終章
終章
「もう、終わっちゃったな。30そこそこでもう、あの世の住人になってしまうとは。何の功績も残さないで。彼はなんのために生きていたんだろうか。」
火葬場のう裏庭で、焼けている煙を眺めながら、蘭はしずかに言った。
「関係ないよ。年齢なんて。ひどい時には一つか二つで逝ってしまう奴だっているじゃあないか。」
と、相変わらず呑気な顔をして杉三がそういった。
「でもさ、本当にだよ。彼は、何も功績を残さなかったじゃないか。誰か師範取得者を出したわけでもんないし、コンクールにでも出たわけでも無い。ただ、古筝のレッスンやってただけじゃないか。年齢的に言っても、まだまだこれからという年齢でもあったわけだろ。それが、もう逝ってしまうんだもの。こっちでやり残したこともたくさんあっただろうに。無念でならないだろうよ。なんでそうなってしまうんだろうかな。生きていれば、まだ、なにかやれたかもしれないのに。」
「まあな、そういう心配は、かえって迷惑かもしれないぞ。事実は必要だからあるんだからな。それは、もうしょうがないこととして諦めな。」
蘭が、それを呟くと、杉三は、ポンと蘭の肩をたたいた。
「それなのにさ。なんで僕たちが、呼ばれなければならないんだろ。血縁者ではないのにね。」
「バーカ、葬儀は、血縁者だけが集まるもんじゃないぞ。いろんな人が集まるよ。むしろ、血縁者だけっていう人はよほど寂しい人だぜ。」
「そうか。」
蘭は、大きなため息をついた。あの時、葬儀の打ち合わせをしていて、苑子さんが、なぜか杉三と蘭にも出てほしいと言ったのだ。理由を聞いてみると、学生時代に友達がほとんどできなかったという。
それでは、可哀そうだからと苑子さんは言っていた。そうなると、薫は、かなり孤独な人生を送ってきたということになり、蘭は余計にかわいそうに思った。
「ねえ、杉ちゃんも蘭さんもどこに行ったの?もうすぐ納骨の犠が始まるわよ。」
咲が、杉三たちを探して、裏庭にやって来た。
「あ、ここにいた。早く来て頂戴。もうすぐ始まるから。」
「そういえば、咲さんも本来は部外者だな。」
と、杉三が言った。余計なこと言うな。と、蘭がそれを制したが、杉三は咲と一緒に、口笛を吹きながら、中へ戻って行ってしまう。
二人が戻ってくると、もう、納骨の儀式の準備は済んでいて、待機しいる人たちは、みんな杉三たちが来るのを待っていた。
「あの。すみません。」
不意に、後方から声がして、みんな後のほうを向く。
そこに二人の少年と、その母親二人が立っていた。
「あの。失礼なのは分かっています。ですが、この子達がどうしても、先生のお葬式に行きたいんだと言い張りますので、連れてきてしまったんです。」
おそらく、中学生になるかならないかくらいの、まだ、子どもに毛の生えた程度の少年であった。
「あの、薫とはどんな関係なんでしょうか。」
苑子さんがわざと気丈にそう聞くと、
「はい。この子達が、労政会館で、薫先生に、古筝のご指導をしていただいておりました。この子たちも、先生にすっかり懐いて、いずれは師範免許まで目指すんだと言い張っていました。」
と、一人の母親が言った。
「勿論、私たちは、血縁者でもなければ配偶者でもありません。ただの生徒です。それはよく承知しています。でも、先生に古筝を指導していただいたお礼として、せめてお骨だけでも拾わせていただけないでしょうか。」
また別の母親がそんな発言をした。
「よろしくお願いします。ぜひやってやってください。」
苑子さんはここまでくると涙が止まらなくなり、しずかに持っていた納骨用の箸を少年に手渡した。もう一人の少年には、ほらよ、と杉三が手渡す。
少年たちは、二人並んで丁寧にお骨を挟んで骨壺の中へ入れた。それを見て声を上げて泣いてしまう苑子さんに、咲はそっとハンカチを渡してやる。
「気丈なお嫁さんですね。」
不意に少年の一人がそんなことをいった。咲を、薫先生の奥さんだと思ってしまったらしい。
「違うわよ。先生は、結婚していらっしゃらないって、前に言っていましたよ。」
母親が、彼を制したが、
「じゃあ、あの人は誰?」
もう一人の少年が言った。
「私はね。先生の奥さんではなくて、ただの仕事のパートナーです。」
咲はしっかりとした口調で、そう返した。それはちゃんと言えてよかったと思った。
やがて順番にお骨を中に入れ、咲と苑子さんが、最後のお骨を入れ終わると、葬儀が終わった。
「何だか、初めて見ました。」
と、払いの膳を食べながら、苑子さんが言った。
「何をですか?」
「あんな可愛い子供さんたちが、薫に習いに来ていたとは。」
咲が聞くと、苑子さんはそう答えて、二人の少年を見た。さすがは子供である。払いの膳を、がつがつと、子どもらしく食べているから。
「本当に、こんな形でお礼をしてしまうのが、すごく心苦しいんですけれども。」
と、母親たちは話し始めた。
「薫先生、この子達をそれはそれは可愛がってくださって、レッスンでない日でも、時折集まって、教えてくださったりしていたんですよ。」
「なるほど。病身の体で、そんな無理をしていたのなら、確かに進むよな。」
と、杉三がぼそっとつぶやいた。
「この子達も、学校でいじめられてて、友達が全然ないと言ったら、せめてこっちに来た時には、楽しんでほしいと思ってくれていたようで。なんでも、この子達の誕生日とか、試験で100点をとった記念に、曲を作ってくれたんです。」
「曲?ですか?」
それは、苑子さんも知らないようだった。
「ええ、曲です。あたし持ってきましたよ。」
と、母親の一人が、一枚の五線譜を差し出した。
「あ、これは確かに薫の筆跡、、、。」
苑子さんには、確かに見覚えのあるものであった。ある程度の五線譜であれば、苑子さんだって解読できる。
「きれいなメロディ、、、。」
楽譜には、古筝のために書きましたが、箏にも編曲できますと書かれていた。つまり、いろんな楽器で演奏してもいいように、設定されていたのだろう。
「下村先生。これ、演奏していただけないでしょうか。あたしたちでは、何だかもったいないような気がしてしまいますし。其れよりも、先生のような、御偉い方に演奏してもらうことが、一番だと思うんです。」
ちょっと恐縮したような感じで、母親が言ったが、苑子さんはあることを決めていた。
「いいえ、せっかくの薫がくれたご縁なんですから、私たちで弾きましょう。あなたたち二人も、ぬさのメンバーとして、一緒に活動してもらうわね!」
「でも、この子達は演奏技術などもまだまだですし。」
「アレンジすればいいのです。すぐにやれるようにあたしが何とかします。フルートの咲さんも一緒だし、なんとかやれるのではないかと思います。」
「先生。私、アレンジ手伝いますよ。」
咲もにこやかに笑った。
「よかったじゃないですか。先生は、破門もされちゃったし、薫さんもなくしてしまいましたけど、こうして新たなものが得られたではありませんか。」
咲の一言に苑子さんはハッとする。
「そうね。あたしも頑張らなきゃ。」
やっと、彼女は苦笑いした。
「それでは、お二人とも、古筝をもって、あたしたちの下へ来て頂戴。」
「はい!」
二人の少年たちはにこやかに笑う。それを見て、母親たちも、しずかに頷きあった。実は彼女たち、もうこの教室が消滅してしまうのではないかと、心配になってやってきた節があったのだ。
「結局あたしたちは、大規模な社中にはなれないけど。」
苑子さんは、しずかに言った。
「あたしたちは、こうしてつながりは持てるのね。」
「そうか、急にそんなことってね。」
水穂は、しずかに杉三の話を聞きながら言った。
「そうなんだよ。ほんとに危ないところになるまで誰にも言わなかったらしいんだ。何だろ、音楽家の狭い椅子を必死で守ろうとしていたのかなあ。」
杉三がそういうと、水穂は静かにため息をついた。
「たぶんきっと、蘭はそういう逝き方は望んでないと思うぞ。お前さんも、生きることを諦めないようにな。」
薫が逝ってしまったときの、蘭の顔を思い出しながら、杉三はにこやかに言った。
「まあ、確かに突然いってしまうのもかわいそうだからね。」
水穂は、また、少しばかりせき込んだ。
「そうそう、強気でやってくれよ。最後までしっかり生き抜いてくれよ。」
と、杉三はにこやかに言ったが、水穂はまた咳き込んでいた。
その数か月後。また富士市の福祉祭りにおける野外ステージで、音楽ユニット「ぬさ」の演奏が行われていた。今度は、箏奏者が幾人か増え、古筝奏者が若い少年二人に変わっていた。
「それでは、エルクンバンチェロ、行ってみましょう!」
打ち込みの音と一緒にエルクンバンチェロを演奏する苑子さんとお弟子さん数人、少年二人、そして咲。
手拍子している観客に交じって、ノロがいた。
「これからも、活躍なさってくださいよ。下村さん。応援していますからね。」
拍手をしている間に、ノロは静かにその場を立ち去っていった。
古都 増田朋美 @masubuchi4996
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