転生もまた労働のうち──転生を仕事にしてみたら割とブラックな職場だったけどとりあえず3年は頑張る──

@Chia_YUI

第1話 起床

「...っかァ!!ヒョ、ヒョォォ!!」


何かを吐き出そうとする肺に抗い、ギチギチに閉じた気管を引っ張るように、全力で空気を吸い込む。


無茶苦茶に雑なリズムを奏でる脈が身体ボデー中で響き渡り、その度に耳がビリビリする。

ゆっくりと瞼を開くと、世界がふたつに割れ始め、強烈な光がまぶた越しに網膜をスキャンする。眩しい。恍惚のホワイトライト・ホワイトヒートを感じる。ああ、この回転する世界のグルグル味グルみ...俺は...帰ってきた...。


徐々に速度を落とし始めた景色の中で、溢れていた光が凝固を始めると、規則正しく並ぶ、天井の蛍光灯へとトランスフォームしていった。と思うと、すぐにそれを覆い隠す人影。


「め...くん...やおと...くん...? ...矢乙女くん?」


「ウェ...あ、パイセン...どうも、お疲れさまです...。」


そうだ、意識がはっきりしついでに説明しておくが、俺の名前は矢乙女相太という。

東京スーパーIT会計専門学校(4年コース)を卒業後、去年の4月からこの株式会社ネオ・ディメンショナル・アビエーションで、パラレル・ユニバース・アシスタントコミュニケーターとして働いている23歳だ。

得意料理は冷ややっこにネギとラー油をかけたやつ、中学時代のあだ名は「人畜無害」から取って「チム」だった。


...彼女はいない。いや、いたことはあるし、ちゃんとそれらしいこともした。2030年頃には、成人の性交未経験率が50%を超えたと聞いたこともあるが、なぜかそれからわずか25年の間に「セックスしたことないやつは人間じゃない」という程度にその数字は激減し、俺もまた天然記念物は免れているつもりだ。っていうか、ガキのうちにセックスしたことあるやつがそんなに偉いのかよ? 

ただ肉欲に身を預けただけのサルだろ? 理性で生きろよ、理性で、なぁ?

 

...そもそも、俺も相手が好き、相手も俺が好き、なんていう状況? 異性の前で脱ぐ女? そんなのが世の中存在するのかよ、都市伝説だろ絶t

「...ちょっと、ほら、目を見て? ピント合ってる? だめだ、まだちょっとグルってるみたいね。」


俺の顔を覗き込んでいる彼女は、プロジェクト・マネージャー兼ミグレーション・カスタム・オフィサーの葉蘭ルイ。29歳。ロリータフェイスだが、唇の左下にある藍色のホクロと、全く顔に釣り合わないムッチムチのボディは、日々周囲の男たちの劣情を煽っているはずだ(少なくとも俺は煽られている)。


「なんて顔してるのよ、ダラッダラよだれ垂らして...気持ち悪いなぁ。ってか、その様子だと、また今回も何も覚えてないってことね? ホントに、一体いつになったらちゃんと異世界あっちの記憶をキャリーアウトできるようになってくれるわけ?」


そう言いながら、葉蘭さんは俺の胸に貼り付けられた電極パッチを勢いよく引き剥がす。


「あのね、矢乙女くん、君、もう丸1年になったのよ? 都司くんたち、1日に2往復くらいはできるようになってきて、ちょっとづつだけどスーベニアもピックできるようになってるの。ハイパーESだってタダじゃないんだから、いつまでも新人気分でいないでよ、水泥棒。」


ハイパーESというのは、まさに今、俺が肩まで浸かっているこのネットリした液のことだ。人間の体液と極めて近い組成になっているらしく、俺の共感覚を拡張する代物らしい。まあ細かい話はよくわからん。研修の時に聞いた気がするが、企業機密の塊なのだ。


確実なのは、こいつは割と臭いはずなのに、何も感じない俺の鼻はすでにバカになっている、ということと、俺は1日37時間くらいコイツにドブ漬けになっているということで、もしも仮に発ガン性でもあったら真っ先に死ぬことになるということだ。


葉蘭さんの胸から滴り落ちる、ぷるぷるのふたつの脂肪の果実は、ゆるゆるのオペ着をこちらに押し下げ、なんとも芳醇な胸元をつくり上げている。重力の芸術だ。ああ、もしも理性がなかったなら、確実に手で支えにいこうというところだ…。

モニタリング・ワーマーがオフになったハイパーESは、すでにゆっくりと冷え始めていた。


「すみません…。マジで俺、この仕事、向いてないんですかねえ…。」


いやー、ちょっと待ってよ、帰ってきて早々説教かぁ。軽い眩暈を感じながら、トランスミグレータ・バスの縁に手をついて立ち上がると、体をぴったりと包み込んでいる極薄のスキンの表面を、ズルズルと液体が這い落ちていくのがわかる。


『ぇーと,業務放送,葉蘭さん,2番デッキ,転生帰還イミグレ,カスタムお願いします〜.』


機械的な音声が室内に反響する。

葉蘭さんが「オーケー」と声を張り上げると、スピーカーの声は『よろしくお願いしゃす〜』と言い、切れた。


「...まあ、聞かなかったことにしてあげるから、さっさと出て。風邪引かれても困るんだから。もう今日は帰っていいわよ。」


俺にゴワゴワのタオルを押し付け、部屋中に充満するスメルを払いのけるように手で顔の前を扇ぎながら、葉蘭さんは素早くドアの方へと向かうと、


「なんでもいいけど、下半身から元気になってくのだけはホントにやめて!」


と言い残し、ダブルイオン・マグネチックコートが塗り重ねられて、ムラだらけになった分厚いドアを力強く閉じ、消えた。

ふと下を見ると、無意識の間にスキンに見事なテントを張っている下半身。極薄のスキンは、張力でさらに薄くなり、もはや柱が透けている。ああ、こりゃ完全に見られたな。

俺は再び、ハイパーESの中に身を沈めた...。


思い出せ、思い出せ、異世界あっちの記憶を...。何か、何だっけ、うーん、尻? 緑? いや、水色の...尻? えーと、なんか水色の女を...脱がせ...て...?それで、何だっけ...? 

なんかもうダメそうだ、ただのエロい妄想じゃねえのかこれ...。


「俺、マジでやべえっぽいなぁ...。」


錦糸町キン・シティで飲んで帰って寝ることにしよう。

自宅に戻るのも2日ぶりだ...。



***


ここでもう、一気に設定を説明してしまうことにしよう。


話は、矢乙女相太が生まれる11年前に遡る。

この年、人類科学史を揺るがす出来事が発生した。

世に言う「異世界転生現象トランスミグレーションブーム」である。



...おそらく、その先駆けにして最も有名なのは、ある一介のサラリーマンがアナザー・ディメンションの最下等生物モンスターに転生してからの立身出世を綴った体験記であろう。

当時、終身雇用制の崩壊、年金制度の破綻といった、従来の戦後社会においては当然と考えられてきた雇われ人の人生設計がついに過去のものとなり始めていた。それと同時に「セカンドキャリア」を考えなくてはならないのではないか、という脅迫的観念が、人びとを異世界へと駆り立てたと考えられる。


当初はこれを


「Wholesome Oaths(オーサン・オツ=『何とも健全なクソ』)」

「エアプ(エクステンデッド・アプライヤー=拡大的な意味で何らかの援助を求めている者)」


と揶揄する動きもあったが、これ以降、ポツポツと類似体験を語る者が現れ始めたかと思うと、突如として爆発的な転生現象ミグレが確認されたのである。


意識不明者とされる「転生中」の人びとの脳波には、ある共通パタンが見られたことから、直ちに学術的な調査が開始された。

ついでに言えば、因果関係は不明だが、むやみやたらとその年は、トラックに撥ねられて意識を失う人が激増していたため、主に物流による交通事故に関する研究も大規模に行われるようになり、政府からの補助金、特区拡張、公道実験許可の緩化などで、わが国における自動運転研究は、より一層加速した、というおまけが付いた。


ともかく、研究により明らかになったのは、上記のような「記憶を残したまま、異世界からこちらに戻ってくることができる」ケースは、ごく一部の「メモリー・キャリア」と呼ばれるかなり稀有な人びとにより引き起こされるものである、ということである。

同時に、われわれの想定を超えた規模で、転生現象ミグレは、日々そこここで発生している、ということも明らかとなった。ただし、意識を取り戻すと、異世界の記憶を失うため、自分が転生していたこと自体が記憶に残らないのである。


転生現象ミグレが単なる「夢」とは異なることは、次元に関する研究と、脳科学の研究という、物理学、生命医学、生物学の学際的領域の発展によるところが大きい。細かい話は割愛するが、ある物証、つまり、異世界記憶を保持したまま、意識を取り戻したとある験体が、(ネックレスであるとされている)を握りしめていたことが、これを決定的なものとした。彼らは、確実にどこかに「行っていた」のである...。

(このネックレスは、世界を巡回し、述べ2億6千万人がこれを目にしたと言われるが、輸送中に盗難に遭い、現在は所在不明となっている。)


ところで、ある地域において転生現象の発生が突出していることが明らかになったのは、モスクワ量子派に属する電磁生物脳科学の権威、プシガバマンコ教授による「極東アジアにおける想失的空間転移とその中央制御系との関連」(2043年)だろうが、その内容については触れない。

まあ、とりあえず、ここではこの程度にとどめておく。後に詳しい説明をすることもあるはずだ。

なお、ここで述べたことは、全て矢乙女相太がネオ・ディメンショナル・アビエーションの入社研修で散々聞かされたことだが、おそらく1mmも覚えてはいないだろう。


***


錦糸町キン・シティの駅前は、まだ日も落ちていないうちからごった返していた。錦糸公園パーク沿いの居酒屋は沿道にテーブルと椅子を並べており、さながら町中がひとつの居酒屋と言った風だ。


俺は、紫色のキワドいビキニを身につけたホログラム客引きの体をすり抜け(注/2048年から東2京トウトウキョウでは、路上での実体を伴う客引き行為は禁止されている)、頭上に浮かぶプロジェクタ・ドローンを睨みつけながら、「花木ハナモク・ハッピーアワー実施中」というLED提灯を吊り下げた、居酒屋「パワースレイヴ」の縄のれんをくぐった。


(続く)





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