ」


シクシクシク…。今なら泣いても許してくれますよね?

次の授業、今度サボったら単位諦めろ、って言われてる

古文ですよね?


「早く戻らないと、先生来ちゃうぞ!」


無断欠席と遅刻、僕はダブルリーチなのだ。よしっ、

ここは心を入れ替えて、どうやって授業を抜け出すかを

考える事にしよう。


少年~6~


「今日のカラアゲ、完璧じゃない?」


ミユキがでっかいカラアゲを頬張って言う。こいつは

料理が上手いのだ。毎日弁当を作ってきてくれるのだが、

今の所、ハズレは一度も無い。


「このエビフライも美味し~!」


ホント、お前は幸せそうに食べるね。カラアゲを頬張って

は、ゴハンをモグモグ。エビフライを頬張っては、ゴハン

をモグモグ。


「どうしよ~。こんなに食べたら太っちゃうよ~!」


あっ、今日もまた出た。多分、ミユキの口癖なのだろう。

言ってはみるものの、だからと言って、食べる分量を抑える

事は一切しない。


「今日、何か面白い事あった?」


そうだ。差出人不明の手紙がポケットに入りっぱなしだった。

午前中、あまりにバタバタしててすっかり忘れてたぜ。

かと言って、ミユキの前で読める代物では無いはず。


「2時間目で先生がさー、チョー、ウケたんだけど…。」


僕の答えを待たず、喋り出しやがった。こういうマイペースな

所を気に入って、二人で遊び始めたような気がするが、あんま

覚えてないなー。


「ねー、チョー面白くない?」


チョーどころか、ちっとも面白くない。なんで、こんなオチの

無い話を自信満々に話せるかなー?僕が大爆笑するとでも思っ

ていたのか?


「なんでこんなに面白いのに笑わないの?おかしいっつうの!」


この話で笑うのは、久々に見た基礎解析の問題より難しい。

逆にどこをどのように聞いたら笑えるのか教えて欲しい位だ、

っつうの!


「今日の放課後、またカラオケなの?」


曖昧に頷く。僕がナオトやミクとカラオケに行くのを、ミユキは

あまり喜んでないらしい。でも、これもまた人付き合いの一環で

あって、そうでもしないと僕には友人も出来ない訳で。


「そういえば、休み時間に5組の女の子と話してなかった?」


見られてたか…。心の内まで見られてたら、こんな穏やかな陽射し

は差し込まないんだろうな。変な誤解を受けるのもメンドクサイし

何でも無いよ、と笑顔を傾ける。


「ちっちゃくて、カワイイっぽい子だったよね~。」


お前から比べたら、大抵の娘がちっちゃいと思うんですけど。

小さい娘に憧れてるなら、カラアゲ&エビフライ弁当大盛なんて

食べちゃダメでしょ~?


「ヒビキの好みっぽい気がする。なんかムカツクから、教室戻る!」


ミユキがムカツク程、ユキちゃんとは何もありません。

だが、好みって部分はさすがにイイ読みしてるね。僕の好みが

ちっちゃくてカワイイ娘だって知ってるだけある。


でも、そうなろうという努力をしないで、自分の欲に一直線

な所がミユキらしいし、そこが可愛い所でもあるのだが。

あれっ?何で僕はムカツかれたんだろ?


少年~7~


「愛してるぅ~!」


ミクが、僕とナオトを交互に見ながら1曲唄い切った。

僕の知る限り、「愛してる」なんて言葉が一番似合わない

娘なのだが…。


「ちょっと、私の事好きになっちゃったでしょ~?」


僕とナオトは、いつものように苦笑い。歌を唄わなくても、

僕もナオトも、ミクの事は大好きなのだ。もちろん、色恋

沙汰になる可能性はゼロなのだが。


「あっ、この曲好き~!」


ミクの叫び声と共に、ちょっと前に流行ったバラードの

前奏が流れてきた。アサミちゃんが唄うのか。この曲なら

僕も知ってるし、一緒に唄おう。


「ちょっと、ヒビキ!なにマイク持ってんのよっ!」


持って3秒で、ミクにマイクを取り上げられた。

ミクは20分位マイクを持ちっぱなしだったのに、

僕は3秒なのか…。


「アサミの曲に乗っかろうなんて、二千年早いわよっ!」


二千年待つ位なら、アサミちゃんとカラオケに来るのは、

今日を最後にしよう。っつうかさー、こんな仕打ち無いん

じゃない?なあ、ナオトー。


「そうだな。二千年とは言わないまでも、五百年は早いわな」


ブルータス、お前もか。ナオト君。今は君がフォローしないと、

いけない所でしょ。僕等には日常の光景でも、ほら、アサミちゃんが

ドン引きしてる。


「アサミの唄声で、ナオトを落としちゃえ~!」


ほらほら、アサミちゃんがすっごい遠い所まで行っちゃってる。

ミク、いい加減にしなさい。視線でアサミちゃんの状況をミクに

伝えてみる。


「えっと~、ナオトはアサミみたいな娘、タイプでしょ?」


ナオトが絶句する。アサミちゃんは、もう遠くに行き過ぎて、

良く顔も見えない。このままにはしておけない。ナオトにアサミ

ちゃんをよろしく視線を送り、ミクを廊下に連れ出す。


「だって~、ナオトとアサミがくっついたら面白いし…」


こんな言い方しかできない娘だが、本当に反省してるのは手に取る

ようにわかる。おしおきのつもりで、ミクの頭をちょっと強めに

撫で、髪をくしゃくしゃにしてやる。


「アサミが心配だから、早く戻ろ!」


僕の手を取って、部屋に入ってく。あれっ、ナオトしか居ない。


「アサミちゃん、帰ったよ。俺の顔も見ずに駆け出してった。」


ナオト、お疲れ。お前はすごく頑張ったよ。そして、とても辛い

思いをしてしまったようだね。でも、大丈夫。お前が強い子なのは

僕やミクが一番知ってる。


「ゴメン…ね。」


ミクの頭がうなだれる。僕とナオトは目を合わせ、思わず

笑ってしまう。いつもの事だ、のアイコンタクト。ふっ、と

お互い息を吸う。


「もう、こういう事すんじゃねーよ。今は誰とも付き合う

つもり無いんだから。」


ナオトの優しい拳が、ミクの頬に軽く当たる。


「ありがと。次はもっと積極的な娘を用意するから。」


言った途端、ミクが逃げる。すぐにナオトが追いかける。

そんな二人をちょっと後ろから僕が見てる。

いつものような時間が、いつものように過ぎていく。


少年~8~


「ごはん、もう無いわよ~!」


玄関を開けた途端、遠くから母親の声がした。

さっきカラオケボックスでジャンクフードをしこたま

食べて来たのでお腹は空いてない。


「全く、いっつも遊び呆けて…」


言い返す言葉が無いのは重々承知しております。

でも、僕の場合遊び呆けなくても、親の期待に答えられる

ような行いはきっと出来ないと思います。


「もうすぐ試験じゃ無かったの?」


素晴らしい記憶力をお持ちで。実は明後日から期末試験です。


「勉強してんの?」


いや、してません。っつうか、やっても意味無いと思うし。

イイ点取りたいと思った事1回も無いし、教科書に載ってる

事で覚えたい事も1個も無いし。


「卒業出来なかったら、刺し殺すからね!」


包丁持ったまんま、そんな事言わないで下さい。

卒業する程度の点数なら、勉強しなくても取れるって。

そんな低い目標で良ければ、いつでも立てるけど。


「とりあえず、試験が終わるまで遊びに行くの控えなさいよ!」


これを無視して、2年前に家を追い出された経験を持つ僕としては

何が何でも従わなければならない命令なのだ。まっ、1週間程度

だし大人しくのんびり過ごすか。


「いつまでそこで突っ立ってんの?早く部屋で勉強しなさい!」


あなたの話を聞いてたつもりなんですけど…。

理不尽な気もするが、反抗出来る身分でも無いし。

ここは早く部屋に戻ろう。


「お風呂入って、とっとと寝なさい!」


どっち?勉強した方が良いのか、風呂に入って寝た方がよいのか?

いや、ここに居たらそんなの決まらないどころか、また新たな選択肢

が出てくる可能性大だ。


「明日の朝、起こしてあげないからね!」


もうすぐ階段を上がりきり、部屋まで後数歩だったのに、

最後の言葉が突き刺さってきた。そしたら、ミユキに電話で

起こしてもらう事にすっかな。


あっ、手紙…


少年~9~


「突然手紙なんて出してゴメンなさい」


謝るくらいなら、最初から出さなきゃイイのに。

いつもの僕ならこんな軽口をたたくはずだが、

いつに無く真剣に読み始めてみる。


「ホントは直接言いたかったんですけど…」


こりゃー、間違いなく本物のラブレターだな。

この令和の世の中に、まだラブレターなんぞが

存在するとは…。


「勇気が無い私を許して下さい」


すげーな。昭和の女か?こいつは。何を許して

欲しいのかが、イマイチわからんが…。


「初めて会ったのは入学式だったよね?」


って事は、同じ学校の同じ学年か。入学式でそんな

インパクトのある出会い方した人って居たっけかな?


「ん~ん、会ったっていうか、私がヒビキ君を見つけた

だけかも?」


それは、会ったっていうか…、会ってないです。


「その時、すっごい優しい目で私を見てくれてたから。」


ん?相当可愛い娘だったのか?僕が誰かを優しい目で

見る事なんて滅多に無い。っていうか、ミクとナオトが

そう言ってた。


「私を見てくれた、その目を忘れられなくて」


入学式って事は、約3年前。すごく物覚えがイイですね。


「もうすぐお互い卒業でしょ?」


全く意識して無かったが、後4ヶ月位で僕達も卒業だった。

そっか、もうそんなに時間が過ぎていたのか…。


「だからお別れになる前に、ちゃんと私の気持ちを

伝えておきたくて」


これは…、やっぱり…、間違いない…、よな…?


「ずっと、ヒビキ君が好きでした」


おっ、キター!告白だー!まさか僕をそんなに想って

くれてる娘が居るなんて、想像もして無かった。やっぱ

ミユキの前で読まなくて良かった。


「それで、もしも少しだけでも私を気に掛けてくれるん

だったら…」


そりゃ、気に掛けるさ。僕を好きになってくれる娘なんて

貴重だもん。珍しいよ~。レアキャラだよ~。


「クリスマスの日、デートして下さい」


いきなりデートの誘いか。それもクリスマスに。結構、自分に

自信のある娘なのかな?もしくは、僕にクリスマスの予定

なんてある訳無いと思ってんのか?


「大銀杏並木の赤いベンチで、午後6時に待ってます。」


やっぱこの学校の娘だな。僕は全然興味無いんだけど、

学校に面してる大銀杏並木の、それも唯一赤く塗られて

いるベンチで告白すると必ず上手くいく、って噂が

この学校にはあるらしい。


「来てくれなくても構いません。でも待ってます」


これって、一種の脅迫じゃ無いの?ホントに待ってるか

どうかは別問題としても、バックレにくいよね。


「ミユキさんより、私の方がヒビキ君の事好きです!」


ゲッ、ミユキの事知ってんのか、この娘。ミユキから僕を

奪い取る気まんまんって事なのね。どんだけ、自信家なんだ

コイツは…。


「笹野絵里」


んっ?名前だけ聞いたことあるぞ。でも、どんな娘か全然

わからん。しゃーない、今日は時間が遅いから、明日ナオト

にでも聞いてみるか。


少年~10~


「『笹野絵里』知らないで、よくウチの学校通ってるって

言えたな」


そんな有名人だったのか。でも、名前はかろうじて知ってた

から、ギリギリセーフだろ?


「今年の学園祭ミスコンで、特別賞取った娘だよ」


あっ、思い出した。ウチの学校のミスコンは組織票が横行

してて、最初から優勝者決まってるのだ。今年は黒木さん

で決まりだ、って春から騒いでたし。


「組織票無しで、黒木さんと同数まで持ち込んだ娘だよ」


校内の風俗史に詳しい先生が、こんなの見た事無い、って

大騒ぎしてたよな。ちなみに僕はミユキに入れたのだ。


「結局、権力によって黒木さんに決まったんだけど、

騒ぎが治まらなくて急遽特別賞が出来たじゃん。」


そうだった。権力を実力で蹴散らかした娘だった。

しっかし、そんなに魅力のある娘だったっけ?


「んで、その笹野さんが何だっつうの?」


正直に答えて良いものだろうか?いや、あの手紙が

本物かどうかもわからん内に、舞い上がってナオトに

ペラペラ喋るべきではない。


「もしかしたら、好きになっちゃったとか?」


いやー、よく知りもしない人を好きになんかならないよ。

僕には、いちおうミユキっていう彼女が居る訳だし、

ユキちゃんっていう素敵な娘も居る訳だし。


「倍率高いらしいよ~」


だから、違うっつってるでしょ?


「でも、男嫌いっていう噂もあるけどね」


僕は男じゃ無いのか?


「まっ、俺等とは住む世界が違う人だよ」


勝手に僕とナオトを一緒にすんな。でも、実際問題と

しては、ナオトの言うとおりなんだろうけど…。


「ミユキに言いつけるぞ~」


それは勘弁して下さい。今日のランチで機嫌が悪くなった

ののフォローもまだ出来てないのに、余計な事言わないで

下さい。


「まっ、いいや。また何か知りたかったら声掛けてよ」


どっか行ってしまった。こいつは情報屋として生き抜く

つもりなんだろうか?とはいえ、笹野さんの情報は仕入

れられた。後で、顔だけでも確認しておこう。


てか、笹野さんって何組だ?聞き忘れた…。


少年~11~


「やっと一日目が終わった~!」


誰かが、みんなの思いを代弁してくれた。

みんな思い思いの表情をしているが、それぞれが

それぞれに安堵の表情を浮かべている。


「後二日、頑張るか~!」


またも、誰かがみんなの思いを代弁する。

みんな思う事は同じ、早くこんな期末試験なんぞ

終わらして、冬休みを迎えたいのだ。


「ヒビキ~、お茶しに行こうよ」


ミクからお誘いが入る。しかし、ここで油断しては

いけない。明日も試験はあるのだ。ゆっくり首をかしげ

ながら、ミクに微笑む。


「そうだね。試験終わってから、パーッと打ち上げよ」


賢い人と話をするのは、こうだから楽しい。ミクも、そして

ナオトも今が踏ん張り所だということを知っているのだ。


「そういや、笹野さんの話は何だったの?」


ナオトが徐に聞いてくる。おっ、僕自身も忘れてた。

いいチャンスだから、曖昧な表情でナオトに問いかけて

みる。


「さっき、3組の前で見かけたよ」


ナオト君、君は素晴らしいよ。これで、笹野さんが3組

だって事がわかったじゃん。今日の試験も終わった事だし、

3組に行ってみようかな?


「私、今から3組の鈴木君と年末の打ち合わせがあるけど、

一緒に3組行く?」


ミク、お前の顔はドコまで広いんだ?でも、ナイスタイミング。

一緒に3組まで行くことにしよう。


「あっ、鈴木く~ん!」


ミクが行ってしまった。一人になってしまった心細さを

隠しながら、笹野さんを探してみる。


「ヒビキくん」


誰だ?お前。馴れ馴れしく、下の名前で呼ぶんじゃねーよ。


「手紙、呼んでくれた?」


お前!いや、あなたが笹野さんなのか?なるほど。可愛い上に

小悪魔的な魅力を持った娘だ。コイツが本気になったら、

落ちない男は居ないだろう。


「私、本気だからね!」


身分をわきまえないといけません。あなたは、学校の女神の

一人なんだから。ほら、教室の隅っこで僕をニキビ面が二~三人

睨んでるでしょ?


「私、すごいよ!」


何が?どんだけ自信家なんだ?確かに、その辺に転がってる

石コロに比べれば、十分ダイヤモンドだけど、僕はそんなに

ダイヤモンドが好きではないのだ。


「とにかく、待ってるからね!」


言いたい事を言って、居なくなってしまった。確かに可愛いし

魅力のある娘だが、1個勘違いしてる。僕はそんな娘より、ミユキや

ミクやユキちゃんみたいに自由に生きてる娘が好きなのだ。


「お前、何者?」


あっ、ニキビ面が絡んできた。ケンカすんのもメンドクサイので

軽くやり過ごす。モテナイくせに、モテル男の悩みだけが舞い降りて

来た感じ。間違いなく、今僕は損してる。


少年~12~


「ちょっと待てよっ!」


僕とナオトが校門を出た所で、でかい声が響いた。

僕もナオトも完全無視したまんま、歩き続ける。

僕やナオトが呼び止められる事なんて、基本的に無いし。


「聞こえねぇのかっ?待てっつってんだろっ!」


うるせーなー。誰だかわかんねーけど、とっとと答えろって。

ほら、下校中の生徒だけではなく、道行く人々も脅えきった

目をしてるじゃない。


「だから、待てっつってんだろっ!」


あれ?僕の肩がつかまれた。みなさん、ゴメンナサイ。

この大声の矛先は僕だったみたい。誰だろ?んっ?

誰だ?お前ら。


「お前が、ヒビキだな?」


無駄にゴタゴタに巻き込まれるのはゴメンだ。よしっ、

ここは一発違う人のフリして、この場をやり過ごして

みる事にしよう。


「お前らこそ、誰だよ?」


ナオト君。答えちゃダメじゃない。こんな訳ワカラン奴等に

付き合ってられる程、僕達の人生は暇じゃ無いでしょ?

こういう時はバックレんのが一番じゃない。


「お前に話してねーよ。こっちに話してんだよっ!」


こらっ!唾がかかったでしょ。とても、とても汚いから、

気を付けなさい。そして、痛いから僕の肩を持ったまんま

力を入れるのはヤメなさい。


「お前さー、笹野絵里って知ってるよな?」


あれっ?学校中が知ってる位の有名人だってナオトに教えて

もらったんだけどなー?実はそんなに有名な娘じゃ無かった

のかな?


「俺らに無断で絵里に近付いてんじゃねーよ!」


はっ!出たっ!濡れ衣だっ!僕から近付いた訳じゃ無いじゃな~い。

彼女が勝手に僕に手紙を書いて、本気がどうのとか言ってただけ

じゃな~い。


「あんまりナメた真似してると、ヤッちゃうよ?」


何を?僕が、お前らなんかに何をヤラれると言うのだ?

不思議な事を言う人達だ。っつうか、主語が無いから相手に

意味が伝わらない、ってわかんないのかな?


「ヤッてみろよ」


あ~あ、ナオトが怒っちゃった。ホントに根は優しい奴なのだが、

仲間意識が強いから、僕やミクに何かしようとする奴がいると、

本気で怒っちゃう人なのだ。


「おいっ、聞いてんのか?ヤッてみろよっ!」


身長180cmを軽く超えてるナオトが太い声を出すと、さすがに

威圧感が物凄い。おい、頭のおかしい少年共、さっきまでの

威勢はどこへ行ったんだ?


「ヒビキ、頼むから俺一人で片付けさせてくれ。こういう奴等

大嫌いなんだ」


知ってる。そういう性格だから、一緒に遊んでんじゃん。でも、

ナオトに任せてしまうとこの少年共がどーなるか、考えただけでも

ゾッとする。


「いや、違うんだよ。こいつが絵里に手を出そうとしたから…」


まだ言うか、バカ共。そんな事言ったら、ナオトの怒りが増幅する

だけだぞ。お前らも怪我したく無いでしょ?なら、何も言わずに

早く逃げなさい。


「おいっ、ちょっと待てよ…」


ナオトが掴みかかっちゃった。だから、早く逃げろ、って言った

のに。心の中でね。このままだと、奴等がペシャンコになっちゃう

から、必死でナオトをなだめる。


「ヒビキがそれでイイんなら、俺もイイけど…」


ナオト、お前はホントにイイ奴だね。ずっと僕と仲良くしててね。

ほらっ、何とかナオトを落ち着かせたから、バカ共はとっとと

走って逃げなさい。


「覚えてろよっ!」


お前らはいつの時代の人間だ?ほらっ、余計な事言ってるから、

またナオトにつかまっちゃったじゃない。僕はもう、知らない。

後は、身体で自分のバカさ加減を思い知りなさい。


そんな目で僕を見たって、もう無駄だよ。助けてあげない。


少年~13~


「試験、終了っ~!」


誰かが叫んだ。数日間に渡る長い戦いを終えた戦士達が、

みな肩を寄せ合って泣いている。とても辛く苦しい戦いが

今、終わったのだ。


「今日は何して遊ぶ?」


戦士達の涙を感慨深げに眺めていると、ミクから声が掛かる。

すぐそばには、やはり充実感で満ち溢れた戦士、ナオトが堂々と

立っている。


「やっぱ~、試験終わったし~、カラオケ?」


ミクさん。お前の発想はカラオケしか無いのかい?世の中は、

カラオケ以外にも楽しい事はいっぱいあると思うよ?例えば…、

男を作りなさい。


「まず、マック行こ~。お腹空いちゃった~。」


なんて自己中な展開なんだ。僕もナオトも一言も発していない間に、

どんどん先の事が決まっていく。このまま放っておいたら、

来年一杯の予定を決められてしまいそうだ。


「私、ビックマック~!」


いつの間にか駅前のマックに着いていた。そういや、せっかく

試験が終わったんだから、ミユキと会わなくてイイのか?僕。

そういや、最近ミユキからLINE来てなかったな~。


「ポテトはLサイズにしちゃえ~!」


いやっ、思い出した!ユキちゃんと会わなきゃっ!試験が終わったら

また声掛けてくれる、みたいな事言ってたよな?確か。連絡とって

みようかな~?


「じゃー、コーラもLサイズでっ!」


何が「じゃー」なんだ?この小娘が!そんなにカロリー摂取をして

大丈夫なのか?ミユキといい勝負する位の体格しといて。いつもの

カロリー制限が無駄になるぞ!


「以上…、とナゲット!」


いい加減にしなさい。軽く後頭部を叩きながら、ナゲットはキャンセル。

ミクはブーブー言ってるがこの際無視。


「ナオトとヒビキはどうする?」


ナオトと同じモンで。ナオトに合図すると、オッケーの笑顔。

そうだっ。ユキちゃんだよ。よく考えてみると、連絡取るもなんも

LINE知らないしなー。


「先行って、席取っておくねー」


ミクのこういうマメな所を、なぜ世の中の野郎共は見ていないのだろう?

その辺の何も出来ない可愛いだけの娘より、よっぽど彼女にしたい娘

なのになー。


「ヒビキ、半分持ってくれ」


ナオトからビックマックが3個乗ったトレーを渡される。僕らもビックマック

だったのね?ユキちゃんはビックマックなんて食べないんだろうなー。

いや、大きすぎて食べれない…とか。


「何、ボーッとしてんだ?行くぞ」


ゴメン、ナオト。空想の世界を彷徨ってた。あっ、ナオトならユキちゃんの

連絡先、LINEでも携帯番号でもいいから、知ってんじゃねーの?

でも、なんて聞けばいいんだ?


「ほらっ!」


あっ、ナオトがイライラし始めた。やっぱ、聞けない。っつうか、なんて

聞けばいいのかわからない。しゃーない。ユキちゃんからアクション起こして

くれるのを待つか…。その方が、僕らしいけど…。


「遅いよ~!」


ミクが怒ってる。ナオトが僕を見る。僕がミクに謝る。ちょっと油断した

隙に、ミクがもうビックマックを頬張って、ポテトに手を伸ばしてる。

そんな様子を見ながら、またいつもの日々が始まったと感じる。


少年~14~


「試験、終わったからってイキナリ遊び呆けてるんじゃないよっ!」


家に入った途端、怒声が響いてきた。試験終わった日くらい、

日付が変わるまで遊んでもイイじゃない。試験中は真面目に

学生してたんだから。


「まったくこんな時間まで遊んで…」


ギブアップ。せっかくミクやナオトと楽しい時間を過ごして

きたのに、このままじゃ全てが台無しになってしまいそうだ。

とっとと部屋に行かなきゃ。


「明日、寝坊すんじゃないよっ!」


遊び疲れた後の階段ダッシュはキツい…。でも、部屋まで

無事辿り着けました。これで一安心。

あっ、LINEが来てる…。


「ミユキです」


登録してあるから、わかります。


「試験終わったね~」


時事ネタですね。


「どうだった?」


どうだろ?


「もうすぐ、クリスマスだね~」


また、時事ネタですね。


「どうする?」


どうしよ?


「一緒に居れるよね?」


と、思います。


「プレゼントは何かな~?」


わ、忘れてました…。


「美味しい物がいっぱい食べたいな~」


また、太りますよ。


「それと…」


それと?


「今年は特別なプレゼントがあるんだ~!」


何だろ?


「期待しててね!」


うん。


「それと…」


それと?


「笹野さんって知ってる?」


んっ?


「ヒビキ、何か言われた?」


むむっ…。


「えっと…」


むむむむっ…。


「大丈夫だよね?」


何がですか?


「笹野さんの事、好きになったりしないよね?」


多分、大丈夫。


「私、ヒビキが居ないと生きていけないから」


大袈裟ですね…。


「絶対、ヒビキと別れないからっ!」


僕もそんな気無いです。


「明日、久しぶりのランチデートだね。」


屋上でね。


「ヒビキの好きな春巻にするね」


ラッキー。


「じゃーね、バイバイ!」


おやすみ。


しっかし…、笹野絵里の行動というのは、こんなにも多くの

人に影響するものなのか…。どんだけの力を持っているんだ?

あの娘…。そういや、クリスマスがどうのって言ってたな~?


メンドクサイ事に巻き込まれなければいいな~。

いや、もう巻き込まれている気もするが…。


少年~15~


「えっと…、ヒビキ君ですか?」


間違えて、知らない電話番号から掛かってきた

電話を取ってしまった。いつもの僕なら取る訳

無いのに…。


「笹野ですけど…」


あっ、頭のおかしな野郎共が僕の周りをうろつき

始めた原因となった娘だ。もう関わるのヤメよう

と思ってたのに…。


「何か迷惑掛けちゃったみたいで…」


全くだよ。僕ですらそんなに関係無いのに、もっと

関係無いミクやナオトにも迷惑掛けてんだからな。


「ごめんなさい…」


謝って済む事じゃねーだろ?っつうか、謝る位なら

最初からこんな事すんなっつうの!


「それで、クリスマスなんだけど…」


何が、それで、なの?今更、クリスマスがどーのとか

言ってられる立場じゃねーんじゃねーの?


「やっぱり、会えないかな…?」


ミユキと過ごすつもりだから会えません。そうじゃ

無かったとしても、あなたと素敵なクリスマスを過ご

す事は絶対ありません。


「やっぱり、会えないよね…」


やっぱり、会えない。


「許してもらえないかな…?」


いやー…。


「許してもらえないよね…」


うん。


「わかった。」


なかなか物分りのイイ娘じゃん。潔いのは生きてく

上において、結構重要な事だと思います。


「でもさ…」


まだ何かあんのか?


「私、本当にヒビキ君の事好きだったんだよ」


そんな事言われても…。


「それだけはわかって欲しいの」


困ります…。


「もう連絡はしないね…」


お互いの為に、そうしましょう。


「友達にもヒビキ君に近づくな、って言っとく」


あんな馬鹿共と友達だから君にも馬鹿が伝染った

のかもね。僕みたいに、友達は選んだ方がイイよ。

余計なお世話だけど。


「それじゃ、バイバイ」


二度と近づかないで下さい。


ちょっとだけ身が軽くなった。


少年~16~


「おはよっ!」


後ろから女の娘の声がする。周りに人が居ようと居まいと、

自分が声を掛けられた訳じゃ無いのに振り向いた、という

のが恥ずかしいので、基本的には振り向かない事にしてる。


「おはよっ、ヒビキ君っ!」


今度は名前を呼ばれた上に、肩までたたかれた。これで振り

向くキッカケが出来る。振り向いてみると…、おっ!

ユキちゃんじゃーん。


「久しぶりだね。試験どうだった?」


ホント、久しぶりだね。試験は、まぁ大騒ぎする程悪い点は

取らないと思うけど…。ユキちゃんこそ、どうだったの?

曖昧な笑顔で微笑みかける。


「今回は難しかったよね~」


今回も難しかったよね~。


「試験前に話したの、覚えてる?」


覚えてるよ~。デートだよね~。って勝手に突っ走ってるけど、

実は全然違ったりして…。期待するだけして、どん底に突き落と

されないようにしなくては…。


「ヒビキ君、さすがにクリスマスは忙しいよね?」


んー…、ユキちゃんとの初デートがクリスマスなんて素晴らしい

じゃない?でも、ミユキと過ごそうと思ってるしなー。ドタキャン

したら、ミユキ怒るよなー…。


「無理しないで。いきなり誘う方が悪いよね」


ゴメンね。でも、ユキちゃんのイイ所、また一つ見つけたよ。


「クリスマスじゃ無くてもイイから、一日私に時間くれない?」


いいよ!いつにしよっか?一日でイイの?


「前にも言ったけど、付き合って欲しい所があるんだ」


どこなんだろ?なかなか詳細を口にしない所を見ると、少々

言いづらいような所なのかな?ユキちゃんに限って、厄介事を

僕に持ち込むとは思えないが…。


「来週の土曜日とかって、どう?」


そんな上向き加減の視線を向けられたら、いきなり抱き締めて

しまいそうになるよ。来週の土曜か…、特に用事とか無かった

よな~?


「じゃあ、よろしくお願いします」


いつものユキちゃんらしく無く、深々とお辞儀をしてきた。

なんだろ?不思議と嫌な予感がしてくる。なんでユキちゃんとの

デートなのに、嫌な予感なんぞするんだ?


「実はね、会って欲しい人が居るの」


んっ?会って欲しい人?一気に意味がわからなくなってきた。

ユキちゃんの親?…有り得ない。僕を気に入ってる娘を紹介?

…有り得ない。


「私の彼、って言うか、元彼なんだよね…」


何?何?なんで僕がユキちゃんの彼、って言うか、元彼と

会わなきゃいけないのだ?会ってどうするんだ?僕は何を

すればいいんだ?


「新しい彼氏に会わせないとお前を諦めない、って言われて…」


コラコラ!僕とユキちゃんは何も始まって無いじゃ~ん。

ユキちゃんと付き合ってるならいくらでも会いに行くけど…。

何で僕なの~?


「他に頼める人、居なくって…」


ズルイよー。そんな風に言われたら、断りづらくなるじゃん。

さっきオッケー出してるから、用事がある、とも言えないし。

どうしよ~…。


「やっぱ…、ダメだよね…」


うわっ、可愛い!今まで見た娘の中で、ダントツ一番に可愛い

表情してる!おいっ、ヒビキ!この可愛い娘を放っておける

のか?


…困惑した笑顔で肯いてしまった。


「ありがとっ!一生恩に着ます!」


しゃーない。やるしかない。まさか、いきなり殴られたり

しないよな?あの可愛い笑顔を見れた分だけでも、何とか

力になってあげないと…。


「じゃあ、来週の土曜日。詳しい事はまた連絡するね」


白い空気と共に、ユキちゃんは走って行ってしまった。

困ったな~。こういうの得意じゃ無いんだけどな~。

引き受けたはいいが…、ホントどうしよ?


っつうか、何で僕なの?


少年~17~


「春巻き~!幸せ~!」


でっかい一口を頬張った後、大量のごはんを

掻き込んでいる。お前の食べっぷりは力士を

凌ぐね。恐れ入るよ。


「エビチリ、ちょ~ヤバ~い!」


これは、すごく美味しい、という表現らしい。

なんでヤバい=美味しいに結びつくのかが、

未だに僕はわからない。


「試験頑張ったから、ちょっと痩せたような気がする」


気のせいですよ。ちっとも痩せてはいません。

それどころか、ますます顔が丸くなったんじゃ

無いのか?


「痩せたら、ヒビキに嫌われちゃう~」


僕をデブ専みたいに言わないように。どっちか

と言ったら丸々してる娘の方が好きだけどね。

それに、そんなツマンナイ事で嫌いにはならない。


「なーんてねっ!ヒビキは私にゾッコンだもんね」


ゾッコン…。この言葉はまだ生きていたのか…。

ゾッコン…。何かの略語なのだろうか…。

ゾッコン…。本当にそうなのか?


「ねっ!ヒビキッ!」


おっ、いい張り手持ってんじゃん。相撲部国体3位

の松本君もビックリの威力だね。一瞬、僕の肩が

外れたかと思ったよ。


「笹野絵里のバーカっ!」


そうやって、人の事を大声で馬鹿呼ばわりしないの。

まっ、笹野絵里が本物の馬鹿だったのは、僕の

方が知ってるけどね。


「ところでさー、ヒビキ?」


んあ?沢庵の感触を楽しんでた所だったから、

ちょっとビックリした。このカリカリ感が

堪らないよね~。


「クリスマスだけどね?」


んに?このエビチリはなんでこんなにプリプリ

してんだ?辛さも絶妙だし、そんじょそこらの

中華料理屋より美味いぞ。


「泊まっちゃう?」


んぐ?春巻きに豆腐を入れてくるとは、鮮やかな

お手前。油で揚げておいて、でもヘルシー志向は

失わない。見事の一言だ。


「ね~、聞いてる?」


んぎ?僕の嫌いなしいたけが入ってんじゃ~ん。

細かくしたって、この独特な匂いとしいたけ汁は

誤魔化しきれないって。


「ね~ってばっ!」


ん?ミユキ、どしたの?すんげー、怒ってるみたい

だけど。笹野絵里の辺りから、ちっとも耳に入って

なかったんだよね~。


「もういいっ!」


あっ、行ってしまった。ミユキは何を話していたん

だろう?思い出そうにも、最初から聞いてないから

無理だよね。


あ~、美味しかった。


少年~18~


「また、遊び行くのっ?」


しまった。母親に見つかった。どうせろくな事言われないんだ

から、こっそり出て行こうと思ってたのに…。幸先の悪いスタ

ートを切ってしまった。


「まったく遊んでばかりで…!」


まったく、毎日毎日小言ばっかり言って疲れないのだろうか?

毎日毎日小言ばっかり言われる僕は疲れるのだけれど…。

日々の生活に変化を持たせなきゃダメよ。


「帰り遅くなるんじゃないわよっ!」


今、何よりも一番先に僕がしなければいけない事は、いち早く

家を出ることに違いない。朝イチ、ダーッシュ!一気に外まで

駆け出てやる。


「あら、お出かけ?」


隣のおばちゃんに話しかけられた。ツマンナイ話に巻き込まれ

ないように、軽い会釈のみで足は止めない。しっかし、今日も

いい天気だな~。


「ママ、手が冷たいよ~」


子供が母親のポケットに手を入れてる。んー、ほのぼのとした

光景だね~。寒いけど、夏みたく突き抜けるような空よりも、

冬みたく一本芯の通った力強い空の方が好きだな~。


「ワン、ワン、ワン!」


ったく、いっつも僕に吠えてんじゃねーよ。ぶっちゃけ、怖い

っつうの。僕にしたら早起きしたし、一人でどっか遠くまで、

ふらふらしに行きたいな~。


「あの、すいません。ここ行きたいんですけど…」


あっぶね。僕に声掛けられたのかと思った。でも今日はユキ

ちゃんとの約束を果たす日だからな~。バックレたら、心底

嫌われるんだろうな~。


「い~しや~きいも~!」


確実に冬ですね。一個の焼き芋を二つに割って半分こ、てな

デートなら足取りだってもっと軽いはずなのに。なんてった

って、元彼に会いに行く訳ですから…。


「カー、カー、カー」


カラスうっさい!あ~あ、ナオトに代わってもらえば良かっ

たな~。でも、ナオトとユキちゃんは面識無いしな~。駅が

近付いてきたな~。


「安いよ~、安いよ~!」


何が?何が?なんて気力も浮かんで来ない。あっ、あそこに

見えるはユキちゃんだ。早々と到着していたか…。っつうか、

男連れじゃね?


「おはよっ、ヒビキくん」


不自然にならない程度の笑顔で答える。ユキちゃんはいいけど

誰だ?お前。何で、一緒に居んの?あっ、もしかしてこれが

噂の元彼か?


「友達の今野君。ちょっと相談に乗って貰ってたの」


なんだ部外者かい。一瞬心臓がバクバクしたぜ。でもさー、

そんな人が居るんなら、この後の厄介事もこの今野君に

お願いしなさいよ。


「じゃあ、今野君、またね」


やっぱ今野君は帰ってしまうのね…。いいな~、今野君は

今から自由の身なんだね。はっ、ユキちゃんが不安気に僕を

見てる。


「大丈夫…?」


大丈夫じゃない。ヤメられるなら、ヤメたい。あっさり

ギブアップ宣言出来る所が、僕の良い所だから。でも…、

今は言えない。


「じゃあ…、行こっか」


はい…。


少年~19~


「お待たせ」


ユキちゃんを先頭にファミレスに入って行くと、全く見た事の

無い男が一人で先に座っていた。緊張しているのは彼も同じよ

うで、硬くなっているのが手に取るようにわかる。


「早速なんだけど…」


まだ飲み物すら頼んで無いのに、もう始めるんかい!途中で

ウェートレスが注文聞きに来たら、カッコ悪く無い?ユキちゃん

も緊張してるんだろうな…。


「新しい彼氏のヒビキ君」


本当は彼氏じゃありません。って突然叫んだら、この場はどう

なるのだろう?ユキちゃん困るかな?困った顔も見てみたい気

するな。なーんちって。


「元彼の浅井君」


いや、紹介して頂かなくて結構なんですけど…。僕には全く

関係の無い人だし。その前に、偽名使うようにユキちゃんに

言っておけば良かった。念の為…。


「君が、ユキの新しい彼なんですね?」


おっ、疑ってんのか?そりゃー、疑うよな。だって偽者なん

だもん。でも、そんな素振りは見せられない。神妙な顔しな

がら黙って肯く。


「突然、別れたいなんて言い出すから…」


そんな経緯があったのね。男と女の事は、当人同士にしか

わからないからね~。大丈夫、根掘り葉掘り聞いたりしな

いよ。だって部外者だも~ん。


「ヒビキさんが現れたから、俺がフラれたのか…」


僕が悪者になっていく。いや、ユキちゃんの新しい彼は、

僕であって僕では無い。って事は、僕は悪く無いのか?

無限のスパイラルに捕まるから、思考停止。


「でも、俺はヒビキさんよりユキが好きです!」


知らねーよ!っつうか、それを僕に言って何になると

言うのだ?そういうのは、当人同士でしなさい。


「私はヒビキ君が好きなの!」


知らねーよ!っつうか、嘘をつくんじゃない。でも、浅井君

カワイソ。一刀両断されちゃった。他人とは言え、ちょっと

同情しちゃうな…。


「だから、もう浅井君とは付き合えない」


ユキちゃん、本当の理由は何なのだい?これじゃ、あまりに

浅井君がカワイソ過ぎるぞ。でも…、人を嫌いになる理由な

んていっぱいあるもんな~。


「でも、俺はまだユキの事…」


なかなか未練がましいね。そんなにユキちゃんが好きなんだ。

それなら、付き合ってるうちにもっとしっかり繋ぎ止めておか

なきゃダメだって。


「もう、無理なの!」


最終通告でした。浅井君、諦めなさい。ユキちゃんの決意は

結構固いみたいだよ。そのうちまたイイ娘見つかるって。

なーんて根拠の無いこと言っちゃったりして。


「ヒビキ君、もう行こ!」


さよなら、浅井君。もう二度と会う事も無いだろうけど、

どうか僕を恨まないでね。君は知らないけど、僕はこの

話に無関係な人だから。


あ~、やっと終わった…。


少年~20~


「今日はありがとね」


オレンジジュースを飲みながらユキちゃんが言った。

僕は疲れを癒す為に、甘いカフェオレを飲んでいる。

とりあえず一段落したのだ。


「本当に助かりました」


本当に助けました。でもね、イイ勉強になったよ。

可愛い娘にお願いされたからって、軽々OKしちゃ

いけない、って思うようになったもん。


「何で別れたか知りたい?」


いや、別に…。二人の事なんだから、二人だけの胸に

しまっておいた方がいいんじゃないの?それに、その

手の話って全然興味無いし。


「本当に好きな人が出来たの」


ふ~ん、そうなんだ。じゃあ、さっきの元彼もしゃー

ないよね。さっきの元彼…、早くも名前忘れちった。

まっ、いっか。


「ねっ、何でヒビキ君にこんな事話してるかわかる?」


メンドクサイ事に付き合ってあげたからでしょ?多分、

僕にはそれを聞く権利があるのだろうけど、ホントに

興味無いから。


「誰だかわかる?」


突然何の話だ?あなたはユキちゃんだよね?

僕はヒビキだよ。そんで、さっきの元彼は…、

やっぱ思い出せない。


「私が好きな人って…、わかる?」


僕の知ってる人なのか?でも、仲いい奴って、ナオト

くらいしか居ないんですけど…。以外や以外に、ミク

だったりして。


「ヒビキ君」


んっ?何?突然真面目な顔して、僕を指差して。

っつうか、人を指差すんじゃない!指差された方は

確実に不愉快になるぞ。


「ヒビキ君なの」


だから、何がだ?そして、早くその指をどけなさい。


「ヒビキ君が好きなの」


え~っと…、マジ?好みのタイプど真ん中のユキちゃん

に告白されてる僕が今ここに存在している。こんな日、

来ないと思ってたのに…。ちょっと泣きそうだ、僕。


「だから、浅井君と別れたの」


そっか、浅井君だったね。やっと思い出したよ。でも、

あと数分でまた忘れちゃうけどね。そっか、ユキちゃん

は僕が好きだったのか…。


「ヒビキ君、付き合ってる人居るよね?」


ミユキさんの事ですね。確かに…、付き合って…、るな。

僕は今から、ミユキとユキちゃんを天秤に掛けないと

いけないのか?


「だから無理だってわかってるの」


僕の答えは無視かい。まっ実際問題、ユキちゃんと付き

合うから別れてくれ、なんてミユキに言えるわけ無いけど。


「でも、どうしても想いを伝えたくって…」


お前はホントに可愛いの~。その大きい瞳が潤んで行くの

を見てるのは、キレイだけど切ない。ゴメンね、の意味を

込めて精一杯優しく微笑む。


「そんな目するから、好きになっちゃったの!」


もう涙を隠すのはヤメたんだね。ユキちゃんの顔が涙で

光輝いてる。でも僕には、その涙を止める手段が無い。

もう一回、微笑みかける。


「ヒビキ君、ズルイよ…」


何が?


「そんな目で私を見ておいて、好きにさせて…」


そんな事言われても…。でも、笹野絵里にも同じような

事言われた気がする。ミクにも、アンタは時々信じられ

ない位優しい目をする、って言われた事あるし…。


「本当はクリスマスに告白したかったんだよね」


もう涙は止まってる。真っ赤だけど、とても穏やかな瞳

をしてるユキちゃんは、間違いなく今一番輝いている。

そんな娘を正面から見てる僕は幸せ者なんだろう。


「その前にフラれちゃった…」


ゴメンね…。


「でも、ヒビキ君を好きになった事、後悔してないんだ」


ユキちゃんのイイ所、また一つ見つけた。きっと、僕

なんかよりイイ男が見つかるよ。だって、ユキちゃん

だもん…、ねっ。


「こんな素敵な目をした人を好きになったんだぞ、って

みんなに言いふらしたい位」


精一杯ヤセ我慢をしながら微笑むユキちゃんは、涙が

出そうになるくらい愛おしい。ミユキ、ゴメン!って

心の中で叫びそうになる。


「今日はアリガト。それと…、今日までアリガト!

ヒビキ君の事好きになって本当に良かった」


僕もユキちゃんと仲良くなれて、本当に良かった。


「これからは友達として仲良くしてね」


こちらこそ、よろしくお願いします。


「じゃあね!バイバイっ!」


オレンジジュースを半分位残し、ユキちゃんは去って

行ってしまった。僕はぬるくなったカフェオレを飲み

ながらボーッとしている。


少年~21~


「ヒビキ、ナイッシュー!」


丁度今、僕の3ポイントシュートが決まり前半が終了。

今日はめずらしく、放課後のバスケ大会にナオトと共

に参加している。


「相変わらず、やるね~」


バスケ部主将の相沢君が声を掛けてきた。僕は

ものすごく勘と洞察力に長けてる人なので、相手

チームの動きなど手に取るようにわかってしまう。


「ナオトもナイスブロック!」


相沢君がナオトにも声を掛ける。ナオトの身長と運動

神経はディフェンスの要である為、鉄の防御壁となり

相手チームを寄せ付けない。


「今日はどうしても負けられないから…」


今日の昼休み、相沢君に頭を下げられたのだ。今まで、

僕とナオトが同じチームになって負けた事は一度も

無い位、僕等は戦力になるのだ。


「ちゃんとお礼はするから…」


そんなに気を遣わないで下さい。同級生じゃない。

そのうちジュースでも奢ってくれれば、それでいい

からね。えっと…、ナオト…?


「じゃあ、焼肉食べ放題だな!」


ナオトの野太い声に相沢君が直立不動になってしまった。

同級生を威圧してどうする。しかし、冗談の目をして

いない所を見ると、決定のようだ。


「わかった。焼肉だね…」


相沢君、涙目になってるけど大丈夫?お礼なんて口に

しなきゃ良かったのに。僕はともかく、ナオトは食う

よ~。あと、ミクも食うよ~。


「とりあえず、ディフェンスはナオトに任せて、

ヒビキにボールを集めて行こう!」


涙を振り切って相沢君が叫んだ。そうだね、まず勝つ

事が先決だよね。大丈夫、僕にボールを回してくれれ

ば、着実に決め続けてあげるから。


「ナオトく~ん、カッコイイ~!」


おっ、外野から黄色い声援が…。ナオトは完全無視。

もうちょい愛想良くしないと、女の娘に相手にされ

ない上に、大好きな情報が入って来なくなるぞ。


「ヒビキくん!」


おっ、僕にも黄色い声援が掛かった。バスケしてる時の

僕ってカッコイイからね~。しょうがない、大サービス

で、手を振ってあげよう。


「写真取るから、ナオト君から離れて!」


写真部のサエナイ娘よ。お前はいつかブッ飛ばしてやる。

僕とナオトの2ショットで良いではないか?なぜナオトの

1ショットにこだわる?


「ヒビキ、カッコイイよ!」


この声は…、ミユキだね。そういう所がお前の可愛い所の

一つだよ。にっこり微笑むと手元にカールのチーズ味を抱

えている。いっつも食ってるね、お前…。


「後半始めるぞー!」


審判から声が掛かる。相沢君が先頭を切って走ってく。

僕とナオトは最後にタラタラ走ってく。さーて、後半も

やってやっか~。


「ピ~!終了~!」


圧勝。ダブルスコアまで点数が開いた所でタイムアップ。

そりゃ負けないって。おっ、相手チームのバスケ部が

泣いてる。そんなに悔しいのかい?


「ヒビキとナオト、ホントに助かったよ」


相沢君の求めてきた握手に拳で返す。あっ、ナオトも

泣いてる相手チーム員に気付いたみたい。フンッ、と

鼻でせせら笑ってる。


「こんなもんで泣くか?普通。青春しすぎじゃねーの?」


ナオト君。僕だから笑えるけど、他のみんなはドン引き

してるよ。本人に聞こえてたら、自殺しかねない位威力の

ある一言だったね、今のは。


「ヒビキ、ナオト、お疲れ!」


ミクがタオルを投げてくれた。結構汗をかいていたから、

フワフワのタオルが気持ちいい。ミク、お前はホントに

いいお嫁さんになれるよ。


「アンタ達、バスケしてる時だけカッコイイわね」


だけ、って事はねーだろ?いっつも一緒に居るくせに、

お前は僕等のどこを見てるんだ?結構、他の娘に羨まし

がられてるんだぞ、ミクは。なーんちって。


「今日のお祝いにマック奢ってあげる」


ミクが、僕とナオトの間に入って二人の腕に自分の腕を

絡めてきた。僕等がカッコイイとミクも嬉しいみたい。

だって僕等も一緒だもん。


「汗くさ~い。早く着替えてきてっ!」


腕を抜き、僕とナオトの背中を強く押した。その反動で

僕もナオトも走り出す。気持ちのイイ汗をかいてしまった。

ナオトの横顔を見ると…、しっかり青春してんじゃん。


少年~22~


「メリークリスマス!」


街のどこもかしこもクリスマス色一色に染まって

いる。今日はクリスマスイブ。ちなみに元々イブは

24日の夜の事を示す、って知ってた?


「ケーキはいかがですか~!」


サンタの格好をした可愛い売子が叫んでる。おっ、

よく見るとミニスカート&生足じゃん。可愛いね~。

実物より3割増くらいで可愛いんだろうね。


「ヒビキ~、遅いよ!」


ミユキが走って近づいて来る。ミユキは真冬でも

走れるデブなのだ。胸と腹の出具合が、本物のサンタ

を彷彿とさせる。


「イブ、終っちゃうじゃん!」


まだ昼間です。つまり、イブは始まってもいないのです。

こういう理論めいた事がミユキさんは大嫌いなので、

あえて言う訳でもなく、ゴメンの微笑み。


「さ~て、どこから行こっか~?」


僕の左腕にぶら下がってくる。一瞬、肩が外れたような

痛みを伴うが、今ではそれにも慣れっこなのだ。んー、

ミユキの胸が当たり、暖かくて気持ちイイ。


「そうだ、観たい映画があったの」


イケメン俳優が初主演した話題の映画だね。僕は1ミリも

観たいと思わなかったけど…。まあ、いいよ。今日は

ミユキが観たいものにしましょう。


「ちょっと遠いけど、歩いて行こうよ」


ミユキを左腕にぶら下げながら歩くのは少々シンドイが、

今日はお姫様扱いしたげるって決めてるので…。お姫様

だっこは、ちと無理だけど…。


「ヒビキとイブ一緒に居れんの、嬉しい~!」


街の中で、それもでっかい声でこういう事を言えちゃう

所が、僕に無い所。そして、本気でこう想ってくれてる

所が、僕がミユキを好きな所。


「あっ、ちょっと待ってっ!」


突然、走り出した。身体が一気に軽くなったような気が

する。ゆっくり歩き出すと、ミユキが両手に何かを抱え

ながら走り寄ってくる。


「はい、肉まん!」


僕のお腹の事を一切無視して自分の食欲を優先する。これ

もまた、僕がミユキを好きな所でもある。手渡された肉まん

を見てると、ミユキはもう1/3程食べている。


「おいし~よ~!」


何回でも言うけど、お前は本当に何でも美味しそうに食べ

るね。多分、僕に食べられる肉まんよりも、ミユキに食べ

られる肉まんの方が幸せに違いない。


「あっ、ちょっと待ってっ!」


また、突然、走り出した。このフットワークの軽さはどこ

から来るのだろう?やはり食欲からか…。今度はどこからか

タイ焼きを調達してきたようだ。


「辛い物食べたら、甘い物欲しくなっちゃった」


知ってる。そんで次はまた辛い物が欲しくなるんだよね~。

っつうか、まだ肉まん食べてる途中なんだけど…。ミユキの

食べる速さについていくは若干厳しい。


「私、頭から食べる派なんだよね~」


知ってる。あんこたっぷりの大好きな所から食べるよね~。

ちなみに、僕も頭から食べる派。理由はミユキと全く反対で、

好きな尻尾の部分を最後に取って置きたいのだ。


「もうすぐ、開演時間になっちゃう!ちょっと、急ごっ!」


腕を外し、手を繋ぐ。もちろん、恋人繋ぎ。タイ焼きを咥えた

まんま引きずられるようにミユキと歩く。んっ?いつの間に

タイ焼き食い終わったの?


「早くっ、早くっ!」


ミユキが楽しそうに僕の手を引っ張りながら走ってる。

こういう時に、ミユキと付き合ってて良かったな~、って

思う。心底何かを楽しめる娘って魅力的だよね。


「信号早く変われ~!」


無茶苦茶言いながらも、今日は笑いっぱなし。ミユキの笑顔

より暖かい物を僕は知らない。吹き抜ける風は冷たいけど、

心の中はポッカポカなのだ。


少年~23~


「ちょ~、良かったね~!」


エンドロールが終わり、映画館が明るくなった途端

ミユキが叫んだ。そこまで大騒ぎするほどの作品とは

到底思えなかったんですけど…。


「最後の方、泣きっぱなしだったよ~」


僕にとってはそんなシーン一場面も無かったな~。

逆に、鼻でせせら笑ってしまうようなシーンなら、

いくらでもあったけど。


「やっぱ観て良かった~」


ミユキが楽しんでくれたなら、僕も満足。映画は

何を観るか?では無く、誰と観るか?が大切なのだ。

…と、昔誰かに教えて貰った気がする。


「ヒビキと一緒に観れたのが、一番だよっ!」


ミユキに教わったんだったかな?ミユキの考え方って

基本的にそうなんだよね。どこに行くか?では無く、

誰と行くか?が大切なんだ。…とか。


「ちょっと、お茶しに行こっ!」


泣いてたから、喉が渇いたのかな?でも、ポップコーン

頬張りながら、コーラのLL飲み切ってたのを目撃して

るんですけど…。


「私、ホットココアとチョコレートムース」


どんだけカカオ好きなんだよ?それに、もうすぐ夕飯に

行くんじゃないの?苦笑いをしながら、僕はホットコー

ヒーを注文。


「ヒビキってさー、ホント小食だよね~?」


そうかな~?人並みには食べてるつもりなんだけどね。

それよりも、自分を普通だと思って発言するのはヤメ

なさい。ミユキに比べれば、大抵の人が小食だって。


「はい、あ~んっ!」


チョコレートムースをスプーンに乗せ、僕の口元へ。

こういうのあまり得意では無いけど、素直に口を開く。

ん~、甘すぎる…。


「ディナーはイタリアン予約してくれたんだよね~?」


そう。高級とまでは行かないが、そこそこのレベルに

あるイタリアンレストランを予約したのだ。奮発して

コース料理なんぞをね。


「私、パスタ好き~」


イタリアン=パスタという思考が、とても僕に似ている。

でも、結構値段の張るコースを注文してるから、パスタ

だけでは無いと思うぞ。


「ティラミスも好き~」


価値観が同じ事、って大切だと思わない?僕とミユキの

価値観はとても近いのだ。今回で言うと、イタリアン=

安価という意識をお互い持っている。


「パスタ大盛りにしちゃおうかな~?」


ただね、これから行く所はいつものようなお店とは違う

と思うよ。大盛りにできるのかもしれないけど、あんまり

言わない方がイイんじゃないかな~。


「本屋で調べたい事あるから、本屋経由でお店に行こ!」


あんだけ喋り続けながら、いつの間にココアとムースを

完食したのだろう?僕のコーヒーですら、まだ半分以上

残ってるというのに…。


「ウィステリアホテルって知ってる?」


海岸沿いにそびえ立つ、でっかいホテルだよね?行った

事は一度も無いけど、名前だけは知ってる。ウチの学校

の娘達が憧れてるらしいね。


「泊まりたくない?」


僕、枕が変わると寝付きが悪くなるんですけど…。別に

泊まりに行きたいと思った事は無いな~。家の布団で

ゆっくり眠りたいタイプなんです。


「ノリ、悪~!!!」


僕が乗り気で無いのが、表情で伝わってしまったらしい。

そんな事無いよ、の意味で慌ててニッコリ微笑む。おっ

機嫌が悪くなるのは阻止できたみたい。


「まっ、いいや。そろそろ、行こうよっ!」


残りのコーヒーを飲み干し、お会計を済ませ、1Fの本屋

へ。もちろん、ミユキを左腕にぶら下げながら歩く。

重くなんてないよ。


「ウィステリアホテルの行き方、知ってる?」


僕の方を見ずに問い掛けてくる。いや、知らないな~。

ゴメン、役立たずで。でも、なんでそんなにそのホテル

にこだわってるんだ?


「やっぱ本屋行かなきゃ、だね」


本屋行って、ホテルの行き方を調べるって事なのか?

今日家に帰ってからで良けりゃ、ネットで調べてLINE

してやんのに…。


「すぐ済むから、ちょっと待ってて~」


ミユキは本屋に吸い込まれていった。僕は店頭に置いて

ある雑誌なんぞをパラパラ捲りつつ、時間を潰す。のん

びり屋のミユキには珍しい行動だと思いながら…。


少年~24~


「この茸のテリーヌ、ちょ~美味しい!」


多少の緊張感と共に、落ち着きのない様子のミユキ

だったが、やはり食べ始めるといつもの感じに戻って

いく。


「何これ?上にウニが乗ってるじゃ~ん!」


皿が出てきては、あっという間に完食。料理が出てくる

までの時間よりも圧倒的に短い時間でどんどん口の中に

放り込んで行く。フードファイターみたい…。


「えっ?嘘っ?これ鮑じゃない?」


オーブンで焼かれた鮑に香草バターソースがかかっている。

ん~、美味しいね~。じっくり噛み締めながらゆっくりと

味わう。ミユキは…、すでに皿が空になってる。


「リゾット、久しぶり~」


ん~、口当たりが良いね。こういう味って、家庭でも出せる

ものなんかな?多分、白ワインとかを入れるのだろうけど、

全然作れる気がしない。


「このフワフワの何だろ?」


僕もよくわかんなかったけど、メニュー見たら白子乗せの

リゾットみたいよ。食ったことの無い味だな。よくわからん

が美味しいような気がする。


「このパスタ、茹で方完璧っ!」


確かに、とても良い食感だな~。味自体はあっさりトマト

味だけど、とても深い味わいのように感じる。ミユキさん、

3口でパスタを完食するのはどうだろ?


「出た~!肉っ!」


お前は野獣か?メインディッシュの和牛ロース肉赤ワイン

ソースだ。うわっ、このソースめちゃくちゃ美味しい。

肉は、すっげー柔らかい。


「この肉、ちょ~ヤバいっ!」


今ならわかる。確かにこの肉は、ちょ~ヤバいよ。こんな

柔らかい肉が存在するなんて、ウチの親は教えてくれなか

ったもんな~。


「私の胸くらい、柔らかくない?」


おっ、突然の下ネタですか。直に触った事無いからわかん

ないけど、ミユキの胸の方が柔らかいと思います。ちょっと

触らしてみ。とかって、軽口も出てきそう。


「ヒビキはまだ触った事無いもんね~」


おっ、下ネタはまだ続きますか。そうだね、腕を組んだり、

チャリンコの後ろに乗っけたりした時に、服の上から当た

った位しか無いからね~。


「もうすぐかもよ」


何が?


「きゃっ!こんな綺麗なデザート初めて見た…」


まさに芸術作品と呼ぶに相応しいデザートがミユキの前に

運ばれてきた。崩すのを躊躇われる程、細部にまで渡って

手を入れてある。


「勿体無いけど…、食べちゃおっ!」


そうだね、食べちゃお。ミユキくらい美味しそうに食べる

なら、勿体無くなんか無いよ。んめー。そんなに甘く無い

から、お腹一杯でも全然入る。


「ちょ~、美味しかった~!」


食後の紅茶を飲みながら、ミユキが感慨深げに言う。ホン

ト美味しかったね。一緒に食事するなら、ミユキ以上に

美味しく食べれる娘なんて居ないんだろうな。


「でも…、高かったんじゃない?」


そんな事、気にしなくてイイの。一年に一回のクリスマス

じゃない。いつも贅沢な物食べに行ったりしてないんだから、

こういう時位、奮発しないと。


「ありがとね、ヒビキ…」


いやいや、こちらこそ。ミユキと一緒に過ごすクリスマス

じゃ無かったら、僕もこんなもの食べれて無い訳だし。

お互いとても気分が良いので、オールOK!


「それで、この後なんだけど…」


おっ、もうこんな時間か…。2時間以上かけて食べる夕食

なんてのも初めてだったな。お腹一杯になったし、そろ

そろ帰るか~?


「どうする?」


終電まではまだちょっとあるし、のんびり歩いてイルミ

ネーションでも見に行くか?あの公園のイルミは有名だから

人一杯居るだろうけど。


「そうじゃなくて…」


んっ?どっか遊び行きたいのか?あんまり時間無いけど、

ゲーセンとかカラオケとかで良ければ、付き合うよ。でも、

プレゼント渡したいから静かな場所がイイな。


「ウィステリアホテルを予約したの…」


んっ?


「お父さんの知り合いが勤めてて、すっごい安く宿泊

させてくれるって…」


んんっ?


「もちろん、女友達と泊まるってお父さんには言って

あるけど…」


んんんっ?


「特別なプレゼントあげたいし…」


鈍い僕でもやっとわかった。そういうつもりで、ミユキは

今日僕とデートしてたんだ。僕が持っていない、行動力や

未来想像図をミユキは持ってるんだね。


「だから…」


もう何も言わなくてイイの。後は僕に任せておきなさい。

ここからリード出来なきゃ男じゃない。何も言わず、

ミユキの手をギュッと握り、今年最高の笑顔で見つめる。


「ありがと…」


緊張のためか、消え入るような声でミユキが言った。

緊張…、僕は全くしていない。この後の出来事があまり

に現実離れしている為か…?


「ちょっと、お手洗い行って来る」


一人になって改めて考える。他の人ほど興味がある訳でも

無いし、そんなに急ぐ必要無いからなー、ってずっと考え

てたんだよな~。


「おまたせ…」


ミユキと最高の夜を過ごす。この事だけを考えれば、それで

いい気がする。さーて、泊まる用意も、そっちの用意も全く

してないけど、どうすっかな~?


少年~25~


「おはよ~」


本来なら今日から冬休み。しかし、追試やら受験勉強

やらで登校してくる同級生は少なくない。まっ、ここ

に居る奴等はいろんな意味でギリギリの連中なんだけど。


「ヒビキっ!」


おっ、この声はナオトだね。振り向くと僕に駆け寄って

来た。彼もまた、切羽詰った人間の一人なのだ。でも、

珍しいね。僕に駆け寄ってくるなんて。


「昨日、何してた?」


いきなり、何だよ?そんなでかい声出さなくても、こん

だけ近くに居るんだから聞こえるって。不穏な表情で

ナオトを見る。


「ミユキと会ってたのか?」


なんだ知ってんじゃん。普通に頷く。一応恋人同士の

僕とミユキがクリスマスにデートする事がそんなに不

思議な事なのだろうか?


「それで、ウィステリアホテルに行ったのか?」


何でそんな事知ってるんだ?僕とミユキしか知らない

とてもタイムリーな話題なのに。何かあるのか?

目でナオトに訴えてみる。


「受付に居る二人を和久井が見かけた、って…」


なるほど。見られてたのね。まぁ、僕等と同じような

行動をする人間が近くに居ても、何の不思議も無いも

んね。んで、何?ナオトに視線をぶつける。


「噂が駆け巡ってるみたいだ」


噂では無く、事実なんだけどね。でもさー、僕等くらい

の年齢だったらホテルの受付に二人で居たって、全然

おかしくないじゃん?何でそんなに焦ってるの?


「教師にチクった奴が居るらしい」


いやいや、完全にプライベートな事なんだから、教師が

口挟む問題じゃ無いでしょ~。別に構わないんじゃない

のかな~?


「お前はここの校則を知らないのか?」


自慢じゃ無いが知らない。もしかして、不純異性交遊

禁止とかっていう、昭和の名残を色濃く残した校則が

残っているとでも言うのか?


「停学…、ヒドけりゃ退学まであるぞ」


マジ?停学や退学になるほど悪い事した覚えないんです

けど…。バカバカし過ぎて、笑う気にすらならない。

その校則作ったやつはバカなのか?


「お前の家にも連絡行ってるかもしんないぞ」


そんな事くらいで冬休み初日を費やすなんて、ここの

教師は暇なのか?ウチの親に連絡したからって、そう

易々と情報入手出来ると思ってんのかね~?


「もちろん、ミユキの家にもな」


ミユキは何て言うんだろう?行ってません、人違いです、

って誤魔化すのかな?それとも、事実を認めて…、んで

何て言うんだ?


「悪い事してない、ってのは俺もわかるけど…」


ナオトはホントに僕の事を心配してくれているようだ。

ここまで、ナオトが言ってくるって事は、本格的にヤバ

い問題に発展する可能性があるんだろうな。


「でも、去年停学になった先輩が居たし…な」


へ~、初耳。そこそこの進学校だから、そんなヤンチャ

な先輩が居たなんてちょっと意外。そっか、だからこそ

目立つ訳か…。


「どうするよ?」


どうしよ?こんな事になるなんて、10分前まで思って

無かったからね~。とりあえず今夜ミユキと連絡取って

話してみるか…。


「しっかし…」


どしたの?


「俺がこんだけ焦ってんのに、ヒビキは飄々として

んのな?」


それが僕のイイ所だと自分では思ってるから。それに、

しゃーないじゃない。僕は何もしてねーよ!って言った

ら嘘になっちゃうんだもん。


「心配だから、後でミクも来るってよ」


ナオトにもミクにも心配かけちゃったのね…。ごめんな

さい。こんななってるけど、力強い味方が居るってのは

ホント有難いよね。


「それで…」


それで?


「ミユキはどうだったよ?」


笑いながら、ナオトの肩に拳をぶつける。そんなの勿体

無くて教えられっか!久々に朝っぱらから機嫌の良い僕

を見て、わかってるくせに聞いているのだ。


「お前らは、イイよな~」


イイだろ~。いつまでも一人身を楽しんでないで、ナオト

も彼女を作りなさい。お前の場合、選びたい放題でしょ?

ホントはミクとくっ付いてくれると嬉しいんだけど…。


「でも、俺には相手居ないしな~」


全く…。いつまでもそんな事言ってちゃダメだって。

ほらっ、いつものように2階の窓からナオトを見てる娘達

がいるじゃん。


「昨日だって、ミクに付き合ってイルミネーション観に

行ってたし…」


お前ら…、それ…、付き合ってるっていうんじゃねーの?


少年~26~


「ヒビキ、やるじゃんっ!」


イテッ!いきなり背中をグーパンチとは、女の娘の

する事じゃないだろ?ったく、腰の入ったいいパンチ

持ってやがるぜ…。


「それで、どうだったのよっ!」


興味津々かい…。だから、んな事言う訳無いでしょ?

自分の立場に置き換えてみなさい。でも、ミクだったら

話すかもしんないな~。


「ミユキの大きな胸に顔をうずめたの?」


うっさい!ナオトく~ん。どう見ても、僕を心配してる

風には見えないんですけど…。ナオトに視線を送ると、

うまくミクを制してくれる。


「ナオト、それでどんな感じよ?」


ちょっと真面目な表情に戻り、ナオトに近況を聞いてる。

やっぱ心配してくれてんのね。そりゃそうだよな、わざ

わざ休みの日に学校まで出てきてくれる位だもんな。


「さっき、臨時の職員会議が開かれたってさ」


なかなか行動力のある教師群だね。その情熱をもっと

本当の教育に向けなさいっ!そうすれば、ここに居る

追試組の半分は居なくなるなるから。


「ヒビキの件かは、わからないけどな…」


ずっと席を外してたと思ったら、情報収集に出掛けて

行ってくれてたのね。しかし、臨時職員会議の有無まで

知ってるとは、どんな人脈持ってるんだ?


「ミクの方は、どうよ?」


ナオトとミクで情報収集に走り回ってくれているようだ。

前にも話したが、ミクの人脈は学校中に張り巡らせれて

いる。大抵の情報は入ってくるはずだ。


「ヤバイわね。和久井がいろんな所で広めてるみたい」


気持ちの悪い生き物だな、その和久井って奴は。他人の

事なんだから放っておきゃいいだろーが。どうせ彼女も

居ない寂しい奴なんだろうけど…。


「和久井って娘、写真部でパパラッチ大好きじゃん?」


女かいっ!じゃあ言い直して、どうせ彼氏も居ない寂しい

奴なんだろね。自分の不幸を他人にバラ撒かないで欲しい

よな、まったく…。


「特ダネ見つけた、って言い触らしてるみたいね」


僕とミユキの関係なんて、特ダネになんないんじゃねー

の?ミユキなんて一番大人しいグループの中でも、一番

大人しい娘なんだし。


「ヒビキ、あんた結構注目されてんのよ」


いや、注目されてんのはナオトでしょ?僕はそのナオトと

いっつも一緒に居るから、目に入ってるだけでしょ?

逆に、もうちょいモテてもいい位じゃねーの?


「あえて言わなかったけど、ナオトと肩を並べる位、

アンタのファンって多いのよ」


なんで、そういう事をあえて言わないかな~?事実だと

したら、ちゃんと本人に教えてあげなきゃダメだぞ。

しっかし…、実感湧かね~。


「二人と仲良いってだけで、ヒビキのファンに囲まれて

イチャモン付けられた事もあるし…」


そうなの?ちゃんと教えてくれればいいのに。そいつら

を消し去ってやります。ミクを傷付ける奴は、僕だけじゃ

無くナオトも許さないって事を教えてやります。


「別に私は気にしないけどさ~、ミユキも影で相当言わ

れてるみたいよ」


そうだったのか…。モテる彼氏でゴメンね~、なんて

軽口叩いてられる立場じゃねーな。可哀想な事になって

たんだな…。ミユキ、ゴメン。


「そういうのもあって、今回の話は広まるスピードが

早いのよ」


僕の知らない所で、僕の名前は知られてた訳か…。でも、

僕とミユキの仲って、みんな公認だったよね~?なら、

僕のファンなんてヤメちゃえばいいのに…。


「ナオトは直球の魅力があるけど、ヒビキは不思議な

魅力があるのよ」


不思議な魅力?何の事だかワカンナイ…。ふとナオトを

見ると、ナルホド、といった具合にウンウン頷いている。

どっちでもいいから、意味を教えてくれ。


「何にも縛られないと言うか、捕らわれないと言うか、

すっごい自由に見えるんだよな」


今度はミクがウンウン頷いている。みんな自由に生きて

んじゃん。何も僕だけが自由な訳じゃない。そうじゃね

ーの?ナオトに首を傾げている。


「羨ましいんだよ、ヒビキの事が。俺もヒビキみたいに

なりたいな、って思う事あるもん」


校内の女子の視線をあれだけ集めているお前に言われる

と不思議な気分になるね。でも、僕は他の誰かになりた

いって思った事無いな~。


「それはいいとして…、ヒビキ、どうすんの?」


ミクの心配そうな瞳が僕に向けられる。実はなーんにも

考えていないのだ。なるようになるんじゃないかね~?

考えた所で事態が好転するとは思えないし…。


「そういう所が…、ヒビキのいい所なんだけどね~」


こんな状況に追い込まれても、相変わらずフワフワとし

てる僕を見て、ミクが溜息まじりに呟く。ナオトは何か

必死で考えているようだ。


「年明けまでは凍結するだろ、きっと」


ナオトが呟きながら、必死で考え続けているようだ。

ミクはミクで、最新情報を仕入れに教室を飛び出して

しまった。僕は…、ただココに座っている。


少年~27~


「年末位、家でじっとしてたらっ!」


ヤベッ、見つかった。物音一つ立てず階段を下りた

つもりだったのだが…。急ぐので、ここは無視させて

頂きます。


「遅くなるんじゃないわよっ!」


今日はナオトとミクと一緒だからね~。多分、遅く

なります。っつうか、昨晩のLINEで二人に呼び出さ

れたんだよね~。


「ヒビキっ、こっち」


駅前のファミレスに入ると、ナオトの声がした。

見るともう二人とも揃ってる。なんかいつもと違う

空気感が漂っている。気のせいか…?


「悪いな、急に呼び出して」


いやいや、予定も無かったし問題ないよ。いつものよう

に笑顔を向けるが、二人からいつものような笑顔は返っ

て来ない。


「実はな…」


もしかして、僕とミユキのホテル事件で何か進展があっ

たのか?あの後ミユキと話して、いざとなったら正直に

話そうって決めたんだけど。


「いや、ヒビキ達の事じゃ無くって…」


そっか。当所の読み通り、始業式までは何も起こりそうに

無い訳ね。安心して年を越せるだけでも、有難いと思える

今日この頃です。


「年越しはやっぱ、ミユキと一緒か?」


うん、そのつもり。ミユキは、カウントダウンを一緒にし

たいんだって。そんでその後、一番で初詣しておみくじを

引くらしいよ。予定では二人とも大吉なんだって。


「俺達も一緒に行けないかな…?」


いいんじゃないの。ミユキに話せば、断るような娘じゃ

無いし。4人で年越しって僕にしたら現時点での最強メ

ンバーだもん。オッケー、OK!


「親父の別荘が那須にあってさ…」


そうか、ナオト君はお金持ちのお坊ちゃんだったよね。

口に出して言うと、普通に殴られるから言わないけど。

それがどうかしたか?


「4人で泊まりに行かないか?」


泊まりか~。枕が変わると寝付けないんですけど…。

あれっ、前にも同じ事思った気がする。でも、4人なら

結局寝ずに遊ぶはずだから問題無いか。


「ヒビキとミユキ、俺とミクで…」


いいんじゃないの?ミユキには今夜にでも話しておくよ。

那須だから、温泉も入りたいよね~。ナオトん家の別荘

なら相当グレード高いだろうし。


「んで、部屋割りなんだけど…」


みんな雑魚寝でいいんじゃないの?っつうか、どうせ

寝ないでしょ。明け方まで遊び続けて、疲れた奴から

寝りゃいいんじゃない?


「ヒビキとミユキ。それで、俺とミクで…」


んっ?何か違和感を感じる。僕とミユキが一緒の部屋に

寝るのは全然問題無い事だよな。でも、ナオトとミクが

一緒の部屋…なの…?


「実は、私達付き合い始めたの」


ずっと黙っていたミクが意を決したように、僕に言った。

そうだったのか…。そうなればいいな~、ってずっと思っ

てたけど、実際なるとちょっとビックリするね。


「一番にヒビキに聞いてもらおうと思ってな…」


ナオトが照れながら頭を掻いてる。オメデト。僕の知って

る中では一番お似合いの二人だと思うよ。でも、いったい

いつからそんな感じに…?


「昨日、ミクを呼び出して告白したんだ」


男らしいね~。僕がミユキと付き合ったときなんて、フェ

ードインだったから。言葉が無かった、って今でも怒られ

たりする位だし。


「ん~ん、ナオトに言われなかったら、私から告白してた

んだ」


まさに両想いだね。良かったよ、ホントに。末永くお幸せ

に。じゃあ、僕は邪魔者になってしまうのかな?若干、

寂しいけど二人の為ならしゃーない。


「でも、また普通に3人で遊ぼうね」


ミクが可愛い事を言ってくれた。ナオトももちろんその

つもりなんだろう。そっかー、いきなり2人でお泊りも

何だから、4人でって事ね。


「俺等の初めての泊まりデートも、ヒビキが居てくれれば

俺もミクも心強いし」


テレながらミクと顔を合わしてる。ん~、ずっと一匹狼で

来てたから、こういうの苦手なハズなのに頑張ってるね。

いいよ~、何でも協力するよ~。


「じゃあ、悪いけどミユキの了解も取っておいてくれ」


イエッサー!


「今日もこれからデートなんだ。ヒビキも一緒にどうだ?」


そんなヤボな事はしないって。始まったばかりなんだから、

2人きりで楽しんできた方がいいと思うぞ。邪魔者は早々に

消えます。


「ヒビキ、これからもよろしくねっ!」


僕が席を立とうとすると、ミクの声が届いてきた。当たり前

だろ。いつものように、ミクの頭をくしゃくしゃにしながら

ちょっと乱暴に撫でる。


「ヒビキっ」


ナオトが拳を出してきた。それに向かって僕も拳を強めに

合わせる。当たった瞬間、ナオトと目が合い思わず笑って

しまった。そのまま店を出る。


よしっ、早速ミユキにLINEしてみよう。


少年~28~


「え~…、マジ~…?」


4人での年越しの件を話した途端、ミユキのテンション

が下がってしまった。ここまで一気に機嫌が悪くなる

とは想定外。


「せっかく、ヒビキと二人きりの年越しだと思って

たのに…」


それを期待してくれてたのは、充分わかってる。でも、

充分わかった上でのお願いなのだ。ここで怯む訳には

いかない


「それに、ミクさんもナオト君もよく知らないし…」


僕がミユキの友達をよく知らないのと一緒だもんね。

それも、充分わかってる。でも、充分わかった上での

お願いなのだ。


「でもさ~…」


なに?


「ナオト君の別荘って興味あるんだよね~」


学内でも有数の資産家の息子だからね~。僕がイメー

ジしてるのは、古びた山小屋風の一軒家だけど、そん

なレベルじゃ無い可能性もあるし。


「調理器具とかも、すっごいの揃ってそうだし」


料理が好き、そして上手い娘は、そういう所に関心が

向くものなのね。そしてそういうのが、とても楽しみ

なのね。


「それに…」


それに?


「ヒビキの友達とは、仲良くなっておきたいし」


愛い奴じゃ近う寄れ。そういうポジティブな所が、

僕には無い所であり、ミユキを尊敬する所であり、

ミユキを好きな所。


「だから…、イイよ」


やっぱ、イイ娘だよ、お前は。大分前から知ってた

けど。そっかし、助かった。あんな話しておいて、

やっぱ行けない、なんて言えないからな。


「それにさ…」


それに?


「部屋では二人きりなんでしょ?」


うん。そこだけは譲れない点として、ミクやナオトに

きっちり言っておく。なんだかんだ言っても、僕もミ

ユキと二人になりたくなると思うし。


「よしっ!じゃ~…」


じゃ~?


「私が腕によりを掛けて、お料理作ってあげよう!」


いいね~。ミクはお得意のデザートを作るって言って

たから、料理はミユキにお願いしようと思っていたの

だ。美味いモンが食えそうね。


「そしたら…」


そしたら?


「ナオト君の連絡先、教えて」


何で?


「どんな設備なのか、前もって聞きたいから」


なんでもホンキでやる娘だね~。僕には応援する事

しかできないけど、ミユキに任しておけばきっと大

丈夫なはず。


「ヒビキは何が食べたい?」


ミユキ


「何か、楽しみになってきた!」


ストップ安まで下落していたミユキのテンションが

急上昇し始めた。このまま今期最高値を更新しそう

な程、勢いを持ち始めてる。


「もう日にちも無いし、早速用意始めなきゃっ!」


そうか…、後3日しか無いんだ。今年ももうすぐ終わり

なのね。なーんか早かったな~。って今年を振り返っ

てる場合じゃ無い。


「じゃ…」


ん?


「本屋行こ!」


何か調べ物があるようですね。


「ヒビキもよっ!駅前の本屋に30分後ねっ!」


えっ?


「遅刻しちゃダメだかんね!」


え~…。今日は部屋でのんびりしてようと思って

たのに…。でも、急に舞い込んで来た、ミユキとの

デートだと思えばいっか。


少年~29~


「急に呼び出して、ゴメンね」


待ち合わせ場所に着くと、先に待っていたミクが声を

掛けてきた。僕も相当余裕を持って来たはずなのに、

それよりも早く来ているとは…。


「一人じゃ決められない事ばっかだから…」


今日は買い物に付き合わされるのだ。と言っても、

年末に行く旅行の物だから、僕にもお付き合いする

義務はあるものと思っている。


「それに、今日はナオトじゃダメだし…」


ここなんだよね~。なんでナオトじゃダメなんだ?

昨晩のLINEでもイマイチはっきりした答えを返そ

うとしなかったし。


「早速、行こっか!」


最初に辿り着いたのは、雑貨屋の一角にある手作り

ケーキのキットが置いてある所。興味無いからじっく

り見たこと無かったけど、いっぱい種類あるのね。


「ミユキちゃんはどんなケーキが好きなの?」


何でも好きなんじゃ無いのかな~?ケーキに限らず

好き嫌いの無い娘だし。あっ、そうだ。カカオが大

好きな娘です。


「じゃあ、時期がちょっとズレるけど、ブッシュ・ド

ノエルにでもしようかな」


切り株の形をしたチョコレートケーキだね。僕は今まで

縁遠く、一度も食べた事が無いのだよ。ぜひとも、それ

を作って頂きたいね。


「じゃあ、これと…、これと…」


素早く選んでは、手早くかごに入れていく。この決断力

と選択眼は素晴らしい。きっと、お店で買ってきたよう

な本物が出来上がるんだろうな。


「次は材料買いに行こう」


大型スーパーの食材コーナーに移動する。うわー、業務用

のデッカイのから、見た事の無いような物まで売ってる。

あっ、これはハングル文字か…?


「足りないとイヤだから、ちょっと多めに買うわね」


かご係の僕に、次々と食材が手渡される。ケーキ1個作る

のに、どんだけの材料が必要なんだ?よくわからん粉まで

あるけど、ホントに使うのか?


「ナオトはどんなケーキが好きなんだろ?」


突然、手を止めて僕に聞いてきた。それは、僕なんかより

ミクの方が知ってるんじゃないの?だって、ナオトとケーキ

なんて食いに行った事、一回も無いもん。


「ナオトは好き嫌いとか、あったっけ…?」


いや~…、なんでもいっぱい食べるイメージがあるけどね。

好き嫌いが無いのではなく、嫌いな物でも黙々と食べるよ

うな人間じゃねーかな?


「これで、オッケー!」


いきなり会話は中断され、材料が全てかごの中に入った事を

示す、ミクの雄叫びが聞こえてきた。気が付いたら、かごに

入りきらなくてミクが手で持ってるものまである。


「買い過ぎかな…?」


ケーキ作った事無いからわからんけど…、尋常な量では無い

と思う。これ全部が、4人の胃袋に入っていくわけでしょ?

少なくとも、僕は途中でギブアップすると思う。


「最後に、もう一軒だけ付き合って」


どこだい?ミクに目を向けると、懇願するような顔で僕を

凝視している。勢いに圧倒されそうになるが、ここは冷静に。

一体どこへ連れて行くつもりなんだ?


「ナオトは…」


ん?


「どんな下着が好きなのかな?」


あっ、ミクが照れてる。真っ赤な顔して俯いてるミクを僕は

初めて見た。こうして見ると…、やっぱお前も女の娘なんだ

ね~。今のミクは相当可愛いよ。


「せっかくだから、好みの下着欲しいな、って…」


だから、今日のお供はナオトじゃダメだったわけね。気付け

ば下着屋の前に居た。うわっ、こんなトコで選ぶの、すっげ

ー恥ずかしいんですけど…。


「これなんかどうかな?」


いや…、そんな過激なのは、ナオト君ひいちゃうかもしんな

いよ。だって、それ、ほとんど何も隠して無いじゃん。下着

を着けてる意味をなさないでしょ。


「じゃあ、逆にこういうのは?」


おっ、そういう普通っぽいのの方がイイと思うよ。色とかも

あんまり毒々しいのでは無く、パステル系とかの方が好きだ

った気がする。


「これにしようと思うんだけど…」


最終的に落ち着いた所は、そういう清純派っぽいものなのね。

えっと~、間違いなくナオトはそういうの好きだよ。あー見

えてセーラー服とか好きだからね。ミクには言えないけど…。


「決めたっ!」


上下セットで売っている色違いの物を2~3個見繕い、レジに

向かって歩いて行った。ミクの背中に決意を感じる。僕は

いつでもミクを応援してるからね。頑張れよ。


「ちょっと~…」


えっ?


「そこ邪魔なんですけど~…」


あっ、下着屋で一人突っ立ってる気味の悪い男になってる!

ミクは…、まだレジに並んでんじゃん。とりあえず店を出て

外で待つことにしよう。うわ~、カッコ悪かったな~…。


少年~30~


「ヒビキはどう思うよ?」


何故か今僕は、ナオトと二人で話をしている。さっき

までミクの買い物に付き合っていたのだが、買い物が

終った直後、ナオトに呼び出されたのだ。


「本気じゃ無いと思うんだよ」


ミクが自分と付き合い始めたのは、本気じゃ無いんじゃ

ないかと心配してるみたいだ。ただ、それを僕に聞かれ

てもわかんないぞ。


「ホントに俺の事、好きなのかな~?」


さっきの下着の選び方を見てると、ミクはホントにナオ

トを想ってるような気がするがね~。でも、口止めされ

てるから、んな事は言えない。


「ミクの好みのタイプって、俺じゃない筈なんだよな」


好みのタイプが一種類しか無く、それをずっと貫き通し

てる人を僕は見たことが無いよ。それに、好きになった

ら、その人がタイプになるんじゃねーの?


「ヒビキとミユキみたいに、安定感が無いからな~」


そりゃそうだろ。だって僕とミユキの付き合いはこの

学校に入学した時まで遡るからね~。入学式の直後には

ちょくちょく遊びに行くようになってたし。


「なんかさ~、付き合い始めてからの方が、苦しいん

だよな~」


好きな娘とせっかく付き合えるようになったというのに、

お前は何を悩んでいるのだ?ツマンナイ事考えてないで

思いっきり楽しんじゃえばいいのに。


「ミクが他の男と話してんのとかも、見てらんないし」


完璧に嫉妬だね。もっと自分に自信を持てばいいのに。

ナオト君。この学校に、君ほどモテる学生は居ないの

だよ?


「俺さ~…」


何?


「ミクはヒビキの事が好きだと思ってたんだよ」


もちろん、ミクは僕の事は大好きだと思うぞ。でも、

それは友達としてであって、恋人とかっていうレベル

の話じゃ無いと思うのだ。


「いや…、今でも思ってんだけどな」


ナオト、しっかりしなさい!そんな姿を見せられたら、

学校中に蔓延っているお前のファン達が嘆き悲しむぞ。


「ヒビキは…、どうなんだ?」


何の話だ?


「ミクの事…」


バカバカしい。僕がミクを好きなのは、周知の事実だ。

だからと言って、恋人になるような事は絶対有り得ない。

そういう関係が保たれているのだ。


「ごめん…」


僕がイライラし始めたのがわかったのだろう。ナオトが

謝ってきた。お前とミクはお似合いだし、ミクはお前の

事が大好きなんだよ。


「自信無くてな…」


知らねーよ。でも、思ったより純情な男なんだな。お前

はミクとの関係をどこまで見据えているのだ?今時の

野郎共なんて娘達を使い捨てにするクレイジーも居る

というのに。


「でも、俺頑張るからさ」


当然だ、馬鹿者!僕にとって大切な友達であるミクと

付き合っているのだから、中途半端ではなく、本気で

頑張る義務があるのだぞ、お前には。


「年末の旅行の事考えてたらさ…」


話題を変えてきたね。きっと、自分自身で道を切り開く

決意が出来たのだろう。影ながら応援してる、僕みたい

なヤツが居るって事を忘れんなよ。


「緊張して眠れないんだよ…」


気持ちは分かるよ。でも後2日そんな風になってたら、

いざ当日に体調崩したりするぞ。ドーンと構えて当日

を迎えなさい。


「楽しみなんだけど、不安なんだよな…」


こんな真っ正直に恋愛や恋人の事考える時って、ホント

少しの時間しか無いと思うから、充分すぎる程悩み通せ

ばいい。


「何かあったら…」


何かあったら?


「助けてくれな」


さては…、この言葉を言いたくてわざわざ僕を呼び出し

たな。こういう所がナオトの不器用な所なんだよな。

まったく…。


「頼むっ!」


言われなくても、最初からそのつもりだ。ナオトの目の

前に拳を出し真っ直ぐに見つめてやる。ナオトはホッと

した表情で拳を突き返してきた。


「ヒビキと友達で良かったよ」


恥ずかしかったのだろう。言い捨てるとそのまま駅へ

向かって歩いて行ってしまった。これだから、真っ直ぐ

過ぎる男は疲れる。とか言いながら結構いい気分だな…。


少年~31~


「うわー…、すごい景色…」


ミユキが思わず溜息をついた。今、僕等は那須へ向かう

電車に揺られている。久々に都会を離れると、何かホッ

とするのは僕だけだろうか?


「走り始めて1時間で、こんなに景色が変わるのな」


ナオトがミユキの言葉に同調する。そうなのだ。僅か

1時間前には、ビル郡ひしめくコンクリートジャングル

を歩いていたのだ。


「やっぱ、空気がおいしいね。ちょっと寒いけど…」


ミクから発せられる事などきっと無い、と思っていたよ

うな言葉が飛び出してくる。やっぱ、少なからずいつも

とは違うテンションになっているのだろう。


「それじゃー、いただきま~す!」


先頭をきってミユキが駅弁を食べ始める。それに釣られ

僕等もそそくさと駅弁を開け始める。那須は近いので、

早く食べないと到着してしまうのだ。


「おいし~!」


ミユキが大きなトンカツを頬張りながら言う。ホント、

車中で食べる駅弁って何でこんなに美味しいんだろ?

なんて事の無いお茶ですら、すっごい美味。


「ホントは、向こうで昼飯にしたかったんだけどな」


ナオトが唐揚げを持ち上げながらミクを見る。ミクは

何にも無いような顔をして、同じく唐揚げを持ち上げ

口へ運ぶ。


「ゴメンなさ~い」


全然悪く無さそうに、ミクが謝る。そう、ホントなら

ばとっくに到着していたはずなのだ。待ち合わせ時間

の5分前にミクから遅れますLINEが入ったのだ。


「2時間も遅刻して、何があったんだ?」


ナオトが箸を止めずにミクに問う。ふと見ると、ミユ

キはとっくに食べ終わってたようで、悠々と一息つい

てる所だ。


「粉砂糖買うの忘れちゃって…」


ホントか~?そんなもんの事くらいで、みんなの都合

を2時間も変更するか~?なーんか他に裏がありそうだ

が、ここはひとまず穏便に…。


「別にいいじゃん、お弁当美味しかったし」


お前の関心事は食べ物の事だけなのか?心の中でミユ

キを突っ込む。そして、その2時間の間に茶店でケーキ

セットを食べれたのも、「別にいい」要因の一つなの

だろう。


「全く…、みんなに迷惑掛けやがって…」


食後のお茶を啜りながら、ナオトが呟く。ミクは反省

しているのか、いないのか、全くわからない表情のまま

駅弁のゴミを回収している。


「怒ってもしょーがないじゃん。そんな事より食後の

デザート食べようよっ!」


ミユキさん、あなたはいつの間に饅頭を買っていたの?

みんな一緒に動いて、みんな一緒の所で駅弁買ったのに、

どのタイミングで別行動したのだ?


「あんこたっぷりで、美味し~!」


ミユキの食いっぷりの良さに、みんなの手も饅頭に向き

始める。たしかに美味い。しかし、駅弁食った直後によく

饅頭を食べる気になるな…。


「夜はケーキ作るからねっ!」


ミクが饅頭をパクつきながら、腕を捲る。ミクのケーキは

その辺の洋菓子店を遥かに凌ぐからね~。夕食後のデザート

タイムが楽しみだ~。


「夕食は、お鍋にしようと思って…」


おっ、ミユキにしては珍しく簡単な料理で攻めてくるんだ?

お弁当作って貰うときもそうだけど、たくさんの料理を作る

もんだと思ってた。


「ミユキ、悪いな…」


ナオトが軽く頭を下げる。そういや、今から行く別荘はここ

5~6年位誰も使ってない、っつってたな~。厨房設備を使う

のは無理と判断したのか…。


「謝らなくていいよ~。美味しいお鍋の研究してきたから」


ミユキは、料理を含め食べ物全般に関しては、向かう所敵無し

という位勉強熱心なのだ。この言い方は、想像を絶する鍋を

見つけて来たと見える。


「私、お鍋大好き~!」


ミクがミユキに同調してくれる。思ったよりも早く打ち解けて

くれてる、この二人にはホント感謝するよ。実は、ケンカでも

されたらどうしようか、と思ってたのだ。


「鍋に、ケーキか…。年末に相応しい組み合わせだ」


ナオトが無理矢理まとめようとして、失敗したみたいだ。僕も

ミユキも、そしてミクまでもが無視している。残念だが、フォ

ローは無しの方向で。


「あっ!もうすぐ着くんじゃない?」


ホントだ。後10分位で到着してしまう。さっき乗ったばかりだ

と思ってたのに、あっという間に時間が過ぎてしまった。楽し

い時間だから、しゃーないけど。


「ナオト、みんなの荷物降ろして」


一番背の高いナオトにこういう役目が回ってくるのは、当然。

こんなもんで、さっきの一言が帳消しになるなら、安いもん

でしょ?


「ミクとミユキの荷物、何がはいってるんだ?すっげー

重たいんだけど…」


僕とナオトは小さいカバン一つですら、空間を余らしている

というのに、女の娘ってのはなんでこうも荷物が多いんだろ?

でっかいカバンにパンパン+小さいカバンにパンパン…。


「女の娘は、いろいろ用意があるのよっ!」


ミクがでっかいカバンをナオトに押し付けながら答える。そ

んなもん見せられたら、僕もミユキのでっかいカバンを持た

ない訳にいかないじゃない…。


「あっ、駅が見えてきた~!」


ミユキの声と同時に、電車がゆっくりとブレーキをかけ始める。

出発した時は雲一つ無いイイ天気だったのに、こっちでは、薄

暗い雲がチラホラ見える。


楽しい時間になればいいな~。


少年~32~


「じゃあ、ヒビキとミユキは買い物よろしくな!」


ナオトがみんなの荷物を抱えながら、ミクと手を振る。

僕等が買出し係で、ナオトとミクは掃除係。つまり先に

別荘に行って、片付けるというのだ。


「ナオト君達も、掃除よろしくね~!」


ミユキが僕に腕を絡ませながら、手を振る。ナオトや

ミクの視線を感じつつ、僕も苦笑いしながら手を振る。

ちょっと恥ずかしいね…。


「さーてとっ…」


そんじゃ、買出し始めますか!せっかくだから、食べ切れ

ない位、いっぱい食材を買って行こう。途中で食料切れに

なったら、最悪だかんね~。


「そうじゃ無くて~…」


何?また、何か買い食いするつもりか?今日もまた、朝から

ずっと食べ続けているんだよ、ミユキさんは。夕食までに

お腹空かせなきゃダメだぞ!


「やっと二人っきりになれたんだから…、んっ!」


ミユキが背伸びして、チューしてきた。今までこんな事した

事無いから、ちょっとビックリする。こんな積極的な娘だっ

たっけ?ミユキさんは…。


「ん~、満足した~」


もっと大人しい娘だったはずなんだがな~。っつうか、人前

だから恥ずかしいじゃない、こういうの。日本人にはこうい

うの似合わないと思うし。


「じゃ、買い物へ行くぞ~!」


軽い小走りで店内へ入っていく。小走りも出来るデブだった

んだね、ミユキは。なーんか、昔ながらの何でも屋チックな

店だな~…。


「あっ、結構野菜が充実してる!」


ホントだ。地物の野菜がひしめき合ってる。見た感じも結構

瑞々しいし、新鮮そうじゃない。肉関係も、しっかりした色

してるし。


「ヒビキ、かご2つ持ってきてっ!」


両手にかごを持ってミユキに近付いた瞬間、怒涛のように食

材がカゴに投げ込まれていく。どんどん重くなっていくが、

そんなの気にしてらんない。


「ヒビキ、お鍋は味噌味と醤油味、どっちが好き?」


どっちも好き。


「でも、今日は塩味でした~!」


ナメてんのか、コイツは。妙なテンションに付いて行くのは

疲れるぜ…。でも、僕の頬が緩んでる…。僕は笑っているの

か?目を覚ませ!ヒビキッ!


「お鍋だけでいいかな~?」


いいんじゃないの?そんなに深く考えないで。下手に他の物

作り始めて、いただきますは夜中でした、って方がみんな引

くと思うから…。


「特製のドレッシングで、サラダだけ作ろうかな?」


あっ、一回だけ食ったことある。ミユキ特製のドレッシングだ。

実は僕の中では伝説化する程、信じられない美味さだったのだ。

ミユキさん、よろしく。是非、食べたい。


「野菜も新鮮だから、ちょ~美味しいよ!」


いわゆる高原野菜なのかね~?ド素人の僕が見ても、この色艶が

普段その辺のスーパー等で見る物とは全然違うかんね~。

よしっ、このレタスを買おう。


「ヒビキッ、2個!」


こんなでっかいレタスを2個も食うんか?そっか、4人でこの

メンバーなら足りないくらいかもしんないか…。何せ僕以外

は大食いスペシャリスト達だから。


「ヒビキ、しゃぶしゃぶだったら、牛と豚、どっちが好き?」


どっちも好き。


「でも、今日は水炊きだから鳥で~す!」


マジで、ブッとばす。ダメだ…、やっぱ顔が笑ってる僕が

居る。こんな会話が楽しくてしょうがない…。年末+旅行の

力というのは凄まじい…。


「ミクさんのケーキの材料とかって、用意できてんのかな?」


すぐにTELしてみる。…が、出ない。掃除が忙しいと見える。

前、買い物に付き合った時、しこたま材料を買いあさってた

から、大丈夫だと思うが…。


「一応、LINEしてみてっ!」


無きゃ無いで済むんと違うかね~?でも、買い忘れたら、

もう一度買いに来るのはとてもシンドイから、簡単にLINE

を打っておく。


「後は、明日の朝ごはん用に…」


食パン、卵、ベーコン等を適当に見繕い、かごの中に入れ

ようとする…が、途中でやめる。どうしたんだ?ミユキが急に

難しい顔をし始める。


「ガスが使えないんだった…。明日の朝ゴハンどうしよ?」


僕、朝ゴハン食べない派なので…。


「カセットコンロで作ればいっか!」


さっき戻した食材たちを再びかごに入れ始める。料理の事と

なると発想力まで高まっていくんだね。あっ、LINEがき

た感じがする。


「どうだった?」


全部揃っているそうだ。


「じゃあ、そろそろ行こっか~?」


お会計を済まし、でっかい袋3つになんとか食材をまとめる。

重いもの2つを僕が持ち、比較的軽いもの1つをミユキが持つ。

腕がちぎれるんじゃないか?って位重いな~…。


「飲み物…、買い忘れた…」


ミユキが非情にも思い出してくれた。


少年~33~


「おっ、すっげー買い込んだな~!」


でっかい袋を3つ、死に物狂いで抱えてきた僕にナオト

から声がかかる。いや~、キツかった。久々にこんな

に力を使った気がする。


「こっちはもう終了してるよっ!」


普段着に着替えたミクが、奥のソファから声をかけて

くる。しっかし…、よくこんなでっかい家の掃除をこ

の短時間で終わらせたな。


「ミクの段取りが良くてさ…」


ナオトが照れ笑いしながら、ミクを指差す。ホント、

ミクは何をやらしても器用にこなしてしまうのね。

何度でも言うけど、いいお嫁さんになれるよ。


「ヒビキとミユキ、部屋は2Fの奥を使ってくれ。

荷物は部屋に入れて置いたから」


買ってきた大量の食材達をナオトとミクに託し、2F

へ移動する。いや~、しかし広い家だね~。2Fだけ

で4部屋もあるじゃん。


「すごい広~い!」


扉を開けたミユキが叫ぶ。確かにすごい広い。15畳

くらいあるんじゃないのか?洋間の真ん中にベッド

が二つあるだけで、後は最低限の家具があるくらい。


「イブに泊まったホテルより広くない?」


確かに…。シンプルな作りの上に、物がごちゃごちゃ

置かれてないから、より広く感じるのかも。っつうか

あのホテルは狭すぎるんだって。


「じゃあ~…」


じゃあ?


「ど・う・す・る?」


突然、悩ましげな瞳で僕を見つめてくる。一体、今日

はどうしたんだ?やけに積極的なんですけど…。

旅のせいなのか…、年末のせいなのか…。


「冗談でした!ナオト君たちに聞こえちゃうもんねっ」


おかしなテンションしやがって…。何が聞こえちゃう

のだ?でも、最初に連絡した時は、この旅自体どうなる

かと思ったけど、楽しんでくれてるみたいで良かった。


「私も部屋着に着替えるけど、ヒビキ…見てる?」


イ~ヤ。苦笑いしながら、先に下へ降りる事にする。

僕は着替える必要なんか無いしね。ゆっくり着替えなさ

いの意味を込めて、笑顔だけを残し部屋を出る。


「おっ、ミユキは着替えてんのか?」


階段を降りる僕を見つけて、ナオトが声をかけてくる。

その通り、の意味を込めてスマイル。やっぱナオトも

着替えてない。着替える必要なんてあるのか?


「ムラムラしちゃうから、降りて来たの?」


ニヤニヤしながら、ミクが聞いてきた。うっさい!の

意味を込めて、あっち行けの手。ミクはケラケラ笑い、

ナオトも笑いを噛み殺している。


「あっ、歩いて10分位の所に温泉あるじゃんっ!」


ミクがガイドブックを片手に叫ぶ。温泉か~、いいね~。

夕飯までまだ時間もあるし、散歩がてらのんびりみんなで

繰り出すかね~。


「温泉、行きた~いっ!」


階段の上からミユキが叫ぶ。なんだ、いつもの格好から

他のいつもの格好になっただけじゃん。全然、着替えた

意味無いと思うんですけど…。


「じゃあ、風呂行く用意して10分後にここに集合な」


ナオトの一声で、みんな一斉に動き始める。この4人だった

ら団体行動も完璧。ミユキはそのまま部屋へ引き返し、僕は

それを追う。


「おまたせ~!」


最後にミクが到着し、みんながリビングに集まった。

さ~て温泉に出発しますか。みんな意気揚々と玄関

へ向かう。


「そこって、露天風呂なのかな~?」


ミユキがおもむろに聞く。


「露天風呂よ。残念ながら混浴じゃ無いけどね」


ミクが悪戯な表情で答える。


「別にいいよ~。混浴なんて…ね~?」


ミユキが僕を見る。そんな風に僕を見られても困ります。

混浴よりも、男同士ゆっくり入れる方が有難い。それに

いきなり4人の混浴なんて、有り得ないだろ~よ?


「でも、せっかくだし…ね~?」


今度はミクがナオトに視線を送る。ナオト君、困惑した表情

してるね~。そりゃそうだろうよ。こういう時、女の娘は冗

談言えても、男はキツイって。


「まだ着かないのかな~…」


早くもミクがバテ始める。まだ5分も歩いて無いでしょ。

温泉言いだしっぺのくせに何を言ってるんだ。それに、多少

歩いた方がより温泉が気持ち良くなるだろうよ。


「あっ、あそこだ!」


ミユキがいち早く温泉を見つけ、みんなに足が微妙ながら

早くなる。歩くには丁度良い距離だったね~。ミクは若干

息を切らしてるけど…。


温泉、到着~。さーて、ゆっくり浸かるかな~。


少年~34~


「俺、温泉なんて何年ぶりだろ?」


湯船に浸かりながら、ナオトが溜息まじりに話し出す。

僕にしても、とても久し振りな気がする。ガキの頃、親と

行った以来じゃ無いのかな~?


「気持ちイイな~」


ホント、気持ちイイ。やっぱ普通のお湯とは違うんだろう

な。身体の表面だけではなく、奥底から暖まっていく気が

する。


「ヒビキとこうして入るのも、初めてだよな?」


そんなに広くは無いが、風呂の端と端に居るため声は聞こ

えるが、湯気で顔はよく見えない。それを承知で、多分そ

うだな、のふんわり笑顔を返す。


「ホントは、ミユキと一緒が良かったんじゃ無いのか?」


はっ、はっ、はっ。軽い笑いで答える。ミユキと一緒だっ

たら、こんなにのんびり入ってらんないからな~。そうい

うナオトはどうなんだ?の視線をぶつける。


「俺はまだ…、ミクとは早いし…」


何をモゴモゴ言っているんだ?そんな風体しながら、全然

遊んでないのは知ってるけど、でも思った以上に純情な男

だな~。


「でも…、いつかは…、なっ?」


なっ?じゃねーよ。そういう事を僕に言ってどうする?ち

ゃんとミクに言ってあげなさい。でも、ナオトの事だから

絶対に言えないんだろうけど…。


「今夜はさ~」


なに?


「夜通しみんなで遊ぼうな」


そういうのは、前もって決める事じゃ無いと思うんですけ

ど…。っつうか、ミクと二人っきりになるのが怖いんだな?

そりゃそうだろな~、まだ付き合って一週間位だもんね。


「俺…、ミクと二人で部屋に居たら、何話していいかも、

何すればいいかもわかんねーや…」


いつもみたく、バカ話してればいいんだって。変に構える

から空気がどんどん変わってくだけなんだから。その場な

りの自然体でいいんだって。


「こうして、ヒビキと二人でいる方が楽だな~」


気持ちの悪い事を言うんじゃない!それで近寄って来たり

したら、全裸のまま逃げるからな。でも、確かに女の娘と

居るのは…、少なくとも楽では無いよな。


「でも、ミクと一緒に居たいんだよな~…」


恋愛なんて矛盾だらけなんだって。苦しいけど一緒に居た

くなるし、楽しいけど一緒に居たくなくなるし。その矛盾

自体を楽しむものなんだ、って思うよ。


「まだ、一週間だからさ~」


なに?


「そういうのは早いと思うんだよな…」


どういうの?なんて意地悪な事は聞かない。そういうのに

早いも遅いも無いと思うのだが…。まっ、結局は二人の問

題だからね~。二人で解決しなさい。


「ミクはどう思ってんだろ…?」


あ~見えて、ナオトと同じような純情っ娘だと思うよ。

この機会に何が何でも!なんて思うような娘じゃ無いでし

ょ~?のんびり構えてると思うが…。


「ヒビキとミユキはどうすんだ?」


さっき、夜通し遊ぼうと言ったのはお前じゃ無かったか?

せっかく4人で旅行に来てるんだから、4人で楽しむっての

が基本だと思うが…。


「やっぱ、ヒビキとミユキを誘って良かった!」


その一言と共に、ブクブク言いながら温泉に沈んで行った。

多分、僕やミユキへのお礼を言って照れてしまったのだろう。

潜ってもいいけど、のぼせんなよ~。


「そっち、他にお客さん居るっ?」


ミクのでっかい声が響き渡る。向こうの山々にぶつかって、

こっちまで帰ってくるんじゃねーのか?って位大きな声が

ね。他にお客さんが居たらビックリするだろ~が。


「居ないよっ。そっちはどうなんだっ?」


ナオトが若干トーンを低めに答える。結構長い時間浸かって

るのに、こっちはずぅ~っと貸切状態だね~。なんか贅沢な

気分満載だ~。


「こっちも、貸切状態よ~!」


結構広めの露天風呂。多分女湯も同じくらいの広さはあるの

だろう。それを僕ら4人だけで使っている訳か…。大晦日だし

みんな忙しいのかな~。


「こっち来ちゃえば~?」


ミクが無茶苦茶な事を、再びでっかい声で叫ぶ。無理に決ま

ってんだろうが。他の人が入りに来たらどうするつもりなん

だ?ナオトも真っ赤な顔で苦笑いしてる。


「バカな事言ってんなっ!こっちはそろそろ出るぞ~!」


大分いい具合に暖まったから、僕もそろそろ出ようと思って

たのだ。こんなん浸かり過ぎて体調が崩れたりしたら、目も

当てられないからね~。


「え~?もう出るのっ?だってミユキちゃん、丁度おっぱい

洗ってる所だよっ!」


きゃ~、言わないでよ~!という声が女湯から聞こえてきた。

ミクのキャッキャッ笑う声が聞こえてくる。僕等も大笑いし

ながら、湯船を後にする。


「先出るぞっ!外で待ってるから、あんま遅くなんなよっ!」


は~い!、という二人の声が響き渡った。ナオトが先に脱衣所

へ向かうのを見ながら、僕はもう一瞬頭まで温泉に浸かってお

く。これで湯冷めしないだろ。


少年~35~


「あ~、いいお湯だった~!」


僕等が待つ事15分。ミクとミユキがのーんびりと出てきた。

なんて、マイペースな奴等なんだ…。二人とも茹って真っ赤

な顔をしている。


「ヒビキ達、何か飲んだ?」


イ~ヤ、ボーッとしながら火照った身体を冷ましてしただけだ。

でも、ミクの言うとおりだよな。温泉に浸かった後は、冷たい

ものを飲むのが、身体にも心にも良い事は知ってる。


「牛乳飲もうよっ!買ってくるね~!」


ミユキが胸をゆさゆさ揺らしながら小走りに走って行った。

ノーブラなのか?イヤラシイ意味ではなく、単純にそして

湯冷めを心配しながらミユキを見る。


「ミユキちゃん、ノーブラよっ」


ミクよ、お前は僕の心が読めるのか?


「私もブラしてないもん」


知らねーよっ!っつうか、二人とも油断してると風邪引くぞ。

全く…、ちょっと遠回りしながら別荘まで戻ろうと思ってい

たのだが、大人しく帰った方が良さそうだな…。


「ほらっ、ナオト!ブラの線見えないでしょ?」


ナオトがソッポを向きながら、呆れた顔をしている。イヤ…

この表情は必死に取り繕ってる表情だ…。コイツ、今の一言

にかなり意識してんな。


「おまたせ~」


やはり、胸をゆさゆさ揺らしながらミユキが戻ってきた。

瓶入りの牛乳を4本抱えながら、とてもイイ表情をしている。

なんか面白い物でも見つけたか?


「はいっ。この牛乳今朝絞りたてだって。あと、ちょっと

つまめる物も買ってきた」


なんと、ビーフジャーキーを買ってきてる…。どんな組み合

わせなんだよ?それにここまで来る途中に、わんさと牛を見

ているのに、食うのか?


「じゃあ、一気飲み大会!よーい、始めっ!」


みんな一斉に牛乳瓶を咥える。不意をつかれた僕は最初から

戦線離脱。おっ、ナオトとミクがいい勝負してるが…、ミユ

キが既に飲み終わりゲップしている…。


「楽勝~!」


でしょうね~…。あなたの早飲み、早食いのレベルはアスリ

ート級だから。ミクもナオトも善戦したが、ちっとも悔しそ

うでは無く、純粋にミユキを称えている。


「ヒビキ、まだ飲んでんの?」


圧倒されていたので、まだ一口しか飲んでいない。慌てて飲

み始めると、うわ~、いつも飲んでる牛乳に比べてすっげー

濃いな~。美味しいな~。


「じゃあ、そろそろ戻るか!」


ナオトの声でゆっくりと歩き始める。ミユキがビーフジャー

キーを食べながら歩いているので、荷物を持ってあげる。ビ

ーフジャーキーを差し出してくるが、僕はいらない。


「貸切状態だったね~!」


僕と同じようにビーフジャーキーを断ったミクが話し始める。

たかだか数百円であんな風呂を貸切状態で使えたんだから、

ホント僕達はツイてるよね。


「みんなで入っちゃえば良かったね!」


ミクが僕とナオトを交互に見る。ミユキを見ると、うんうん

と笑いながら頷いている。どこまでホンキなんだ?今日は、

二人の表情を読む事が出来ない。


「でも…」


でも?


「ヒビキとナオトは、身体の一部が変化しちゃうから、

無理かっ!」


ミクとミユキはケラケラ笑いながら、僕達の顔を覗き込む。

僕もケラケラ笑いながら、そうだなの意味を込めて二人に

微笑み返す。ナオトは…、お前顔が真っ赤だって!


「ナオト君が照れてる~!」


ミユキが追い討ちをかける。そっぽを向き無言のまま足早

に歩き続ける。まったく…、こういう事でナオトをからかう

んじゃない!


「ナオトには、後でじっくり見せてあげるからね~!」


ミクが完璧なストレートをナオトに叩き込む。ナオト君、

ノックアウト寸前。ミユキは、ヒャッヒャッお腹を抱えて笑

っている。


「じゃあ、私もヒビキに見せてあげるっ!」


ミユキもたたみ掛けて来る。すっげー楽しみにしてる、の意味

を込めて満面の笑顔を返す。こういう反応が出来る僕が、ミク

はあまり面白くないらしい。


「私もヒビキに見せてあげるよっ!」


ちょっとだけ僕の表情が変わってしまった。その瞬間を見逃さ

ずミクがしてやったりの表情でニヤリとする。ミユキを見ると、

目を見開いている。


「ダメー!ヒビキは私のしか見ちゃダメっ!!!」


ミユキが言った途端、僕とミクは大笑い。あ~、腹が痛い…。

ミユキも笑ってる所を見ると、とても良いアドリブだったよう

だ。ナオトは…、ちょっとだけ笑ってる。


「ヒビキに見せるために、ちゃんとおっぱいも洗ったしね~」


ミクがお腹を抱えヒーヒー言いながら、ミユキを見る。ミユ

キは胸を張って、僕の前に仁王立ちする。バカな連中と一緒に

いるのはホントに楽しすぎる。


「ナオトっ!私もちゃんと洗ってきたからねっ!」


ミクの一言に、全員大爆笑。ひ~、お腹が痛て~。笑いすぎて

死にそうなんですけど…。おっ、気が付きゃ別荘の目の前まで

戻ってきてる。笑い死ななくて良かった…。


少年~36~


「さ~てとっ、それじゃケーキ作ろうかな~」


温泉から戻ってきて、まったりとしている空間を切り開くよ

うにミクが言う。気が付きゃ、おっもうこんな時間になって

んじゃん。テレビ見てる場合じゃないな。


「私もお鍋の準備しなくちゃっ!」


ソファに根っ転がりながら、テレビを食い入るように見てい

たミユキものそのそと起き上がる。ふぁ~あ、と大きな欠伸

を一つ。


「ナオトは私を手伝ってね。ヒビキはミユキちゃんと一緒に

お鍋をよろしく~」


ミクがエプロンをしながら腕捲りをする。それにならってミ

ユキも同じ動作で用意を始める。おっ、なかなか可愛いエプ

ロンを持ってんじゃん。ミユキも、ミクも。


「よしっ、ジャンケンに勝ったら裸エプロンしてあげるっ!」


何が、よしっ、なんだ。でも、ジャンケンなら勝てそうな気

がするし、やってみるか?ちょっと裸エプロンは見てみたい。

僕が珍しくやる気を示す。


「うそに決まってんじゃない。後で部屋にもどったら、ミユキ

ちゃんにやってもらいなさいよっ」


ツマンネー嘘ついてんじゃね~!ミクはケラケラ笑ってる。

あ~あ、ちょっとでも期待した僕がバカだった。それに、台所

という場所だからこそ、見たいんじゃない。


「私が…、今してあげよっか?」


笑いを噛み堪えながら、ミユキが仰々しく言う。お前らはそう

やって僕等で遊ぶんだな。ったく…、バカな事言ってないで

とっとと作るぞ!と、手をヒラヒラさせる。


「とりあえず、台所はミユキちゃん使うよね~?」


ミユキがうんうん頷く。食材切ったり、って事なんだろうな。

それぐらいだったら僕にも手伝えるし、最初は僕等が台所を

使わせてもらう事にする。


「じゃあ、ヒビキは野菜を適当な大きさに切っておいて」


適当な大きさ…、難しいな。でも切り始めるとザクッザクッ

という音が心地よい。鍋の具材なんだし、あんまり小さく切

ると食べ応えが無くなるかな…。


「次は鶏肉をよろしくっ!」


これはザクザク音がしないので、そんなに楽しくない。こん

なに鶏肉買ったっけ?っていう位のすごい量を次々に切って

いく。相撲部屋のちゃんこみたい…。


「あとは…、レタス千切って。包丁じゃなく手でね」


レタスは包丁で切るよりも、手で千切った方が美味しいの、

とミユキが教えてくれる。どっちでも同じ味なんじゃねー?

という疑問は今は持たない事にする。


「ドレッシングも出来たし…、とりあえずオッケーかな」


まだ、20分位しか経ってないのに、下ごしらえは終了してし

まったみたい。後は鍋でグツグツ煮れば完成という訳だね。

鍋はホント簡単でいいね~。


「ミクさん、台所使っていいよ~」


ミクとナオトはリビングで、ケーキの材料を量り続けていた。

なんか理科の実験をしてるみたい。お菓子作りというのは、

材料をきっちり量るという行為がとても大切らしい。


「こっちも大分いい感じよっ」


ホント、手際がいい奴等を見てると気持ちいい。ミユキはそ

のまま台所に残り、ミクのケーキ作りの手伝いを始める。僕と

ナオトはリビングでカセットコンロをいじくり始める。


「火も点くし…、やる事無くなったな…」


ナオトが呟く。確かに、もう僕らが出来る事は無くなったみ

たいだ。後は娘達に任せて僕等ゆっくりしましょう。ソファ

にもたれ掛かりテレビを見始める。


「何くつろいでんのよっ!」


やべっ、ミクが怒ってる。だってもうやる事無くなったんだ

もん。ね~、ナオト。と、横を見るもナオトは食器を並べたり、

コップを並べたり…、と働いている。


「ヒビキはこっち来て、お鍋の食材を運んでっ!」


はいはい…。テレビを消して台所の食材をリビングに運ぶ作業

を始める。ケーキの出来具合を見ると…、おっ、もういい具合

になってんじゃん。


「もうすぐ出来るから、このお鍋に火をかけておいて」


ミユキが水の中に昆布を入れた鍋を差し出してくる。こんな

でっかい鍋がよくあったな~。さすがナオト君の別荘だね。

大人数が泊まれそうな建物だもんね。


「グツグツいったら、弱火にしてねっ」


それくらいの事はわかってるつもりです。でも、なーんにも

出来ないフリをしてる方が楽でいいよね。グツグツいうまで、

ずっと鍋を見ていようかな。


「完成~!」


台所からミクとミユキの声がハモる。気になってしょーがな

いので見に行ってみると…、おっ、すっげー、本物のケーキが

出来てんじゃん。


「見た目も味も完璧だよね~!」


ミクとミユキが嬉しそうに言う。地元の洋菓子店でこれと

同じのが3千円位で売られてたぞ。味見もしたらしく、ミユキ

の口の回りにチョコが付いてる。


「ヒビキ、鍋弱火にしておいたぞ」


冷静な表情でナオトもやってきた。ゴメン、すっかり鍋の事

忘れてた。ナオト君には、ナイスフォロー賞をあげよう。

あっ、ミクが僕を睨んでる。


「なんでお鍋を見てなかったの?」


ゴメンなさい…。


「まったく…、ミユキちゃんが居ないと、ヒビキはな~ん

にも出来ないのね~」


ミクの一言にミユキがすっごい嬉しそうな顔をする。ナオ

トは笑っている。ミクもミユキと僕を交互に見ながら、悪戯

に笑っている。僕は…、苦笑いを浮かべるしかない。


少年~37~


「いただきま~す!」


でっかい鍋と、でっかいサラダボールを囲んで、僕達の年末

晩餐会が始まった。さ~てどっちも美味そうだが、どっちか

ら先に食べようかな?


「ちょっと待って!乾杯は?」


みんなが箸を手にした途端、ミクが叫ぶ。そりゃそうだよね。

まずは乾杯から始めないと…。音頭を取るのは、もちろんミ

クさんしかいないでしょ~。


「じゃあ、我々4人が素敵な年末が過ごせる事と、みんなに

とって幸せな来年が来ますように…」


ように…。


「かんぱ~いっ!!!」


残念ながらジュースでの乾杯だが、みんな充分過ぎる程、

この空間に酔っている。さっ、宴だ~。鍋だ~。特製サラダ

だ~。そしてその後には、ケーキだ~。


「うわっ、このサラダめちゃくちゃ美味くない?」


一番先にサラダに手を出したナオトがビックリしている。

なっ、ミユキのドレッシングはホント凄いんだよ。新鮮な野

菜+特製ドレッシングで最強のサラダとなったようだ。


「ホントに?私も食べよっ!」


次はミクが食べてみる。信じられない、といった表情を浮か

べながらミユキの方を見る。思っていた以上にミユキの実力

は高かったのだろう。


「こんなの初めて食べた…。このドレッシングの作り方、

今度教えてもらってもいい?」


ミユキは遠慮がちにうんうん頷く。やっぱ自分の作った物が

褒められると嬉しいんだろうね。恥ずかしそうに、ミユキも

レタスをパクついている。


「この鍋もすごいぜ~」


大き目の鶏肉を噛み砕きながら、ナオトが鍋を指差す。見た

感じでは、とりたてて特徴も無さそうに見えるのだが…。し

かしミユキの事だから普通の鍋な訳が無いか。


「ちょ~すご~い。ミユキちゃんって料理上手ね~!」


褒められ慣れていないのか、ミユキは下を向いてうんうん頷

くしかしない。もっと堂々と胸を張ればいいのに。お前の料

理はプロ級だぜ。


「ヒビキも美味しい?」


僕は、ただひたすら食べる事に集中していた。サラダは2回目

だけどやっぱ美味しいし、この鍋は素晴らしい。昆布だけで

出汁をとった訳じゃ無かったのね…。


「お鍋だけど、結構手を加えたから…」


なるほど、やっぱやる娘だ。単純な塩味の中に、ものすごく

複雑で深い味が潜んでいる、そんな感じ。ポン酢とか使わな

くても、と言うか使わない方が美味しいね。


「でも、この量食いきれるか~?」


まだ、山のように残っている鶏肉や野菜を指差しナオトが皆

を見る。しかし、ミクやミユキの表情を見てると、まだまだ

いけそうなんですけど…。


「さっ、ホンキで食べるわよ~!」


ミクがガシガシ食べ始める。それと同じように、ミユキも

大きな鶏肉を丸ごと口に運ぶ。ナオトは野菜を受け皿大盛り

にとってふ~ふ~言いながら食べる。


「ヒビキも、もっと食べなさいよっ!」


ミクに受け皿を取られ、鶏肉と野菜を大盛りで入れられてし

まう。僕、基本的に大食いじゃ無いのでそろそろお腹一杯に

なってきたんですけど…。


「よしっ、これで全部お鍋に入ったよ~」


いつの間にか、あれだけあった具材が全て鍋に収まっている。

まだまだいけそうな3人を横目に、僕はバレないようにふ~、

と溜息をつく。お腹が一杯になった~。


「じゃあ、中身をみんなで取っちゃって。今から雑炊に

するから」


え~…。食べれる自信が無いんですけど…。みんなまだまだ

の表情で鍋に残った具を自分の受け皿に入れていく。頃合を

見計らってミユキが雑炊を作り始める。


「この雑炊が、またサイコ~!」


アツアツの雑炊をハフハフしながら、ミクが言う。あれだけ

美味い鍋の残りで作った雑炊が不味いわけないよね。僕も一

口だけ頂こうかな。


「取ってあげるっ!」


ミユキに受け皿を奪われ、大量に雑炊が入った受け皿が戻っ

てきた。こんなに食べれるかな~?でも、うわっ、ちょ~美

味い~。コクがあるのにアッサリしてる。


「よく食べたね~」


みんなが食べ終わった所で、ミユキがジュースを飲みながら

話し出した。雑炊辺りから、みんな黙々と食べてたからね~。

苦しい位にお腹が一杯だ~。


「じゃあ、ケーキ持ってくるねっ!」


間髪入れずミクが席を立つ。そしてソロソロと持って来たの

が、さっき見たこれまたボリューム満点のブッシュ・ド・ノ

エルが降臨だ。


「おいしそ~!」


ミユキの瞳が輝いている。出たっ!甘いモンは別腹ってヤツだ。

僕にとっては同じ腹なので、この状態からどんだけ食えるのか

全く予想がつかない。


「ケーキはもう少ししてからにしないか?」


ナオトもお腹一杯らしく、弱気な提案をするが即却下。そんな

のを受け止める二人では無い。早くもミクはみんなの分を切り

分け始めている。


「ちょ~、美味しい~!」


ミクとミユキがでっかい一口を頬張りながら、同時に声を出す。

二人とも、ちょ~幸せそうな表情で次々とケーキを口へ運ぶ。

ナオトもちょっと苦しそうにしながらも、食べ始める。


「ミク、すっごい美味しいよ」


ナオトの言葉に、ミクのフォークが一瞬止まる。ミクが心底嬉

しそうな顔をしながら、そしてちょっと照れ隠しながら、また

ケーキをつつき出す。


そんな二人を見ながら、そして隣でケーキを頬張り続けるミユ

キを見ながら、な~んか幸せな空間だな~、と僕は感じる。

でも…、最初の一口以来、次の一口になかなか踏み出せない…。


だって、お腹一杯なんだもん…。


少年~38~


「ヒビキ、大丈夫か?」


お腹いっぱいで苦しそうにしている僕を見ながらナオトが

聞いてくる。あんま、大丈夫じゃない…。こんなに苦しくな

るまで食べたのって久し振りだもん。


「でも、美味かったな~」


確かに。それは紛れも無い事実だね。でも、ここまで食べ

なくてもいいんじゃないか、と思うが。まっ、消化するま

で大人しくしてます。


「後片付けは、二人に任せちゃっていいよな?」


僕等がのんびり話してる間に、ミクとミユキはチャカチャカ

と後片付けを始めている。既にテーブルの上には飲み物しか

残っていない。


「俺等が手伝うより、二人に任せた方が早いか…」


そうだね~。足手まとい以外の何者にもなれないかもしんな

いし。後10分ものんびりしてたら、二人とも全部終えて戻っ

てきそうだもん。


「こんな感じの年末って、俺初めてだよ」


僕にとっても初めての経験だ~。ちょっとドキドキしながら

も、すっげーリラックスしてる。なーんか、心地よい緊張感

が何とも言えない。


「お茶入れたけど、飲む~?」


後片付けを終えて、ミクがお茶を運んできた。後ろには、

山ほどのお煎餅が入ったザルを抱えたミユキが控えている。

まだ、食うのか…。


「お鍋だけだと、後片付けも楽チン~」


ミユキがバリバリお煎餅を噛み砕きながら言う。やってな

いので何とも言えないけど、後片付けが少ないのって、と

てもその後の気分が良くなるよね~。


「何コレっ?ツマンナイから消すよっ!」


僕とナオトが観ていた、年末恒例の格闘技番組が映し出さ

れたテレビが、何の躊躇も無く消される。僕達観てたんで

すけど…。


「さーて…、何して遊ぼうか?」


ミクが目を輝かせながら、みんなに問い掛ける。遊ぶのは

構わないけど、そういう時って何すればいいんだろ?ベタ

にトランプとか…、かな~?


「ナオト、この家にカラオケ無いの?」


ここまで来てカラオケをしなくても良いだろ~よ。そんな

のいつでも出来るんだから、ここはいつもと違う事を…、

でも…、だから何すりゃいいんだ?


「ある訳無いだろっ!って言いたいけど、あるにはある

んだよね~」


金持ちってスゴイね。ここ何年も使ってない家にカラオケ

を置いちゃうんだもんね。じゃあ、せっかくだからカラオ

ケ大会すっか!回りに家も無いから、大音量でいけるぜ~。


「でも、カラオケならいつでも出来るか…」


ミク…、お前は何者だ?お前が言い出したんだぞ?


「私…、また温泉行きたいな~…」


ミユキがお茶をゴクゴク飲みながら、の~んびりと話し出す。

このマイペース加減にミクとナオトはどういう反応を示すか

ちょっと楽しみ。


「俺はイイや…」


ナオトが言う。


「私もイイかな…」


ミクも言う。


「ヒビキと二人で行ってくればいい。俺等は留守番して

っから」


ナオトが僕を見ながらミユキに言う。実は、温泉はどっちで

も良かったけど、散歩をしたい気分だったのだ。多少身体を

動かさないと、さっき食った分を消化出来そうに無くて…。


「さっき行った所とは反対方向に15分位歩くと、立ち寄りの

温泉があるみたいよ」


ミクがガイドブックの情報をいち早く掴み、僕等に教えてく

れる。歩くには丁度いいじゃん。んじゃ、僕はミユキと二人

で温泉行くべ~。


「私、用意してくるねっ!」


ミユキがドタドタと2Fへ上がっていった。その後に続いて、

僕もお風呂セットを取りに向かう。外はすっげー寒いだろ

うから、ちゃんと防寒もしないとな。


「ミクちゃん達は、ホントに行かないの?」


リビングに戻ったミユキが、ミクに問い掛ける。ミクはナ

オトと目配せをしながら、ひらひら手を振っている。考え

てみりゃ、二人ともインドア派だよな…。


「私達はここで待ってるから、二人で行ってきて~」


ナオトはともかく、ソファに横たわっているミクの姿を見

ると、そこから一歩も動かない、というような決意すら感

じさせる勢いだ…。


「早く帰って来いな…」


ナオトが僕にだけ聞こえるような小さい声で僕の肩を叩き

ながら言う。あっ、そっか。二人っきりになるのに抵抗が

あるんだな…。


「混浴して来ちゃえ~!」


ミクがケラケラ笑いながら、僕等を送り出してくれる。

お前はなんでそこまで混浴にこだわるかな~?苦笑いのま

ま、ミクに手を振る。


「じゃあ、行ってきま~すっ!」


ミユキが残る二人にヒラヒラと手を振る。僕もつられて手

を振る。ナオトもミクもリラックスしきった格好のまま、

手を振る。


「行ってらっしゃ~いっ!」


僕とミユキが家を出る。この先の十字路を右に曲がってま

っすぐ歩けば着くはずだ。すっごい寒いけど、ミユキが左

腕にしがみついてくれてるから、そっち側だけ暖かい。


「寒いよ~」


ミユキの体重が左腕に圧し掛かる。でも、大丈夫。寒さで

感覚も麻痺してるし。なーんにも聞こえない、キーンとい

う寒さの音が聞こえて来そうな感じ。


「あっ、雪だ…」


ミユキが言う。


少年~39~


「ヒビキッ!雪だよ、雪っ!」


そんなに大きな声を出さなくても、隣にいるので聞こえま

す。そして、ほとんど同じ位置で見ているのだから、僕に

も見えます。


「でも…、いつもの雪と違う感じがする…」


うん。地元で見る雪はベタベタしているのに比べて、この

雪はサラサラしている。すっごい軽い感じ。降ってる、と

いうより辺り一面に描かれていってる。


「なんか…、幻想的だね…」


僕もそう思った。突然何かが出てきそうな…、そして突然

何かが消えてしまいそうな…。もしそうなったとしても、

受け入れられそうな…。


「ちょっと…、怖いね…」


このまま歩いて行ったら、この道に戻って来れなくなるよ

うな気がしてくる。ミユキの怖いという気持ちがわからな

くも無い。


「怖いっ!」


ミユキが正面から抱きついて来た。おっと、危ない。ギリ

ギリの所でこらえる。僕の腰はまだまだ丈夫らしい。良か

った、大怪我しなくて。


「早く歩こっ!」


ミユキが僕の手を引っ張り、さっさか歩き出す。怖いのは

わかるけど、この不思議な感覚をずっと味わっていたい気

もするのだが…。


「このまま、どっか行っちゃうのかも…」


寒さなのか、怖さなのか、震えた声でミユキがそっと言う。

なんかね~、このまま、どっか行っちゃってもいいかな?

って気分もしてるんだよね~。


「あっ!あれじゃないっ?」


無言のままズンズン歩き続けていると、遠くに灯りを見つ

けた。多分、あそこが温泉なのだろう。幻想的な雰囲気が

一気に覚めてくる。


「寒いっ!怖いっ!」


一歩一歩踏みしめながら、ミユキがブツブツ言ってる。

もう、民家や閉まった商店なんかもちらほら見え始めて来

たし、怖くは無いだろ?


「やっと着いた~」


旅館や日帰り入浴施設というよりは、一般の銭湯みたいな

所だった。見た所、人の気配は全く無し。ホントに入れん

のかな~?


「あっ、開いた」


ギギギッ、と音を鳴らして扉が開いた。中に入ると、薄明

かりの中でしっかりと温泉の匂いが漂っている。しかし…

脱衣室への入り口が一つしかない。


「あっ…」


ミユキが何かを見つけた。


「ここ…、混浴…、みたい…」


入り口に貼ってある注意書きを読みながら、ミユキが呟く。

僕も見てみると…、ホントだ。無人の混浴露天温泉みたい。

料金は箱に入れて下さい、だって。


「どうする?」


ミユキが僕の目をじっと見てくる。う~ん、どうしよう?

でも、お互いあんだけ歩いて身体が冷え切ってるから、順

番こでもイイから入ろう。


「私…」


ん?


「一緒でイイよ」


僕はもちろん一緒で構わないけど、ミユキはホントにイイ

のか~?お嫁さんに行けなくなっちゃうぞ~。な~んて、

僕は結構余裕あるみたい。


「でも…、ヒビキが先に入ってくれる?」


了解。身体が冷え切ってるから、一刻も早く湯船に浸かり

たい。さっさと服を脱ぎ捨て、タオル一枚を肩からかけて

そのまま湯船に飛び込む。


「すぐに、行くね~」


脱衣室でミユキが服を脱いでる気配がする。あっ、僕では

無く、僕の身体が反応してる。ミユキが入ってくる前に、

この状態を抑えなくては…。


「あんまり…、見ないでね…」


せっかく反応が治まりかけたのに、ミユキのその言い方で

復活してしまう。僕よ落ち着け…、落ち着け…、何度も何

度も自分に言い聞かせる。


「あったか~い」


ミユキが湯船に浸かり、お湯がドボドボ溢れる。僕は…、

み、見れない…。っつうか、身体の関係上、ミユキの方を

向くことが出来ない。


「近くに寄っちゃおっ!」


ミユキが隣にピトッとくっ付いてきた。瞬間、ミユキの大

きな胸が視界に入ってくる。タオルで隠していない為、ほ

ぼ完全体で見てしまった。もう…、無理…。


「暖かいね~」


ミユキが腕を絡めてくる。ミユキの胸が僕の二の腕に直に

当たっているのが感じられるし、実際見える。いやー…、

いろんな意味で気持ちイイな…。


「こう見えても、ドキドキしてるのよ…」


ミユキが僕の手を自分の胸に当てながら言う。柔らか~い。

グッと力を入れ、手を胸に押し付けるようにすると、バク

バクと早く刻むミユキの鼓動が感じられる。


「ヒビキのも、触っちゃおっかな~!」


無理。今、触られたりしたら暴発してしまいます。ミユキ

には平気そうな顔をしながら、真っ赤になったホッペに軽

くつっついてみる。


「ヒビキ、大好き!」


照れ笑いをしながら、ミユキが僕に覆いかぶさってくる。

残念、支えきれませんでした。ブクブク…ブク…。二人共

頭まで沈んでいく。


「お風呂の中で、ヒビキの見ちゃった~!」


ずぶ濡れの頭を湯船から出し、ミユキが楽しそうに、そし

て、ちょっと意地悪そうに僕に言う。僕は若干溺れかけた

ので、そんな余裕は全く無かったのに…。


「ヒビキの…、おっきくなってたねっ!」


とても恥ずかしい…。でも、逆に言うとミユキと一緒にお

風呂入ってて何の反応も示さない方がおかしいと思う。苦

笑いを浮かべる以外に、今僕に出来る事は何一つ無い。


「満足したし、そろそろ出よっか?」


ミユキに言葉に大きく頷く。でも、ここからが最後の正念

場だ。何とかミユキを先に行かせて、その間に何とかこの

状態を治めなくては…。


少年~40~


「雪、止んだね~」


火照った身体を覚ましながら、僕達はナオトの別荘目指し

歩いている。いや~、軽く逆上せる位まで入ってたから、

この冷たい空気がとても心地よい。


「初めて、一緒にお風呂入ったね~!」


僕の左手をブンブン振りながら、ミユキが言う。まさか、

この旅行中に一緒に入る事になるとは思わなかったからね

~。でも、ちょっと楽しかったな…。


「恥ずかしかったけど、嬉しかったよっ!」


僕も同じく思ってる。しっかし…、今でも脳裏にミユキの

胸が焼きついているので、あまりミユキの顔を見られない。

気恥ずかしいし、変に意識しちゃうし…。


「ヒビキのも、見ちゃったしねっ!」


さっきから、何度と無くこのフレーズを叫んでる。人が誰

も居ない山道でよかった。他の人が聞いたら、確実におか

しな奴等だと思われてしまう。


「私のも…、見えちゃった?」


ちょっと恥ずかしそうに聞いてくる。タオルを洗い場に置

いてそのまま入ってきたんだから、さすがに視界には入っ

たよ。じっくりは見れなかったけど…。


「あっ、もうナオト君の別荘が見えてきた~!」


ホントだ。僕は昔から不思議に思うのだけれど、帰りより

も行きの方が遠く感じる。同じだけ歩いてるのは間違い無

いんだけど…、感覚としては全然違うよね。


「ただいま~!」


ミユキが大きな声を出しながら扉を開けた。僕も続けて入

り扉を閉める。やはり温泉の効果は絶大なのだろうか?

全然、湯冷めしてない。


「おかえり~。遅かったのね?」


融けそうな位リラックスしてるミクが声を掛けてくる。

ソファに寝っ転がって、お菓子をバリバリ食べながら、

テレビを観てる。


「おっ、帰って来たか!」


ナオトが2階から下りてきた。何でお前等は別々に居たん

だ?何をしていたんだかわからないだけに、二人の表情を

読んでみる。


「温泉、気持ち良かったよ~!」


ミユキがテーブルの上にあるお菓子を食べつつ切り出す。


「ナオト君達は何してたの?」


二人共、何も答えない。何かあったのだろうか?二人の

顔を見ると…、ミクはいつもと同じ顔をしているが、ナ

オトの方が若干苦い顔をしてる。


「何か…、あった…?」


ミユキが聞くが、ミクは微動だにせずテレビを観続けて

いる。ナオトは何か言いた気な…、でも、何も言えない

ような表情のまま動かない。


「何にも無いわよ~」


ミクが答えるが、これはきっと僕とミユキに言った言葉

では無く、ナオトに言った言葉なんだろう。瞬間、ナオ

トの表情が微妙に歪む。


「ね~、ナオトっ!」


ミクの言葉がナオトを突き刺す。一体、お前等に何があ

ったんだ?いや、何も無かったと言っている訳だし…。

どうしたんだろ?


「ゴメンな。ホント、何でも無いから…」


ナオトが僕とミユキに向かって頭を下げる。僕等が温泉

行ってる間にケンカでもしたのか?せっかくの楽しい旅

行なのに…。


「温泉はどうだったの?」


ミクが話題を変えてきた。ミユキがさっき言ったように、

気持ち良かったのは確かだが…。あと、またも貸切だっ

た事をミユキが伝える。


「えっ、もしかして、ホントに、混浴しちゃったの?」


ミクがびっくりして尋ねてくる。ナオトも驚いた表情で

1歩、2歩とこちら側に近づいてきた。僕はミユキが何て

答えるのかを楽しみに待っている。


「うん…」


正直に言うパターンでした。まっ、事実を曲げる必要も

無い訳だから。おっ、ミクとナオトが固まってる。相当

驚いたみたいだ。


「ミユキちゃん…、スゴイね…」


ミクが心底感心したように呟く。昼真っから冗談では言

えてたものの、実際に僕とミユキが混浴をするなんて、

全く想像していなかったのだろう。


「お前等…、スゴイな…」


多分、ナオトの呟きの中にも、さっきのミクと同じ思い

が盛り込まれているのだろう。人間、想定外の事が起き

るとあまり言葉にならないのかもしれない。


「ヒビキのは、大っきかった?」


ミクがいつもの調子を取り戻してきた。ニヤニヤしなが

ら僕とミユキの顔を交互に見る。僕の表情が変わらない

のを見てとると、ミユキに再度攻撃を仕掛けてきた。


「ヒビキのって、どれくらい?」


ミユキに手で大きさを表させるように仕向ける。ミユキ

は真っ赤な顔をしながら俯いている。それでもしつこく

ミユキに聞き続ける。


「ミク、しつこいぞっ!」


ナオトが突然大きな声を出す。ナオトの大きな声なんて

聞いたのいつ以来だろ?って位レアな出来事なのだ。

そんなに怒るような事態じゃ無いと思うが…。


「ナオトには、関係無いじゃないっ!」


ミクが応戦し始めた。ミユキがどうしてよいのかわから

ず、オドオドし始めてしまったので、僕が慌てて間に入

り二人の息が落ち着くのを待つ。


「ナオト、勇気無いんだもんっ」


落ち着きを取り戻したミクが話し始める。せっかく二人

っきりになれたのだから、ミクがイチャイチャしようと

ナオトに近づいて行ったらしい。


「まだ、早いと思って…」


ナオトが顔を伏せたまま呟くように話す。だから、僕等

が帰って来た時別々に居た訳か。でもさ~、それって、

お互いの両想いを確認出来たって事にもなるんじゃねーの?


「ミクさんとナオト君…、愛し合ってるんだ…」


ミユキが素直に口にする。僕もそう思います。お前等は

どう思う?強めの視線を、まずはナオト。そして、次は

ミクに突き刺す。


「うん…」


うっ、二人同時に頷くとは…。なんかドラマの一場面み

たい。あれっ?いつの間にお前等見詰め合ってるの?

ミクはともかく、ナオトの頬までほんのり赤いし…。


「でも…」


ミユキが思いつめた表情をする。


「私達も負けてないからっ!」


床に座ってる僕に向かって、ミユキがダイブしてきた。

避けられないし、受け止められない。そのまま、ぐちゃ

っという音と共に僕は潰される。


「ね~、ヒビキっ!」


僕の上に乗っかったまんま、ミユキが大笑いしている。

それにつられて、ミクもナオトも大笑いしている。やっ

とさっきまでの4人に戻ったな。僕も微笑もうとする…。


が、苦しくてうまく笑えない。ミユキさん…、早くどいて…。


少年~41~


「ふぁ~あ…」


ミユキが大きなあくびを一つ。気が付けば、もう11時を

まわってる。もうちょいで今年も終わりなんだな~、と

感慨にふけってみる。


「ふぁ~あ…」


ナオトとミクもつられてなのか、同時にあくびを一つ。

今日は朝も早かったし、いっぱい遊んだから眠くなるの

も当然なのだろう。


「そろそろ…寝よっか?」


限界が近いのだろう。ミクがみんなに切り出した。ナオ

トやミユキを見てもギリギリで起きてる感が満載。ちな

みに僕は夜型人間なので…。


「でも、もうちょいで年が明けるからな…」


ナオトがあくびを噛み殺しながら言う。そうなんだよね。

後、数10分起きてれば4人で年越しを祝えるのだ。でも

僕以外の3人を見てると、そんな事言えない。


「よしっ、何かして遊ぼうっ!」


半分眠っていたミクがソファから飛び起きる。年越しま

で起きてる覚悟が出来たのだろう。こうなったからには

ナオトもミユキも付き合うしか無い。


「あっ…」


ナオトが天を仰ぐ。


「面白いもんがあったんだ。今、取って来る」


何かを考えながら、2階に上がっていった。何か気にな

る感じだったな…。そんな気しない、という視線をミク

とミユキにぶつけてみるが、反応無し。


「これなんだけど…」


トランプみたいなカードを持ってきた。中を開けてみる

が、見たことの無い絵と文字が描かれている。トランプ

でもタロットでも、他のカードゲームでも無さそうだ。


「何か…、運命を変えられるカードらしいんだ…」


タロットの類だね。僕はそういうの全く興味が無いし、

何より信じていないので興味を示す事は出来ないが、ミ

クとミユキは確実に食いついたらしい。


「どうやんのっ?」


ミクがナオトを急かす。ナオトもよく知らないらしく、

ノソノソと付属されている説明書を読み始める。え~、

やる気になっちゃったんだね…。


「未来を占うんじゃ無く、運命を変えられる、

って書いてある」


ミクとミユキの目の色が変わっていく。僕は…、バカバカ

しいな~。だって、誰にでも運命を変える力があるに決ま

ってる。こんなカード使わなくてもね。


「誰から…やるの?」


ミユキが恐る恐る、といった感じで聞いてくる。小学校の

時、知り合いに付き合わされてコックリさんをやった時の

感覚に似てる。その時もバカバカしかったけど…。


「ヒビキ…」


3人が一斉に僕を見る。思い出した。コックリさんをやっ

た時もそうだった。こういう得体の知れない物は、一番怖

がっていない僕にまわってくるのだ。


「じゃあ…、はいっ!」


ミクが手に持っていたカードを僕に押し付ける。やり方、

わからないんですけど…。カードを手にしたままボーッと

していると、ナオトが説明し始めた。


「まず、その束の中から1枚引いてくれ」


何の躊躇も無く、1枚引いてみる。実際にやってる僕より

も、ミクやミユキの方が緊張しているみたい。もちろん、

ナオトの表情も強張っている。


「それを伏せたままソコにおいて、もう1枚引いてくれ」


僕はまた、何の躊躇も無く、もう1枚引いてみる。一応言

っておくけど、僕はこういうの全然好きじゃ無いんだよね。

でも、時間潰しの余興だと思えばいっか…。


「ヒビキの右側にあるのが、これからのヒビキの運命で、

左側にあるのが、それとは正反対の運命らしい…」


どういう事?僕の運命がこんなカードに集約されていると

でも言うのだろうか?こりゃ全く意味がわからんぞ。んで

この後どうすりゃいいんだ?


「まず、右側のカードを開けてみてくれ…」


これまた何の躊躇も無く表にしてみる。何だこりゃ?絵と

いうか、模様というか、何とも表現しずらいカラフルな物

と、象形文字みたいなのが書いてある。


「それの意味は…」


こんなものに意味があるのか…。


「時計らしい…」


何それ?


「時間を司る神の印だってさ。このカードを引いた人間は

時間という概念から外れられる唯一の人間らしい…」


ミクとミユキがウンウン唸ってる。唯一の人間って…、他

の人がこのカードを引いたら唯一じゃ無いじゃん。だから

こういうの嫌いなんだよね。訳ワカランし…。


「あっ!!!」


ミユキが時計のカードを指差しながら大声で叫んだ。僕も

目を向ける。あれっ、さっきより色が薄くなってる?ミク

もナオトも食い入るようにカードを見る。


「消えていってる…」


ミクが、信じられない、という表情と共に言葉を漏らす。

確かにそう見える。どんどん色が薄くなっているのだ。

どんなトリックが仕込まれているんだ?


「消えた…」


ナオトが溜息まじりに言う。ホントに消えたのだ。それも

カードに描かれている絵と文字が消えただけでは無く、カ

ード自体が消えて無くなってしまった。


「何なの?これ…」


ミクが言うが、いや~、ワカラン…。物理的に起きるはず

の無い事が目の前で起こったのだから。どうにかトリック

を暴こうと思うのだが、多分無理。


「消えた…」


ミユキがもう一度言う。寒さのせいでは無く、若干震えて

いるのが見て取れる。ナオトやミクの顔も真っ青というか、

真っ白になってる。


「何か怖い感じがする。もうヤメようよ…」


ミユキが言う。もちろん、続行を口にする者など居るはず

も無い。怖くは無いが、不思議な感覚がこの部屋の空気中

に溶け込んでいってる感じ。


「ちなみに…、左側のカードを開いた瞬間に今までの運命

が終わって、新しい運命が始まるってさ…」


何が起きるか、ちょっと見てみたい。僕が左側のカードを

開こうと手を伸ばした瞬間…、ミユキのボディーアタック

が僕に炸裂する。


「バカッ!開いちゃダメッ!」


マンガみたいに、ムギュッって言っちゃった。


「ナオト君、早くしまって!」


僕はもう何の抵抗も出来なくなっていると言うのに、僕の

顔に身体を押し付けながら言う。苦しい…。ナオトでもミ

クでもいいから、早く助けて…。


「こんなの、もうやらないっ!」


ミユキが叫んで、やっと僕が開放される。


少年~42~


「しっかし…、何だったんだろうな?」


皆が一段落した後、ナオトがゆっくり話し出す。ホン

トに何だったんだろうね。ミユキもミクも本気で怯え

てたからね~。


「もう…、あのカードの話はヤメよ~よ」


ミクが提案し、皆が受け入れる。でも、実際カードを

使ったのは僕な訳で、何かおかしな事が起こりうると

したら、僕になるんじゃないのか~?


「ヒビキ、もう忘れよ~っ!」


ミユキが言うが、どっかで自分じゃ無かった事をホッ

としている節がある。ミクとナオトもね。僕は昔から

こういう損な役回りになる事が多いな~…。


「あっ、カウントダウンが始まるっ!」


ミクが叫び、4人とも視線がテレビに移る。いろいろ

あったし、幕切れなんて凄まじいものがあったけど、

そんな今年も終ってしまうのね…。


「10」


そういや、今年の初めはミユキと初詣に行ったんだっ

たな~。思いっきり寝坊して、1時間以上も遅刻したの

だが、何故か同時に待ち合わせ場所に出くわしたのだ。


「9」


バレンタインデーは、生チョコが入ったスイートポテト

を作ってくれたんだった。これね~、相当イケるよ。

熱々でも、冷々でも、美味しかった~。


「8」


3年生になってすぐに花見に行ったね~。でも、僕は花

粉症持ちなので、鼻はグズグズだし、目は真っ赤だし、

体力激減してたけど。。。


「7」


5月の連休は遊園地に行ったね~。僕が得意じゃ無いジ

ェットコースターに無理無理乗せられて、気持ちが悪

くなった思い出が…。


「6」


今年の梅雨はホントに雨が多かった。外に出て遊べない

からって、カラオケばっか行ってた気がする。声が枯れ

てまでも唄ったな~。


「5」


夏休みは、珍しくミクとナオトともう一人忘れちゃった

女の娘と、河原へバーベキューなんぞに行ったな~。後

片付けをしないで、ミクにキレられた気がする。


「4」


そうだ。誘われてシブシブ付き合ってやったバスケット

ボール大会で、ナオトが足を骨折したのがこの頃だ。

その後、1ヶ月位松葉杖生活だったよね。


「3」


今年は芸術の秋よっ、ってミユキが言うから、美術館巡

りをしたな~。絵画や彫刻なんかを観て周ったけど、

全く興味を持てませんでした。


「2」


クリスマスはやっぱ良い想い出になったよね。今ん所、

生涯最高のクリスマスを過ごせた事は間違いない。

ミユキ、あんがとね。


「1」


ミクとナオトが付き合いだし、僕とミユキと共に旅行を

するなんて全く想像のつかない事だった。でも、そんな

現実の中に僕達は居る。


「ハッピーニューイヤー!!!」


ミクとミユキが同時に叫ぶ。テレビの中でもタレント達

が大騒ぎしている。また新しい年が始まったのだ。今年

はどんな年になるのだろう?


「今年もヨロシクねっ!」


ミクが、僕を見て、ミユキを見て、最後にナオトをじっ

と見ながら繰り返す。こちらこそヨロシク、の意味を込

めてニッコリ微笑んでみる。


「今年の目標は~…」


突然質問形式でミユキがナオトに聞く。全くと言ってい

いほど予測の出来ない空気にナオトが戸惑っているのが

手に取るようにわかる。


「ミクと…、もちろん、ヒビキやミユキとも仲良しで

居ることかな…」


照れながら、頭を掻きながら、ナオトが言う。


「私はモチロン、ナオトが言った事もそうだけど、

将来の道標を見つける事かな~…」


ちょっと真剣な眼差しで、ミクが言う。


「私は、ヒビキと結婚するっ!」


ミユキが宣言する。僕等は苦笑い。


「ヒビキは…?」


3人の視線が僕に集まる。でも、いつものように僕は何

も答える気は無いし、実際答える事はしない。僕の曖昧

な笑顔が全ての答えなのだ。


「ずっと、このままでいいのに…」


ミユキがしんみりと言う。


「でも、このままじゃいられないんだよな…」


ナオトが寂しそうに言う。


「寂しいけど、しょうがないよ。時間は過ぎて行く

んだから」


ミクが決意に満ちた目で言う。


「ヒビキはどうなるんだ?」


さっきのカードの意味を思い出したのだろう。ナオ

トが不思議そうに聞いてくる。僕だってわからないよ。

でも、時間の概念から外れる、だったっけ…?


「私、もう限界…」


突然、ミユキがソファの上に突っ伏す。


「俺も…」


ナオトの目がいつもと違っちゃってる。


「私も、ダメだわ…」


ミクの目が開いていない。


「そろそろ寝ようぜ…」


ナオトの一言で、2階に上がる準備を始める。


「んじゃ、また明日ね~。っつうか、今日か」


ミクが欠伸をしながらヒラヒラと手を振ってきた。

僕とミユキもヒラヒラで返す。僕もだんだん眠くなって

来たな~。


「ヒビキ、ゴメン。私もう限界…」


部屋に入った途端、ベットに向かってダイブしたミユキ

の最後の言葉がそれだった。5秒後にはスースー寝息が

聞こえてくる。


僕も、寝よっと…。


少年~43~


「おはよ~…」


ミクがほとんど開いていない目を擦りながらのそのそと

1階に下りて来た。ナオトが一緒じゃ無い所を見ると、

彼はまだ夢の中なのだろう。


「あ~、いい匂い…」


台所にあったコーヒーメーカーを勝手に使って、コーヒ

ーを入れておいたのだ。もちろん、自分の為にね。僕は

大分前から一人優雅にコーヒーブレイク中です。


「飲んでいい?」


もちろん、の意味を込めて今年最初の笑顔をミクに向け

る。朝イチのコーヒーって目が覚めるし、何よりすっご

く美味しく感じるからね~。


「ヒビキは早起きね~…」


コーヒーを入れたカップを丁寧に持ちながら、ミクが僕

の隣に腰掛けてくる。っつうか、もう8時過ぎてるし少

なくとも早くはねーだろ?


「な~んか、昨日はすぐ寝ちゃった」


ミクだけでは無く、みんなギリギリの表情のまま寝室に

上がっていったから、それも当然か…。僕は布団の中で

ゆっくり一年を振り返ったけどね。


「みんな遅いね~」


の~んびりとした感じでミクがコーヒーをすすりながら

言う。一年の計は元旦にあるらしいから、他の2人もそ

ろそろ起きてくりゃいいのに。


「こうして、ヒビキと二人っきりでじっくり話すのって、

久し振りじゃない?」


言われてみればそうかもね。僕等はいっつも3人もしく

は+αで遊んでるからね~。ましてや、ここ最近はミク

とナオトの2人で会ってる方が多かったし。


「私さ~…」


何やら深刻な気配を醸し出してきた。正月早々おかし

な相談してくんじゃねーぞ。でも、無下にイヤな顔を

出来ない所が僕の悪い所。


「ナオトと付き合ってていいのかな~?」


お前等は2人して同じような悩みを抱えているのね。

えっとね~…、知らね~よ!そういうのは2人で解決す

る問題でしょ?


「な~んか、昔の方が楽しかった気がするのよね…」


昔って…、言うほど前の話じゃ無いでしょ。恋人同士

になったら、そういうモヤモヤしたものも抱え込まな

きゃいけないものなんじゃない?


「ヒビキの事だから、笑って何も言ってくれないんだ

ろうけど…」


上目遣いにそんな事言ったって無駄。自分達で解決し

ろ、の意味を込めて微笑んであげる。ミクはそんな僕

を見てフ~ッと溜息をつく。


「ヒビキみたいになりたいな~…」


僕にしたら、ミクの方がよっぽど魅力的な人間だと思

ってるけどね。でも、僕はこういう事言われるのは慣

れてしまっている程多いのだ。


「おはよ~」


ナオトがゆっくりと階段を下りてきた。ミクの表情が

一瞬固まり、いつもの表情に戻っていく。そういう所

がミクのいい所だよ。


「お前等、早いな~」


だから、早くねーっつうの!ナオトも含めて、皆が遅

すぎるんだって。でも、まだミユキが寝ているので2

人にあまり強くは言えない…。


「俺もコーヒー飲もうっと」


やっぱいっぱい作っておいて良かったらしい。みんな

がコーヒー好きなのを覚えてる辺りが僕のいい所。っ

てそんなん当たり前か…。


「みんな、早いね~」


ナオトがリビングに腰を下ろした瞬間、ミユキがのん

びりと下りてきた。だ・か・ら、お前等が…、って

もういいや…。


「みんなコーヒー飲んでるの?私ミルクにしよっと」


手際よくミルクを鍋に移し、コポコポと音を立て始め

る。ミユキが寝巻きまんまの所を見ると、完全なる起

き立て状態らしい。


「昨日は楽しかったね~」


熱々のミルクをフーフーしながら、ミユキがリビング

にやってくる。やっと全員が揃ったね。もうすぐ9時

だけど…。


「今日はどうするの?」


こういう時に予定を人任せにする所がミユキっぽい。

でも、このメンバーならそうするのが当然。僕もミク

かナオトが決める物だと思ってるし。


「帰るの遅くなっても大丈夫だろ?」


ナオトの問い掛けに皆頷く。


「私、ここ行きたいっ!」


ミクが観光ガイドを指差しながら言う。すっごく怪し

げな美術館ですね…。ナオトとミユキを見ても、苦々

しい顔をしている。


「じゃあ、どこがいいのよ!」


おっ、一瞬にして皆の心を読んだ上にキレやがった。

ミクさん、あなたの選択はそんなに正しく無いのだよ。

その美術館のどこが面白そうなの?


「早く他の所決めなさいよっ!」


どんどん熱していく…。


「私もその美術館がいいな~…」


ここでミユキが一言。ミクが、ほらね!という表情と共

に僕やナオトを見る。ミユキのナイスフォローのおかげ

でミクの機嫌が直ったらしい。


「決定ね!じゃあ、早く行く用意しよう!」


ミクはせっかちなのだ。


「モタモタしてたら、置いてくよっ!」


ミクがスタスタと2階に上がっていった…。なんて自由

な人なのだろう。僕とナオトは苦笑いし、ミユキはビッ

クリしたまま2階へ向かう。


「お待たせ…」


さっきの騒ぎから30分後、ミユキが大きな荷物と共に階

段を下りてきた。よく頑張った。いつもはこんなに用意

が早くないのを僕だけが知っている。


「じゃあ、しゅっぱ~つっ!」


ミユキが座る余裕すら与えず、ミクがドアからズンズン

出て行く。まず追いかけたのがナオト。そして、ミユキ

の荷物を持ちながら僕。そして最後にミユキ。


「もう、開館してるよ~!」


別にいいじゃない。逃げるもんでもねーんだから。

なんで元旦の朝からチャカチャカ動いて、よくわかんねー

美術館を目指さなきゃなんないのだ?


「ヒビキ…、なんか不満でもあんの?」


おわっ、見つかった。こういう所がミクの怖い所。常に

アンテナを張り巡らせてるヤツはこれだから困る。苦笑

いにならないような笑顔で首を振る。


「楽しみ~!」


ミクさん…。あなただけだって…。


少年~44~


「ツマンナカッたわね~」


美術館を30分程で出てきた僕等の沈黙を破ったのは、

ミクの一言だった。その言葉に誰一人答えるでもなく、

ただ歩き続ける。


「あ~あ、時間ムダにしちゃった~」


ミクさん。あなたが行きたいって騒いだから観に来たん

だよね~?みんな思ってはいるが、最終的に同意した手

前何も言えない。


「私は…、ちょっと楽しかったよ」


ミユキ、今はそんなフォローしない方がいい。ますます

空気が悪くなっていくから。楽しくなかった。その意見

だけは4人一致しているのだ。


「ちょっと早いけど、メシ食いに行こうか?」


ナオトが気分を変える手段を思いつく。そうだよ。朝メ

シも食わないで動き始めたから、みんなお腹空いてるよ

ね?だからこんな気分なのかもしんないし。


「ここなんか良くない?」


ミクがガイドブックを指差す。丼専門店みたいだね。こ

の辺はブランド牛が多いらしいから、美味しいステーキ

丼が食べられるかも。


「賛成!」


ミユキが大きく手を挙げる。僕にしても、ナオトにして

も今回は反対する理由は無い。みんなで了解の合図をミ

クに投げかける。


「そんなに遠くないと思うのよね~」


ミクのそんな呟きと共に、若干軽くなった足取りでその

お店へ向かい歩き出す。雪が混じる道を20分程歩くと、

駅前に戻りお店に到着。


「私、この特製ステーキ丼にするっ!」


ガイドブックを見て、すでに決めてあったのだろう。

ミクがいち早く決める。残された僕等はメニューと格闘

し始める。


「俺、このビフテキ丼にしようかな?」


ナオトが決める。ステーキ丼とビフテキ丼…、何が違う

のだろう。どっちも同じ物を指し示しているような気が

してならない。


「ヒビキはこの厚切り牛丼にしなさいよっ!」


ヒマを持て余してたミクが僕のメニューを決めやがった。

でも、考えるのがメンドクサクなってきたので素直に頷く。

っつうか、この3つ何が違うんだ?


「私、カツ丼にする…」


ミユキが悩みに悩んだ挙句、決めた。せっかく牛が美味

しいっつってんのに…。でも、ビーフカツかもしんない

しここはツッコまない。そしてオーダー。


「私のが一番に来た~」


ミユキのカツ丼が運ばれてくる。見たところ、何の変哲も

無い普通のカツ丼。早くも一口頬張ったミユキの一言を後

の3人が待つ。


「トンカツだ~」


何でここまで来て、普通のカツ丼を食うのだ。だから、牛

関係の丼にしときゃ良かったのに。でも、美味しそうに食

べてるから、いいのかもしんない…。


「私達のも来た!」


ミクのステーキ丼に続いて、ナオトのビフテキ丼、そして

僕の厚切り牛丼が出てくる。上に乗ってる肉の切り方がマ

チマチだが、ボリューム・色合い共に一緒だ…。


「硬いな…、この肉…」


頑丈な歯を持っているナオトがこんな事を言い出すなんて

珍しいね。どれどれ、僕も一口。ん~、硬いし全然和牛の

味がしない…。


「私は嫌いじゃないけど…、これ絶対和牛じゃ無いよね?」


ミクの言葉にナオトが頷く。バカ舌だと皆から噂されてる

僕ですら、そんな気がしてならない。…にしても、もうち

ょい美味しく調理できるんじゃねーの?


「美味し~」


ミユキだけが楽しそうに食を進めている。周りに流されず

マイペースで生きる事こそ、幸せへの近道なのかもしれな

い。そんな事を本気で考えてみる。


「この漬物は美味いな…」


ナオト君、フォローになってない。


「お味噌汁もまあまあだよね…」


ミクさんも、フォローになってない。


「美味しかった~」


ミユキが完食。とても幸せそうに食後のお茶を楽しんで

いる。カツ丼にすれば良かったな~、と思っているのは

僕だけでは無いはず。


「ごちそうさま…」


続いて、ミクが完食。美味しく無い物でも、ちゃんと全

部食べきる所がミクのいい所。表情はミユキと対照的で

も同じ位の分量がお腹に入ってる。


「俺は、もういいや…」


ナオト、ギブアップ。嫌いな物をシャットアウト出来る

のが、ナオトのいい所。でも、隣でミクがすっごい嫌そ

うにナオトが残した丼を見てる。


「ヒビキ、もうちょっと頑張れっ!」


ミユキが不必要な声援を僕に贈って来たので、止まりか

けていた箸を止める事が出来なくなってしまった。顎が

疲れてきたが、もうちょいだ…。頑張れ、僕。


「ヒビキ、やるじゃんっ!」


食べきった僕に、ミクが賞賛の声をかけてくれる。いや

~、こんなに口が疲れるメシを食ったのは初めてかもし

れない。いい経験したよ。


「それじゃ~、お土産見に行こうよっ!」


ミユキが珍しく先頭を切る。やっぱ充実した食事をした

人間の方がアグレッシブになれるものなのかもしれない。

若干お腹が苦しいけど、この店に長居は無用だ。


「やっぱ、おまんじゅうかな~?」


結構なボリュームの丼を食べた直後だというのに、すぐ

に次の食べ物の事を考えられるというのは、ホントミユ

キへの尊敬に値する所だ。


「これは私へのお土産!」


ミユキが、在り来たりのお菓子を手にして叫ぶ。それっ

てココじゃ無くても買えるんじゃないの?もっとご当地

っぽいものにすればいいのに…。


「ヒビキはこれ買いなさいよっ!」


さっき昼飯選びで失敗しているミクが、リベンジのつも

りなのか僕にポッキーの那須味を渡す。那須味ってどん

な味だよ?


「ナオトはこれっ!」


続いてミクが見つけてきたのは、ポテチの那須味。だか

らさ~、那須味って何味だよ?最近の土産はわけわから

ん物が多すぎる。


「ミユキちゃんは…」


ミクが那須高原風味の牛乳をケースから出そうとした所

をナオトに制せられる。風味って…。観光客をバカにす

るのもいい加減にしろよ…。


「私、これにしよっ!」


那須の牧場で作った生チョコレートを手にしてる…。

ミクさん、自分だけマトモな物を買うのはヤメなさい。

そして5個って…買いすぎだろ…。


少年~45~


「この、ガタンゴトンって音が旅って感じよね~」


帰りの電車の中、みんなフワ~っとしてる所でミクが声

を出した。なんとなくだが、その感じはわかる気がする。

ミユキとナオトもウンウン言ってる。


「大分暗くなってきたな~」


ナオトが窓の外を見ながら言う。なんだかんだ結構遊ん

でいたのね。多分、後10分もすれば真っ暗になるはず。

まだ、ここら辺りでは街灯も少ないし。


「な~んか、あっという間に時間過ぎちゃったね…」


ミユキがちょっと寂しそうに言う。ナオトやミクの表情

にも若干の物悲しさが浮かんでる。そういう僕も、もう

ちょっと遊んでいたかったな…。


「物足りない位が丁度いいのよ」


ミクが哲学的な事を言い出す。でも、確かに間違った事

は言っていない。腹八分目みたいなイメージを持っても

らうとわかりやすいのかもしれない。


「そうだな、また来たくなるしな…」


ナオトもミクの言葉の意味を理解していたのね。そうな

のだ。あまり満足し過ぎると、また次も、って気になり

にくいのは皆一緒だよね?


「夏休みにまた来ようよっ!」


ミユキの提案に皆難しい顔で答える。今年の夏に夏休み

はあるのだろうか?僕達は学校を卒業した後、どんな道

を歩んでいくのかもわからないのに…。


「そっか…、みんなは進路どうするの?」


ミユキの言葉に明確な答えを出せる人間は僕等の中には

居ない。その時が楽しけりゃいい、という生き方をして

いた僕等に、いきなり将来設計を立てるのは難しい。


「決めてない…、って言うか、決められないのよね…」


ミクの言葉に僕もナオトも頷く。このまま時間が止まれ

ばいいな~、なんて事を本気で考えてしまう位、将来に

ついて何にも考えていないのだ。


「でもさ…、また夏にこのメンバーで来ようぜ!」


ナオトが全てを吹っ切るように言う。そうだよな。来よ

うと思えば、いつでも来れるはずなのだ。時間があるか

無いかではなく、作ってしまえばいいのだから…。


「そうだね。また来よう!」


ミクの目を見ると、意思と願望と不安が入り混じってい

る目をしている。わかるよ。イヤって程、わかる。でも

その不安が取り払われる時なんて来るのだろうか…?


「って言うか~、もう一泊しても良かったよね~」


そんな不安を掻き消すかのように、ミクがすっごく楽し

げな声で言う。僕やナオトもウンウンと微笑む。ミユキ

も何か言いたげな表情してるが…。


「私…、もう一泊だと思ってたの…」


ミユキの一言に、えっ?という表情が3人重なる。そう

言えば…、僕がそう言ったのかもしれない…。でも、何

で僕はそう言ってしまったのだろう?


「ヒビキ…、そう言って無かったっけ?」


記憶にございません…。いや…、あります…。


「ヒビキッ~!」


ミクとナオトの声がステレオで僕にぶつかる。ゴメンな

さいの意味を込めて、手を合わせ照れ笑いを浮かべてみ

るが…、やっぱ簡単には許してくれないよね?


「私の聞き違いかもしれないし…」


ミユキちゃんのフォロー。自分の事よりも人の事を最優

先に考えられる所が、ミユキのいい所。これでやっと2人

の冷たい目から開放される…。


「でもさ~、すっげー楽しかったな~」


ナオトがこういう事を口にするのはとても珍しい。普段

はあまり自分の感情を表に出す方では無いのだが、多少

なりとも興奮を覚えているのだろう。


「私も、こんな楽しい年越し初めてだった!」


これまたミクにとっては珍しい、素直な発言。いつもは

嬉しい事や楽しい事があっても、皮肉の一つでも言わな

いと気が済まない人なのにね。


「私も楽しかった…。誘ってくれてアリガトね」


ミユキがいつものように素直な感想を口にする。なんだ

かんだ言っても、そんなに面識の無かったミクやナオト

と一緒だったのはプレッシャーもあったのだろう。


「こういう時、ヒビキから何か一言あると場が締まるん

だけどな~…」


ナオトが僕を見るが、僕にその気が無いのを皆知ってい

る。僕、そういうの嫌いだもん。全ての意味を込めて、

楽しげな微笑を返す。


「予想通りのリアクションねっ!」


ミクの一言に、全員が思わず吹き出してしまう。皆思っ

てる事が一緒ってのも面白いし、そんだけ気が合うメン

バーって思うと、すごく嬉しい気がする。


「でも、そこがヒビキのいい所だからな~」


ナオトが言う。さすがに付き合いが長いと、こういう時

のフォローは完璧にこなしてくれる。そうだよね。それ

が僕のいい所だよね~。


「いい所なのかしらねっ!」


ミクの吐き捨てるような言い方にミユキが爆笑。ナオト

が苦笑い。僕は若干悲しい気持ちになる。いい所じゃ無

いのか…。


「でも、ヒビキはずっとこのままなんだろうね」


良くも悪くも、そうなのかもしれない。僕はこのまま変

わるつもりも無いし、ましてや変われるなんて思った事

は一度も無いし。


「あっ、もうすぐ到着するね」


ミユキの言うとおり、後20分程で電車は止まる事だろう。

窓の外はすっかり今年最初の夜が満ちている。楽しかっ

た旅行も終わりに近づいているのだ。


「どうする?どっかでメシでも食ってくか?」


祭りを終らせたくないのだろう。ナオトがミクを始めと

して皆に問いかける。僕的にはどっちでもいいけど、や

っぱちょっと疲れたから帰りたいかも…。


「今日は…、帰ろう」


ミクが言う。ただ単に帰る提案をしたのでは無く、何か

内に秘めた物を静かに爆発させたかのような言い方に聞

こえた。


「現実に…ねっ!」


精一杯の痩せ我慢といった表情でミクが腹から声を出す。

しかし、ミクのいう通りなのだ。この旅行を含め今まで

見ていた夢から、現実に帰らなくてはいけない時期が来

たのだ。


「もう着くね…」


ミユキの寂しそうな声を共に、電車がホームに入ってい

く。ナオトは皆の荷物を下ろし始め、ミクとミユキは食

べていたお菓子やらを片付けている。


「忘れ物は大丈夫か?」


ナオトが一通り荷物を皆に渡した後、確かめるように聞

いてくる。大丈夫そうだ。皆、持ってきた荷物はちゃん

と持ち帰ってきたみたい。


「あるけど…大丈夫」


ミクの言葉にナオトとミユキが不思議そうな顔をする。

僕は…、軽くミクに微笑みかけてみる。ミクの言いたい

事を理解できたのだ。


「うん…」


ミクがそっと僕に微笑み返す。わかってる。ミクはわざ

と忘れてきたんだよね?それで、いつか取りに行く日を

楽しみに待つ事にしたんだよね?


少年~46~


「たまには家に居たらどうなのっ!」


しまった。こんなに静かに玄関を出ようとしたのに、こ

んなにもあっさりと見つかってしまうとは…。どんだけ

耳がいいんだよ?


「あまり遅くなるんじゃないわよっ!」


最近もう諦めが入っているのか、そんなにお小言を貰う

事が無くなった。ウチの親も歳を取った証拠なのか…、

何だか気味が悪いな…。


「グッドタイミング~!」


僕が玄関を出ると、丁度良いタイミングでミユキが話し

かけてきた。若干息を切らせている所を見ると、ミユキ

も丁度今到着したのだろう。


「すぐに出発しようよっ!」


ミユキが僕が押しながら歩いて来た自転車の後部座席に

乗ろうとする。いくらなんでも、ミユキを先に乗せたら

まともに発車できる自信が無い。


「冬休みも今日までなのね~」


相変わらず、僕の背中にミユキの胸がくっ付く乗り方を

しながら寂しそうにミユキが呟く。そっか…、明日から

学校が始まるのか…。すっかり忘れてたな…。


「あ~あ…、もっと休みが長ければいいのに…」


ん~、僕も今ミユキが言った事を思ってた。でも、どん

なに長く休んだとしても、休みが終る時には今と同じ気

分になるもんなんだけどね…。


「それなら、もっとヒビキと一緒に居れるのにねっ!」


ミユキの唇が首の裏っかわに当たって、ちょっとくすぐっ

たいし、ゾクっとした。でも、学校始まっても大抵の日は

一緒に居るじゃん。


「旅行楽しかったね~」


ここ数日、ミユキと会うと必ず言う言葉がこれ。ミユキに

とって、あの年越しの旅行は相当思い出深いものになった

ようだ。


「また、行きたいね~」


そして次に続く言葉も必ずこれ。でも、わかる。僕にとっ

てもすっごく楽しいイベントだったから。また、あのメン

バーで行ければいいって思ってるのはミユキも一緒。


「ナオト君やミクさんと、あれから話した?」


首を横に振る。あの旅行以来、遊ぶどころかLINEも全く

していないのだ。2人から連絡が来ないのは、2人で遊んで

るからだと思っているのだが…。


「あの2人はどう思ってるんだろうね?」


あんだけテンションの上がったミクやナオトを見たこと無

い自信があるから、あの2人にしても相当楽しかった事は

間違いないはず。


「変な事、言ってイイ…?」


いきなりミユキのトーンが変わった。深刻な話や自分にと

って面白くない話をする時は、この声の感じになるのだ。

嫌な予感が辺りの空気を支配する。


「一昨日、ミクさんを見かけたの…」


それで?


「ナオト君じゃ無い男の人と一緒だった…」


ん~…。でも僕だってミクと2人で街をブラブラすること

位普通にある訳だし、ミユキが想像しているような不安な

事は何も無いんじゃないかな~?


「腕組んでたのよ?」


僕もミクと腕くらい組んだことあるぞ。でも、それは、僕

がミクにとって特別な友達だからであって、僕やナオト以

外の人と腕を組むミクの姿は想像できない。


「それに…、チューしてたよ…」


こりゃ、ミユキが深刻に話す訳だよな。さすがに僕だって

ミクとチューはした事無いもん。ミクとナオトの関係はど

うなっているのだろう?


「何でだろ…?」


何でだろ…?旅行のときだって、ミクが時々嫌な感じでナ

オトを見てたけど、そんな大騒ぎするような問題なんて、

一個も起きなかった訳だし…。


「ヒビキ、何とかしてあげて…」


それは無理、の意味を込めて、信号待ちの間にミユキの方

に振り返ってじっと見つめる。こういうのは誰かが何とか

できるものでも無いし、しちゃいけない。


「わかってるけど…」


ミクとナオトに何があったのかは知らない。でも、ミクと

ナオトに何かあったのは間違いないのだろう。近くに居て

やれるわけでも無いし、出来る事は何一つ無いはず。


「私ね…、あの旅行でしか遊んで無いけど、ずっと4人で

仲良く出来たらイイな、って思ってたの…」


僕も同じ事思ってるけどね。でも、少なくともナオトとミ

クのどちらかは、そうは思っていなかった訳だ。そりゃ、

それぞれの想いがあって当然だけど…。


「とりあえず、明日学校で聞いてみてよっ!」


僕が?ミクに聞くの?それともナオトに聞くの?そもそも

何を聞くの?ミユキが興味本位で言ってるんじゃないのは

わかってるけど…ね~?


「お願いっ!」


ミユキが、ミクやナオトを本当の友達と認めた証なのだろ

う。目に涙を溜めて、必死で2人の事を心配している。

しゃーない、何とか動いてみるか…。


「あっ、あそこっ!」


ミユキがでっかい声を挙げて僕を止める。ミユキの指差す

方向に目を向けると、あっ、ミクがいる。そしてミクが腕

を絡めている男を僕は知らない。


「ねっ!」


ミユキの言葉を信じて無かった訳じゃ無いんだけど、こう

して目の当たりにすると、意外にも心臓がバクバクした。

知らなきゃよかった事実、って感じ…。


「困ったな~…」


ミユキが何を困っているのかは知らんが、僕も同じ事を呟

いてしまいそうだ。ここ数日のうちに、世界を取り巻く色

が変わってしまったような気さえする。


「あっ…」


また、何か見つけたのか?慌ててミユキの指差す方向を見

るが、特に誰も居ない。んっ?見たことの無いケーキ屋さ

んが出来てる。


「お茶しよっ!」


そうだな…。心労が重なった時は甘い物を食べるのは身体

に良い気がする。チャリンコを店に横付けすると、ミユキ

がいち早く店内へ駆け込む。


「考え疲れちゃったから、2個食べていい?」


好きにしなさい。僕は1個で充分だけど…。


「おいし~!けど、明日お願いね」


口の中を甘さがすり抜けて行く。あんまし味がわかんない

んだよな~。ケーキも紅茶も水も、大して変わらない味に

感じるのだ。


「おいし~」


明日…、どうしよ…。


少年~47~


「ようっ、ヒビキ」


足取り重く校門を通り過ぎようとした瞬間、ナオトから

声を掛けられた。一瞬身体がビクっとしちゃった。昨日

ミユキから頼まれ事をしてる訳だし。


「旅行ん時は、お疲れなっ」


ナオトがいつものような調子で話を続けてくる。ってい

う事はナオトが原因でこんな空気が漂ってるんじゃない

って事だけは間違いないようだ。


「んっ、どうした?」


勘の鋭いヤツだ。僕の表情がいつもと違うのをいち早く

察知したのだろう。ここで感付かれると後々厄介になる

可能性が高いので、別に、の笑み。


「ミユキはどうだったって?」


旅行の話を続けてきたな。すっげー楽しかったらしく、

あの後会う度にまた行きたいって言ってるよ、の意味を

込めて微笑ましい表情を返す。


「俺もまた行きたいもんな」


やっぱりな。コイツは純粋に旅を楽しみ、今も純粋に今

を生きている。って事はミクの方が何かを変えてきたの

だろう。


「変な事、聞いていいか?」


イヤだ。


「旅行の後、ミクと連絡取ったか?」


イヤ、取ってない。っつうか、お前の方こそ毎日でも連

絡取り合ってるんじゃねーのか?怪訝な表情をナオトに

ぶつけてみる。


「連絡取れないんだよ…」


ナオト曰く、電話に出ないだけでは無く、LINEの返

信も無いし、家に言っても留守ばっかりらしい。あの旅

行以来連絡を取り合っていない訳か…。


「今日はさすがに学校来るよな?」


イヤ、知らないけど…。心配してんな~。心なしかこの

数日の間に痩せたような気さえするよ。ナオト、身体壊

したりしてねーか?


「今日会って話そうと思ってな…」


そうだな。ちゃんと話した方がいい。っつうか、どんな

事態になっているのかは既にもう見失ってるんだけど、

それでも話す事は必要だという位はわかる。


「どうなんだろ?俺達…」


ナオトは何をどこまで知っているんだろう?僕やミユキ

が昨日目撃したような状況を知っているのだろうか?イ

ヤ、そうは思えない…。


「ミクが何か隠してるような気がするんだよ…」


隠し事の一つや二つ、誰にでもあると思うのだが、それ

とこれとはレベルの違う問題なのだろう。僕がここで言

うべき事など一つも無い。


「ヒビキ、何か知らないか?」


言わない。


「ミユキは何か知らないかな?」


だから、言わないし、ミユキにも言わせない。


「あっ、もうこんな時間か…」


時計を見ると、後数分で授業が始まる時間になってしま

っている。この時間までミクの姿を見ないという事は、

今日は休みを取ったようだ。


「今日の帰り…、ヒビキ、時間ある?」


イヤだな~。ナオトのこの聞き方でロクな目に会った事

無いんだもん。この展開を考えると、ミクに会いに行く

のに付き合わされるのか?


「一緒にミクの所に行ってくんないか?」


ビンゴ!イヤだな~。でも、数少ない友人の一人である

ナオトをここで放っておく訳にはいかないし…。しゃー

ないから付き合ってあげる。


「ホント、恩に着るよ…」


恩になんか感じなくてよいけど、僕が行く事によって逆

に話が大きくなったりしないか?こういうのはあくまで

当人同士で解決すべきだと思うが…。


「それでさ…」


んっ?


「俺、どうしたらいいんだろ?」


知らねーよ!お前等の問題に僕を巻き込むのはヤメなさ

い。僕に何のアドバイスをしろと言うのだ?僕の意見を

聞いて参考にするような事じゃ無いだろ?


「ゴメン…、怒んなって…」


僕の目がキツくなったのがわかったのだろう。ナオトが

謝る。怒ってはいないけどさ~、ナオトはもうちょいし

っかりしなきゃいけないんじゃ無いのか?


「慣れてないんだよ…」


お前との付き合いもある程度長くなってきてるから、知

ってる。でもさ~、もうちょいシャキッとしろよ。学校

の憧れの的ナオトっぽく無いぞ。


「ところでさ~…」


んっ?


「ヒビキとミユキは上手くいってんのか?」


当然、の意味を込めてじっと見てやる。僕の視線に耐え

られなかったのか、すぐに目を逸らした。ナオトは僕等

の安定感を羨ましがってるのかもしれない。


「いいな~」


人の事羨ましがっても、何も始まらないと思うが。だか

ら僕は足りない物だらけで生きて行ってても、誰かの事

を妬んだりしないで済んでる。


「ミユキもいい娘だしな~」


知ってる。お前よりも知ってる。


「授業が始まるな…」


チャイムが鳴り、砕け切っていた空気が一気に緊張感を

増して行く。この緊張感が学校生活の中で一番に無駄な

物な気がしてならない。


「じゃあ、放課後よろしくな」


そう言い残してナオトが自分の机へと向かって行った。

やはり、ミクの机にミクの姿は無い。ミクよ…、一体お

前に何が起こってしまったのだ?


「それじゃー、授業を始める前に…」


さ~僕の人生の中で本当に必要な事をこの教師から教わ

る事などあるのだろうか?断言してもいいけど、絶対に

無い。


「冬休みは…」


教師の無駄話が続く。さ~て、とりあえず今日の放課後

ナオトに付き合ってミクに会いに行くが、会ってくれる

のだろうか?今後の展開が全く読めない…。


少年~48~


「後で職員室に来なさい」


教室を出て行こうとした教師から、コソっと声が掛かっ

た。この教師が授業以外で僕に話しかけるなんてとても

珍しい。そういえば…、あっ!


「とうとう来たな…」


いつの間にか、僕のすぐ横に立っていたナオトが僕に声

を掛けてきた。あの事だよね…?という視線を送ると、

黙って頷き返してくる。


「俺も新しい情報、何も持ってないんだよ…」


ナオトはナオトでとても忙しかったのわかってるから、

大丈夫、の意味を込めて精一杯強がった微笑みを返す。

ふ~、んで、どうなったんだろ?


「ミユキも呼ばれたのかな~?」


そうだ。ナオトに言われて気付いたのだが、まず最初に

ミユキと話をしなければならない。今後の打ち合わせが

てら、次の授業はボイコットするかな…。


「今年一発目の授業をサボるのか?」


やっぱマズイかな~?ナオトが怪訝そうな表情で僕を見

ているが、緊急事態につきここは時間を作るしか無いと

判断したのだが…。


「わかった。ウマく言っといてやるよ」


助かるよ、ナオト君。さ~て、では早速ミユキを探しに

行くとするかな。今日は一緒に登校して来なかったけど

教室行きゃ居るだろ。


「ヒビキっ!」


教室を出た途端、声が掛けられた。この声は…、んっ?

ミクじゃん!いつの間に学校来てたんだ?ミクとじっく

り話をしたい所だが、今は時間が無い。


「そこでミユキちゃんに聞いたんだけど…」


ミク曰く、やはりミユキも職員室に呼び出されたらしい。

ミユキから一通り呼び出された経緯を聞いた上で、僕の

所に辿り着いたみたい。


「ただね…、ちょっとおかしな感じになってるのよ」


どういう意味でミクが言っているのかが、全く掴めない。

今年に入って状況が更に悪化したという事を言いたいの

だろうか?


「なんて言うか…、風化したって言うか…」


ミクが調べた所によると、休み前に若干盛り上がってい

たこの話題について、教師が確認した所、事実確認が一

切出来なかったらしい。


「って事は、ヒビキやミユキちゃんが呼ばれたのは、

最終的な無実確認みたいなのよ」


何じゃそれ?僕もミユキも、確認など全くされていない

のだが、どこでどういう風に事実が誤認されて行ったの

だろうか…?


「まっ、実際聞いてみない事には何とも言えないけどね」


何じゃそれ?な~んかよくわからんな~。とりあえず、

このまま放置して置いても何も前に進まなそうだから、

ミユキと一緒に職員室へ行ってみるか…。


「後で、報告しなさいよっ!」


モチロンだとも、良き友よ。ミクにしても、自分等の事

でゴタゴタしているはずなのにも関わらず、こうして僕

等の為に動いてくれているのだ。


「じゃあ、後でねっ!」


ミクが教室に入ってしまった。きっと今から教室の中で

は、ナオトとミクによっての話し合いも始まるのだろう。

どっちかというと、そっちの方が気になるが…。


「ヒビキ~」


ミユキがノソノソと近付いてきた。実は既に授業が始ま

ってる時間になっているから、大声出す訳にも全速力で

走る訳にもいかない。


「ミクさんから聞いたよ~」


ミユキが情けない声を出してる。ミクから話を聞いたの

ならば、もっとドーンと構えててもいいと思うが。大丈

夫だって、の意味を込めて笑い掛ける。


「一人じゃ行きたくないから…、今から行く?」


うん。なるべくミユキに不安を感じさせないような雰囲

気を醸し出す。とっとと行って、とっとと片付けてしま

いましょう。


「失礼しま~す…」


ミユキが声を掛け、僕を先頭に職員室へ入ってく。授業

中にも関わらず、何でこんなに一杯の教師が机に座って

いるんだ?


「こっちに来なさい」


奥の方に陣取っている教頭を筆頭とした、生活指導軍団

が僕等を待ち受ける。うわ~、さすがに迫力ありますね。

若干圧倒されるが怯んでる場合では無い。


「早速だが、用件はわかっているね?」


なんでコイツ等ってこんな威圧的な態度で生徒と接する

事しか出来ないんだろう?とっくにバカのレッテルは貼

ってるけど、自分等で気付けないのだろうか…?


「それで…、どうなんだね?」


何がだよ?言葉を端折りやがって…。こういう奴等と口

利くのイヤだな~。でもここでダンマリを通す訳にもい

かないので…。


「噂になっているような事は、全くありませんっ!」


僕が息を吸った瞬間、ミユキが言い放った。ここまで、

ハッキリと嘘をつける娘だったっけ?ミユキって。おっ

教師軍団がホッとした顔してるぞ。


「本当ですか?」


疑ってんのか?コイツら。でも、ミユキが嘘をついてる

のを知ってる僕としては、そりゃ疑って当然という気も

しているが、そのリアクションは何なのだ?


「事実無根なのは、こちらも調査済みなのです」


んで?


「つまり、君達は噂の被害者という事になります」


だから?


「噂を流した人は、後日特定をして何らかの罰を与えな

ければならないと思っています」


それで?


「以上です、教室へ戻って下さい」


こんだけの人数の教師が雁首並べて、時間を費やしてや

る事がこれだけなのかい?お前等になんて何の期待もし

てないけど、お前等…スゴイね…。


「良かった…よね?」


職員室からちょっと離れてからミユキが聞いてきた。

今日のミユキさんはとても頑張りました。グッジョブ、

の意味を込めて、横から軽く頭突きしてみる。


「イタッ、エヘヘ…、嘘ついちゃった」


嘘も方便という、日本に古くから伝わる美風習があるで

はないか。変に混乱を招く必要は全く無し。これで全て

が解決するのなら、それでよしなのだ。


「でもこれで安心してまたヒビキと行けるねっ!」


朝っぱらから楽しげにする話題か~?でも、安心したの

かミユキの表情も明るくなってるし、僕もホッしてる。

こんな結末でホント良かった~。


「じゃあ、授業に戻ろうっ!」


油断したのだろう。授業中だと言うのにドタドタと廊下

を走って行ってしまった。あっ、3組の教師に怒られてる。

でも、そんな光景すら今は微笑ましい。


少年~49~


「大丈夫だったか?」


せっかくなので、1時限目の授業は丸々サボってしまっ

た。休み時間に入り、トボトボと教室に入って行くと早

速ナオトから声が掛かる。


「っつうか、噂の方が抹殺されたみたいだな」


ナオト君はどんな情報網を持っているの?ほんの数十分

前に、それも職員室で起きた出来事の詳細をどうやって

手に入れたのだろう?


「事実は違うんだけどな…」


ナオトが皮肉な笑いを僕に浴びせてくる。だからどーし

た。真実が必ずしも事実として認められる訳では無いし、

きっとその方が少ないものなのだ。


「でも、良かったじゃん」


そうだな。去年のクリスマス後はどーなる事かと思った

けど…。どっかのバカ女のせいで、無駄に心労してしま

ったぜ。


「写真部の奴だったっけ?チクるか?」


写真部の奴だったっけ?全然覚えてないや。でも、チク

ったりするのも面倒だから、このまま放っておくよ、の

意味を込めて首を振る。


「ヒビキらしいな…」


わかってる。そして、ナオトもわかってるくせに言って

んな~。こんな問題大きくしても仕方無いし、何より真

実が他に存在してる訳だし。


「ところでな…」


そうだよ。こんな終わった事はそのうち時間の有り余っ

た時にでも話せばいいのだ。今はそれ以上にやらなけれ

ばならない事があったのだ。


「ヒビキっ、大丈夫だったの?」


ミクが僕の頭をハタいてきた。ん~、ミユキと同じ位の

パンチ力を持ってますね。多分だけど、昔の記憶が1個

飛んでった気がする。


「良かったじゃないっ!」


ナオトが簡潔に説明してくれた。ミクも心配してくれて

たんだもんね。感謝してます。でも、そろそろ話題を変

えて行かねば…。


「ミクは…、どうしてたんだよ?」


ナオトが勇気を振り絞った声で、ミクに尋ねた。ミクは

一瞬だけ曇った表情になったが、すぐにいつもの顔を取

り戻す。


「ちょっと、忙しかったのよ」


ミクはいつもの調子で返す。曇った表情をナオトには見

せていない。かと言って、ナオトが納得できる返答じゃ

無いってのも事実。


「何が忙しかったんだよ?」


再度、ナオトが問い詰める。ナオトは本気の目をしてい

る。ミク、ナオトがちゃんと納得できるような答えをし

ないとダメだぞ、の意味でちょっと睨む。


「別に何だっていいじゃんっ!」


そんな大きな声出さなくても、僕もナオトもこんなに近

くに居るじゃない。それに、そういう態度は何かを隠し

てる事バレバレだぞ。


「良くねーよっ!」


だから、ナオトももうちょいボリュームを落としなさい。

ほら、クラスの皆がこっちを見てるよ。とりあえず、こ

んな所でする話題じゃ無いし、外へ出よう。


「それで、ナオトは何が言いたいのよ?」


学校近くの喫茶店で話す事になった。授業中なのでお客

は僕達だけだし、店員はおばあちゃんだから話しやすい。

ミクの突き放すような言い方にナオトが怯む。


「お前の事、心配してんだろ?」


それは多分、僕もミクもわかってる。やっぱこういう時

に直球勝負するのは難しいんだろうね。お互い探りを入

れながら話してるのがミエミエ。


「わかった、ありがとね~」


ミクがあっさりと話を終わらせようとする。ミク、そう

いう態度は人を追い込むのだぞ。ナオトがいくら優しい

奴だからっていきなり噛まれる事だってあるんだぞ。


「お前な~…」


やばい。ナオトがプルプル震え出した。そりゃそうだよ。

本気で好きな娘の事を心配してんのに、当の本人からそ

んなあしらい方されたら、誰だってこうなる。


「もういいよ、別れましょ」


おいおい。ミクさん、今何言ったのか判ってんのか?

自分で問題の種を撒いておいて、その話もせずに別れを

切り出す、ってのはフェアーじゃ無い。


「何でだよ?」


そりゃ、聞くわな。別れを切り出されて理由を聞かない

奴なんて見たこと無いもん。ミク、お前にはナオトに話

す義務があるはず。


「別に、もういいじゃない」


もういいかどうかは、ミクが決める事ではなく、ミクと

ナオトの2人で決めることでしょ?そんな突き放し方をし

ちゃいけない。


「いいわけ…無いだろ?」


我慢に我慢を重ねているナオトが振り絞るように言う。

どんな事実であれ、ナオトには聞く権利があるのだ。

でも何でここまで頑なに拒否るのだ?


「好きな人が出来たのっ!」


ミクが叫ぶ。あっ、コイツ嘘ついてる。僕だけが知って

るミクの癖。ミクが嘘をつくときに必ずやる仕草がある

のだ。


「何なんだよ…、それ…」


ナオトががっくり肩を落とす。ミクはそっぽを向いたま

ま黙ってる。僕は…、なぜミクがそんな嘘をつこうとし

ているのかわからないまんまでいる。


「そういう事だから…、じゃあね!」


ミクが席を立つ。そしてナオトはそれを止めない。かと

言って僕が止める訳も無い。ミクの姿が完全に消えてし

まった後でナオトが呟く。


「ヒビキ…、何なんだこれ?」


わからないよ。僕にもナオトにもわからない。もしかし

たら、ミク自身もわかってないのかもしれない。でも、

少なくともこのままじゃいけない。


「俺…、フラれたのか?」


うん。でも、ミクは何かを隠している。そしてそれを隠

したまま、ナオトに一方的に別れを告げたのだ。今僕等

がしなければならない事は明確。


「これから、どうしよ…」


どうするも何も…、ナオトが気付いて無いのであれば、

僕1人でミクが隠してる事を暴くしかないのね。しゃー

ない、ここは一肌脱ごうじゃない。


「あ~あ…」


ナオトが途方に暮れてる。目の前で途方に暮れてる人を

見るなんて初めてだ。こういう時は何て声を掛けてやれ

ばいいのだろう?


「俺もうちょっとここに居るから、ヒビキ帰っても

大丈夫だよ…」


そっか…。ゴメンな、何も言ってやれなくて。でも、僕

に任せておきなさい。ヨリが戻るかどうかは別として、

必ず事実を見つけ出すから。


「後で、連絡するよ…」


数少ない友人の落胆っぷりを見るのは、気分の良いもの

では無いね。精一杯優しい微笑みと共に、手を振って僕

も店を出て行く。


さ~て、ミクと連絡取ってみっかな。


少年~50~


「やっぱ、ヒビキにはバレてたのね」


ナオトと別れてからすぐにミクを捕まえ、駅前のマック

でお話中。僕と2人になってから、ミクも大分リラックス

しているみたいだ。


「ヒビキに嘘つけないのは、わかってたんだけど…」


言い訳するようにミクが呟く。それでもつかなきゃいけ

ない嘘ってのは何なのだ?ナオトの事をどう思っている

のだ?聞きたい事は沢山あるが、今はミクの言葉を待つ。


「どこから話せばいいんだろ…」


どこからでも構わない。全然まとまってなくても構わな

いから、言ってみ。そしたら、ミクの心も軽くなるはず

だから。


「この話、ナオトはもちろん誰にも言わないって約束

してくれる?」


了解。真剣な目つきをミクに突き刺し、しっかりと頷く。

僕がこういう風に真剣な目をする事が少ないってわかっ

てるミクはすぐに話し始める。


「まず…ナオトの事…今でも好きだよ…」


やっぱそうか。ミクが、そう簡単に人を好きになったり

嫌いになったりしない娘だって知ってたからこそ、おか

しいと思ったんだもん。


「でも、こうするしか方法が思い浮かばなかったの…」


好きな男と、そしてそいつと付き合っているにも関わら

ず自分から別れを告げなければならない現実など、存在

するとは思わなかったはず。


「お腹の中にね…」


ん?


「赤ちゃんが居るの…」


泣くわけでも無く、笑うわけでも無く、ただそこを眺め

ながらミクは言った。ミクのお腹に赤ちゃんが居る…。

その事実がイマイチ僕の中に入ってこない。


「ナオトの子じゃ無いの…」


何も見てないようで、全てを見ている。何も考えていな

いようで、全てを悟りきっている。これが…、母親とし

ての自覚であり、強さなのか?


「だから、別れなきゃいけなくなったの…」


その部分に迷いは一切無いようだ。だから、こんなに強

くなってるのか。ナオトを傷付けても、僕等が離れて行

っても、見えない力がミクを支配するのかもしれない。


「誰の子か…、聞かないの?」


僕が聞いたってしょうがない。興味としては聞きたい気

もするが、そんなレベルで聞いてよい話では無いと思っ

てる。でも…、知り合いかもしんないしな…。


「ヒビキ達の知らない人だよ…」


そっか…。僕等がミクの事を何でも知ってる訳じゃ無い

のはわかってても、何故だかモヤモヤした物が残ってし

まう。人間の勝手なエゴだな…。


「去年の秋まで付き合ってたんだ…」


僕等とも遊んで、その人とも付き合って、忙しい毎日を

過ごしていたのね…。いや~、ミクが誰かと付き合って

たなんて、想像すらしてなかった。


「その人と会うのに忙しくて、ナオトと会えなかった

んだ…」


昨日見かけた男がミクのお腹の赤ちゃんの父親って事な

のだろう。結構楽しそうに歩いてたように見えたし、あ

る意味問題は無いのかもしれない。


「ナオトの事はもちろん好きだよ。でも、今の私に他の

選択肢がある訳無いの…」


ん~、わかる。ミクの判断が間違ってるなんて誰にも言

える筈が無い。ナオトにとっては天災のような出来事か

もしれないが、誰にもどうする事も出来ない。


「ナオトには…、ヒビキから言ってもらえないかな?」


言い辛いのは痛いほどわかる。でも、僕の口から伝えら

れて、ナオトは納得できるだろうか?本当はミクとナオ

トで話すのが良いのだろうが…。


「お願いします」


ミクが初めて僕に敬語を使った。本当なら気持ちが落ち

着くまでナオトと会いたくなかった筈なのに、僕の為に

今日登校したミクの為に僕が出来る事はコレしかない。


「ありがと…」


僕が決意に満ちた表情で頷くと、ミクが心の底から言っ

た。でも、落ち着いたら一度ちゃんとナオトと話さなき

ゃダメだよ、の意味を込めてミクを見つめる。


「いつか…、ナオトにちゃんと話すから…」


ちょっとホッした表情でミクが言う。大丈夫、お前なら

ちゃんと話せるよ。だって、僕が認めてる数少ない人の

内の1人なんだぜ?


「ナオト…怒るかな~?」


いつもの表情に戻りつつあるミクが聞いてくる。どうな

んだろうな?怒るというよりも、単純に悲しむんじゃね

ーのかな?


「あ~んなに良い人、傷付けちゃったな…」


確かにナオトは傷付いたよな。でも、それ以上にミクの

心の傷が深いのはわかってる。フラれるよりも、フる方

が辛いのだ。


「でも…、私には勿体無い位の人だったし…」


僕はそうは思わない。ミクとナオトはお似合いだったと

今でも思ってるし。ミクは自分自身を説得する為に、い

ろんな言葉を捜しているみたい。


「いつか…、またみんなで遊びたいな…」


な~んか寂しい言い方だな…。大丈夫だよ。今回の事が

全て片付いたら、また前みたくバカ騒ぎしに行こう。ミ

クとナオトとミユキと僕で。


「ミユキちゃんとも仲良くなれそうだったのに…」


そうか…。僕はミユキにも報告しなきゃいけないのか。

でも何て言おう?正直に言うにはミクのプライベートな

話が多過ぎる。


「ヒビキ達は、大丈夫なんでしょ?」


おうよっ!とりあえず、危機らしい危機も今の所全然無

いしね。み~んな、もっと平和に、もっとシンプルに生

きられたら楽なのにな…。


「ところでさ…」


んっ?


「もう一個…」


んんっ?


「相談してもイイかな…?」


ん~…。イヤな予感満載の言い方をしてくれるね~。

この席で、ダメっ!って言えるほど、僕は強い人では無い

のです。


「実はね…」


はい…。


「堕ろせって言われてるの…」


後は終息を待つだけだと思っていたこの話は、実はここか

ら始まるのか…。ここまで来たら、トコトン付き合ってや

るしかない。


さぁ、いくらでも聞いてやる。


少年~51~


「赤ちゃん居るってわかったのは、旅行から帰って来た

日だから、元日ね…」


ゆっくり言葉を選ぶように、ミクが話し始めた。心当た

りがあったのだろう。すぐに自ら悟ったらしい。それと

も母親としての第六感なのかな…?


「可能性があるのは元カレしか居なかったから、すぐに

連絡取ったの…」


そういう意味では父親を特定出来たのは素晴らしい。こ

れで父親探しから始めたら、それこそ取り返しのつかな

い状況にも成りかねないし。


「それで、次の日会うことになったの…」


もしかしたら、その辺りでミユキがミク達を目撃したの

かもしれない。でも、腕組んだり、チューしたりって事

はどういう事なんだろう?


「嫌いで別れた訳じゃ無いから…」


ナオトに気持ちを向けようとしてる時に、嫌いになって

いない元カレと会ったら…、それもナオトと付き合って

一週間程度で…、しゃーないのかもしれない。


「最初の数日間はね、妊娠の事言わなかったから、ヨリ

を戻しに来たと思ったみたい…」


そっか。でも、ミクに心当たりがあるって事は、その元

カレにも心当たりがあって当然じゃ無いのか?でも…、

いきなり妊娠を告げに元彼女が来るとは思わないか…。


「それでね、昨日の夜に、ちょっと遊んだ後に言ったの。

赤ちゃんが出来た、そしてあなたの子だって…」


今なんて比にならない位の勇気を振り絞ったんだろうな。

なるべくしてなった事なんだろうけど、そういう状況っ

てイマイチ現実的に想像出来ない。


「そしたら…、嘘だろ?、だって…」


イヤな男だ。でも、大抵の男は発するか発しないかの違

いはあるにせよ、同じ事を思うのだろう。僕にしても、

多分思ってしまう気がする。


「それで…、ホントに俺の子か?、だって…」


わかっちゃいけないのだが、わかる。現実を直視出来な

いのもあるのだが、それが現実だとしても理解したくな

いのだ。しかし、理解しているのだ。


「頷いたら…、ちょっと考え込んで…」


そりゃそうだろ。僕等位の年齢でこの問題に即答出来る

奴なんて居るわけない。ミクの苦しさをそのまま受け止

めるようなものだし。


「堕ろしてくれ、だってさ…」


ミクはこの問題について、既に涙を使い果たしたのかも

しれない。もしくは、絶対に泣かないって決めているの

かもしれない。ミクの目は強い力に支配されている。


「何で?って聞いちゃった…」


ミクは…、産みたかったんだろう。でも、相手の言葉の

理由も理解できたのだろう。だからこそ、そういう抽象

的な言葉しか出てこなかったに違いない。


「そしたら、育てらんないだろ、って…」


確かに、現実的に考えればその男の言う事は正しい。し

かし、産みたいと思っているミクからすれば、そんな理

不尽な事は有り得ないはずなのだ。


「ゴメンな…、って言葉だけ言って帰っちゃった」


その元カレも、どうしたら良いのかわからなかったのだ。

とりあえず、出来る事があるとすれば…、その場から逃

げ出す事だけだったのだろう。


「この赤ちゃん…、産んじゃダメなのかな?」


まだペッタンコのお腹を擦りながらミクが問い掛けてく

る。僕に出せる答えなんて一つも無いよ。でも…、その

赤ちゃんには産まれてくる権利がある気がする。


「ヒビキ…、私どうすればイイの?」


わからない…。ここでミクの感情に流されて、産む方向

に話をしてやる事は出来るが、実際産めるのか?実際育

てられるのか?わからない…。


「私…、産みたいよ…」


泣かないって決める事など出来るわけ無い。ミクの目に

見る見る内に涙が溢れ、止め処なく流れていく。ミクは

最初から産むと決めていたのだろう。


「赤ちゃんに…、会いたいよ…」


一瞬、僕がその子の親になってやる!と叫びそうになる。

でも、それを言った所で何の解決にもならない。ミクの

想いを尊重してあげたいが…。


「あっ」


ミクの携帯電話がプルプルと震え出した。元カレから…

と一言僕に断って電話に出る。何度かウンウン頷いた後

電話を置く。


「今から、ここに来るって…」


じゃあ、もう僕の出る幕は無いのね。ホント役立たずで

ゴメンな。そしたら僕は帰るから、後はゆっくり元カレ

と話すと良い。


「お願いっ!ヒビキも一緒に…」


うわっ、こういう役回り多いな~。完全な第三者の僕な

んぞが居て、話がまとまるとは思えないが…。でも、そ

う言われたら帰る訳にはいかない。


「こんにちは…」


ミクの元カレがやってきた。昨日見たのと同じ男だが、

こんなに顔色悪かったっけ?って位、おかしな顔をして

るし、目にクマが出来てる。


「ヒビキさん…ですね?」


僕の知らない所で、僕の名前が勝手に飛び交っているみ

たいだ。こんな感じで自分の名前が売れていく、ってい

うのは抵抗あるのだが…。


「お立会い頂き、ありがとうございます」


ちゃんと挨拶の出来る人間だね。少なくとも、これで君

に対して悪意を持たずに話が出来るよ。変な色眼鏡で見

てしまうと、大怪我する可能性があるし。


「ミク…、ゴメンな。でも、やっぱり産めないよ。費用

は全部俺が持つから、堕ろしてくれっ!」


元カレは頭を下げたまま、ミクの返事を待っている。ミ

クにしたって、はいそうしましょう、とは言えない問題

なのだ。ミクがふ~っと溜息をつく。


「私一人で産む、一人で育てる、もう、決めたからっ!」


ミクが元カレに決別宣言とも取れる言葉を突き刺す。元

カレの方は全く頭を上げる気配が無い。泣いているのか、

それとも笑っているのか…。


「もういいよ、帰って、もう連絡しないから」


ミクがずっと元カレを見ながら話しているというのに、

元カレは顔を上げた途端、何も言わず店を出ていってし

まった。責任感の無いヤツ…。


「良かったのかな…?」


ミクが聞いてくるが、僕に答えなんて出せる訳無いし、

ミクが必要としている答えが出てくるのはずっと先の事

なのだろう。


「良かったんだ…、赤ちゃんに会うって決めたんだもん」


決意するって素晴らしい。今のミクの気持ちさえあれば

どんな困難にも打ち勝てる気がする。もちろん僕等も全

力で応援するしね。


「胸のモヤモヤが消えた…」


ミクは今、新たなスタートを切ったのだ。もうすっかり

涙は乾き、晴れ晴れとした表情をしている。こんなに美

しい娘を見た事が無いって位、素敵だぞ。ミク!


「ヒビキ、ありがとね…」


気にすんな。もっとフテブテしくしてる方がミクっぽい

しね。な~んか僕も自然と笑みがこぼれてしまう。頑張

れよっ!の意味を込めて、ん~、って笑ってやる。


「ヒビキ、大好きっ!」


知ってる。僕もミクが大好きだぞ。みんなにも協力して

もらって、何とかミクの赤ちゃんと会おうではないか。

さ~て…、何からすれば良いのだろう?


あっ、ナオトとミユキに報告しなきゃ…。


少年~52~


「珍しいメンバーだな…」


ナオトが店に入ってくるなり、僕とミユキの顔を見なが

ら言う。用件はわかってるはずだから、とりあえず、と

いった感じの言葉なのだろう。


「ミクの事…だよな?」


コーヒーを注文してから、ナオトが切り出す。今日はナ

オトとミユキに報告しなければならない。ミクの了解を

取っているので、全て話す事が出来るが…。


「それで…ミクは何て?」


どこから話せば良いのだろう?結論から先に言ってしま

うか、序章から徐々に進めて行くか。考えてもしゃーな

いけど…、何て言えば?


「もしかして、ミクさん妊娠してる?」


ミユキが不意に聞いてきた。何て勘のいい女なんだ。

隠すことも、その必要も無いので、できるだけ表情を変

えないように、頷く。


「ミクさんのお腹に置く手を見たときに、そうかな?っ

て思った瞬間があったのよ…」


ミユキが信じられないけれどといった表情で言う。そり

ゃ驚くのも当然だよな。ナオトにいたっては、思考回路

が停止してしまったように呆然としている。


「相手は元カレ?それで、堕ろしてとか?」


頷く。ミユキにしたら、やはり女の娘だからミクの事も

他人事とは思えないのだろう。怒りに満ちた表情のまま

僕の答えを待っている。


「それでも産む、って事?」


矢継ぎ早にミユキが捲くし立ててくる。しかし、どうや

って答えて良いものかは難しい。ナオトは相変わらずフ

リーズしたまま。


「ちょっと!ヒビキっ!」


ミユキがドンドン興奮していく。ミクに直接聞けないな

ら僕に当たるのは当然。ミユキの気持ちは痛い程わかる。

昨日のミクも同じような気持ちでいたのかもしれない。


「ミクの…、元カレって…、誰だよ?」


ナオトが顔を上げた。怒りに満ちた表情をしている。で

もこの言葉は僕に向けられたものではない。僕が知って

いたとしたら、とっくにナオトに言っているからだ。


「連絡取れないのか?」


僕にしても昨日会っただけだし、今後会う事も無い人だ

ろうから、連絡取るなんて無理に決まってる、の意味を

込めて、眉を顰める。


「ゴメン…、ヒビキは知らないよな…」


ナオトは自分の中でこの数々の問題を消化させようと、

必死で考えている。いくら考えても解決しないとわかっ

ているのにも関わらずだ。


「でも、そんな元カレの話よりも赤ちゃん産むって方が

問題じゃない?」


多少落ち着きを取り戻したミユキが建設的な事を言う。

そうなのだ。逃げた元カレを今更見つけ出し、制裁を加

えた所で何も始まらないし、何も終わらないのだ。


「なんで、ミクは産むんだよ…」


ナオトが頭を抱える。若干声が震えているようだが、さ

っきまでの興奮状態からは脱したようだ。でもそれは、

ミクが決める事だからな。


「私は女だから、わかるよ」


ミユキが静かに言う。少なくとも望まれない子では無い

のだ。自分のお腹に宿った子供をどうして堕ろす事が出

来るのか?その方がミユキにしたら疑問なのだろう。


「私だったとしても、やっぱ産みたいもん…」


ミユキはミクの肩を持っている訳ではない。心の底から

そう思っているのだろう。そうなったら、父親が誰とか

いう事は、問題にはならないはず。


「ナオト君も堕ろした方がいいと思うの?」


ミユキの言葉がナオトに突き刺さる。ナオトは何も言え

ない。言えるはずが無い。自分の好きな娘が自分じゃ無

い奴の子を身籠っているのだ。


「わからないよ…」


ナオトが言う。わかる筈が無い。ところで今、ナオトの

ミクに対する気持ちはどうなているのだろう?今でもま

だ好きなんだろうか?


「ナオト君は、ミクさんの事好きじゃ無くなっちゃった

の?」


ミユキが純粋に問い掛ける。ナオトが瞬間、あっという

表情を見せる。自問自答する事、数秒。意を決したよう

に話し始める。


「好きだよ。でも、こんななっちゃってどうすりゃいい

んだよ?」


僕等にそれを聞いてしまうのか。それはナオトが決める

事だ。僕等が決めてあげられるような事では絶対に無い。

迷うのはわかるけど…。


「ミクは俺じゃ無い奴の子を妊娠してるんだぞっ!」


ミユキに食って掛かるのを何とかなだめる。ミユキはミ

ユキで一歩も引かず、ナオトを睨み付けている。お前等

がケンカしてどうするよ…。


「じゃあ、放っておきなさいよっ!」


ミユキが正論で返す。が、こういう時には正論が通用す

るなんて事は無い。ミユキはわかってて言ってる。ナオ

トもわかってて言い返す。


「放っておけるかよっ!」


このままだと時間ばかり過ぎてしまう。ところで、ミク

はどうなのだろう?今、ナオトに好きだと言われてどう

答える?答えられないよな…。


「今からミクと会って、話してくるっ!」


ナオトが店を飛び出しそうになるのを、僕が必死に止め

る。今、ナオトとミクが会った所で何も進展しない。も

っと自分の考えを煮詰めてからにしなさい。


「ミクさんの事が本当に好きなら、ミクさんが今何を求

めてるか考えてよ…」


そうなのだ。僕やナオトなんかより、今のミクの気持ち

がわかるのはミユキなのだ。ミクはどうしたいのだろう?

本当に一人で産み、育てるつもりなのか?


「ミクさんには旦那さんが居ないし、産まれてくる赤ち

ゃんには父親が居ないのよ…」


このままだとミユキの言った事が現実のものになる。か

と言って、あの逃げた元カレを説得しようなんて、誰一

人思ってはいない。


「ナオト君っ!」


ミユキの一言にナオトの目の色が変わる。何かを決意し

たような、とても強い目をしている。あっ、昨日ミクが

してた目と一緒だ…。


「俺が父親になる…」


消え入るような小さな声でナオトが言う。でも、その言

葉の力がこの空気を、僕等3人を…、いや、ミクも合わ

せた4人を支配して行くようだ。


「今、わかったよ…」


ナオトは自分の人生を、今決めようとしている。そして

ミクの数奇な運命まで背負い込もうとしている。それを

曲げる気は一切無いという覚悟で…。


「ミユキ…、アリガトな」


ナオトの言葉にミユキが頷く。もしかしたら、ミユキに

はこうなる事がわかっていたのかもしれない。ナオトを

決心させたのはミユキの一言だったわけだし。


「ヒビキ…」


ナオトが何か言おうとするが、僕は視線で制する。今は

何も言わなくていい。何も言わなくてもこんなに気持ち

って伝わるものなんだな…。


「今から、ミクに会ってくるよ」


今度は僕もミユキも止めはしない。後はナオトの頑張り

が、ミクの心を動かせるかどうかに関わってくるから。

頑張れ、の意味を込めて拳を差し出す。


「後で連絡するよ」


僕の拳に自分の拳を合わせてナオトが行ってしまった。

僕とミユキは微笑みながらナオトを見送る。きっとこれ

で良かったんだろう。


「良かったね」


ミユキが言った。僕はそれに頷く。これからが大変なの

は百も承知の上で決意したナオトを誇りに思うし、ミク

を守れると信じてる。


少年~53~


僕は今一人で考えている。


ナオトがミクに会う為に出て行ってしまった後、僕とミ

ユキも程無く店を出た。


僕達は何も話さず、ただ駅前まで歩いた後、手を振って

分かれた。


今頃ナオトはミクと二人で話している事だろう。


ナオトは何と言っているのだろうか?


ナオトの想いに対し、ミクはどのような答えを出すのだ

ろうか?


ミユキも一人で考えている事だろう。


自分の事に置き換えてみたり、新しく出来た友達として

だったり、いろんな方向からこの出来事を見ているだろ

う。


僕はミクも含めたみんなの事を考えている。


ミクの事。


ナオトの事。


ミユキの事。


そして…、


産まれてくる赤ちゃんの事。


みんなが幸せになるには、どうすれば良いのだろう。


考える。


でも、きっと答えは出ない。


でも、考える。


ミクは子供が産みたいのだ。


なら、産めばいい。


赤ちゃんはきっと生まれたいのだ。


なら、生まれてくればいい。


ナオトは、ミクを守りたいのだ。


なら、守ってあげればいい。


ミユキは、ミクとナオトが結ばれて欲しいのだ。


なら、祈り続ければいい。


でも…。


ミクはナオトを求めているのだろうか?


ナオトは一生この事実を背負えるのだろうか?


赤ちゃんはこの運命をどう思うのだろうか?


みんなが幸せになるには、どうすれば良いのだろう。


考える。


でも、答えは出ない…。


少年~54~


「おはよ」


駅前のマックに着き、コーヒー片手に二階へ上がって行

くとナオトから声が掛かった。テーブルにコップが一つ

しか無い所を見ると、一人で来たらしい。


「急に悪かったな…」


ナオトがコップに口を付けながら言う。表情を見ると、

スッキリしているようにも見えるが、どっちに転んだの

かが全くわからない。


「一番最初に報告するのは、ヒビキって決めてたから…」


ナオトの表情は変わらない。ナオトがミクに会いに行っ

てから、既に三日が経っていた。長くも無く、短くも無

い時間の中で何かが決まったのだ。


「最初は会ってくれなかったんだよ」


ナオトの報告が始まった。あの後、ミクの家まで行った

のだが、すぐに話は出来なかったらしい。その時のミク

の気持ちなんて判る訳も無い。


「出てくるまで待ってる、っつったら、30分後にやっと

下りて来てさ…」


ナオトが苦笑いしながら、とうとうと話す。その30分、

ナオトにとって長く感じられたのだろうか?それとも、

短く感じられたのだろうか?きっと、両方だろう。


「会うなり、帰ってよっ!だってさ…」


ミクにしたら、ナオトがどんな想いで会いに来てるのか

わからない訳だから、そんな言い方をするのもしゃーな

い。


「それでさ…」


それで?


「結婚してくれ、って言ったんだよ」


おわっ!すげーな、お前。ナオトをここまですげーと思

った事は、申し訳ないけど今まで一度も無かった。でも、

唐突過ぎないか?


「バカじゃないのっ?って呆れられた…」


でしょうね…。それが普通の人の判断だと思います。突

然のその言葉に対応できる方がおかしいって。ミクが普

通の人で良かった。


「だから、思ってる事全部言ったんだ」


んで?


「最初はミクも聞き流してたよ」


でしょうね。


「でも、言い終わった時にミクが言ってくれたんだ…」


何て?


「ありがとう、って…」


人が心の底からありがとうって言う機会が一生に何回あ

るのだろう。ミクにとって、その中の貴重な一回だった

って事だけは間違い無い事実。


「気持ちだけ貰っとく、って言ったからさ…」


うん。


「そうじゃ無い、って言ったんだ」


ナオトだからこそ、ここまで真剣に自分の想いを伝えら

れたのだろう。でも、だからといって、ミクがそれに答

えるとは限らない。


「俺のホンキを伝えたくてさ…」


伝わったと思うぞ。ナオトが正面からぶつかっていった

からこそ、ミクも正面から受け止めたはず。でも、だか

らといって全てがうまくいく訳ではないよな。


「そしたら、ちょっと時間をくれ、ってさ…」


ナオトが悩んで悩んで悩みきったように、ミクも悩んで

いるのだろう。自分でもわからないだろうが、ミク自身

で答えを出すしか無い。


「明日、もう一度会う事になったんだ」


ミクが後悔しないような答えが出ればいいな、と思うが、

どっちに転んでも少なからず後悔は付きまとうだろう。

それだけは回避できない。


「んっ?ヒビキ、LINE来てるぞ」


おっ、机の上に出しっぱなしにしていたようだ。あっ、

ミクからじゃん。ナオトは…、気付かなかったみたいね。

とりあえず見るか…。


「誰からだったんだ?」


ん~ん。大した用事じゃ無かったよ、の意味を込めて曖

昧に微笑む。でも実はミクから緊急招集を受けたのだ。

ミクも僕に話したい事があるのだろう。


「ヒビキも行かなきゃいけなそうだから、帰るか」


勘付かれたか?イヤ、大丈夫だろう。いつものように僕

に気を使ってくれただけなはず。そそくさと用意をして

店を出る。


「また、連絡するから」


軽く手を挙げてナオトが去っていく。僕は手を降り返し

ながらも、再度震えてる携帯が気になってしょうがない。

ナオトの次はミクか…。


少年~55~


「こっち…」


マックとは駅の反対側にあるスタバに入り、カフェモカ

片手に店内を進んでいくと、ミクから声が掛かった。既

に来ていたのか…。


「急に呼び出しちゃってゴメンね…、大丈夫だった?」


ほんの15分前までナオトと会ってた事は、今は言うべき

事では無いだろう。変に勘ぐられても話がややこしくな

るだけだろうし。


「実はね…」


ナオトから一通り聞いている話を、今度はミクの立場か

ら話してくれる。本筋は一緒なのだけれど、見え方は全

然異なっていると言うか、何と言うか…。


「何て言うか…、ビックリしちゃって…」


ミクにしたら、ナオトが自分に会いに来る、なんてのは

想定外以外の何物でも無い事だったのだろう。でも…、

それは想定しうる間柄なんじゃねーのかな~?


「でも、出て来るまでずっと待ってる、とか言うから…」


ミクが真剣な表情のまま、とうとうと話す。ナオトが外

で待っていた30分、ミクにとってはどのような時間だっ

たのだろう?


「それで…、顔見た瞬間思わず、帰って、って言っちゃ

った…」


自分でもどうして良いかわからない位の大きな問題が発

生すると、とりあえずその場から逃げ出そうとする、僕

等世代特有の行動なのだろう。


「そしたらさ…」


うん…


「いきなり、結婚してくれ、とか言うんだよ…」


改めて考えてみても、やっぱナオトの行動ってすげーよ

な。聞いてるだけの僕でさえ、ビックリしたのだから、

ミクの驚きなんて想像出来ない位だったのだろう。


「バカじゃないのっ?って言っちゃった…」


でしょうね…。ミクからしたら、もうナオトとは終わっ

てる事だと消化しつつある時だもんな。ナオトが何を考

えてるのか、わからなくて当然。


「そしたら、ナオトが話し始めたの…」


うん…


「最初は、何言ってんだろう?って思ったんだけど…」


わかるよ…


「でも、ナオトが話し終わった時に思ったんだ…」


何て?


「私の想像以上に、私の事想ってくれてたんだ、って…」


やっぱり。ナオトが聞いた、ありがとう、の一言はミク

の心の底からの言葉だったのだ。そんな言葉を言えるミ

クって娘はとても素敵だね。


「でもさ…」


うん…


「やっぱ、ナオトに迷惑かける訳にはいかないもん…」


自分の事じゃ無いのになんでだろ?ミクの気持ちがイヤ

って程わかる気がする。こういう性格が僕とミクの似て

いる所なのだろう。


「でも、そうじゃ無い、って言われた」


うん…


「ナオト…、ホンキだって…」


ここまで来れば、どんな状況であれ人の想いは伝わるも

のだ。ナオトのホンキをミクはどのように受け止めよう

としているのだろう?


「何も考えられなくなっちゃって…」


だろうな。瞬時に答えを出す事など出来る訳も無いし、

それ以上に出す必要なんて無い。こういう時はトコト

ン悩みぬいた方がいい、ってのが僕の持論。


「時間をもらったの…」


またしても、ミクが後悔しないような答えが出ればいい

な、と思う。難しいのはわかってるけど…。でも、そう

願う以外僕に出来ることなんて何も無い。


「それで、明日会うんだ…」


ミクはもう答えを出しているのだろうか?ミクの瞳をじ

っと見詰めてみるが、深い湖の底のように、何も見えな

い。わからない…。


「もう、決めたんだ」


ミクの中で答えは出ているようだ。一瞬だけ光を持った

ミクの瞳を見てわかった。あの時、そう子供を産むと言

った時と同じように強い光を持ってた。


「ホントはナオトに一番に話さなくちゃいけないのわか

ってるんだけど、ヒビキに話したいの」


イヤ…、僕が聞いて良いレベルの問題じゃとっくに無い

と思うのだが…。そっか…、自分の気持ちが揺らがない

ように、僕に聞いて欲しいのかもしれない。


「私ね…」


ミクよ…、ホントにその答えでいいんだな?そして、ホ

ントにナオトより先に僕に話してしまっていいんだな?

って、もう今更止められないか…。


「やっぱ、ナオトの気持ちには答えられない…」


ナオトには気の毒だと思うが、ミクが考えて決めた事な

のであれば、それは既に覆す事など出来ない。ナオトよ

お前の亡骸は僕が拾ってやるからな。


「かといって、元カレにっていう気も全く無いよ」


でしょうね。これであの元カレの所に戻ったりしたら、

僕なんかよりナオトや、関係無いがミユキが黙っちゃい

ないはず。


「実は…、今回の一件で気が付いた事があったの…」


何?


「私ね…」


うん。


「ヒビキが好きなの…」


!?!?!?


少年~56~


「ナオト君やミクさんと会ったんでしょ?」


今僕はミユキとデート中。ミクから受けた衝撃の一言か

ら数日経った日曜日の午後である。あの日ミクと別れて

から、ナオトやミクと連絡を取っていない。


「あの二人はどうなりそうなの?」


ミユキの質問に、曖昧な、そしてちょっと曇った表情の

まま首を横に振る。部外者では無くなった僕にとっては

あの二人がくっ付いてくれると万事解決なのだけれど。


「そっか…、寂しくなっちゃうね…」


ミユキはまだ何も知らない。ミクが僕に告白した事を知

ったら何て言うのだろう?今みたく、二人の心配等して

いられないんだろうな。


「でも、二人で出した答えならしょうがないよね」


そう、しょうがない。二人の事は、二人で解決する以外

に手段などある訳無いのだから。ミユキは二人の為に、

すっごい頑張っていたけどね。


「ナオト君は大丈夫そう?」


大丈夫かどうか知らないので、答えようが無いな…。今

頃ナオトはどんな顔をして日々暮らしているのだろう。

ナオトもミクも学校には来ていないのだ。


「ナオト君なら、他にいい人見つかりそうだけど…」


お気楽極楽な発言のようにも取れるが、ミユキにしても

何を言ってやればいいのかわからないのだろう。そりゃ

そうだ。


「あ~あ…」


ミユキがでっかい溜息をつく。わかる。ミユキにしたら、

もちろん僕にしたって、ナオトとミクがヨリを戻すと思

い込んでいたのだから。


「ミクさんは…、どうするんだろう?」


ミユキの思考がミクに移る。そうなのだ。ミクはどうし

たいのだろう。僕を好きだなんぞと突然言い出して…。

僕に何かを求めているのか?


「子供は…、産むよね?」


多分ね…、と曖昧な表情を返す。今日の僕に、あの二人

の話で確信に満ちて出来る答えなど一つもある筈が無い。

でも…、子供は…、産んで欲しいな…。


「でも、育てていけるのかな?」


ミユキが発する何度目かの同じ質問でフト思う。ミクは

僕にお腹の赤ちゃんの父親になって欲しいと思っている

のかもしれない。


「大丈夫かな…」


いくら物事を深く考えない僕でも、おいそれとミクのお

腹の赤ちゃんの父親になってやる事は出来ない。もちろ

ん、ミクの旦那になってやる事も一緒。


「ヒビキ?」


ミユキの声に我に帰る。思いっきり自分一人の世界に入

り込んでしまってた。人の相談には乗ってやれるくせに、

自分の事を誰にも相談できない所が、僕らしい。


「何かあった?」


あった。でも、そんな事言えない。ミユキに相談できれ

ば楽になるのだろうけど、言える訳も無い。僕もミユキ

のように、二人を心配する立場が良かった…。


「大丈夫ならいいけど…」


全然、大丈夫では無いのだが、残されたわずかな力を尽

くしてミユキに微笑む。どうしよう…?でも、目の前の

ミユキに打ち明ける勇気など無いし…。


「ところで、ヒビキは何でナオト君やミクさんと連絡取

って無いの?」


痛い所をつかれた気がする。ミユキがそう思うのは当然

なのだ。だって、今までだったら毎日でもナオトやミク

と連絡を取り合っていたのだから。


「ヒビキでも、会いづらいのかな?二人は…」


ナオトとミクの間でどんな話がなされているのかを僕は

知らない。ミクはどこまで話しているのだろう?でも、

もし僕に関する事を話していないとすれば…。


「そうだね、きっと」


ミユキが話を進めていく。そうなのだ。ミクはきっと、

ナオトとの決別と共に僕への告白の事も言っている筈な

のだ。


「何してるんだろ?」


だからこそ、ナオトは僕に連絡をして来ないのだ。ミク

が僕に連絡をして来ないのは、何となくわかる。でも、

ナオトの場合はそれしか考えられない。


「連絡取ってみなよ」


ミユキが言う。でも、僕から二人に連絡を取る気は一切

無い。取れないって…。今二人と会って何を話せばいい

のだ?自然と首を横に振ってしまう。


「ヒビキらしいね」


褒め言葉でも、嫌味でも無く、僕のありのままをミユキ

が表現する。ホント、ここで連絡を取らない行動は僕ら

しいね。


「あっ、ミクさんの好きな人って知ってる?」


ミユキが突然何かを思い出したように言う。僕の表情は

変わらなかっただろうか?ちょっとでも、不穏な行動を

するできではない。女性の第六感は凄いのだ。


「昨日、知らない人が廊下で言ってた。ミクさんには好

きな人が、ナオト君や元カレとは別に居る、って」


さすが顔の広いミクらしい。いろんな所で噂になってる

のは僕も知ってる。そう遠くはないうちに、妊娠も広ま

っちゃうのかな?


「ヒビキなら知ってるかな?って…」


きっと、僕の事だろう。でも相変わらず僕は知らない体

を崩さない。今ミユキに言ってどうなる?いつか話せる

時が来たら、話せばいい事なのだ。


「そっか、ヒビキでも知らないんだね」


何も言えない。いつか、ミクが僕を好きって事も知らな

い人達の噂になっていくのだろうか?情報というのはど

こから漏れるのだろう?


「あ~あ…、どうなっちゃうのかな…」


ミユキが何度目かのでっかい溜息をつく。僕も同じ事を

思ってる。どうなっちゃうのかな?このまま時間が解決

してくれるとも思えないし、二人に連絡取ってみるか。


僕らしく無いけど…。


少年~57~


「何か用か?」


前にナオトから報告を受けたマックで、マックシェイク

のチョコを飲んでいると、ナオトが声を掛けてきた。今

まで見た事が無い位、不機嫌な表情をしてる。


「全部、聞いたよ」


ドカッ、と音を立ててナオトが対面に座る。一週間程度

会わなかっただけなのだが、若干痩せた、と言うか、や

つれた気がする。


「俺の事は別にいいぜ?」


興奮を抑えきれないのだろう。自然と声に迫力が加わっ

ている。全く無視される事すら想定していたから、話し

てくれるだけでも有り難い。


「ミクが俺を選ばなかったのは、俺のせいだからな」


僕はそうは思わない。今回の件で、ナオトが悪い事など

何一つ無いと思っている。かといって、今そこの部分を

議論する気など毛頭無い。


「でもさ…」


ナオトの目が赤い。人がここまで本気で怒りに満ちてる

姿を僕は見た事があっただろうか?それも、僕にとって

数少ない友人の一人にそういう目を向けられている。


「何でお前なんだよっ!」


他のお客さんが一斉に僕等の方を振り向く。それくらい

大きな声が発せられた。冷静になれ、の意味を込めて、

ナオトをじっと見詰める。


「悪い…」


怒りの矛先は僕ではない。かと言って、もちろんミクで

もない。ナオト自身、どこに怒りを向けて良いのかわか

らないだけなのだ。


「一つだけ聞いていいか?」


さっきまでの圧力が急に冷め始めているナオトが、おそ

るおそるといった感じで僕に聞いてくる。僕が答えられ

る事ならば何でも答えてやるぞ。


「ミクの事は…、どうするんだ?」


多分、ナオトだけでは無く、ミクもミユキも知りたい答

えなのかもしれない。ナオトの目を数秒、じっと見詰め

た後、ゆっくりと首を横に振る。


「ヒビキなら、そう言うと思ったよ」


多分、みんなわかってる事だと僕は思ってる。今、僕が

ミユキと付き合っているとか、今までの関係とかを考え

ると、僕とミクに何かある筈無いのだ。


「わかってたんだ、俺。ヒビキが裏切る訳無いって」


万が一、僕とミクが付き合ったりしたら、それはナオト

を裏切った事になるのだろうか?こういうのってみんな

考え方が違うから、若干ややこしい。


「ミクと付き合う訳無いって」


ちょっと変な言い方になるけど、僕がナオトと付き合う

事が無いのと同じように、僕がミクと付き合う事は無い

のだ。


「ごめんな」


目の前のナオトが大きく頭を下げる。身体のでっかい奴

なのに、妙に小さく見えるのが不思議でならない。でも

きっと本気で謝っているからなのだろう。


「許してくれ」


頭を下げたまま、言った。許すも何も、僕は最初から今

でも、そしてこの件についてはこれからも、ナオトに対

して何も怒ったりしていない。


「許してくれるか?」


顔を上げて僕の顔を覗き込む。でっかいナオトが下から

僕を見ようとする姿は、ちと面白い。気にすんなって!

の意味を込めて、ニッと笑ってみる。


「サンキュ、良かったよ…」


僕みたいな奴を大切に思ってくれてるナオト君こそサン

キュ、だよ。さっ、ここからはミクの事を僕等なりに考

えて行かなきゃなんないな。


「ミクの考えてる事がわからないんだよな…」


ナオトが呟く。しかし、ミクに限らず誰の考えてる事も

わからない。仲が良いからわかるかも、なんてのは過剰

な思い込みによる自意識でしか無いのだ。


「産むよな?」


僕に聞く質問では無いと思うが、前にミクと会った時の

情報確認の意味を込めて、とりあえず頷く。少なくとも

そう言っていたのは聞いてる。


「一人で育てるのかな?」


それについては何とも言えない。僕と二人で育てたいの

かもしれないし、そうじゃ無いかもしれない。でも、そ

うなる可能性も含めて、産みたいんだと思うが。


「育てていけるのかな?」


ミユキも何度かこのような質問を僕に投げかけてきてる。

でも、わからないとしか答え様が無い。ただ、生命が誕

生したら、何とかするしか無くなると思う。


「わかんない事だらけだな~」


ふ~、っと溜息をつきながらナオトが座席にもたれ掛か

る。そりゃ、本人が居ない所でその人の話をしたって、

何かわかる事がある訳が無い。


「ミクの様子、伺って来てくんないか?」


そうなると思った。今、ナオトがミクと冷静に話し合う

のは無理だし、他に頼める奴が居ないってのもわかって

いるから…頷く。


「フラれたけど…、俺はまだ好きだからさ」


若干顔色を良くしてナオトが言う。そういうのは僕にで

は無く、いつか本人に言ってあげなさい。ミユキにも頼

まれてるし、ミクと連絡取るか。


「俺の方は大丈夫だ。ヒビキとちゃんと話せたし、明日

から学校にも行く」


僕と話す事によって、ナオトがどのように心を変化させ

たのかは定かでは無いが、ナオトの目を見ると、もう大

丈夫という確信が生まれてくる。


「ミクの事で何かわかったら教えてくれな」


最後に一言言い残し、ナオトは店を去った。ナオトの姿

が見えなくなった後、僕はコーヒーを追加注文し、改め

て今何をすべきかを考えてみる。


少年~58~


「お待たせ!」


マックとは駅の反対側にあるドトールでオレンジジュー

スを舐めているとミクが声を掛けてきた。今日は飲物を

イヤって程飲んでるな、僕…。


「久し振りね!」


ミクのテンションは高め。まだまだ寒い季節なのに、春

を先取りするかのようなパステルカラーで、全体がまと

められている。


「元気だった?」


そのセリフ、そのままそっくりミクに返したいよ。ずぅ

ーっと連絡もせずに何をやってたんだか…。でも、聞く

までも無く、ミクは元気そうだな。


「どう?おっきくなった?」


お腹をさすりながらミクが言う。元々、立派な腹回りを

している娘だから、僕には変化が感じ取れない。ってい

うか、まだ腹はでかくならないだろ~?


「時々動いてる気がするのよね~!」


だ・か・ら・さ~、まだ動いたりしないんじゃないの?

腹ん中に居るっつったって、まだ細胞レベルを脱しては

いないでしょ~。


「何かすっごい食欲もあるのよね~!」


そういや、心なしかミクの頬っぺたがさらにフックラし

た気がする。ナオトのやつれ具合と反比例するかのよう

に、ミクの血色はすこぶる良いみたい。


「ちょっと太っちゃったわよ!」


カフェオレと一緒に持ってきたミルクレープを食べなが

ら、ミクが言う。ミクのマイナーチェンジに気が付ける

程、僕は繊細な人間では無いらしい。


「特に甘い物が美味しくてね~!」


ね~!じゃねーよ!どうせ、赤ちゃんの為に栄養付けな

いと、とかっていう無理矢理な理屈をこねながら食べた

いモンを食べてるだけだろーが。


「そういえば、みんな元気?」


コイツはホントに気にしてるのだろうか?ちょっとでも

気に掛けてんなら、連絡くらいすりゃー良かっただろ!

の意味を込めてちょっとキツイ笑顔を返す。


「だって、一人で考える時間が必要だったんだもん…」


わかるけどさ~。でも、僕やナオトやミユキが心配して

る事くらいわかったんじゃねーの?でも、それ以上に大

切なモノがミクにはあるんだもんな。


「ナオトは…、どうしてる?」


やっぱホントに聞きたい所はソコなのかもしれない。でも

、何て言えば良いのだろう?ミクにフラれて落ち込みきっ

てる、と言ったらミクの胎教にも関わるかもしれない。


「ナオトを好きになれれば良かったのにね…」


僕もそう思う。でも、それは言ってはいけない事かもしれ

ない。誰かが誰かを好きになるのは理屈では無いのだ。ミ

クは自分を責める問題では無い。


「悪いのは私なのよね…」


ナオトが好きになったミクは、ナオトを好きになれなか

った。ただそれだけの事なのだが、その事実が今のみん

なを苦しめているのも、また事実。


「この子も怒るかな…」


お腹をさすりながらミクが言う。産まれてくる赤ちゃん

には何一つ罪など無いのだ。そんな事言うな、の意味を

込めてキッと睨み付ける。


「怒らないでよ…。でも、ヒビキのそういう所が好きよ」


どっちの意味だろ、等とツマンナイ事を考えてしまうの

が今の僕が少々病んでいる証拠。でも、きっと僕の言っ

てる事は間違っていない。


「一人でね…」


んっ?


「育てる事に決めたの…」


僕等が介入するまでもなく、ミクは結論を出していた。

僕に頼る訳でもなく、ナオトに頼る訳でもなく、二人で

生きていくという意味なのだろう。


「もちろん、みんなに助けてもらわなくちゃ…だけど」


ミクのこういう所が僕と違って素敵な所。僕のように頑

なに人に頼るのを拒む人間よりも、よっぽど強く美しい

心を持っているのだろう。


「ヒビキ…助けてくれるよね?」


当たり前だろ、の意味を込めてとっておきの笑顔をミク

にプレゼント。僕に出来る事なら何でもしてやるよ。だ

ってミクとお腹の子の為だもんな。


「それで、ナオトの事だけどね…」


今、一番ミクを悩ませているのは他ならぬナオトの存在

なのかもしれない。しかし、どうすりゃイイのだろう?

ナオトの気持ちもわかってる僕としては、どうすれば…。


「もうちょっとしたら、笑顔で会えそうなの…」


うん。ミクが笑顔で会える自信が出来るまでは会わない

方が良いと思うよ。それはミクや赤ちゃんの為でもある

し、ナオトの為でもあると思う。


「それまで、何とかしてくれないかな…?」


いつナオトがまた自分に会いに来るかを考えると、ミク

も気が気じゃ無いのだろう。そしてそれがミクにとって

どんどん重荷になっていくのは当然。


「お願いっ!」


いいから頭を上げなさい。ミクにとってこんな事頼める

のは僕しか居ないのはわかってる。だからこそ、僕がミ

クにしてやれる最初の事なのだろう。頷く。


「ありがとっ!」


ナオトに何て言えばイイんだろ?なんてのは後から考え

れば良い事なのだ。今は、ミクの…、そしてホントは見

える筈の無い赤ちゃんの笑顔の為に動くのだ。


「お礼にチューしてあげよっか?」


どこまでホンキなのかがわからない…。でも、ミユキに

怒られるから遠慮しとくよ。でもいつかミクの代わりに

赤ちゃんからしてもらう、って事で。


少年~59~


「おっす!」


ミクの決意を目の当たりにした次の日。あまり眠れなか

った為、眠い目をこすりながらチャリンコで登校した途

端、ナオトから声が掛かった。


「約束通り、学校来たぜ」


照れ笑いをしながら、でっかい身体を僕にぶつけてくる。

こんな姿を他の生徒に見られたら、絶対勘違いされるぞ。

少なくとも僕は男に興味無し。


「いろいろアリガトな」


気持ち悪いから、僕に寄り添うのをヤメなさい。でも、

いつものナオトに戻ってくれて一安心。やっぱ、落ち込

んでる奴は見たくないもん。


「それで…、ミクに会ったのか?」


恐る恐るといった感じで僕に聞いてくる。隠す必要は無

いと思っているので、普通に頷く。いろいろと聞きたそ

うな顔してるね~。


「何て…、言ってた?」


よく考えてみると、最初からミクの気持ちは変わってい

ない。つまり、周りの僕等が喚いていただけで、ミクは

何一つ変わらなかったのだ。


「言えない感じなのか?」


ここはハッキリさせておいた方が良い。僕にとっては珍

しく、ホントに深刻な顔をしながら首を横に振る。この

サインをナオトはどう受け取るのだろう?


「やっぱ、ミクは一人で頑張るのか…」


さすがナオトだ。よけいな事を言わなくても、思ってい

る事が伝わる。これだから、頭のイイ人間と話すのは気

が楽です。


「俺に…、出来ることあるかな?」


当たり前だろ!の意味を込めてナオトの胸元にパンチを

見舞ってやる。一瞬、ウッと息を詰まらした後、軽く咳

き込みながらナオトが言う。


「ミクの為だったら何でも出来るぜ!」


知ってる。僕以上に、ナオトがミクに対して何でも出来

る事を、僕は知ってる。この男は自分を犠牲にしてでも

人の為に何かをしてやれる奴なのだ。


「でも…、何してやればいいんだろ?」


それは僕等が考えても始まらない事だ。あくまでミクの

考えを尊重し、ミクが助けを求めて来るまでは何もして

やれる事は無い。


「待ってるの、苦手なんだけどな…」


そう言いながらも、ナオトはいつまでもミクが救いを求

める瞬間を待ち続けるのだろう。友情なのか愛情なのか

は置いておいて、ホントに素晴らしい。


「ミクは元気にしてんのか?」


最初に聞くべき事なんじゃねーの?まっ。いいけど。全

く問題無いどころか、ますますイイ体格になってる事が

最大限に伝わる表情でナオトに返す。


「良かった…」


僕の表情を読み取った瞬間、ナオトの顔色がパッと良く

なる。病は気から、という先人達の言葉が今更ながら身

に染みます。


「ところでさ…、ミクの事が噂になってんの知ってるか?」


知ってる、の意味でゆっくり頷く。どうしてこんなにも

僕等世代は噂話が好きなのだろう?僕自身は、人の事な

んて全く興味無いのに…。


「ミクが妊娠してる、って今じゃ誰でも知ってるんだよ…」


ミクの妊娠によって自分の人生が変わる奴がどんだけ居

るのだろうか?ホント、他人を使わないと自分達の存在

意義をみつけられない連中なんだろうな。


「噂じゃ、父親はヒビキって事になってるぞ」


悲しそうな表情でナオトが言う。バカバカしくて話にも

ならん事が実しやかに世間を駆け巡り、そして真実味を

帯びていく。怖いな…。


「どうせ、ヒビキは気にしないだろうけどな」


うん、全く気にしません。そんなバカ共に付き合ってい

られる程、僕は暇じゃ無い。人の噂も75日。放っておき

ゃそのうち他の話題に移っていくだろ。


「あっ!放課後、ちょっと付き合ってくれ!」


チャイムが鳴ると同時に走り出したナオトが僕を置いて

教室へ走り出した。なんて冷たいヤツ…。でも、手を引

かれたりしたら、また噂になってしまう…。


少年~60~


「このハンバーグ良く出来てる~!」


口いっぱいにハンバーグを頬張ったミユキが叫ぶように

して言う。久しぶりな感じで、ミユキと屋上ランチデー

トを楽しんでいる。


「ナポリタン感激~!」


今日ミユキが作ってきてくれたのは、洋食弁当。ハンバ

ーグやナポリタンといったオーソドックスな内容だが、

その辺の弁当屋にヒケを取っていない所が素晴らしい。


「ゲッ!」


こいつ、でっかいゲップをしやがった。僕が外国人なら

黙っちゃいない所だが、幸いにも僕は日本人だしその辺

全く気にしない。しかし、女の娘としてどうなんだ?


「美味しかった~!」


満足そうに小さなゲップを繰り返しながら、わさわさと

お弁当をしまい始めている。相変わらずの早食いは健在。

僕はまだ半分しか食べたいない。


「ミクさんの事、ちょっと落ち着いたみたいね」


そうなのだ。一時、学校中が騒然となる位沸き立った話

題だったのだが、それから2週間。今となってはミクの噂

をめっきり耳にしなくなっていた。


「何なんだろうね…」


飽きっぽいだけなんだろ?あの後からミクとはしっかり

連絡を取るようにしている。さすがに学校は来ずらいら

しく、病気を理由に休学中だが。


「でもさ、ミクさんも元気みたいだし良かったよね」


そうだな。ナオトとミクが別れた時にはどんな結末にな

るのか不安で仕方なかったけど、今となってはある程度

落ち着いた結果に収まったように思える。


「そういえば、もうすぐバレンタインじゃんね~?」


おっ、そうか。年明けからあまりにバタバタしていた為、

日にちの感覚が薄れていた。そう言われれば、街中でや

たらチョコレートが目に付くようになってるかも?


「去年の事、覚えてる~?」


ちょっと意地悪な目をしてミユキが僕に問い掛ける。実

は全然知らない娘から貰ったチョコレートで、ミユキと

別れかけるまでの事件に発展したのだ。


「それ以外にもさ~、ヒビキって本当はモテるのよね~」


溜息まじりにミユキが言う。去年のチョコレートの数は

ナオトには負けていた物の、学校中で2番だったという話

を去年の秋頃ミクから聞いた。


「独り占め出来てるのは嬉しいんだけどね」


複雑な表情を浮かべるミユキ。僕よりもミユキが気にし

てる部分なんだよね。僕自身は、僕がモテるなんて思っ

た事無かったし。


「ん~…」


ミユキが考え込んでる。でも、客観的に考えると僕は相

当モテるのかもしれない。ナオトと一緒にいるから、そ

うでも無い気になっていたのだろう。


「今年は何個位もらうの?」


そんなの僕に聞かれても困ります。少なくとも、ミユキ

とミクの2個。ちなみに去年はナオトに3個差まで迫った

25個だったんだけどね。


「全部、私が食べるからねっ!」


ミユキの場合、これは冗談ではないのだ。ちなみに一昨

年は18個、去年は23個、ミユキとミクから貰ったもの

以外は全てミユキのお腹に収まっていったのだ。


「ヒビキが他の娘の告白にOKしちゃったらどうしよ~?」


そんな訳無いだろ?という意味を込めてミユキに微笑み

かけるが、ミユキの表情は明るくならない。そうだよな。

人生何が起きるかわからないもんな~。


「そんな事したら、怒るかんね!」


ミユキが僕の胸に頭突きしてきた。一瞬息が詰まり、目

の前が真っ暗になる。張り手だけで無く、頭突きまでい

いモノを持ってるとは…。


「例えば、ユキちゃん…だっけ?」


今度はボディブローを入れてくる。腹筋は鍛えているつ

もりだが、後々効いてきそうなイイ角度で何発も入れて

くる所が厄介な所だ。


「許さないからねっ!」


ミユキのストレートが僕の顔寸前で止まる。空気圧だけ

でも軽く痛い位のいいパンチだ。警告にしては行き過ぎ

だろ?ミユキさん。


少年~61~


「ヒビキく~ん!」


この声は噂のユキちゃん。慌てて後ろを振り向くと、既

にミユキの姿は無い。危なかった~。僕に罪は無いのだ

がこんな場面を見られるだけでも、何か言われそう。


「何か久しぶりだね~」


ユキちゃんちょっと髪型を変えてる。ロングからセミロ

ングになり、前よりもボーイッシュな部分が強調されて

るみたい。ますます可愛くなったな…。


「一個聞いていい?」


大きな瞳を見開いたまま僕に言う。でた!この瞳だよ。

この瞳で見詰められたら、僕は何でもしてしまいそうに

なる。この瞳に弱いな~、僕。


「ヒビキ君、ミクちゃんの赤ちゃんのパパなの?」


すっげーストレートな言い方ね。でも、残念ながら違う

のだ。事実を捻じ曲げる訳にもいかないので、首を横に

振ってみる。


「やっぱり、私そう思ってたんだ」


僕の事を本当にわかってくれる人達の中で、ミクと僕に

何かあった等とホンキで考えてるヤツは誰一人居ない。

結局無責任なバカ共が言ってるだけなのだ。


「良かった…」


ユキちゃんのでっかい瞳が少し潤んでいる。どうして、

ここまで僕の事を考えてくれていたのだろう?きっと誰

にでも優しく出来る天使のような娘なのだ。


「だったら、私にもまだチャンスあるから…」


どういう意味?


「前に言ったと思うけど、私ヒビキ君好きよ」


言われたっけ~?僕がユキちゃんに告白されたらイチコ

ロだと思うのだが…。でも、ミユキがいた為ふんばった

可能性は少なくないか…。


「もうすぐお互い卒業だし、バレンタインが最後のチャ

ンスだもん」


ミユキさん、あなたはいい読みをしているね。今年のバ

レンタインも一筋縄では行かないような気がしてきた。

嬉しいような、でも嬉しくないような…。


「ミユキちゃんと馴れ合いになってない?」


頭の良い娘は好きだ。話をしていて楽しいから。でも、

こういう時、頭の良い娘は怖い。僕等がわざと避けて通

っている所を突こうとしてくる。


「そういうの恋愛って言えるのかな~?」


うまい。こうやって心のスキマを突いてくるなんて…。

僕が多少なりとも思ったり感じたりした事があるだけに

ユキちゃんの言葉は響いてしまう。


「この卒業ってタイミングは今とこれからを変えるいい

チャンスだと思うよ」


こいつ、催眠術師にでもなれるんじゃないのか?もとも

と力のある瞳をしている上に、ジッと見詰められながら

にじり寄られたら何でも従ってしまいそうになる。


「それとも、私自身に魅力が無いだけかな?」


今度は弱々しい感じで聞いてくる。その上目遣いが卑怯

すぎる程、可愛い。どっちかと言うと、僕はユキちゃん

が大好き……、いやっ、目を覚ませ!


「まだ、バレンタインまで時間はあるからさ…」


ユキちゃんはこんなに強い娘なのか?いや、世の中にこ

んな強い娘が存在する訳無い。きっと、ユキちゃんも一

杯イッパイの中で最後の勝負をしようとしているのだろう。


「ちょっとだけでも、考えてみてくれないかな…?」


グラッ、ときた。ミユキという存在が居なければ、他の

娘と付き合っていたとしても、僕はユキちゃんを選んで

しまうだろう。


「ホンキ…だよ…」


こんな可愛い娘が僕なんぞを好きになってくれるとは…。

世の中捨てたモンじゃないって思うし、ちょっと複雑に

はなるけど、僕で良かった、って思う。


「ちなみに、チョコタルト作る予定だから!」


おっ、僕が食った事無い種類のお菓子を用意してくれる

のね。チョコタルトは楽しみだけど、バレンタインはそ

んなに楽しみじゃ無くなってきたな。


「じゃあ、またねっ!」


スカートをひるがえしながら、教室へ戻っていってしま

った。僕にとって完璧な見栄えを持っているユキちゃん

からの告白がこの先の波乱を予感させる。


少年~62~


「あっ!ミクの旦那だ~!」


教室に入った途端、聞き慣れぬ声が僕に掛かる。そちら

側に目を向けると、見慣れぬ人が僕を指差し笑ってる。

こんな奴等、同級生に居たっけ?


「ミユキの旦那でもある人で~す!」


何度見ても、やっぱり覚えの無い人達だ。でも、周りの

同級生達が普通に受け入れている所を見ると、やっぱり

一年弱一緒の教室に居た人達なのだろう。


「ミユキも妊娠してたりして~!」


あれっ?この話題って、もうとっくに消沈してなかった

っけ?1~2週間位、情報が古いんですけど…。でも、こ

いつらの楽しそうな顔ったら無いな…。


「どっちが本妻で、どっちが愛人なのかな~!」


声でっかいね。教室中に響き渡ってる。こいつらワザと

でっかい声で話してんだろうな。聞いてる奴なんて誰一

人居ないのに…。不敏な奴等…。


「パンパーカパーン♪」


おっ、結婚行進曲を歌ってる。って、お前等は昭和の小

学生か?どんだけ知能指数が低いんだか…。自分達に縁

の無い話だから、興味津々なのだろう。


「ヒビキに近付くと、妊娠しちゃうぞ~!」


僕の名前を知っているとは、やはり同級生だったらしい。

にしても、何で僕に話し掛けてくるかな~?僕にはバカ

共とお話ししてる暇なんて無いのに。


「他にも居るんだろ?」


おっ、近付いて来やがった。不細工な顔してんね~。

今まで生きてきて、一度もモテた事無いんだろうな~。

可哀想だけど、同情する価値すら無い生き物だね。


「誰とヤッたか言ってみろよ~!」


何でお前等に命令されなきゃならんのだ?ケンカすんの

もメンドくさいから無視してるけど、だんだん鬱陶しく

なって来たな…。


「ミクと、ミユキと、エリと…」


この拷問のような時間はいつまで続くのだろう?一匹ず

つ壊していくか?等と自分に問い掛けてしまう。僕もま

だまだ我慢が足りないな~。


「お前等さ~」


頼りになる男、ナオト君降臨。こんな短い言葉を言い終

える前に、早くも一人の髪の毛を掴んでる。他の2人は

怯えた表情で固まっている。


「外出ようか?」


一人の髪の毛を掴んだまま、もう一人の襟首を絞め上げ

る。さらにもう一人が逃げないように、足の先で腹を押

さえている。ナオト…、すごいね…。


「覚悟してるから、ヒビキにカラんだんだろ?」


髪の毛を離すと同時に、頭突き炸裂。一瞬にして、顔を

真っ赤にしながら泣き始めやがった。お前幾つだよ?こ

れくらいの事で泣くんじゃない。


「なぁ~!」


今度は襟首を離すと同時に、肘を顔面へ。ムギッ、っと

いう声と共に椅子から崩れ落ちていく。なんて弱い生き

物なんだ…。


「おいっ!」


予想通り、最後の一人には押さえていた足を離した途端、

その足で顔面を蹴り上げた。あっ、鼻血が出てる。鼻の

骨が折れて無ければいいね。


「何か、言えよ」


最初の一発で泣きじゃくっているバカAにもナオトは容

赦しない。丁度、レバーの辺りを何度と無く拳で打ち付

ける。明日、立てなくなるぞ…。


「お前等も!」


残りの二人を次々と殴っていく。でも、ナオトの表情を

見ると全然キレてはいない。でも、それ以上にこの冷酷

さが恐怖感を増していく。


「じゃあ…、ヒビキに謝ろっか?」


打ち疲れたのだろう。バカ3人の顔の形が若干変化した

所で、ナオトが言う。3人一斉に、僕の前に土下座。そ

の頭をナオトが踏んでいく。ナオト…お前は、鬼か?


「次やったら、こんなもんじゃ済まないよ?」


頭をガンガン踏みつけながら、ナオトが下の3人に言う。

そんな状態で聞こえてるのか?でも、きっと一生消えな

い位のトラウマになる事だろう。


ナオト、お疲れ。


少年~63~


「おぅっ!」


校門を通り抜けようとした時、ナオトから声が掛かる。

そういや、放課後付き合ってくれみたいな事言ってたな。

声を掛けられなければ、そのまま帰る所だった。


「今日は災難だったな」


ニヤッとしながら、ナオトが言う。ホント災難だったけ

そ、ナオトが助けてくれて良かった。あーいう奴等って

しつこいかんね~。


「あ~いう時でもヒビキは手を出さないのな」


苦笑いしながら頷く。元々、暴力は嫌いだし苦手なので

す。だから、変な奴等に因縁付けられやすいってのも、

わかってはいるんだけどね~。


「でもさ~、何で?」


基本的に面倒くさいことが大嫌いなのです。それに、体

力も使わなくちゃいけないし、気も使わなくちゃいけな

いし、嫌な事だらけじゃない。


「ヒビキ、ホントは強いじゃん?」


ナオトを含め、極少人数の人間しか知らない事実。って

言うか、2年程前ナオトとタイマンはった時、偶然にも

勝ってしまったのだ。


「なのにさ~…」


僕がナオトに勝ったのは、単なる偶然。その辺の奴等に

負ける気は全くしないけど、胸を張って言えるほど強く

は無いと思ってるし。


「無抵抗主義っつうか…」


ケンカに勝てるのと、ケンカをしないのは全く別問題で

しょ?避けれるから殴られる事は無いにしても、殴って

も拳が痛いだけじゃん。


「だから、付け上がられるんだぜ?」


大丈夫。ナオトが助けてくれるから。無抵抗主義では無

いのだが、平和主義と言うか、事勿れ主義と言うか、そ

れが僕らしい所なのです。


「俺が負けた人間って、この学校じゃヒビキだけだぜ?」


ナオト君が強いのは知ってる。っつうか、この学校じゃ

ダントツでナンバーワンでしょ?でも、あれはただの偶

然がなしえた事なんだって…。


「一回やってやれば、逆に面倒くさく無くなると思うん

だけどな…」


でしょうね。でもさ~、何回も言うけど、ケンカ嫌いな

のよ。人を殴ったりするって楽しくないもん。泣きなが

ら謝られたりしたら、夢に見そうだし。


「お前等、ちょっと顔貸せよっ!」


僕とナオトの会話を遮るように、良く知らない顔の男が

近付いてきた。ナオトが怪訝そうな表情を浮かべる。

誰なんだ?お前。


「コイツ等の敵取らせてくれよっ!」


さっき、ナオトが叩き潰したバカ共の友達らしい。類は

友を呼ぶようだ。僕は知らない顔だが、ナオトは知って

るようで表情が険しくなってる。


「ナオト、今度は正々堂々とタイマンはろうぜ!」


やったことがあるのか、お前等。まぁ、いいや。ナオト

が負ける訳無いから、やってあげればいいじゃない。で

も、いつもとは違いナオトは黙ったままだ。


「ヒビキ…、ゴメン、俺こいつは無理だ…」


ナオトが弱音を吐くなんて珍しいね。何があったのかは

知らないが、ナオトがここまで引いてしまうなんて…。

でも、じゃあ、どうしよう?


「どうしたんだよ?」


ニヤニヤしながら、僕とナオトに問い掛けてくる。ナオ

トが意気消沈したのを見て、俄然勢いが増したのだろう。

さ~て…、ナオトがダメなら…。


「怖くて何も言えないのか?」


子分もどんどん勢いが増していく。一体、こいつらは何

がしたいのだろう?僕等の事なんて放っておいてくれれ

ばいいのに…。


「お返ししないとな!」


面倒くさくなってしまった。思わず知らない男の口にス

トレートを入れてしまう。ついでに、子分2人にはボデ

ィーからの膝蹴り。子分2人はこれで終わり。


「うそ…」


知らない男が、声では無く息を吐いた瞬間、間髪入れず

ハイキックをこめかみに入れてしまう。そのまま倒れ、

意識を失ってしまったようだ。


「ヒビキ…、サンキュ…」


ビックリしたナオトがやっとの事で話しかけて来る。僕

の息は全く乱れていない。そんなに動いてないからね。

騒ぎにならないうちにナオトと逃げる事にしよう。


あ~あ…、やっちゃった…。


少年~64~


「助かったよ…」


校門から結構離れた所まで歩いてきた時、ナオトがボソ

ッと呟いた。元々、僕がカラまれた事が発端だから、ナ

オトが礼を言う事じゃ無い。


「あいつ苦手なんだ…」


そういや、以前タイマンはったがどうのとか言ってたな。

その時にイヤな思いでもしたのだろうか?ナオトがあそ

こまで引いてしまうなんてね。


「その時、負けてはなかったんだけど、ナイフを出され

てさ…、他の奴に助けてもらったんだよ…」


なんでたかがケンカごときに刃物を出す必要があんのか

僕にはわからない。まっ、そこまでしてもナオトに勝て

ない時点で結果は見えてたと思うのだが。


「久しぶりにヒビキのケンカを見たよ」


余裕が出てきたのだろう。ニヤリと笑いながらナオトが

僕をチャカしてくる。だってあの場合、しゃーないじゃ

ない。ナオトがやってくんないんだもん。


「相変わらずスゲーのな」


そんな事無い。出来る事ならば避けて通りたい道だから。

でも、最小限の力を最大限に発揮して、最低限の時間と

労力で事を終わらせる事は常に考えている。


「早すぎて、見えなかったよ」


またまた…。調子のイイ事を言いやがって…。もうやら

ないから、僕に何かを期待するのはヤメてくれ、の意味

を込めてナオトをちょっと睨む。


「あいつはもうカラんで来ないだろうし、他の奴等なら

俺で充分だからさ…」


うん、お願いします。あいつ等がツマンナイ事言い触ら

す事は無いにしても、あの状況を見られて、僕に対する

みんなの見方が変わるのが怖いのだ。


「でも、一発だったな…」


いや、それぞれ二発づつです。あーいう状況ってみんな

大好きだから、すぐに噂するじゃん?軟弱で平和主義っ

ていうのが僕のウリだからね~。


「これで、ヒビキに絡む奴は居なくなるだろうな」


そうなの?


「だって、あいつ一応表のトップだもん」


あんな弱い奴がこの学校をのしてたのね。ダメな学校だ

な…。でも、丁度良かったのかも。ホントに絡まれる事

が無くなれば、平和な毎日を過ごせるし。


「あいつ、あー見えて去年から番はってたからな」


全然知らなかった、のも当然か…。僕の興味はそんな所

には一ミリも向いていないのだ。僕の知らない所で勝手

にやってくれてれば良い事です。


「俺でも多少手こずったし、あそこまで一方的だとは

思わなかったけどな…」


まだ言うか。僕のケンカの事は放っておいて、と言うか

早く忘れてくれ。タイミング良く、いいパンチが入った

だけなんだって。実力じゃ無い。


「ヒビキがホンキになれば面白いのにな」


なんない。少なくとも、ケンカじゃなんない。そんな事

で人々から怖い人みたいな目で見られるのはゴメンです。

僕が最も興味の無い所の一つだ。


「まぁいいや、それでさ~」


やっと今日の本題に入りそうだ。そもそもナオトに呼び

出されて、僕は今ここに居るのだった。やっぱ、ミクの

話なんだろうね~?


「ミクの事なんだけどな…」


ビンゴ。民衆の噂話が消沈していったとは言え、僕らが

今一番に考えなきゃいけない事はミクの事なのです。わ

かりすぎている程の事実。


「相変わらず連絡取れないんだけど、元気にしてんのか?」


それは大丈夫。肉体的にも精神的にも、元気すぎる程、

元気にしてるよ、の意味を込めてニッコリ微笑んでみる。

ナオトはちょっと安心したようだ。


「ならいーんだけど、やっぱ心配しちゃうって言うか…」


もうちょっと…、もうちょっとだけ我慢しなさい。そう

すれば、ミクの方からちゃんと連絡してくるはずだから。

ナオトの胃に穴があく前ならいいけど…。


「待つしかないよなっ!」


自分に言い聞かせるように、ナオトが大声を張り上げる。

頑張れ、としか言いようが無い。だってミクには待つよ

うに言われてしまっているからね~。


「よしっ、久しぶりに二人で遊び行こうぜ!」


良く考えると、ナオトと二人で遊びに行くのはすっげー

久しぶりだ。ほとんどミクを含めた3人か、もしくは他の

奴と一緒かだったもんな~。


いろんな事を一旦忘れて、遊び行くか!


少年~65~


「もっと、早く走れ~!」


僕はミユキを後ろに乗せて、チャリンコをかっ飛ばして

いる。空気は入れたばっかりなのだが、後輪はペシャン

コになっているのだろう。


「今日は何の日だっ?」


バレンタインでしょ?学生にとっては、そして、彼氏彼

女の居ない人達にとっては、とても重要な日なのだろう。

僕はあまり興味無いけど…。


「今年はチョコで春巻き作ったんだ!」


おっ、ナカナカ斬新な組み合わせですね。全然味の想像

がつかない。甘いのだろうか、辛いのだろうか。まっ、

ミユキが変なモノ作るわけ無いけど。


「おいしいぞ~!」


そうなのか。とりあえず、ランチデートの時のデザート

として食べれるのだろう。冒険心が旺盛なのは良い事だ

と思うが、なぜ春巻きにしたのだろう?


「ところでさ~、ミクさんは元気なの?」


今となっては、ミクの最新情報は僕以外に入手出来ない

状況になっている。その為、ミユキにしろナオトにしろ

二言目にはミクの話を僕に聞いてくる。


「元気ならいいんだけど、何かしてあげられることは、

っていつも思ってるのよね~」


その気持ちはミクに伝えてあります。ミユキの気持ちも

ナオトの気持ちも、ミクは充分すぎるほど、そして痛い

程わかっているのです。


「会いたいな~…」


そうだね。もうすぐ会えるよ。ミクも相当落ち着いて来

ているから。そろそろ学校への復帰も考え始めている頃

だと思うし。


「でも、無理はしないで欲しいよね~」


うん。それもイヤって程言ってある。今はミクの為にも

お腹の赤ちゃんの為にも無理するな、って。ちゃんと、

僕の言う事は素直に聞いてくれてるし。


「あれっ?」


何?


「あれ、ナオト君じゃない?」


ホントだ。道路の反対側で見知らぬ女の娘と対面してい

る。早くも、今年のナオト争奪戦が始まったのかもしん

ないな。


「チョコ渡されてるよ~!」


ブスっとした表情のままチョコを受け取るナオトの姿を

見るのも、この時期の風物詩。甘い物は嫌いじゃ無かっ

たはずだけどね。


「いい人見つかればイイね」


そう思う。昔の恋を忘れるには、新しい恋をするのが一

番の特効薬だと思うから。でも、今のナオトがミク以外

の娘を好きになるとは思えない。


「ヒビキもいっぱい貰うんだろうな~!」


僕の肩についた手に力が入る。ミユキが勝手にテンショ

ンを上げ始める。それは僕にはどうする事も出来ない事

じゃない…。


「どうなのよっ!」


ミユキが首を絞めてくる。チャリンコをこいでる最中な

んですけど…。とりあえずブレーキをかけると、一気に

ミユキの体重が僕に圧し掛かってくる。


「全部、目の前で捨ててやれっ!」


そんな事出来る訳無いでしょ?後でどんな目に遭うかわ

かんないし、そんな危険な事はしたくない。何を考えて

るんだか、コイツは…。


「まっ、食べるのは私なんだけどね~」


余裕の表情をしながらでっかい胸を張る。僕はそんなに

甘い物好きじゃ無いから、全然それで構わないし。でも

手作りした娘達にはちょっと悪い気がするけど。


「ヒビキが食べていいのは、私のだけ~!」


それで充分です。昔は貰ったチョコを年末まで放ってお

いて、大掃除の時に捨てるっていう行動の繰り返しだっ

たから、その方がエコになります。


「他の娘の食べたら、蹴っ飛ばすからねっ!」


ミユキさん…、最近過激になってきてないか?前はそん

なキャラじゃ無かったはずなのに…。前の大人しいミユ

キの方が好きだったな~。


「手作りのを食べたら、自転車パンクさせてやるからっ!」


思わず笑ってしまった。それでこそミユキさん。蹴っ飛

ばされたり、殴られたりしないのであれば問題無いです。

っつうか、他の娘のは食べないって。


さ~て急がないと遅刻するぞ~。


少年~66~


「おはようございますっ!」


教室へ向かう廊下で、知らない人に挨拶をされた。別に

それ自体はそんなに珍しい事じゃ無いんだけど、なんで

敬語口調なのだろう?


「ヒビキさん、おはようございます!」


まただ…。この廊下だけでも、すでに5~6人にこんな感

じで声を掛けられている。誰かが僕にドッキリでも仕掛

けてるんじゃ無いのか?


「難しい顔して、どうした?」


小さな手さげの紙袋を3つ持ちながらナオトが声を掛け

てきた。何か変なんだよね~、の意味を込めて思いっき

り眉をしかめてみる。


「だから、前に言ったじゃん」


また、知らない人に敬語で挨拶をされた。それを聞いた

ナオトが当たり前のような顔をして言う。前にナオトか

ら何か言われてたっけ?


「ヒビキの武勇伝、噂になってるぞ~」


僕に怒られるのがわかっているくせに、抑えきれずに笑

ってしまっているナオトが言う。あー、この前の事か。

ナオトが他に話す訳無いから、誰かに見られてたのか…。


「怒んなよ…」


笑いを噛み殺せていないナオトを見ると、ちとムカツく。

でも、ナオトが面白くてしゃーないのもわかんなくもない

感覚だ。逆の立場だったら僕も大笑いしてるもん。


「当分、ヒビキにカラんで来る奴は居ないと思うぞ」


だから、イヤなのだ。こうして知らない人達に敬語で挨拶

されてる僕を知らない人が見たら何者って思うのか、怖く

て仕方ない。


「安心して暮らせるじゃん」


そうかもしれないけどさ~。こういう噂も含めて、僕の事

を噂するのは勘弁して欲しい。誰にも触られず、そっと生

きていたいのに…。


「何か注目浴びてんな…」


確かに…。バレンタイン当日の朝、去年の獲得数№1と№2

が一緒に居たら目立つよな。そして、僕にはプラスαの出

来事が乗っかってる訳だし。


「ヒビキはまだ貰って無いのか?」


うん。素直に頷く。そう考えると、去年までの獲得数はま

ぐれだったんじゃないのか?元々、そんなにモテる訳の無

いタイプだしね、僕。


「俺は…、コレ…」


カワフルに彩られた袋を苦笑いしながら掲げる。断る方が

面倒くさいから、そりゃ貰っちゃうわな。でも、何個貰っ

た所でミクの一個には敵わないのだろう。


「正直、いらないんだけどな」


小声で僕に耳打ちする。いや、わかるよ。でも、モテるん

だからしゃーないじゃない。ナオトとは全く反対の立場で

悩んでる青年なんて腐る程居るんだから。


「まっ、今年はホワイトデーの事考えなくても済みそう

だけどな」


イタズラな表情でナオトが言う。実はホワイトデーの前に

卒業式がある為、望まなければそのまま逃げ切れるという

特典が今年の僕達にはあるのだ。


「ミクからは…、貰えないよな~?」


僕の目を見ないで、独り言のようにナオトが呟く。どうな

んだろうね?今日みたいなイベント日を復帰のキッカケに

するってのも有りだと思うけど。


「友チョコしか貰えないけどな…」


その言い方、若干切ない。いつもなら笑い飛ばせるような

事でも、今のナオトを笑う事は出来ない。ミク…、ナオト

のこの声をお前に聞かせてやりたいよ…。


「でも、こういうお祭り的な雰囲気だと学校もちょっと

面白いな」


わかる気がする。普段の時は学校なんか面倒くさいだけ

のモノで、ナオトやミクが居なかったらマトモに来てる

かわかんないけど…。


「テンション上がる、っつうか…」


台風や大雪の日に限って、学校に行きたくなってたガキ

の頃を思い出す。僕の天邪鬼はその頃に始まり、どんど

ん育って行ったのだろう。


「あれっ…」


先に教室に入って行ったナオトが絶句してる。何があっ

たんだ?僕も教室に入り、ザッと周りを見渡すとどこか

に違和感を感じる。


「あれ…、ヒビキの机だよな?」


窓側の一番後ろ。3年間変わる事が無かった僕の定位置。

その机の上がカラフルな箱や袋で埋め尽くされている。

机に乗り切らず下にまで落ちてしまっている。


「すげーな…」


ナオトの一言に、僕も頷く。


少年~67~


「何だ…、これ…」


ナオトが僕の机を見ながら呟く。僕も心の中で同じ事を

呟いてしまった。20個…、いや30個位あるのかもしれな

い。


「落ちてんじゃん…」


机に乗り切らなかった袋を拾い集め僕に渡してくる。何

でこんな状態になっているのだろう?僕がここまでスタ

ートダッシュを決める意味がわからない。


「ほら、見てみろよっ」


ナオトが小声で周りを見渡しながら言う。クラスの皆の

目が僕とナオトに向いてる。尊敬や祝福も多少はあるが、

ほとんどはヤッカミによる鋭い視線。


「ちっ、モテない方が悪いんだろが…」


今度は小声ではなく、普通の声で話す。聞こえたと思わ

れる数人が反応している。遠い場所でも聞こえたのか、

立ち上がってコッチを睨んでる奴までいる。


「文句ある人、手~挙げて~!」


でた!こういう時に一発で事を終わらせる、ナオト君の

リーサルウエポン。んな事言われて、手を挙げられる心

の強い人なんて居るわけない。


「なら、もうコッチ見んなよっ!」


クラス中が一斉に下を向く。一部の女子を除いては、当

分の間ナオトと目を合わせる事は出来ないだろう。そこ

まで皆に恐怖を植え付けなくても…。


「しっかし…、どうするよ?これ」


いや…、どうしよ?こんなのが全部入る袋なんて持って

来てない。そりゃそうだよな。こんなん想定外だもん。

ゴミ袋に入れておいたら、刺されるかな?


「ヒビキ君、これ貰って!」


突然、前の席のリカが僕に振り向く。僕やナオトに全く

興味を示さない娘の一人であったはずだが…。こいつが

こんな可愛い声を出すのも初めて聞いたし…。


「ほらっ!」


僕に押し付けて来たのは、洋服等を買った時に貰えるよ

うなデッカイ紙袋。中に何も入っていないのを確認した

後、リカの顔を見る。


「私は他の娘と違ってアンタに興味無いから。でも、困

ってんでしょ?使っていいよ」


いつもの低いトーンに戻り、リカが言い放つ。なかなか

お洒落な行動が出来る娘だ。こういう娘が寄って来た方

が面白いのに…。


「返さなくていいから」


僕との会話を一方的に終了し、前を向く。きっと今日も

また、リカが後ろを振り向く事は無いのだろう。でも、

とても助かった。サンキュ。


「リカは誰かにあげないのか?」


そそくさとチョコ袋をデッカイ紙袋へ移行中の僕を尻目

に、ナオトがリカに問い掛ける。が、リカが振り向く事

も答える事も無いのだろう。


「でも、良かったじゃん」


リカに無視されたナオトが、今度は僕に話し掛けてくる。

うんうん、と頷きながらも僕は作業の手を止めない。も

うすぐ授業が始まるだろうからね~。


「パンパンだな…」


全てのチョコ袋を入れ終わった僕を労うように、ナオト

が言う。中身でパンパンのでっかい袋はとりあえず端っ

こに寄せて…。


「今年はヒビキの圧勝だな」


苦笑いしながら、ナオトが僕の肩に触れる。こんなもん

でナオトに圧勝してもな~…。っつうか、こんなもんで

ナオトに勝てるとも思わないが。


「全部、食べるのか?」


い~や、の意味を込めて苦笑いしながら首を横に振る。

こんなに食べたら鼻血が出てしまう。それに、そこまで

甘い物好きでも無いし…。


「ミユキが食うのか?」


うん、の意味を込めてやはり苦笑いしながら首を縦に振

る。彼女ならこれくらいの量、大した事無いはず。自分

でもそう言ってたし。


「さ~て、そろそろ…」


ナオトが話し始めたと同時に、担任が入ってきた。この

教師もまた女には縁の無い可哀想な生き物だから、なる

べくなら気付かれたくないな。


「授業始めるぞっ!」


朝っぱらから不機嫌モード満載という事は、この教師、

やはり今年も楽しくないバレンタインを過ごすのだろう。

まっ、こいつ程度の生き物ならしゃーないか。


「うるせーぞ!」


ちょっと話してただけの奴等に牙を向いてる。だから、

お前はモテないんだ、っつうの。でも、やけに刺激的に

今日が始まったな~。


少年~68~


「はぐっ!」


ミユキの顔の大きさとさほど変わらない位の大きさを誇

るハンバーガーを豪快にかじっているミユキを見ている

と、何か顔が綻んでしまう。


「う・ま・すぎる~!」


でっかい歯形が付いたハンバーガーを口から離すと、空

に向かって吠えた。ミユキさんの獣色がドンドン濃くな

っていく…。


「し・あ・わ・せ~!」


バクバクと、ハンバーガーを噛み千切っては飲み込んで

いく。ミユキの食いっぷりは基本的に嫌いじゃ無いけど、

ここまで来るとちょっと引くな…。


「次はお前だ~!」


次にミユキの餌食になったのは、手の平位あるチキンナ

ゲット。これにチューブごと持ってきたケチャップをど

っさりかけて豪快にかぶり付く。


「まだまだ~!」


ハンバーガーをかじり、そしてチキンナゲットをかじり、

それを何度と無く繰り返している。口端に滴ったケチャ

ップが妙に生々しくちょっと怖い。


「ふ~…」


一瞬、ミユキが静かになった。僕もハンバーガーとの格

闘は一時中断してミユキを見ると、お腹を擦りながら幸

せそうに横たわっている。


「美味しかったよ~!」


最後の雄叫びと共に、大の字になった。こんな生き物、

動物園で何度か目にした気がする。人として、そして女

の娘として、その感じはどうなんだろ?


「ヒビキ、食べるの遅いよ~!」


いや、僕は遅くない。お前が早過ぎるのだ。と言うか、

こんなでっかい物体2個なんて、どんなに時間を掛けて

も食べきれる気がしないんですけど…。


「じゃあ、ハイ!バレンタインのチョコ!」


僕の中指サイズ位の細長い春巻き状の物を差し出される。

これが朝言ってたチョコ春巻きね。早速、1個食べてみま

しょう。うん、うまい。


「いっぱいあるからね!」


ミユキが出してきた袋の中には、今僕が貰った物と同じ

物が100本位入ってる。いくらなんでもこれはやり過ぎな

んじゃねーの?限度があるだろ、限度が…。


「そういえば、他の娘から貰ったの?」


僕の目を見ながらミユキが聞く。僕は目をそらしながら

曖昧な笑顔で首を傾ける。こういう僕の態度が時として

ミユキに火を点けてしまうのだ。


「いくつよっ!」


おっ、イキナリ沸騰しやがった。でも、ここで正直に言

ってしまうと、ストレートが飛んでくる可能性があるか

ら、ここは再度曖昧な微笑で…。


「な~んてね、さっきナオト君から聞いたのよ」


ミユキの顔が若干落ち着いた。どっちの意味なんだ?怒

っているのか、それとも怒りを通り越しているのか…。

恐々次の言葉を待つ。


「大きい袋1個じゃ足りないんだって?」


そうなのだ。あの朝の後、休み時間毎に見た事も無い娘

がやってきては、チョコを置いていったのだ。リカから

貰ったバカでかい袋は既に限界を超えている。


「後で、袋届けてあげるよ」


ミユキが冷静に言い放つ。なんだこの感じ。よくミユキ

の顔を見てみると、全然怒ってない。それどころか、よ

くわからん余裕すら感じられる。


「今年はナオト君より貰いそうね」


そうなりそうな予感はする。いや、確定と言っても良い

かもしれない。ナオトはもちろん去年以上に貰っている

のだが、僕のフィーバーっぷりは並じゃ無いのだ。


「食べきれるかな~?」


やっぱ、ミユキさんが食べる案は続行されるのね…。別

にいいけど、もっとイイ体格になっちゃうぞ。ホントに

そんなに食べれるのかね~?


「私…、学校で一番モテる男と付き合ってるんだ…」


突然、ミユキが感慨深げに言う。それも、校庭を全て見

渡せる場所まで移動し、スカートをひるがえして言った

のだ。何かちょっとカワイイ…。


「他の娘の所に行っちゃヤダよ…」


さっきの獣モードから一変し、今は確実にお嬢様モード

に入っている。目がウルウルしてる所を見ると、どうも

ドラマのヒロインを気取っているようだ。


「ゲッ!」


うわっ、こんないい場面でゲップしやがった、コイツ。

でもまだ、お嬢様モードを続けようとしてる所がミユキ

らしい。ホント、面白い娘だね。


少年~69~


「ヒビキっ!」


結局食べきる事は出来なかったハンバーガーをお土産に

教室へ重い身体を引きずって行くと、何故か懐かしさを

感じさせる声が掛かる。


「こっちよっ!こっち!」


声のする方を向くと…、おっ、ミクじゃーん。いつの間

に来てたんだ?その隣には笑って僕を見てるナオトが座

っている。


「会うのは久しぶりよね~!」


若干、精神的にも身体的にもたくましくなったミクの顔

をじっと見詰める。ん~、イイ顔してるね。もう悩み等

全く持っていないような表情に見える。


「はい、チョコっ!」


パティシエクラスの腕前を持つミクからチョコを貰うの

は今年で3回目。去年も一昨年もオーソドックスだが、

とても完成度の高いお菓子を持ってきてくれたっけ。


「今年はちょっと趣向を変えてみたよ」


早速ミクから手渡された袋を開けてみる。中にはドンと

いう感じで、でっかい丸い球が入ってる。何じゃこりゃ?

食い物なのか?


「いいから一口食べてみなさいよっ!」


どこから口をつければ良いのかわからない位の代物だが

ここは意を決して…。思いっきりでっかい口を開けて豪

快に齧り付く。


「どうよっ?」


ミクが自信満々に聞いてくる。これは…、なるほど自信

満々に言うだけの事はある。チョコがかかってるウェハ

ース状の物の中にトロトロの生チョコが入ってる。


「どうなのよっ?」


いや~、これはたまげた。こんな美味いお菓子を食べた

のは生まれて初めてかもしれない。歯ざわりから甘さか

ら、何から何まで全てが絶妙なのだ。


「感想言いなさいよっ!」


唖然とした表情のまま、ゆっくりと頷く。そんな僕の表

情を見て、ミクは満足そうな笑みを浮かべる。こいつ、

本物のパティシエになれるんじゃねーの?


「いっぱい時間あったからね~、腕によりをかけちゃっ

たわよ」


お中元のハムのような二の腕を擦りながらミクが言う。

そりゃそうだろう。ずっと学校休んでた訳だし、時間は

山のようにあったのだろう。


「ナオトもあっという間に食べきったわよ!」


ミクの言葉に隣のナオトがウンウン頷く。こんだけ美味

しい食べ物なら瞬時に食べきるのも頷ける。しかし、今

の僕にそれを望むのは酷というものです。


「今回は4つしか作ってないからね~、レアモノよ!」


僕とナオトに1個づつ。後の2個は誰にあげたのだろう?

視線をちょっと下げるとミクのお腹が見えた。知らない

うちにこの子のパパでも出来たのだろうか?


「ヒビキとナオトと、後でミユキちゃんにもあげて、

最後の1個は…」


ミクの言い回しに、若干変な緊張感が漂う。ふとナオト

を見ると、全然別な方を見ているようでいて、しっかり

ミクの表情を盗み見ている。


「この子!」


ミクが自分のお腹を指差す。一瞬、ミクのお腹が波打っ

たように見えた。もしかして、お腹の子供が、自分だよ!

って手を挙げたのか?


「私経由でね」


そっか…。何かわかんないけど、妙に安心した気持ちに

なった。ナオトも表情から硬いモノが消え、穏やかな表

情に戻っている。


「そういえば、ヒビキ凄いんだってね?」


今日はその話から逃れる事は出来ないのだろう。あまり

したくない話題だけど、曖昧に頷く。具体的な話は既に

ナオトから聞いてるだろうし。


「ナオトが、負けた…、って泣いてたわよっ!」


ケラケラ笑いながら、ミクがナオトの肩を抱く。一瞬、

ナオトが震えたように見えたがミクは気付いていない。

ミクが楽しげに付け加える。


「だから、言ったじゃん。ヒビキはモテるんだ、って」


そういや、そんな事言われたな~。ミクにも告白された

事あるしね。こういう時、どんな表情をしてよいのか僕

は知らないので、曖昧に笑う。


「ほら…」


ミクが僕の机を指差す。そっちの方に視線を向けると…

おわっ、また僕の机がカラフルな袋で覆われている。ホ

ント、何が何だかわからない。


「ヒビキ君、スゴ~い!」


ミクがすっごい可愛い声で言った後、ガハガハ大笑いし

てる。ナオトもその隣で、今度は一切遠慮無く大笑いし

てる。僕も笑うしかないよね…。


少年~70~


「いや~、ビックリしたよ」


僕のチョコの話題は終焉を向かえ、ナオトが切り出す。

もちろん、ミクの突然の復活劇の事。ミクは照れ笑いを

しながら、経緯を説明し始める。


「な~んか、暇なのに飽きちゃってさ~」


わかる。普段学校なんぞは来たくなくて仕方ないもんだ

が、いざ行かなくてよくなると逆に行きたくなるもんだ。

って、僕が天邪鬼なだけか?


「みんなとも会いたかったしね!」


ん~、以前のミクとは人が変わったように感じる。こん

なに素直に自分の気持ちを表現出来る娘だったっけ?

いや、実際変わったのだろう。


「ナオトとなんか、ちょ~久しぶりだし!」


変化したミクはナオトをつっつく。それを肌で感じ取っ

たナオトも、ちょっと変わったような気がした。ミクを

見る目が今までとは違う。


「ホントだよ、心配掛けやがって!」


ナオトがミクの髪の毛をぐしゃぐしゃにする。ちょっと

スネた表情でミクが髪の毛を直しているが、笑いを隠せ

ずにはいられないようだ。


「ゴメンね、お詫びにチューしてあげるよ!」


ミクの顔がナオトに近付く。でも、ナオトは今までみた

いに動揺したりはしない。昔…、ナオトとミクが付き合

う前の二人に戻ったみたい。


「それ以上近付いてみろ?頭突きするぞ!」


ナオトが身構えた瞬間、ミクがサッと身を引く。なんか

懐かしいな~。こんな二人を僕は笑いながらいっつも見

ていた気がする。


「ヒビキ聞いた?ナオトってこんなに野蛮だったっけ?」


ナオトの額を押さえながら、ミクが嬉しそうに僕に言う。

ナオトは額をミクの手に押し付け続けている。僕は微笑

みながら、ウンウンと頷いてみる。


「野蛮じゃない、自分を守る為だ」


ミクの手から額を離し、神妙な顔をしてナオトが言う。

僕とミクは顔を合わせて、不思議な表情をお互いにぶつ

ける。


「意味わかんないんですけど~!」


ナオトが油断しているのをいい事に、ミクのデコぴんが

ナオトに炸裂する。ナオトが顔を歪めるのを見て、僕と

ミクは大笑い。


「いってーな、お返しだ!」


ナオトがミクにやり返そうとするが、残念、空振りして

しまった。ミクはすでにナオトの手の届かない距離まで

逃げている。


「私にやり返そうなんて、200年早いわよっ!」


ブルースリーのようなステップを踏みながら、ミクはナ

オトとの間を取り続けている。お前、お腹に赤ちゃんが

居るんだから、そんなステップ踏むんじゃない。


「ヒビキ…、ミクの動きが俺には見えない…」


ナオトが思わぬ敗北宣言をした為、この勝負はミクの物

となった。ミクが高らかに両手を上げ、遠くの人達に向

かって手を振る。


「みんな、ありがとう~!」


ミクがクラスの誰彼構わず手を振り続けるが、それに答

える心優しい人はここには居ない。って、お前は何気取

りをしているんだ?


「ちくしょ~!」


ミクの動きに呼応するように、ナオトが床にひざを付き

右手でガンガン床をたたく。ミクは手を振るのをヤメ、

ナオトの右手を持ったまま立ち上がらせる。


「いい勝負だったわ…」


ミクはナオトに頷くと、持っていたナオトの右手を高ら

かに掲げ、僕を見る。…僕もこのミニコントに参加しろ

って事ね。大袈裟な拍手を浴びせてみる。


「ヒビキ…、タオルを貸してくれ…」


そんなもんどこにあるんだ?と辺りを見回すと、ナオト

の座っていた席にしっかりかかってる。コイツ…、最初

から用意してたのか…?


「ナオト…、いつでも勝負受けるからね!」


ナオトの右手を解き放ち、ミクがナオトのタオルを頭に

被せてやる。ナオトは肩を震わせながら、その場に立ち

尽くしている。


「もう、俺は戦わないよ…」


タオルの中からナオトの言葉が響いてくる。震えている

ナオトの肩をそっと抱くミク。戦士が戦った後というの

は何でこんなにも清々しいのだろう?


「ほらっ、早く座れっ!授業始めるぞっ!!!」


教師がやってきた為、このミニコントは終了。ナオトも

ミクも、もちろん僕も大爆笑しながら自分の席に戻る。

教師は相変わらず激怒しているが、僕達の笑いは治まら

ない。


あの頃の三人に戻ったね~。


少年~71~


「ヒビキ、帰ろうぜ!」


授業が終わった途端、ナオトが声を掛けてきた。慌しか

った今日の学校生活も終わりを迎えたのだ。僕のチョコ

は結局でっかい袋3つにも達した。


「1個持ってやるよ」


結構な重さがあるにも関わらず、ナオトが軽々と持って

くれる。助かったよ。僕一人じゃ持ち帰るのは無理そう

だったから。


「100個、超えたか…?」


いや、わかんない。だって数えて無いもん。でも、それ

くらいありそう。っつうか、この学校の女子って何人位

居るんだ?


「ヒビキ君!」


教室を出た瞬間、透き通った声に呼び止められる。振り

向くとそこには、真っ白なコートに身を包んだユキちゃ

んが立ってる。


「ちょっと…、時間…、ある?」


僕が頷くと、ナオトが僕が持っていた袋まで抱えて歩き

だした。見て、こんなに気が利く奴がどんだけ居るよ?

ナオトってホント素晴らしい。


「一緒に…、ちょっといいかな…?」


ユキちゃんの後ろを付いていく。真っ白なユキちゃんの

姿を見ると、ホントに天使って居るんだ、って思えてく

る。僕は今天使に付いて行ってる。


「…」


ユキちゃんは何も言わず歩いていく。僕も何も言わずた

だ付いて行く。なんか変な感じ。5分程歩いてユキちゃん

が立ち止まったのは学校脇の並木道。


「座ろ」


人通りの少ない並木道の、冷たくなったベンチにユキちゃ

んが腰掛ける。僕は微妙に距離を取った場所に、ユキちゃ

んに触れないように座る。


「これ…、チョコ…」


ユキちゃんの手から真っ白な袋が僕の前へ。僕はそれを手

に取り、袋を開けると真っ白な箱。箱を開けると、真っ白

なケーキが入ってる。


「ホワイトチョコのケーキ、一生懸命作ったんだよ」


地面を見たまま、ユキちゃんが僕に語りかけてくる。なぜ

ユキちゃんは顔を上げないのだろう?なんかわからんけど

気まずい空気感が否めない。


「今日、何で白一色かわかる?」


ユキちゃんが顔を上げ、僕の目を見詰めてくる。すっごく

冷たく、でも、すっごく熱い何かに、僕の身体は凍りそう

になり、燃え上がりそうになる。


「ヒビキ君の色に染めて欲しいから…」


ドラマみたいな、いや、流行歌のような事を平気で口にし

ても全然違和感が無い所が、やっぱこの瞬間が現実離れし

てる証拠なのだろう。


「私、やっぱりヒビキ君の事が好きなの」


静かに、でもとても強さ溢れる言い方で僕を見詰める。僕

は何も答えられないよ…。ミユキと別れる事なんて出来な

いし、二股なんてもっての外だし。


「ミユキさんと別れて!それで私と付き合って!」


ユキちゃんが感情的になったのを初めて見た。基本的に明

るい娘だけど、瞳の奥では常に冷静な娘なのに…。ホンキ

という事なのだろう。


「お願い…」


真っ白なユキちゃんから、透明な涙が滴り落ちる。僕は人

をこんな、泣きたくなっちゃう位好きになった事は無い。

そしてこんなに感情を露わにした事も無い。


「寒いよ…、もっと近くに…」


僕とユキちゃんの間にあった微妙な隙間を、ユキちゃんが

自らの身体を使って埋める。他はすっごく冷たいけど、ユ

キちゃんと触れ合ってる所だけが信じられない位、熱い。


「私の全部…、ヒビキ君にあげたいの…」


ユキちゃんの口からこんな言葉が出るなんて想像すらしな

かった。ユキちゃんの言葉を聞けば聞くほど、ユキちゃん

のホンキさ加減がヒシヒシと伝わってくる。


「もうすぐ、卒業でしょ?」


潤んだ瞳を真っ直ぐ前に向けたまま、ユキちゃんが話し始

める。僕は、ユキちゃんの横顔をじっと見詰めている。ユ

キちゃんの口元から白い息が吐き出されている。


「全部捨てて、新しく始めようよ」


ぐわん。僕の頭の中で何かが生まれた。まだ形はわからな

いが、今後の僕を形成していくような何かが。でもそれは

ユキちゃんと付き合うという事では無いみたい。


「全部捨てて…」


ユキちゃんの言葉が僕の頭の中をグルグル回る。全部捨て

て、新しく始める…。僕はとりつかれたように、何度も何

度もその言葉を頭の奥底まで廻らす。


全部、捨てて、新しく、始める。


少年~72~


「おぅっ!」


結局昨日ユキちゃんとはあのまま何も話さずお互い別々

に帰ってしまった。昨日の言葉がリフレインしている中

重い気持ちで学校に向かっていると、ナオトが呼んだ。


「これ…、どうするよ?」


昨日、ナオトが持って帰ってくれたチョコの入ったでっ

かい袋3つを僕に差し出す。まだ、家の目の前だったので

ナオトにちょっと待っててもらって家に置いてくる。


「ユキちゃん…だっけ?告白か?」


口だけで微笑みながら頷く。告白は告白だったのだが、

それ以上に僕にとって影響を受けたのは、あの言葉、

そう、あの言葉なのだ。


「どうするつもりだ?」


やっぱり口だけで微笑みながら首を横に振る。こんな状

態のまま付き合う事なんて出来ない。あんな娘に告白さ

れたのに、僕はどうなってしまったのだろう?


「ミユキとは別れらんないもんな」


ナオトがちょっと意地悪そうに言う。でも、いつものよ

うに僕は余裕を持って返す事が出来ない。俯いたまま、

そのまま頷く…、が、これは本心なのか?


「ヒビキ…、何か変だぞ?」


やっぱ気付くよな…。僕が一番不思議に思ってる。何で

今日の僕はこんなにおかしな感じなのだろう?いや…、

わかっているのだ。


「何かあったか?」


無表情のまま、首を横に振る。ナオトに心配かけたくな

いのはもちろんだが、それ以上にこの感覚を誰かに説明

する事なんて出来ない。


「言えよ…」


ナオトがそっと僕に語りかける。しかし、やはり僕には

何も言える事が無い。大丈夫、の意味を込めて首を縦に

振るが、今日のナオトには通用しない。


「言えよっ!」


ナオトが突然でっかい声を出す。登校中の他の生徒達が

驚いたように僕等を遠巻きに見ている。ナオトが僕にこ

のような物言いするなんて初めてかもしれない。


「お前はいっつもそうなんだよっ!」


ナオトの声のトーンはますます上がっていく。ナオトが

怒る意味はわかる。たまたま怒りの頂点に達したのが今

日だっただけで、ずっと感じていた事なのだろう。


「何で何にも言わないんだよっ!」


ゴメン。頭ではわかっているのだが、誰かに頼る、とい

うのが、僕には出来ないのだ。どんな事であっても、自

分一人で始め、自分一人で終わらしてしまうのだ。


「お前な~」


ナオトのでっかい左手が僕の胸倉を掴む。僕はどうする

訳でも無く、ただ胸倉を掴まれたまま突っ立っている。

そして、じっとナオトの目を見る。


「フザケんなよっ!」


ナオトの右の拳が僕の左頬を殴った。あまりの勢いに、

道路をフラフラと後ずさりしてしまう。痛いな~…。

でも、ナオトの心はもっと痛いのだろう。


「来いよっ!」


ナオトが身構え、僕を待つ。でも、僕はケンカする気は

全く無い。僕の様子で、僕の気持ちまで汲み取ったナオ

トは更にヒートアップしていく。


「俺なんか目じゃ無いだろっ?来いよっ!やり返して

みろよっ!」


ナオトの言葉に対する僕の答えは…、両手をだらーんと

下に落とし、戦意が無いことを伝える。ナオトには悪い

がそんな事をする必要性が見えてこない。


「何なんだよっ?お前はっ!」


ナオトが拳を握り締めたまま、そして僕を睨んだまま、

僕に言葉を投げつけてくる。僕は…、何も言わず、ただ

ナオトの目を見続けている。


「何なんだよ…」


やっとナオトの身体から闘気が失せてくる。心底脱力し

たようなナオトの表情は、殴った者ではなく、殴られた

者のそれに等しい。


「俺のこと…」


ナオトの視線が地面から僕にゆっくりと向けられる。

怒りと、憎しみと、そしてそれ以上の悲しみが入り混じ

った目で僕を見る。


「友達だと思って無いのかよ…」


そんな事は無い。僕みたいな人間と仲良くしてくれた数

少ない友人の中でも、とっておき一番の友達だと僕は思

ってる。でも、そんな事言葉には出来ない…。


「親友だと思ってたのに…」


最後に言葉を言い捨てて、ナオトが僕の目の前から去っ

て行った。そんなつもりじゃ無かったのに…。でも、そ

れが僕の一番悪い所だと、自分でもわかってる。


少年~73~


「何やってんのよっ?」


登校中の生徒の波を逆流しながら歩いていると、ちょっ

と遅れて登校してきたミクに声を掛けられた。今日はも

う学校には行かないつもりなので、軽い挨拶だけする。


「ちょっと…、待ちなさいよ!」


そのまま学校とは反対方向に歩き去ろうとする僕に、

何か不穏なものを感じたのだろう。口よりも早く僕の腕

を掴み、顔を寄せてくる。


「ナオトとケンカしてたんだって?」


ほんの数分前の出来事を、なぜお前は知ってるんだ?

このアンテナの張り巡らし方は、若干気味が悪い位、

精度と速さに長けている。


「この辺の連中、皆噂してんじゃん」


よくよく見ると、僕の顔を見てはコソコソ何かを言って

いるように感じる。そっか…、そりゃ朝っぱらからあん

な賑やかな事してたら噂されるわな…。


「珍しいじゃん?」


ホント、ミクの言うとおり僕がケンカに巻き込まれる事

は珍しいことなのだ。そして、今回はナオトが相手な訳

だから、ちょ~レアな感じです。


「ところで…、学校行かないの?」


うん、今日はもう行く気を無くしたし、ナオトと会うの

はちょっと気が引けるし…、の意味を込めて、弱っちく

苦い感じで微笑む。


「じゃあ、私もサボっちゃおっ!」


僕の隣でスカートをひるがえし、僕と同じように生徒達

の波を逆流する。この時間に反対方向に歩く人間なんて

基本的に居ないので、皆にガンガンぶつかられてる。


「痛っ!」


知らない奴にぶつかられてミクがよろめいた。大事な時

に転んだりしたら、お腹の赤ちゃんに何て言い訳してい

いかワカンナイ。思わずミクの肩を抱く。


「ヒビキ、優しいじゃ~ん」


ニヤッとしたかと思ったら、肩を抱いてる僕の腕から身

を解いて、僕の腕にミクの腕を絡ませてきた。ミユキと

同じような重さが僕の左腕を揺さぶる。


「この方が歩きやすいよ」


確かにそうだな。でも、ケンカの噂が広まり始めてただ

でさえ目立つのに、人の流れを逆に歩きながら、妊娠し

ている友達と腕を組んで歩いてよいものか?


「また、噂になっちゃうかも?」


ミクが笑いながら僕に問い掛ける。僕は苦笑いをしなが

ら、別に構わないよ、の意味を込めて微笑む。どっちに

しろ、ミクは腕を外すつもりは無いだろうし。


「あっ、写メ撮られたっ!」


ちょっと離れた所から、携帯電話特有のシャッター音が

鳴った。これでまた、僕に関する新たな噂が流れる事が

決定したのだろう。


「どうする~?」


嬉しそうに笑いながら、でもどこかでちょっと小悪魔的

に表情を変えながら、ミクが僕に聞いてくる。ミクこそ

どうなんだ?の意味を込めて見詰めてみる。


「私は別に…、誤解されて困るような人居ないしね~」


やはり、今のミクは何よりも強い。こんなツマンナイ事

で動じる訳無いのだ。でも…、ナオトがこの噂を耳にし

たらどう思うのだろう?


「ナオトやミユキちゃんなら、事実無根だってわかるで

しょ?」


僕の考えている事を先回りして答えてきた。これだから

頭の良い娘と話をするのは疲れない。そうだよな、今更

僕とミクに何かある訳無いんだから。


「でも…」


でも?


「私ちょっと嬉しいかも?この感じ…」


ハタから見たら、確実に恋人同士に見えるようなくっつ

き具合。多分、ミクの言いたい事を僕は理解している。

まだ多少なりとも僕の事を想ってくれているのだろう。


「何かね…、ヒビキとこうやって歩いてると、フンワリ

した気持ちになる」


歩きながらミクが僕の肩に頭を乗せてくる。僕もなんか

ずっと忘れていたフワフワした感じをおぼえる。このま

ま、ミクと付き合っちゃいそうな気すらする。


「ヒビキがパパだったら良かったのにね~」


ミクがお腹をさすりながら、僕に言う。僕は困った表情

を浮かべる以外の何も出来ない。どこまでがホンキなん

だかわからない顔しやがって…。


「な~んちゃってねっ!」


ミクが言い終わった瞬間、目の前にベーッという顔を

向けてみせた。ミクはホント可愛くなったね~。僕は

さっきまでの事を忘れ、ミクと歩き続ける。


少年~74~


「ところでさ~」


学校から一番近い喫茶店で降ろした時に、ミクが心配そ

うに声を掛けてきた。そりゃそうだ。僕とナオトとの事

を心配してるからこそ、一緒にサボったんだろうし。


「ナオトと何があったの?」


一先ずコーヒーとオレンジジュースを注文してから、ミ

クの方に向かって、困った表情の笑みを浮かべてみる。

ミクならこれだけで通じるはず。


「でも、ナオトがヒビキにキレるなんて珍しいよね?」


ミクがオレンジジュースを舐めながら上目遣いで僕に話

し掛けてくる。多分、ナオトはナオトでずっと我慢して

いた事が暴発してしまったのだろう。


「ヒビキはさ~…」


ミクは、今日初めて見る真剣な眼差しで僕を見る。僕は

思わず目を逸らしてしまう。今回の事を、どう説明して

いいのか、僕にはまだわかっていない。


「ナオトやミユキちゃん、もちろん私の事も含めて…、

どう思ってるの?」


研ぎ澄まされた真剣のような鋭い刃で一刀両断されたよ

うな錯覚をおぼえる。まさかこういう事を、大切な人達

から聞かれるとは思っていなかった。


「ヒビキがどう思ってるのかわかんないけど、私達から

したら変な風に感じちゃうのよ」


今ミクが僕に言っている事は、多少形が違うだけでナオ

トと同じ事なのだろう。わかってくれてる、なんてのは

僕のエゴでしか無いのだ。


「何があっても、何も言わないんだもん…」


ちょっと不貞腐れたような表情を僕にぶつけてくる。

ミクやナオトやミユキは、何かあったら何でも僕に相談

してくれる。それが僕には無い。


「心配…、してるんだよ?」


ミクの視線が僕に突き刺さる。わかってる…、わかって

いるのだ。僕なんぞを心配してくれる心優しい人達だっ

事は、僕が一番わかってるつもりなのだ。


「ヒビキは…」


ミクの瞳が左右に振れている。迷ってる。でも、その迷

いを振り切るようにミクが切り出す。意を決したような

表情が眩し過ぎる。


「何で一人で生きようとするの?」


今まで一度も言われた事の無い言葉だが、多分、僕と接

した誰もが思っているであろう事。今の強いミクじゃ無

ければ僕に言なかった位、重く強い言葉。


「いいじゃん、私達に頼っちゃえば」


うん。僕はミク達を信じているし、僕の悩みを全て自分

の事のように、思い悩んで一緒に泣いたり、一緒に笑っ

てくれるって知ってるのだ。


「私…、この子が出来た時のヒビキの表情、一生忘れ

ないよ…」


その時、僕はどのような表情をしたのだろう?確かに、

あの時僕は何があってもミクの味方になってやると誓っ

た。それを表情からミクは読み取ったというのだ。


「私だって一緒だよ?」


僕なんかをホンキの瞳で見てくれる。そして、ホンキで

僕の事を考えてくれてる。改めて考えてみると、僕には

こんなに大切な人が居たのだ。


「なのにさ…」


ミクの瞳が潤んだ。僕の為に泣いてくれているのだ。な

のに、僕はこの場に及んでも何も言えずにいる。なんて

弱い人間なんだろう、僕…。


「きっとナオトも同じ事で怒ったんだよね?」


赤い瞳で僕を睨みながら、ミクが言う。僕はミクの瞳を

まともに見る事が出来ず、下を向いたままウンウンと首

を縦に振る。


「やっぱ、ヒビキが悪いよ…」


うん。でも、僕自身でもどうする事も出来ないのだ。

この性格で生きてきたし、多分、この性格でこれからも

生きていくのだ。


「ヒビキの性格知ってるよ?でも、私達の事をちょっと

位見てくれてもいいんじゃない?」


ミクは僕から視線を離さない。僕はミク達を見ていなか

ったのだろうか…。でも、ミクがそう感じたなら、きっ

と見ていなかったのだろう。


「ヒビキにとって私はどういう存在なの?」


大切に想ってる人です。いつもみたいにミクに視線で訴

えかけるが、今日は全く伝わらない。当たり前だ。今ま

では皆が僕に歩み寄ってくれていたのだから。


「居なくてもいいの?」


そんな訳無い!必死でミクを見るが伝わらない。


「寂しいよ…」


ミクがガックリとうなだれる。こんなにも僕の事を考え

てくれている人を次々に傷付けていく僕という存在は何

者なのだろう?僕は一体どうすれば…。


少年~75~


「ヒ~ビ~キ!」


外から僕を誰かが呼んでいる。重い身体を起こし、窓を

開けて外を見るとそこにはミユキの姿があった。僕を見

つけ大きく手を振っている。


「ど~したの?」


僕の部屋に上がってもらってから、ミユキと話を始める。

寝間着まんまだし、髪の毛ボサボサだけど、こういうの

をあまりミユキは気にしない。


「ずっと学校休んでるよね?」


うん、ミユキの顔を見ずに頷く。ナオトやミクを傷付け

て以来、どうしても学校に行く気がせずそのままサボり

続けているのだ。


「ナオト君やミクさんから、聞いたよ」


何を?なんてバカな事は思わない。きっとあの二人は僕

以上に思い悩んでいるに違いない。僕だけが、その苦し

みから逃げ出しているのだ。


「二人とも、怒ってない、って」


ホントに優しい人達だね。あれからもう半月程経つが、

その程度の時間で治まるような怒りでは無かったはずな

のに…。


「だから学校来い、って」


あんなに自分達が傷付いたはずなのに、そんな事を後回

しにして僕の事を真っ先に考えてくれているのだろう。

それに対して僕は何をしているんだろう…。


「二人の話聞いてさ…、私もちょっと寂しかったよ」


ミユキの頭が僕の胸に寄りかかる。ミユキの肩に触れる

と震えている。泣いているのだろう。一番寂しい思いを

したのはミユキかもしれないのだから。


「ヒビキはさ…、私も必要無いの?」


そんな事無い。でも、ミユキがそういう不安にかられる

のも無理はない。僕という人間と付き合うのに、どんだ

け大きな力を使うのか、想像できない。


「私は…、ヒビキが必要だよ」


知ってる。ミユキが全身全霊で僕にぶつかってきてくれ

てるのも、全力で好きになってくれてるのも、全部ぜん

ぶ知ってる。


「多分ね…、ナオト君やミクさんも一緒だよ」


今までに見た事無いミユキの表情が僕の目の前にある。

いつも笑っていて、時々怒ったり、泣いたりしているミ

ユキとは別人のようだ。


「私達の身勝手なのかもしんないけど…」


ミユキは真剣な表情を崩さない。こんなに静かで、こん

なに激しいミユキを僕は見たことが無い。シンシンと燃

え続ける炎を見ているみたい。


「私達と同じように、ヒビキにも想って欲しいよ」


ミユキの視線が僕を突き刺す。僕の身体を突き抜けては

また僕を突き刺すこの視線に身も心もズタズタに切り裂

かれるような気がする。


「私は…、最初からわかってたよ」


泣いているのか?ミユキの瞳がキラキラ光を放っている。

でも、その涙が零れ落ちる事は無い。涙は既に枯れる程

流したのかもしれない。


「ヒビキは誰も見てない、って…」


ミクと同じ事をミユキも言う。誰かを見る。誰かと真剣

に接する。よく考えてみると、僕はそのやり方を知らな

い。皆が言うのは当然なのだ。


「でもさ…、いつかちゃんと私を見てくれる、って思っ

たから、ずっと一緒に居たんだよ?」


自分の大切な時間を使って、僕を人として正しい道に連

れて行ってくれようとしていたのだろうか?でも、僕は

結局それに答える事は出来なかった。


「ヒビキはどうして誰の事も見ないの?」


どうしてなのだろう?僕はいつも皆の事を見ているつも

りなのだが、それが全く伝わっていない。これ以上何を

すればいいのか、わかんないよ…。


「私の事…、好き?」


ミユキが僕にこういう事を聞くのは初めて。ずっと何も

言わなくても伝わっていると思っていたから。ミユキに

したら、いつも不安で不安で仕方なかったのかもしれない。


「ねぇ…、どうなの?」


好きに決まってる。ミユキの瞳を見て静かに頷くが、ミ

ユキに反応は無い。じっと僕の顔を見詰めている。瞬間

ミユキの瞳が熱を持つ。


「やっぱり…」


ミユキが俯く。そのまま首を横に何度か振り、肩を震わ

せて泣き始めた。僕はどうしていいのかわからず、その

震える肩に手を置く。


「もう…、いいよ…」


肩に乗った僕の手を静かに振り解く。涙で濡れた瞳を手

の平で拭って、精一杯の笑顔を作りながら、僕の手を

ギュッと握り締める。


「ヒビキありがと…、とっても楽しかったよ…」


ミユキの存在がスッと遠のいたような気がした。


「でも…、これでバイバイだね…」


最後に思いっきり僕に抱きつき、耳元でそう言うと、

ミユキは僕の部屋から出て行った。もう今までのような

二人には戻れません。そうミユキの背中が語っていた。


少年~76~


「ヒビキっ!今日も学校行かないのっ?」


布団の上で現実と夢の狭間を彷徨っていると、下から母

親のでっかい声が聞こえた。一気に現実に引き戻される

感覚は何度味わっても慣れる事が出来ない不快さ。


「ず~っと休んでるんでしょっ?」


そうなのだ。ナオト、ミク、ミユキと次々に僕の前から

消えていったあの日以来、僕は外に出るのをヤメた。ず

っと家で一人過ごしている。


「あんたね~、いくら勉強してるからって、ちょっとは

外出しないと腐るわよっ!」


何もせず、ボンヤリしている訳では無く、今は必死で勉

強をしているので、精神的に腐る事は無いのだが、さす

がにここまで外に出ないと、身体は腐りそうだ。


「まったく~、突然手話の教師を目指すなんて…」


そう、僕は一人になったのをいい事に、新しい道を歩み

始めたのだ。とりあえず手話の教師を目指す第一歩として、

手話の勉強を始めている。


「だからって、学校行かない理由にはなんないのよっ!」


その通り。僕は手話の勉強を言い訳に、学校を含めた外

との交流を絶ったのだ。勉強に没頭している時だけは、

あの日の事を思い出さなくて済む。


「全く、極端なんだから…」


僕は一つの結論を出した。今までの事を全てリセットし

また一人きりで新しい自分を見つけようと思ってる。こ

うやって自分一人で結論を出す癖は治りそうに無いな。


「まあ、将来の目標が決まったのはいい事だけど…」


まだ将来の目標は決まっていない。しかし、まだ見えて

いない目標への、一つの通過点として手話の教師を目指

すというのは間違っていない気がする。


「最後の学校生活くらい、しっかり過ごせないもの

なの?」


こういう極端な性格も一生治らないんだろうな~。ずっ

と皆に支えて貰ってたくせに、その皆が去った直後、自

分のペースで動き始めてる。


「でも、誰も来ないなんて珍しいわね~」


今までの僕だったら、それこそ2~3日休んだだけで、

ナオトかミクかミユキの誰かが心配して家までお見舞い

に来てくれていたのだ。


「何かあったんでしょ?」


母親の事だから既に気付いているのだろう。僕の異変を

感じ取らない訳が無い。でも、僕を信頼してくれている

からこそ、こういう軽い感じで聞いてきたのだ。


「自分で解決しなさいよ~」


わかってます。誰にも頼る気は全く無いので。僕がいつ

ものように大丈夫じゃ無い事を気にしているのだろうが、

僕はそんなに弱くない…はず…。


「ところで…、明日卒業式じゃ無かった?」


そうだ。勝手に自分の世界を漂っていたのだが、明日は

卒業式なのだ。でも…、今更出席する気にはなれないん

だよな~。


「どうするのっ?」


どうしよ?一つの区切りであり、ケジメであるから、出

た方が良いとは思うのだが、卒業式に出る事自体の意味

を僕はイマイチ理解していない。


「無理にとは言わないけどね~」


母親とこんなに長い会話をするのは何年ぶりだろう?

いつもは怒鳴り声しか聞こえて来ないのに、今日はとて

も穏やかな声を出してくれている。


「欠席したら、いつか後悔するかもよ?」


人生の先輩としてのアドバイスなのだろう。明日僕が卒

業式に出なかったら、それを取り戻す事はもう出来ない

のだ。


「皆と会いづらいかもしれないけど…」


うん。でも、きっと母親の言うとおり出席した方が後々

の僕にとっては良いのだろう。わかってはいるのだが、

今の僕には若干抵抗があるな…。


「あんたは昔っからそうだった…」


僕を諭すような言い方をするというのは、母親にとって

とても珍しい事だ。僕は昔っから今のままだったのだろ

うか?


「変われないのはわかるけど、ちょっとは大人になりな

さいっ!」


親として、人間として、いろんな物を含めたアドバイス

なのだろう。僕は子供なのだ。そしていつまでも子供の

ままで居たいとすら思っている。


「最後でしょ?頑張りなさいっ!」


母親に頑張れと言われたのは初めてかもしれない。基本

的に放任主義で僕の事は僕に任せてくれていたから。そ

の母親の言葉だからこそ、重過ぎる。


「最後にちゃんと…、ケジメをつけて来なさい!」


僕の意志は固まった。


「明日の卒業式、行くのよ?」


うん。


少年~77~


「おはよ~…」


学校に近付くにつれ、多くの生徒達が声を交わし始める。

もちろん、僕に声を掛けてくれる人は今の所誰も居ない。

でも、今はこの孤独感がとても心地よい。


「連絡先を…」


チラホラと道の真ん中でLINEの交換会が行われてい

る。お前等、邪魔だっつうの!軽くぶつかりながら、僕

は学校へ向かう。


「卒業式終わったらさ~…」


みんなの気持ちはすぐ目の前にある卒業式、そしてその

後の開放感溢れる時間へ向かっているのだろう。ホント

だったら僕も同じ感じだったはず…。


「エリ~…」


あそこの取り巻きを制しているのは、笹野絵里。以前、

彼女のせいでおかしな奴等に絡まれた事もあったよな~。

そんな前でも無いのに、懐かしさを感じる。


「パシャッ!パシャッ!」


校門の目の前で誰彼構わず写真を撮ってる娘がいる。

あっ、こいつは確か僕とミユキがホテルに泊まった事を

リークした奴だ。まだ、生きていたのか…。


「ユキ!こっち、こっち!」


学校に入るとあちこちで最後の撮影会が繰り広げられて

いる。その中のいくつもの輪を飛び回っているユキちゃ

んが見える。さすが、人気者だね。


「おはようございますっ!」


おっ、ビックリした。誰だ?お前等…。バッジの色から

して一個下の奴等か。お前等なんて知らないし、よけい

な挨拶しなくていいよ。しっ、しっ!


「ほらー、早く教室入れっ!」


うちの担任が個人・集団問わず怒鳴り散らしてる。誰か

らも写真をせがまれなかった可哀想な教師がこいつ以外

何人くらいいるのだろう?


「…」


ナオトもミクもミユキも、発見できない。あえて僕を避

けるような事は無いと信じてるので、遠目からでも確認

出来ないとちょっと気になってしまう。


「キーン、コーン、カーン、コーン…」


チャイムが鳴った。みんながゆっくりと教室へ戻って行

く。僕もその流れに身を任せてゆっくりと教室への道を

進んでいく。


「遅いぞ!とっとと席につけっ!」


担任が怒鳴ってる。さっき校門の脇で騒いでたのに、い

つの間に教室に移動したのだろう?どうでもいいけど、

最後の日くらい落ち着けないものかね~…。


「今日は卒業式という事で…」


教師らしい話が始まった。ふと、誰も座っていない二つ

の机に眼が行く。ナオトとミクの机だ。なんであの二人

が来ていないんだろう?


「それじゃー、そろそろ…」


そろそろ卒業式が始まるようだ。担任の誘導で胸に花を

着けた同級生達が教室を出て行く。僕もその集団に加わ

り体育館へ向かう。


「卒業、おめでとう!」


厳かに卒業式は進んでいく。やはり、ナオトやミク、そ

れにミユキの姿もこの式の中から見つけられない。三人

揃って休むなんて…、何かあったに違いないよな。


「ヒビキっ!!!」


卒業証書授与の為、担任が僕を呼んだ。と思ったのだが

声が後ろから聞こえた。僕だけではなく、全員が一斉に

後ろを振り向く。


「ヒビキっ!!!」


式は中断され、声を発した人間を咎めるような視線がそ

の人間を突き刺す。あっ、ナオトだ。他の奴等の視線等

全く無視して、穏やかな表情で僕を手招きしている。


「行くぞっ!」


僕がナオトの前まで行くと、そう一言発し、歩き出して

しまう。天秤に掛ける行為は好きじゃないけど、どう考

えてもナオトに付いて行く方が正解に違いない。


「お前には、ホント呆れたよ…」


僕が付いてきているのを背中に感じながら、ナオトが呟

く。ナオトの苦笑いが見えてくるような言い方。でも、

全然嫌味な感じじゃ無い。


「でも、もういい。お前が何と言おうと、俺はお前の友

達を続ける、って決めたから」


一切後ろを振り向く事無く、ズンズン歩きながらナオト

が言う。ナオトと面と向かって無くて良かった。だって

こんな言葉で潤んだ目なんて見せらんない。


「俺だけじゃ無いぞ」


ナオトが立ち止まった所は屋上だった。僕とミユキがい

つもランチをしていた場所。いつか、ナオトとケンカし

た場所。そして実は…、ミクと出逢った場所。


「二人とも遅いっ!」


ミクが怒る。でも、顔は笑っている。その隣でミユキも

また微笑んでいる。三人と違って、僕はこの状況の意味

を理解する事が出来ないでいる。


「もういいよ…。ヒビキはそのまんまで」


ミクが言う。が、やはり状況が飲み込めない。


「それでも私達はヒビキと一緒に居たいみたい」


また、ミクが言う。僕を許してくれるというのだろうか?

あんなに傷付けたのに、また、僕を許してくれようとし

ているのか?


「私もヒビキと一緒に居る、でも今日からは友達としてね」


ミユキがミクの言葉に続く。まさか、ミユキとこういう

結末を迎えるとは思わなかった。バラバラだと思ってい

た物が、実は繋がりあっていたのかもしれない。


「という訳だから、乾杯しよっ!」


ミクはジュース。そして僕等の手には缶ビールが…。学

校の屋上で卒業式の最中にビールで乾杯なんて粋な事、

誰が思いついたんだろう?


「それじゃ~、カンパーイ!」


グビっ、と苦いビールを飲み込む。


「みんなは何に乾杯したの?私はこれからの4人の変わ

らぬ友情に乾杯!」


ミユキが大きなゲップをした後に話し始めた。付き合っ

ていた頃も可愛い娘だったけど、また違う形で可愛くな

ったような気がする。


「じゃあ俺は、この4人で卒業式が出来た事に乾杯だ!」


なんかちょっと見ないうちに、前にも増して逞しくなっ

たようなナオトが、缶ビールの残りを一気に空けてちょ

っと照れながら言う。


「私は5人の前途多難な未来に乾杯!」


そうだ。僕達は4人ではなくミクのお腹の赤ちゃんも含

めて5人なのだ。ミクの乾杯で改めてそれを思い出す。

ミクは母親になっているのだね~。


「ヒビキは?」


3人、いや、4人が一斉に僕を見る。みんなの言葉にち

ょっと泣きそうになっていた僕は、それを悟られないよ

うにスッと息を吸う。


「みんなへの・・・ありがとうに…」


右手に持っていた缶ビールをグッと掲げる。みんな微笑

んだ後、突然不思議そうな表情で顔を見合わせている。

なんかおかしな事を言ったか?


「ヒビキ、何も言わなくてイイのに」


ミクの言葉に、ナオトとミユキのリンクする。


「だって、こういう時に何も言わずに笑ってるのが一番

ヒビキらしいじゃん」


何だそれ?せっかく締めてやったのに。あっ、3人が大

笑いしている。


「ヒビキはさ~、表情と身振り手振りで、ずっと私たち

と会話してきた人でしょ」


ミクの言葉に、ナオトとミユキがウンウン頷く。


「だから、そのまんまでいいんじゃないの」


そっかー、そのまんまでいいんだ。


「あっ、赤ちゃんも同じ事言ってる!」


ミクがお腹を擦りながら言う。

みんな笑っている。

僕も力なく笑ってみる。


少年~prologue~


ミユキは調理師を目指し、専門学校に入学した。

ミユキの腕前があれば、あっという間に立派な

調理人になる事だろう。


ナオトは、自分探しに行って来る、と言い残して

アメリカへ飛び立っていった。そのまま永住しな

ければ良いのだが。。。


ミクのお腹はだいぶ膨らんでいる。産まれたら一

杯スイーツを作ってあげるんだ~、と元気よく僕

に会いに来る。


僕は手話の教師になるため、近所の先生に弟子入り

した。口下手な僕にみんな優しく接してくれる中、

自分の思いを言葉以外で伝える勉強をしている。


「ヒビキらしいよね!」


空からみんなの声が聞こえてくるみたい。



人に言わせれば、在り来たりかもしれない。

でも、そうじゃない人がどれだけいる?


誰かにとっては他愛の無い事でも、

僕等にとってはかけがえの無い事だ。


いろんな事があったけど、今では全てが良い

思い出になっている。


でも、今はまだ立ち止まる時じゃない。


僕は、また歩き続ける。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

少年 @taifuainao

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ