トゥルー・ジュエル

百宴らいたぁ

トゥルー・ジュエル

 銀座に来るのは久々で、多分父に二十歳のお祝いをしてもらって以来だから6年ぶりぐらいだろうか。

 ちょっと早起きをして、すっかりタンスの肥やしになっていた一張羅のサンローランとヴィトンのバッグを引っ張り出して姿見に立つと、成人したばかりの頃の張りというか勢いというか、そんなものが全く消え失せていて滅入ってしまった。26というと、親に言わせれば花の盛りらしいがやはり微妙にピークを過ぎてしまった感じがある。あの頃は身の丈に合わない高い服でもヒールを鳴らしてさっそうと歩いて見せた。三十を過ぎてもバリバリの女は街中にいるだろうが私とは違う生きものだ。もとより地味な性分が、若さの下から出てきたのだろう。

 三越の、通りに面したハイブランドのショーウィンドウをのぞくフリをしてバッグを構えてみる。大丈夫、浮いてない、こんなもんよ、と何度か唱えると落ち着いた。首をすくめなくとも歩けそうだ。

 土曜の三時という時間のせいか「盛り」で「バリバリ」の女が通りにあふれている。ショーウィンドウのギリギリに立っているからぶつかることはないのだけれど、ジリジリと壁に追い詰められていくのは心が負けているのだろう。こんなところで待つぐらいならやはり最寄りで待ち合わせておけば、と嘆くも「最寄りまではカレと帰るからヤダ」とのろける女子高生には何を言っても無駄か。

「おーい、お姉ちゃん」

 噂をすれば女子高生。珍しく時間通りだ。

「ちょっと、なんで制服のままなのよ」

「着替えてたら時間無くなるし、土曜日に授業があるのは私のせいじゃないもん」

「夜まで開いてるお店なんでしょう?」

「そうだけど、終わったら色々お買い物したいし。ね、行こう」

テクテクと歩き出して、ふと思いついたようにこちらを振り向く。

「お姉ちゃん、そんなコート持ってたっけ。高そうな」

ギクッと固まってしまった。若作りしていると思われたろうか。

「ええ、別に、普通に持ってるけど。どうして? なんか変?」

「いや別に。ただちょっと、ババ臭いかも」

「……」

「ねー早くー」

 これが『膝から崩れ落ちるアッパー』というやつか、と私はヨロヨロと、無邪気に跳ねるスカートのすそを追った。



 ノドが乾いたというので三越の傍にあったスターバックスに寄った。季節限定のフラペチーノかホワイトモカで延々悩んだ後長蛇の列に平気で並びに行ったところを見ると、ノドが乾いてスタバに入ったと言うよりスタバを見てノドが乾いたのかもしれない。

「ただいまー、やっぱ席なかった?」

「うん」

 なにせ土曜日の午後だ。立ち飲みがセオリー。

 歩きながらは行儀がよろしくないということで、テラスの傍のウィンドウに寄り掛かった。

「お姉ちゃんってコーヒーとか飲めないっけ」

 ついでに頼ませたアールグレイを手渡しながら千紗は首を傾げる。

「ううん、飲めるよ」

「そう。いつも紅茶だから」

「たまたまじゃない? 仕事の時とか結構飲むよ」

 嘘だ。一口も飲めない。千紗は弱みを見せるとすぐマウントを取りたがるから隠しているだけだ。

 「ふーん」と結局選んだ大きなフラペチーノにスプーンを突っ込む千紗の横顔にじっと見入る。

 千紗は美人だ。母さんにそっくりで、目が大きくて鼻筋が通っている。真っ黒で艶があるロング.。155センチ細身。いかにも漫画に出てくる「美少女」という感じ。明るくて人と話すのがうまい。モテないはずがなく、男もコロコロ変わっているようだ。

 対し、私は父に似たようだ。目が細くて鼻が低い。175の上背。コミュニケーションは苦手で男にモテたためしがない。

 だから、千紗と歩くのは楽しいけれど、隣に立つと九つも下の娘に少し気負ってひがんでしまうことがよくある。それを知ってか知らずか、千紗はいつもおどけた風にマウンティングして笑い飛ばしてくれる。気遣いのできる、頭のいい子だ。ただ煽り方が気に食わないからなるべく世話にならないようにはしているが。

「ねえ、大丈夫?」

 生クリームをあむあむしながら、千紗がのぞき込んできた。

「何が?」

「元気ないかなって。機嫌悪い? あ、もしかして彼氏さんと喧嘩した?」

 声のトーンが上がった。トピックが色恋に突き当たると途端に目の色が変わるのだから、やはり女子高生だ。ピンクな生命体だ。

 機嫌が良くないとしたら理由は勇気を出して羽織った六年前の一張羅を「ババ臭い」と切り捨てられたことに尽きる。しかも、興味なさげに。だがそれを言って拗ねたらこの先更に六年はイジられるだろうから決して言わないことにした。それに彼氏と「うまくいっていない」ことは確かなのだ。

「アーアー。ダメだよ彼氏さん怒らせちゃ。次の人なんて見つかりっこないんだから。どーせ家でやるみたいに駄々こねたんでしょう」

「家で駄々こねてるのはあんたでしょうが」

「知らない。ねぇそれで、大丈夫なの? すぐ仲直りできそう? ちゃんと結婚してもらえるよね?」

「……」

 「結婚」というワードに、フリーズしてしまった。夫になってくれると思っていた彼はもう「カレ」ではない。

 初めての恋人だった。職場でよく話す同僚だ。普通に仲良くなって普通に付き合った人。最後の人になるんだろうと漠然と思っていた。ずっと特別な存在だと感じていたが、単に比較する対象がいなかっただけの話なのかもしれない。向こうにとってはそうじゃなかったようだから。二年も付き合ったくせに、あっさりとフラれてしまった。「他に好きな人ができたから」なんて、中学生のカップルでも使う別れ文句だろう。それでケリがついてしまったのだから所詮その程度の付き合いだったということか。

 二週間ぐらい前のことだ。その夜だけ泣いて、次の日には何事もなかったように出勤できた。向こうも平然としていた。順調に仕事をこなして、なんなら二人で談笑までした。どうやら何か月も引きずるようなガラスハートの乙女時代は、恋もせぬ間に終えてしまっていたようだった。

 傑作だったのは家に帰って、さて思い出の整理でもしようか、と部屋を漁っても、二人で買った思い出の小物とか誕生日やクリスマスのプレゼントとか、現像されたツーショットさえも、何も端から存在しなかったことだ。「あぁ彼は本気じゃなかったんだな」とその瞬間に初めて気が付いて、涙を流して笑った。バカバカしかった。



 「あ、あった。多分ここだよお姉ちゃん」

 指さしたのはガラス張りの、いかにも「銀座のジュエリー」といった感じの建物。ウィンドウの奥には高そうなスーツを着た女性の店員さんが何人もいて、ショーケースに反射した光が店の外までこぼれている。私には手が届かないものであることが、中に入らなくても瞬間でわかった。

 「Hatano Jewelry 銀座」。私でも聞いたことがあるぐらいだから、よほど有名な店のはずだ。御年八十五になる創業者がデザイン、製作まで自ら行うジュエリーブランド。創業五十年、ここ銀座一号店と梅田に二号店。雑誌などで近年よく取りあげられ、「今キている」といった感じ。百万クラスが平然と面を揃えるため実際に需要があるのは一部の富裕層だけだろうが。

 そんなハイカーストの入り口そのものみたいなドアを学制服でサラッと通り抜けようとするのだからうちの妹はやはり大物である。店員さんが引いてくれたドアに片足だけ突っ込んで「お姉ちゃーん」と呼ぶ。私は、妹に倣ってなるべく大股でもってその入り口をくぐった。 

 ドアを開けてくれた女性とは別の人が、すぐに出てきた。

「いらっしゃいませ。お伺いしましょうか?」

 品のある若くて綺麗な女性だ。ヘコヘコしないのに丁重なお辞儀。接客に高級感がある。

「ダイヤの鑑定で予約した立木と申しますが」

 そして物怖じしない千紗。まるでセレブ妻のように鼻をツンと上げ、声高に名乗る。どうやら雰囲気に乗っかり切ることに決めたようだ。

「立木様、お待ちしておりました。ご案内させて頂きます」

 先に立った女性についていくと、入り口傍のらせん階段を上って二階に通された。鑑定とか買い取りとか、そういうのをやるフロアのようで仕切られたいくつかのブースの向こうに何やら大掛かりな機械みたいなものもある。

「こちらにお掛けになってお待ちください」

 女性が椅子を引いて立ち去ると、入れ替わりに背の高い男性がやって来て対面に座った。

「本日鑑定を担当させていただきます、幡野と申します」

 どうも、と頭を下げると千紗が袖を引っ張って「ゆびわゆびわ」と言う。慌ててバッグの中から巾着を探す。持ち慣れていないバッグだから、少しもたつきながらそれを拾い上げた。巾着を机に開けて、指輪ケースを取り出す。ドラマの最終回なんかでよく見るあれだ。

「この指輪のダイヤが、本物か見て欲しいんですよ」

 千紗がそれを男性の前に擦り押して、相手に見える向きに蓋を開けた。途端だ。

「偽物です」

「はい?」

「ダイヤモンドでは、ないですね」

 一瞬だった。



 おばあちゃんの婚約指輪を鑑定に出そうと言い出したのは千紗だ。いわく、「戦争から帰って来てソバ屋でバイトしていた25歳のおじいちゃんにこんなでっかいダイヤモンドが買えるわけがない」のだそうだ。

「だって1950年よ? 焼け野原よ? 0.5カラット? 肝臓でも売ったんか」

 対しおばあちゃんの主張。

「確かに貰ったよ。1950年の8月10日。私の家まで来て『結婚しよう』って。夜中だったから、電球を小さくして見せてくれた。あれはホンモノだよ」

 毎度この話をするとおばあちゃんは決まって、リビングにあるおじいちゃんの遺影に振り返って「ねぇ?」と言う。そしてフレームの中で歯がない口を大きく開けて目がつぶれるほど笑ったおじいちゃんと数秒にらめっこするとこちらに向き直って「ほらね」って言うのだ。おばあちゃんいわく「会話はちゃんとできている」らしいが、おじいちゃんが命より大事にしていた切手コレクションを全て売り払って和牛の箱詰めを買って来た日に、

「だって百合、あの人が売っていいって言ったんだから。ねぇ? ほらね」

 なんてのたまったもんだから誰も信用していない。

 ちなみにおじいちゃんが私と千紗に最期に残した言葉は「家が燃えても切手は守れ」だった。

 おばあちゃんが本物だと言い張ると千紗は

「ちっくしょ~‼ 暗がりに紛れていたいけな乙女をだまくらかしやがって~‼」

とおじいちゃんの遺影に掴み掛った。結婚したのはおじいちゃんが25でおばあちゃんが17の時だったから、なるほどそういう見方もできなくはない。

 何にそこまで焚き付けられているのかわからないが、意地でも偽物だと言い張る千紗の提案で、こっそり鑑定に出すことに決めた。

 出かけるときお父さんは「あんまりおばあちゃん虐めるなよ」とたしなめたが、ついでのように

「もし本物だったらなんかうまいもの買ってきてくれ」

と付け加えた。

「誰も売るなんて言ってないでしょ。それに『もし本物だったら』って、お父さんも信じてないんじゃない」

「どう見たってガラス玉だろう、あれは」

「……」

「気をつけてな」



「そんなに、パッと見でわかるものなんですか?」

「いえ、一般的に『人工』とか『フェイク』で出回っている石は時間をかけて視ますし機械で測定もします。ですがこれは……」

 鑑定士の男はまだ私の手元にある指輪ケースに一瞥をくれた。

「ガラス玉です。偽造ダイヤですらありません」

「はぁ……」

 なんだか父の「してやったり」みたいな顔が視界にちらついて、払うように首を横に振ると、隣で千紗がそのままトレースしたように同じ表情をしていた。血は水どころかヨーグルトよりも濃い。

「でっすよねー。いや私もそうじゃないかと思ってたんですよー。でも一応ねー」

 もう今からおばあちゃんをどうやって言い負かしてやろうか考えている顔だ。なんならこのまま指輪を売り払いかねない。

「買い取りをご希望でしたでしょうか。こちらの石は値段はつきませんので、台座の方だけになりますが」

「あ、そうだ。台座もついでに視て欲しかったんです」

 どうにもニヤニヤが止まりそうにない千紗は使い物にならないので、私が話す番だ。

「その台座の刻印なんですけど、それこの店のやつと似てるなって……。もちろん、石がそんななのに台座だけここのなんてことはないとは思うんですけど……」

 近場の買取店でもできる鑑定を、わざわざ銀座の予約制の店まで出向いてきた理由はそれだ。リングの内側に[1950/7/7]と日付があって、横に筆記体で[Hatano]とある。最初は同名の別ブランドかと思ったが、それにしてはこの店のものと字体が酷似しすぎているのだ。「Hatano Jewelry」が高級ブランドとして世界で名前が通り始めたのは90年代後半だから、1950年にフェイクが出回っていたとも考えにくい。

 鑑定士は、いかにもそれらしいルーペでリングの刻印とにらめっこしながら、こぼすように話す。

「日付が……うちの創業より前なのでうちのではな……いや、でも……うーん」

 その後ひとしきりうんうん言うと、首をかしげて立ち上がりジャケットの内から携帯を取り出した。

「ちょっと失礼」

「はぁ」

 口元を左手でかくして、どこやら掛けている。

「じっちゃん、ごめん。鑑定のエンゲージなんだけど……。うん、ちょっと…」

 ごにょごにょすること一分程度。カウンターの奥にある三階行きの階段から同じように携帯をあてた男性が降りてきた。

 「老人」とはっきり遠慮せずに言える年齢だろう。しかし踏みしめる足取りや跳ね上がったような背筋が、そうはさせないような力強さがある。金の三つボタン、ヨレていてもピカピカの革靴。身に着けているもの全てとその内側からにじみ出る雰囲気からパッと察しがついた。

「ハタノさんだ……」

 ここのオーナーだ。口を開けている千紗は私より雑誌なんかよく読んでいるから顔も知っていたのかもしれない。

「見せろ」

 真っ直ぐ私たちのいるカウンターまで来て、鑑定士の男に言った。

 手に取って、一度二度転がし、刻印を見るなりハタノ氏はぎゅうんと目を丸くした。

「あんたら、立木の孫か?」

 立木。祖父の苗字、父の苗字、私と千紗の苗字。「どうして……」と言うと、世界的ジュエリーデザイナーは真一文字の口をニカッと開けて銀座中に響き渡る声で「がはははは」と笑った。



 以下、幡野宗一の談。

「間違いねぇ、俺が作ったもんだ。」

「最初の一本だよ。金細工で身立てるつもりで修行してたかんな」

「立木とは部隊が一緒でなあ。運よく出征前に終戦したから二人とも手足揃ったまんま戻って来れたわけよ。一緒に死ぬ約束までしてたくせに」

「あいつ結婚を申し込むから指輪作ってくれってよぉ。俺ぁまだ修行中だったから名前いれちゃいけなかったんだが。せっかく上等に仕上がったからな。彫っちまったよ」

「チタンよ。上等だろう。それはなんとかなったんだがダイヤはさすがになあ。金が溜まったらツキちゃんに黙ってホンモノの石に差し替えようって言ってな。偽物でも喜んでたけどな。え、ガラスだってことかい? ツキちゃんも知ってたよもちろん。丸わかりだからな。ツキちゃん元気か? ……そうかい。よかったよ」

「え……? ああ、差し替えようとしたんだよ。ありゃあ立木が40ん時だ。でも持ちだすときにツキちゃんにバレちまってよ。『男がいっぺん人にくれたものを引っ込めるんじゃねえ』って、工房に怒鳴り込んできて俺までぶん殴られた。いい女だ」

「ツキちゃんにしてみりゃああれが何よりホンモノなんだろうなあ。……純粋で固い気持ちを形に表すのが石。だから気持ちがホンモノだと相手にしっかり伝わっていれば、本来石なんて必要ねえのかもな」

「縁起がいいからって七夕に渡せるように作って、日付もそれに合わせたんだがな。あいつ土壇場でビビって、結局一か月もうじうじしやがって。プロポーズは八月だ」

「まあ、しっかし立木は、おもしれえ野郎だったな」

 だから全部まとめるとつまり、私たちはおばあちゃんに一杯食わされたわけである。



 結局コーヒーまでいただいてしまって、店を出る頃には六時になっていた。

「うっはぁ夜の銀座だぁ」

 制定のローファーをカツンと響かせて、軽くステップを踏む。首を傾げて肩を流すと長い黒髪とスカートが遅れて舞った。そのものが宝石みたいな街明かりの中で、浮かれて飛び跳ねる小柄な女子高生は画になるが、しかし少し犯罪的だ。

「遅くなっちゃったねえ。見たいお店があったんでしょう。今から行く?」

「うん、いこいこ。あのねー欲しいものがあって。誕生日!」

「それは、ものに依るけど。何?」

「スニーカー」

「どこの?」

「バぁレンシアぁガぁ……」

「うっわまじかあんた。おどけたって変わんないわよ。いくら?」

「13万」

「肝臓でも売りなさいよ。……いやもしかしてあんたダイヤが本物だったらそれ売って買うつもりだったんじゃ」

「知らない」

「おい」

「冗談よ。さすがに人の婚約指輪売っ払ったりしないって」

「いや、やりかねないわ」

「あらどうして?」

「お父さんの子だから」

「それは漆黒寄りのグレーだわね」

 バカな話をしているけれど私は、多分千紗も、歩きながらずっと考えている。婚約指輪、幡野宗一、おじいちゃん。昭和の半ば、まだ戦争の跡が色濃く残る東京で、傷痍軍人が物乞いをする町で、若い二人は夢中で恋をして指輪を作った。師匠に隠れてこっそり彫る名前。夜闇の中で何かから隠れるように、薄暗い灯りだけが見守るプロポーズ。ガラスだとバレやしないかとヒヤヒヤして、一瞬で見抜かれて、でも嬉しいと言って嵌めてくれる。運命の人だけにしか許さない女の子の聖域、左手の薬指を、自分の目の前で明け渡してくれる。こらえきれず抱きしめたろうか。キスしたろうか。それを想像しながら、自分が作った指輪が彼女の指でいかに輝いているかを想像しながら、ただ工房で吉報を待つ。そんなもの……

「楽しいに決まってるじゃない」

 ふと声に出すと、千紗が振り向いて歯を見せてヒヒと笑った。だいたいおんなじ結論に至ったようだ。

「あ、そういえば」

 千紗が振り向いたついでに続ける。

「あの鑑定士の男の人、幡野宗一のお孫さんだったね」

「ねー。最初気付かなかったわ」

「しっかり名乗ってたのにね。お姉ちゃんと同い年ぐらいかな。連絡先聞いてないの?」

「聞いてないけど、どうして?」

「かっこよくておかねもち」

「あっはははは」

 土曜で夕方で銀座。これでもかってぐらいの街騒ぎの中でそこそこの人を振り返らせるぐらいには大きな声で笑った。同年代の女から嫌になるぐらい聞く俗っぽい言葉でも、千紗が言うと夢があって可愛く見える。26と17の違いだ。

「なによ。あ、お姉ちゃん彼氏いたもんね。でも『キープ』だよ『キープ』」

「……彼氏かぁ」 

《純粋で固い気持ちを形に表すのが石。だから気持ちがホンモノだと相手にしっかり伝わっていれば、本来石なんて必要ない》

 長い昔語りの中で、そっとこの言葉だけ抜き取って胸にしまっておいた。多分これから何度もお世話になるはずだろうから。

 「石」を、形あるものを、何一つ彼は残さなかった。それに気づいたとき裏切られたように思った。空っぽの時間だったと、忘れようとした。

 本物だったんだろうか、彼の気持ちは。別れる直前は違っただろうけど、しかし前半の一年は、半年は、最初の一か月は。

 やめよう。終わった話だ。そう振り払って、でもやっぱり心の中に少しだけ残った思い出の中で彼は、少しだけ「いい人」だったように思える。素敵な時間だったかもしれない。

「ねえ千紗ぁ」

笑い話ぐらいにはしてもいい。

「なあにお姉ちゃん」

「私別れたのよ、こないだ」

「え、なんで?」

「だって週3回しかデキないんじゃ、男として使い物にならないでしょう」

千紗は漫画みたいにあごをアングリと落として固まってしまった。色恋女ぶっているけれど、変にしっかり者だからまだ処女かもしれない。刺激が強かったろうか。

 「置いてくよ」なんて言いながら、今度は私が一歩前に出て歩く。どうやら今日は私が一本取れたようだ。



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