私の姉さんは箱の中

七沢ゆきの@「侯爵令嬢の嫁入り~」発売中

第1話 私の姉さんは箱の中

 夢を見た。


 箱の中には女がいる。

 首から下のない、美しい美しい女。


 つややかな黒髪、赤い唇。

 誰かに似ている。誰だろう。

 とても昔から知っている気がする。

 懐かしい笑顔。その唇から洩れる優しい声。

 それはころがる蜜のように、甘く甘く柔らかい。


『いやだわ。どうしてそんなにじろじろ見るの?千春ちゃん』


 ……ああそうだ。姉さんだ。箱の中にいるのは姉さんだ。

 私が姉さんを箱の中に入れたのに、どうして忘れてしまったんだろう。


『包帯。包帯を頂戴。千春ちゃん』


 私はもちろん姉さんの言うとおりにする。

 ぎっしりと箱の中を包帯で満たして、そうすれば、ほら___。


 姉さんが笑ってくれる。





            ※※※




 私の姉さんの美春さんはこの世で一番綺麗な人だ。

 事故で潰れた両目を隠すために巻いている包帯さえ、姉さんの美しさを際立たせる小道具のように見える。


 透けるような白い肌。通った鼻筋。弓なりの眉。とろけるような赤の唇。嫋やかな、ほっそりとした体。


 姉さんは私の誇り。姿かたちが綺麗なだけでなく、優しく穏やかで、この世の美徳を一身に背負っているような、神に殉じた伴天連の聖女のような、神々しいほど清らかな人。





                 ※※※





「姉さん、わたし、姉さんが大好きよ」

「ありがとう。私も千春ちゃんが大好きよ」

「本当に?」

「当たり前でしょう。貴女はわたしの可愛い妹。嫌いなわけがないわ」


「妹」だから「好き」なの?


 私はそんな理由で姉さんに愛されるのは悲しかった。

 

 私はそんな理由でなく姉さんを愛していたから。





               ※※※





「ね、千春ちゃん、お願いだから何か言って頂戴。わたし、千春ちゃんが笑ってくれなければ、安心してお嫁にいけないわ」


 姉さんは優しい声で残酷なことを口にする。わたしに姉さんの結婚を祝福してほしいと言う。私は何も言えない。頭をめぐるのは呪詛の言葉ばかり。


 今まで姉さんの手を引いてきたのはわたしなのよ。

 本を朗読して差し上げたのもわたしよ。

 すべてのお世話をしてきたのはわたしよ。

 姉さんは、みんなみんな全部、わたしのものだったのに。

 

「お相手はとてもいい方なのよ。こんなわたしでも喜んでもらってくださると言うの。この目では家のこともできないから何度もお断りしたんだけれど、そんなもの女中を雇えばいいって言ってくださるのよ。望まれて結婚するなんてこと、カタワもののわたしには夢のようなことなの。たくさん千春ちゃんにも会いに来るから、ね?」


 やめて、姉さん。そんなに幸せそうに笑わないで。ずっと一緒にいるって何度も指切りしたでしょう?たくさん約束したでしょう?なのにどうしてわたしを置いて行くの?遠くへ行ってしまうの?


どうして?





                ※※※





 ある日、道すがらに不思議な男を見かけた。

 男は小さな箱を大事そうに抱いて歩いている。

 そして時折立ち止まり、優しく微笑んで箱のふたを開ける。

 すると、そこからひょこりと美しい少女が顔を出すのだ。


 ふっつりと切り揃えられた前髪、丸いつぶらな瞳、桃色の唇。


 男が笑っているのを見ると少女もにこりと笑う。それはとても幸せそうで、わたしはひどくふたりが羨ましくなる。


 そうか。ああすればずっと一緒にいられるんだ。

 ぼんやりとわたしは思った。





                 ※※※





「こうして千春ちゃんに髪を洗ってもらうのもこれが最後ね」


 姉さんが寂しそうに呟いた。わたしは曖昧に頷く。

 姉さんの細い白い首はわたしの前に無防備にさらされている。


 姉さん。大好きです。


 だから……これ以上迷うのはやめよう。踏ん切りがつかなくなってしまう。


 わたしは浴槽のそばに置いておいた手斧をつかみ、姉さんの首へと振り下ろした。

 

 姉さんを箱に入れ、ずっとふたりでいるために。


 姉さんの口から悲鳴が漏れた。きっととても痛いのでしょう。


 でも、大丈夫よ、姉さん。箱の中に入ればもう痛くも辛くもないわ。目だって元に戻るかもしれないのよ。

 だからお願いだからそんな顔をしないで。これは儀式なの。わたしたちが一緒にいるための。


 庭の太い木を切るからとびきり切れ味のいい刃の斧を頂戴と言って買ったおかげで、姉さんの首はすっぱりと綺麗に胴体から離れた。


 わたしは大事な姉さんの首を用意しておいた箱の中に入れる。

 一緒に、姉さんの目を隠してきた包帯もぎっしりと詰めて隙間ができないようにする。

 タマシイというものが人にあるなら、それが抜け出ないように。


 姉さんがもうどこにも行かないように。


 ねえ、姉さん、姉さんはやっと本当に私のものになったのね。





               ※※※





 ときどき思う。

 わたしは姉さんになりたかったのかもしれない。

 姉さんのようになって……ううん、違う。わたしは姉さんとひとつになりたかった。

 

 二色の絵の具が混ざりあって、元の色に戻せなくなるように。

 一つの体に二つの頭が付いた、見世物小屋の双子のように。


 でももう平気よ。

 姉さんは箱の中にいて、優しく笑ってくれるから。





               ※※※





 風呂場の戸がいきなり開いた。

 駈け込んで来たのは母さまだった。


 母さまは首から下だけになった空っぽのの姉さんの体を必死で揺すっている。 

 だから教えて差し上げた。それはもう姉さんではなくて姉さんの抜け殻だと。

 本物の姉さんはこの箱の中にいるのだと。


 わかってもらうために母さまに箱の中の姉さんをご覧になっていただいた。

 これでもう、母さまは変な心配をなさらないはずだ。


 なのに母さまはそれを見て泣き出した。

 おかしな母さま。何が悲しいというのだろう。


「どうして……どうしてなの千春ちゃん……。そんなに美春が憎かったの?どうして……どうして……!」


 母さまが何を言っておられるのかわたしには意味がわからなかった。


 わたしは姉さまを愛しているし、箱の中の姉さんの口元も、とても満足そうに微笑んでいるのに。


「どうして美春を殺したの?」


 姉さんをわたしが殺した?

 わたしがそんなことをするわけがない。きっと母さまは狂ってしまわれたのだ。かわいそうに。


 さすがの姉さんもおかしくてこらえられなくなってしまったのだろう。細いお声で笑い始めた。


 母さまが泣く。


 狂ってしまっても『悲しい』と思えるのだろうか。


「ねえ、本当にどうしてなの?千春ちゃん。答えて。そして正気に戻って頂戴。お願いよ」


 母さまがなにかおっしゃっている。わたしにはその声が聞こえない。困ったわたしは箱の中の姉さんに相談する。

 姉さんは箱の中から「大丈夫よ」と言ってくれる。


 「大丈夫よ」と言ってくれる。

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