俺とあいつ

石動天明

俺とあいつ

「――秒殺かよ!」


 俺は頭を抱えた。ゲームの液晶画面の向こうでは、あいつがほくそ笑んでいる筈だ。

 実際、椅子から立ち上がり、筐体の横手から現れた彼女は、俺の想像通りの顔をしていた。


「やりぃ、私の勝ち!」

「ちくしょー」


 俺は学校の帰り、同じクラスのこいつに捕まって、一緒にゲームセンターにやって来た。そして格闘ゲームに付き合わされて、何回か戦ってみたのだがどうにも勝てない。別にゲームは苦手じゃないが、この、何と言うのだろう、スティックでの操作は慣れないのだ。


「ゲームで敗けて、その上、甘いもの奢らなくちゃいけないのか……」

「良いじゃなぁい、男が上がるよ、女の子に美味しいもの奢れるなんて」

「ははは、面白い事を言うな。俺の男を上げさせる為にコテンパンにやっつけてくれちゃった訳か。君ったら、どうしてそんなに優しいのかしら」

「でっしょー。ほら、早く早く!」


 俺の皮肉など効いていない様子で、彼女はゲームセンターから飛び出してゆく。俺はその後を追った。


 どんな高級スイーツ――ま、こんなド田舎で、東京から転校して来た彼女が満足するような店はなかろうが――を奢らされるのかと思っていた俺だったが、意外な事にあいつは、俺も馴染みの和菓子屋さんに駆け込んだ。


「いらっしゃい!」


 店の女将さんが威勢良く声を掛ける。しかしガラスの陳列ケースはがらがらで、黒糖饅頭の六個詰めが二箱ばかり重ねられているだけであった。


「どうしたんだい、女将さん。大将、調子でも悪いの」

「それがね、聞いてよあんた。あの人ったら腰をイワシちゃったみたいなのよ。それで、今朝から病院。ま、昔から体調なんて気にしないで無茶する人だったから、緊急メンテナンスって事で丁度良いかもしれないけどねぇ……あら、可愛らしい女の子! 何だい、あんたのこれかい?」


 女将さんは陳列ケースから身を乗り出して俺に顔を寄せると、小指を立てて小声で訊いた。冗談ぽい、誰がこんなじゃじゃ馬と。


 しかし、大将がいないんじゃ、こいつが好きそうなお菓子は出て来そうもないな。俺は昔からこの黒糖饅頭が大好きなのだが、他の多くのお菓子もみな大将の手作りだ。若いのが何人かいるし、近くに工場も建ててそこで作って店に卸しているのもないではないが、最終的には大将がチェックしなければいけない。


 工場の機械のメンテは欠かすなという大将だが、まさか自分のメンテナンスを怠るとは。


「だってさ。どうするよ、他の所しようか」

「え? これ! これで良いわよぅ、美味しそうだし!」


 何と。

 俺はてっきり、新商品のクリーム大福とかチーズ大福、イチゴ大福にカフェオレ大福なんかのハイカラなものを彼女は好むと思っていたのだが、シンプルな黒糖饅頭をご所望か。何だかんだでここの饅頭は旨いからそれも悪くないとは思っていたが、本当にそんな事を言うとは考えなんだ。


 そういう訳で俺は六個入りの黒糖饅頭を買い、大将によろしく伝えて欲しいと女将さんに言って店を出た。その女将さんだが俺たちの後ろ姿を見て何だか妙な顔をしていたが何だろうか。去り際の、


「そう言えばあの子……似てるわねぇ」


 という呟きも、何の事やら。

 まぁ、決して悪くないツラの彼女であるから、テレビで売り出しているアイドルだか女優だかに似ているのだろう。


「あそこの公園でゆっくり食べましょ! 半分、分けてあげる」

「半分も何も、俺の金だぞ……ってのは、奢った人間としちゃァ格好悪いな」


 俺たちは和菓子屋の近くの公園にやって来た。

 ジャングルジムやブランコ、シーソー、滑り台、鉄棒などのある、そこそこ広い公園だ。ぐるりをフェンスで囲まれており、フェンスの内側には等間隔で樹が植えられていた。夕方の風に揺れる木の葉の間から、茜色の光がさっと入り込んで、遊具のシルエットを砂利の地面に引き延ばす。


 俺はこいつと一緒にベンチに腰掛けた。ガサツな手付きで包装を破り、早速饅頭を一つ取ってかぶり付く。半分くれると言った彼女の言葉を信じて、俺も口に放った。黒糖を練り込んだ生地から甘い匂いが立ち昇り、濃厚な餡子が舌の上に広がる。


 二つ目に手を伸ばそうとした所で、俺の隣のこいつが急に胸を叩き始めた。ゴリラの真似ではないらしい、どうにも急いで饅頭を掻っ込んだ所為か、咽喉に詰まらせてしまったようだ。


「何やってんだか! おい、待ってろよ、お茶買って来るからな」


 俺は公園の入り口にある自動販売機まで向かい、ペットボトルのお茶を買って来てやった。キャップを外してボトルを手渡すと、ぐびぐびと呑み込んで一命を取り留める。


「ぷはぁ、死ぬかと思った!」

「せっかちな奴だな。……ふん、そう言えばあいつも、せっかちな奴だった」

「あいつって?」


 俺の独り言を耳聡く聞き付けた彼女が、首を傾げた。


 俺はこの公園に来ると、どうしても思い出さざるを得ない事がある。

 それは一〇年以上前、俺がまだ小さかった頃の記憶である。


 俺の家はこの公園の近くにあるのだが、両親が共働きで家に帰っても誰もいない事が多く、暗くなるまでここで遊んでいるのが日常だった。年頃の近い相手とサッカーや野球を適当に楽しむも、他の子たちはさっさと親に連れられて帰ってしまうので、いつも俺だけが最後に残った。


 独りぼっちになった俺は、公園を占領してヒーローごっこに興じていた。当時テレビで放送していたヒーロー番組の主人公になり切って、走り回ってパンチやキックを繰り出し、ポーズを決めて名乗りを上げた。


 それを思い出すと俺は、何となくノスタルジックな気分になり、ベンチから立ち上がって公園の真ん中までやって来た。


「スターダストエモーション!」


 久し振りに、テレビで観たヒーローの動きをやってみる。脚を開いて腰をひねり、腕を突き出し表情を鋭く――昔の事と思っていたが、なかなかどうして覚えているものだ。


「懐かしいなぁ」


 あいつは俺の背中に言った。


「私も観てたよ、それ」

「女の子なのに?」

「好きなものに、男も女も関係ないよ」


 饅頭を全てやっつけたあいつは――俺、まだ一個しか喰ってないんだが!?――、俺と向かい合うように立ち、夕陽を背中に受けてポーズを採った。


 おお、これはあれだ。


 俺がやったのはヒーロー側のポーズだ。で、“スターダスト……”というのは、ヒーローの台詞ではなく、ヒーローが使用するガジェットに内蔵された音声だ。DX玩具というのか、その発音を覚えていて、俺はそれを自分で口に出して遊んでいた。


「ブラックホールフォーエバー!」


 あいつが口にしたのは、主人公に対する敵役ヒールのガジェットの音声。そしてあいつは、出来る限りその音声に近付けた声音で言うと、俺に飛び掛かって来た。


「やーっ!」


 と、先程の格闘ゲームもかくやという跳び蹴りを披露する。

 俺はその蹴りがヒットする直前に自ら後方に飛んで、地面に転がった。


「うぐ……秒殺かよ!」


 思えば、これもそのヒーロー番組の印象的なセリフだった。このヒーローというのが正直言うと余り強くなく、いつも敵にやられているような印象だった。その時に口にしていたのが例の台詞だった――ような気がする――のだ。


「大丈夫? 結構、派手に飛んだけど……」

「平気だよ。本当に蹴り飛ばされてた昔からすればね」


 あいつに手を借りて立ち上がり、服の埃を払う。


「えー? 何それ?」

「昔、ここで良くこうやって遊んだ奴がいるんだ。あいつも番組のファンだった」


 しみじみと、俺は言った。


 友達もないのにヒーローごっこを楽しんでいた俺の前に、或る時、同じ年頃の子供が声を掛けて来た。その子は、俺が持っていなかったヒーローの玩具を差し出して、一緒に遊ぼうと誘ってくれた。


 役割は、俺がヒーロー役で、その子がヒール。


 俺たちはその玩具を使ってヒーローとヴィランになり切って、文字通り日が暮れるまで遊んだものだ。しかもあの子は俺に決して安くはないであろう玩具を預けるという事までしていた。それが、俺とあの子の約束だった。明日も又、同じ場所に来るようにという。


「けどなぁ……」

「けど? 何かあったの?」

「うん……」


 俺たちの遊びは段々と真剣になってゆき、その週に放送されたストーリーを詳細に再現するようになった。そして、あれは確か夏の頃だったかと思うが……


「それが変な脚本の話でさぁ」

「脚本」

「うん。夏ってお盆休みで帰省しているとか遊びに行ってるとかあるだろ。だから、ストーリーの本筋に絡まない話を放送する、みたいな事があるんだよ」

「ああ……特に関西だと甲子園で放送休止って事もあるみたいよね」

「うん、それでさ」


 確か、敵味方関係なく、探偵ごっこをやる、というような脚本だったと思う。しかも二話完結の前後編だったので、その事件の決着が次の週にまで持ち越される事になったのだ。


「じゃあ、その探偵ごっこを、二人で再現したの?」

「そうだ。ただ……」


 その話では、ヒールの方が探偵役を買って出ていた。普段は怖い顔で主人公やヒロインをいたぶる悪役が、如何にもと言った探偵ルックで現れて格好付けるという良く分からない演出があったように思う。そしてその回の引きが、「犯人は、貴方ですね」と事件の首謀者を指差して、その正体は一体誰か? というようなものだった。


「けどあいつ、その次の日から来なくなったんだ」

「――」


 風邪でも引いたのかと思い、その日は待つ者のいない家に帰った。だが、次の日も、その次の日も、一週間経っても、二度と再び、あの子が俺の前に姿を現す事はなかった。


 玩具を俺に預けたまま……いなくなってしまったのだ。


「そう……」

「若しかすると、俺の幻覚だったのかもしれないな」

「幻覚?」

「イマジナリーフレンドっていうのかなー。俺の、誰も待ってない……別に両親を非難している訳じゃねーぜ、でもやっぱり、そんな寂しい家に、なんか帰りたくないっていう思いが、あの子の幻を俺に見せていたのかもしれない……」

「……そうなの?」

「その時の玩具はまだ手許にあるからさ、そういう訳じゃないんだろうけどな」

「ふぅん……」

「何せ、小さい時の事だからな。子供の頃の朧げな記憶なんだよ」


 自分で言っていて、何となく哀しくなった。そういう思いは、あの子がいなくなってから何度となく去来する事はあったが、それを口に出すのは初めてだった。そして口に出してしまうと、その事が現実であるかのように、俺の頭が認識し始める。


 もの寂しさを感じ、俯きがちになる。目頭が熱くなったのを気取られたくなくて、あいつから逃げるように背中を向けた。


「――所でさ」


 あいつが、夕陽と共に言った。


「その番組、もう観なくなったの?」

「あいつがいなくなって、か? いや、そんな事はないけど」

「じゃあ、その子がいなくなってからの話も、憶えてる訳?」

「ぼんやりとな。確かヒーローが犯人だったんだよ。いや、実は敵の策略でそうなっただけなんだけどな……それがどうかしたのか? 気になるならDVDでも借りるか?」


 結構昔のだが、DVDにはなっている筈だ。最近はBlu-rayボックスも発売されたと思う。


 そう言おうとして振り向いた俺に、あいつは人差し指を突き出していた。そして逆光の中で、あいつは言ったのである。


「――犯人は、貴方ですね?」


 その子は、言った。

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