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【三人称視点】


 本当の意味で何もない漆黒の世界――そこの中にただ一つの部屋が不自然にぽっかりと浮かんでいる。


 部屋は青く透き通るクリスタルのようなもので構成され、その中には小さな円卓と対面するように二つの椅子が置かれている。


 片方の椅子に座った白銀の髪にアルビノのような白肌を持つ神経質そうな青年は、紅茶の湯気で曇った銀縁眼鏡の曇りを拭き取ると、部屋と同じ材質のノートパソコンに視線を落とした。


 ≪お疲れのようじゃのう≫


 腰まで届く白髪の中国の仙人の老人が忽然と反対側の椅子に座っていることを一瞥で確認すると、青年は紅茶を顕現し(この部屋では青年の想い描く全てのものが――異世界カオスに存在するものであるという条件はつくものの――なんでも創り出すことができる)、老人に差し出した。


 老人の名はヴォーダン=ヴァルファズル=ハーヴィ――神界に住まう管轄者と呼ばれる神の一柱だ。

 しかし、アルビノの青年にヴォーダンを敬う素ぶりはない。


「…………もうその偽装は解いてもいいと思うよ。連中には正体がバレたんだろ?」


 ≪……やっぱり、シンラさんにはお見通しだよね。……ごめんなさい≫


 仮初めの老人の姿を捨て、本来の――女神コスモスとしての姿を見せたコスモスはアルビノの青年……いや、異世界カオスに最初に降り立った、始まりの一族オリジン・オブ・ケイオスと呼ばれる存在というべきか。

 シンラ=ケイオスに心の底から申し訳なさそうにした。


 その目には涙が浮かんでいる……シンラはコスモスの涙を拭うと、頭をよしよしと撫でた。


「大丈夫。ここまでは想定通りだ。今までも俺達まで辿り着く者はいた。能因草子が特別な訳ではない。……コスモス、お前はこれまで一人で頑張ってくれた。本当にすまない……寂しい思いをさせて」


 ≪……うん…………寂しかったよ、お父さん・・・・


 コスモスとシンラに血縁関係はない。女神コスモスはシンラの願いから生まれた神であり、一般的な価値観でいえば、神であるコスモスはシンラも数段高い領域に位置する高貴な存在だ。

 だが、そんなことはコスモスとシンラには関係ない。


 シンラとコスモスは同じ目的を共有する同志であり、実の父と娘よりも強い絆で結ばれている義親子であり、誰よりも異世界カオスを愛し、そのカオスが濁ることを嫌い、次々と試練を与える共犯者なのだ。


 シンラは自らの共犯者としてコスモスを生み出したが、コスモスを下に見ることはない。

 コスモスは神だが、人であるシンラを下に見ることはない。


 その絆を断てる存在は異世界カオスが存在するオムニバース全体を見渡しても存在しないだろう。


「やはり、能因草子のいるクラスを狙って転移を行ったのは正解だった。これまで、様々な者達を転移させてきたが、これほどまでに劇的に成果を挙げたものはいなかった――文化的に見ても、カオスを排除する者としても。カオスもまた停滞していてはいけない。定期的にカオスも入れ替えなければ、世界はそこで停滞する。……今回、彼は都合が良かった。文学者の卵……オタクなどと言われる者達とはやはり次元が違うようだ」


 コスモスが持ち込んだライトノベルという書物――そこからオタクがオタク知識を利用してのし上がっていくというテンプレをシンラは知った。

 だが、それに従ってオタクを召喚したところで隠れ蓑レベルのカオスすら払えない。


 そこで、シンラとコスモスは一歩踏み込むことにした。――オタクとは別次元の存在、つまりは能因草子をクラスごと転移させる。ちなみに、能因草子のクラスを転移させたのはついでであり、全く期待すら向けていなかった。

 しかし、結果として能因草子の影響で彼のクラスメイトもまたシンラの予想を超えた強さを身につけたのだから、シンラ達の判断は良かったといえるだろう。


「……まあ、本人に面と向かって言ったらキレられそうだけどね」


 ≪まあ……向こうは私達を正しい意味で理解しているみたいだしね。そういえば、伝言。……次転移させたら、お前達を殺すって≫


「その結果、どうなるかを理解した上で言っているのか、将又理解せず巨悪である俺達を倒せば全て解決すると思っているのか……まあ、前者だと思うけど。しかし、この世界と心中するつもりなのか? 心中しなくてもこの世界は救えない……彼もまた旅で多くの者達と出会いと別れを繰り返したのだろ? 彼らを見捨てるつもりなのか? まあ、俺達の考えることではないか――だからといって、俺達が彼を転移させるという手札を捨てることはない。彼はそれほどの活躍をしてしまったからね」


 ズレたメガネを直し、シンラは空になった紅茶のカップを二つ消滅させた。


「さて……お客さんか」


 シンラが呟いた瞬間、窓の外に広がっていた漆黒の世界が、一瞬にして夕暮れ空へと変わった。

 異世界カオスのどこでもあり、異世界カオスのどこでもない――漆黒の世界から、異世界カオスの南半球・・・にあるクリスタルの塔の最上階に切り替わったのである。


『邪魔をする』


 豪華絢爛という言葉では言い表せない豪奢なドレスを纏った見た瞬間に発狂しそうなほど美しい、傾城傾国という言葉すら生温い存在。

 そこから(シンラとコスモスには不必要だが)、恐ろしく認識のレベルを下げ、矮小なる人に例えると扇情的な七色の床を埋め尽くすように広がったカットアウトドレスを身に纏った妖艶な女性として見ることができるだろう。


「やあ……本日はどのようなご用事かな? アザトース」


 その婉然とした女性こそ、マルドゥーク文明との戦いで真っ先に消滅した筈のアザトースであった。

 その背中には無名の霧ネームレス・ミスト無名の闇アンネームド・ダークネスを変形させた翼が雄々しく広がっている。


「愚かなナイアーラトテップも死んだことだしね。そろそろ我も動こうかと思って……もう契約は失われたも同然だろう?」


 ≪酷いことを言うわね……彼は貴方の死に絶望して外なる神を蘇らせようとしていたのでしょう? 私、同情しちゃうわ≫


 全く同情していない表情とトーンでコスモスはナイアーラトテップを嘲笑うようにアザトースに返した。


 何を隠そう、アザトースに知性を復活させる代わりに、一芝居打つよう仕向けたのはコスモスとシンラだ。

 また、ナイアーラトテップと会わないようにアザトースの行動範囲を【永劫回帰】と強力無比な複数種類の結界で隠した南半球の中に限定したのもシンラ達である。


「ああ、好きにしていいよ。ナイアーラトテップは死に、カオスは消滅した。今求められているのは新鮮なカオスだ。君が北半球に――カオスがグリフィス達以外に消滅した表側に赴けば、新たなカオスとなる」


『許可はもらったからな。我は北半球を征服し、新たな、今度は外なる神とは比べ物にならないほどの力を持つ新たな神と共に貴様らを殺す。今の我では倒せぬが、いずれは頂点を取る――我は世界の神なるぞ!!』


 ≪はいはい、せいぜい頑張ってねー≫


「ところで、何か飲んでいかないの?」


『いらぬわ。要件はそれだけだ』


 アザトースはそのまま塔を降りていく。シンラはアザトースが部屋の範囲から消えたことを確認すると、再び漆黒の世界へと切り替えた。


 ≪まさか、彼も旅をしたのは北半球――異世界カオスの半分でしかないなんて思わないよね≫


「さあ、どうだか? 彼は予想の斜め上をいく存在なのだろう? 確かに危険な存在だ……俺達の御することができる存在ではないのだから。だが、それでいい――この世界を発展させるのは、我々の理解の及ばない未知・・なのだから。……ところで、次は何がいいかな?」


 ≪それじゃあ、ビンテージもののワインをもらおうかしら?≫


 シンラとコスモスはワインの入ったグラスを乾杯した。


「全ては異世界カオスのために」


 ≪全ては異世界カオスのために≫


 シンラとコスモスの願いが本当の意味で異世界カオスのためなのか、安寧の瞬間を一切与えない厄災そのものの存在なのか――それは、この世界に住む者達の受け取り方一つである。

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文学少年(変態さん)は世界最恐!? 〜明らかにハズレの【書誌学】、【異食】、にーとと意味不明な【魔術文化学概論】を押し付けられて異世界召喚された筈なのに気づいたら厄災扱いされていました〜 逢魔時 夕 @Oumagatoki-Yu

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