第3話
この二年間で一体何が起きたのか。僕の身の回りで一体何が起きたのか。この問いには僕は大きく簡潔に答えることができる。詳しい説明はしない、たった二つの文でこの状況を伝えることができる。
僕以外のすべての町の人間が消えて。僕だけになった。
二年間という年月をかけてゆっくりと人間は減っていった。町はどんどん錆びれていき、もう今では光がともった家は存在しない。ライフラインが経たれたという意味ではなく、自家発電している家でも明かりが灯ることはない。
僕はいつ自分が消えるのか怯えながら生きていた。一体いつ消えてしまうのかわからない恐怖に支配され極力自分の住んでいた家から出ない生活をずっと送っていた。
父親は世界が変わったその日会社から戻ってこなかった。暴動に巻き込まれて死んだのか、それとも消えてしまったのかは僕は知らない。
母親は世界が変わって二十日ほどたったある日、一緒に朝食を食べていた折り、僕の目の前から、持っていたガラスのコップを落とし消えた。ガラスの割る音、水の滴る音、妹の悲鳴、それらが耳を占領する中、僕の目には窓からのいつもより少しだけ優しい光がさしていた。
唯一の兄妹だった妹は、両親がいなくなり半年ほどの月日が経ったある日、「何か取ってくるー」と気だるげに家を出たまま戻ってこなかった。妹は僕がいくら探しても見つからなかった。夕方になっても朝になってもまた夜になっても探したが僕は手掛かりすら掴むことができなかった。たぶん、妹は消えてしまったんだろう。
僕はそれから一年以上、この家に一人で住んでいた。
僕は生きていた。住んでいた。食べていた。寝ていた。でもそれは人間として生きていたという結果の話であって、人としてではない。人として僕は死んでいた。死んだように生きていた。関係を失った人間はとても脆い、人生を旅に例える人間がいると思う、その例えを使わせてもらうなら一人だけの旅は至極つまらないものだった。誰ともつながることのできない、いくら経っても誰からも壊されない孤独の壁。そんなものが僕を包み圧迫し人としての僕を殺した。
食べ物を近くのスーパーに盗りに行き、家で食べる。生きることに必要なことを一通り終わらせるとソファーに座ってただただ鳴るはずのない玄関のベルの音をずっと待って過ごしていた。そんな日々は灰色で、みんなで過ごした日々がまるで嘘だったかのような気分になるほどだった。
あの頃に戻りたい。
僕は何度そう願ったのかはわからない。そんなできもしないことを何度だって本気で願ったような気がする。でも願うだけで踏み出せなかった。僕は結局二年間の間、人が消えるという恐怖感に勝てずに何もできなかった。
でも、僕は行動し、旅に出ることを決めることができた。僕が行動できたのは、ここから出ていこうと決断できたのは、一枚の写真を見つけたからだった。
荒れ果てた自室。そこに腐った死体のように、僕が倒れこむと、その衝撃で本棚に乗っていたアルバムが落ちてきた。そのアルバムは万有引力に従って垂直落下し、数々の輝かしい思い出をまき散らしながら僕の腹部に鈍い音を立てて着地した。
恋人だった彼女の笑顔、クラスのメンバーのバカやっている場面、絵描きの彼が一生懸命に絵を描いている所、…様々な僕の思い出が汚い部屋にまき散らされた。どれも懐かしく、どれも綺麗で輝いていてみんな嬉しそうに笑っていた物ばかりだった。
眺めているうちに視界が歪んだ。眼からあふれ出た透明な液体が落ちていく。僕は少しの間昔に戻ったような感覚に捕らわれた。一秒一秒に意味のあったあの時間を取り戻せたような気がした。
落ちてきたアルバムを拾い上げ、1枚1枚てめくる。この感覚を失いたくなかった。叶うならこのいつまでも新鮮な気持ちを取り戻したまま生きたいと願った。
いや違うか、生きなくてもいい、消えるときに僕はこの気持ちを持って消えたいと願った。
アルバムをめくっていくとたくさんの事がよみがえってくる、このアルバムは文化祭の時にみんなで作ったものだった。所々にクラスメイトからのコメントが茶化すように書かれていた。
「ずっと友達でいような。by朝霧。このメンバーは不滅だ!by吉野。いつまでも忘れないこと!by鈴木。忘れたらみんなで思い出させてやるよ。by岩永。またいつでもぶつかって来い。by郷野。リア充羨ましいぜ、たまには俺たちとも遊べよ?でないと拗ねるぜ?by森&尾田。忘れたら殺す殺す殺す殺す殺す、でも憶えてたらまたみんなで馬鹿やろう。by米倉。文化祭成功おめでとう!by藤沢。いい文化祭になったのはやっぱ俺の奇策のお!か!げ?byみんなのアイドル幸助!。文化祭でいちゃついてんじゃネ~よ、コラ。羨ましいじゃねーかby貴様の宿敵、佐藤。あの写真こそ僕たちのクラスだ!by藤堂。」
みんな自分勝手で、好き勝手書いてあった。そんな落書きとさして変わらないようなものが僕はとても嬉しかった。一人一人の肉声が蘇りその声でコメントが脳内で再生される。
「こんな時が一生続けばいいのになぁって思う、文化祭成功おめでとう。彼女として一言だけ。よく頑張りました、花丸を上げます。by清水。」
彼女がはにかんだ顔が思い出の中から飛び出して幻覚のように僕の目の前に現れ、そしてすぐに消えた。
最後のページを僕はめくった。
そこには集合写真とは言えないような、でたらめでみんなが夕日に向かって走っている写真があった。この写真には僕にも深い思い出があった。手に取って見てみる、この写真には僕が映っていない。なぜなら僕が撮った写真だから。僕が何気なく撮った写真。それは一番このクラスメイト達を生き生きと撮ることができた。
日付はいつだっただろうか、裏を返すと僕が今まで気づかなかった文字が現れる。クラスの誰よりもきれいな字。それでいて文字で遊んだようなデザインにわざとしてあるこの文字。誰からのメッセージかは書かれなくったって容易に解る。
「写真良かったよ。すごく、良い思い出になった。僕たちの心を動かした君みたいに僕はいつの日か人の心を僕の作品で動かしたい。君は僕の目標だ。by君の友人、井上 学。」
僕はこの言葉を脳内再生して、アルバムを閉じた。
感慨かんがいに耽って天井を見上げる。部屋の片隅に出来た蜘蛛の巣でさえ、キラキラと輝いて見えた。
久しぶりにあの学校に行きたくなった。唐突過ぎるけど、誰かがいるような気がする。何かが変わるような気がする。僕の中に希望の光が差し込んだ。
立ち上がり部屋のカーテンを半ば乱暴に開け、一年以上締め切ったままだった窓に手をかける。大きな音が閑散とした住宅街に響き渡り僕の部屋に久しぶりに日光が差し込んできた。窓辺に置いておいたスノードームが反射し淡い光が僕にあたった。
バックに防寒具、寝袋、そしてアルバムを詰め込み部屋のドアを開けた。
そのまま玄関に移動し重いドアを今の心のように軽く、開けた。
さぁ、行こうじゃないか。立ち止まるのは性に合わない。いつの間にか忘れてしまっていた。僕らはぶつかっても、迷っても立ち止まりはしなかったってことを。
高校までも道のりは、近いからという理由で高校を選んだ僕にはさしてきつい物ではなかった。せいぜい一キロ満たないといったところだろうか、僕はその道を胸の高鳴りに任せるままに走った。高ぶった気持ちが、孤独をぶち壊した爽快感が僕の燃料となって足が久しぶりに力強く地面を蹴っていく。
二年前に通っていた通学路、恋人だったり、友達だったり駄弁りながら歩いた通学路を全力で疾走していく。
思いに体が追いつこうとして益々スピードが上がっていく。ものの数分で僕は学校に着くことができた。息を切らしながら校門をくぐる。相変わらずどこにでもあるような四角い豆腐が連なったような建物を見上げ。腕を天に高らかに掲げ、僕は戻ってきたことを学校に宣言した。
律儀に下駄箱に靴を入れて、3階のA教室へと足をせかす。確信もないのに、そこに何もないかもしれないのに、僕は手を大きく往復させて教室へ向かった。
教室のドアを半ば乱暴に開けると、その教室には。
誰もいなかった。
でも僕を変える、僕を変えるために用意された言葉が黒板にでかでかと独特のデザインの文字があった。
「 誠一。君に会えて、思い出ができて、クラスのみんなにも認められるような作品を作るようになれた。もう、このクラスで残ってるのは僕だけだけど。君は必ず消えてないと信じてる。そう思ったからここに君が来たとき君が前に進めるように一言書いておこうと思う。
ありがとう。そして行ってらっしゃい。もうこの町にいたってしょうがないだろう。進むんだ。清水さんもそう願ってると思うよ?
僕が言いたいのはこれだけだ。じゃぁね誠一。by井上学 」
いつもいつも、僕はもらう側だ、助けてもらったり、感動させてもらったり、何一つ返せてないのに先に消えないでほしかったな。
教卓の上には彼がいつも持ち歩いていたキャンパスと筆箱が置いてあって持ってけとマジックで書かれていた。
「全く…絵描きがこんなもの人に託さないでくれよ………」
僕は一体何をこれからすればいいのだろうか?自分に問う。答えは問うまでもないのだけど、これは誓いの意味も込めて、しっかりぶれないように。
この命尽きるまで、僕は進み続けよう。消えてしまったクラスメイトの代わりに勝手に僕が進む。勝手な決断だけどこのクラスはそんなクラスだったはずだ。みんなが勝手でみんなが自分をしっかり持っていた。
旅立つ前に、最後にあの夕焼けを見たいな。躊躇ためらう理由なんてない、ここを発つなら最後くらい思い出深いあの夕景を見に行くべきだろう。
考え、僕が走りだそうとするとスタートの合図のように威勢いせいのいい鐘の音が学校に響き渡った。
キーンコーンカーンコーン。
絶望した世界での旅 凩 さくね @sakune
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