第2話

この世界に一体何が起こったのか?


 そう問われても僕には全ての因果を交えてことの詳細をきちんと答えることはできない。僕はこの現象に対して大きく理解しているわけではないから。ただほとんど何も知らない僕が言えることは、ある日を境にして人間が寿命が尽きて死ぬことはなくなった。ということと、人間が突然消える、そんな神隠しのようなことが当たり前に起きるようなった、ということだけだ。


 一体消えた人間がどこに行ったのか僕は知らなければ、そもそもなぜこんなことが起こり始めたのか、そんなことすら僕は知らない。きっと知っている人間はいたのだろう、でもそれを伝える前に消えてしまったのかもしれない。


 このことに関して僕の友人はこう語っていた。


 「人間はたぶん増えすぎたんだ、いろんなものを無視していろんなものを浪費して、地球を身勝手に少しも顧みないで食い物にし過ぎたんだ。だから数の調整が行われて行ってるんだと思う。人間が本来あるべき人数に戻されて行ってるんだと思う。自然の力、あるいは神様の力。まぁそれに気づいたとしても僕たちに抗うことなんてできはしないんだけどね。でも、そんな力があるとしたらさ、なんで消えた人の記憶まで消してしまわないんだろうね。そうしてくれたらこんなパニックに陥ることもなかっただろうに、ははっ、つくづく神様は意地悪だね。」


 デザインやデッサンといった美術系に秀でていた彼はこんな人が消えていっている中新しいものを作ろうとずっと考えていた。こんな世界になったからこそ美術が人に必要とされているんだ、そう彼はいつも呟いていた。


 こんな異常事態に国は一体どんな打開策を打ち出したかといえば、結果から言うと何もしなかった。議員は毎日数人減っていく。そんな状況でどうしようもないとさじを投げ、国は国としての機能を失った。


 その当時は議員を責める声が大きくあったのだがその声さえも次第に数を減らしていき、今ではもうだれ一人国会に抗議する人間は残っていない。


 みんながみんな消えたのか僕には解らないが、いつ消えるかわからないこのご時世にそんなことやってる方が馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。


 人間、死ぬとわかっていれば最後のひと時ぐらい最愛の人と幸せをはぐくんでいたいんだと思う。こんなくだらないことにかけている時間なんてどこにもない、彼らはそう思ったんじゃないだろうか。彼女がそう思ったように。みんな同じように。


 彼女、つまり階段の曲がるところ出会い一緒に階段から落ちた彼女は、僕の恋人だった。お互いに初めてできた恋人であり馬鹿馬鹿しく恥ずかしい話なのだが、その……僕は彼女をとても愛していた。そして多分彼女も一緒だったと思う。


 彼女は人間が消えるようになってから7日で神隠しのように消えてしまった。でも僕には彼女に対して後悔はない、どうしてかと聞かれれば、それは彼女の最後の顔があまりにも満足そうだったから、とても幸せそうだったから。世界の終わりが見えるあの丘で彼女は消えてなくなってしまった。彼女の手の感覚が風にさらわれていくように消えていったことを僕はたぶん一生忘れられないだろう。繋がれていたはずの僕の手はいつの間にか空を握っていた。最後の最後に彼女の見せた微笑みは、今も僕の脳裏に焼き付いて離れないでいる。


 世界が変わって一週間で僕らの日常は大きく変化した。


みんな変わっていった。誰かが消える度に何かを感じ、何かを思って変わっていったんだと思う。結果論にすぎないのだがこれは人間として、もっと違う方向に向けなかったのか、問いたくなるくらいに人間は醜く歪んでしまった。


 こんな世界がはじまって最初の三日間は地獄絵図のようだった。


 慈悲を乞う神父が道路で太陽に向って雄叫びを上げていた。道行く人は皆何処かへと走ってこの世界から逃げようとしていた。渋滞を起こした苛立ちの混じったクラクションは人々のどうしようもない不安感を増幅させるように、喚きもがいていた。交通事故は絶えず起き、法律が支配しなくなった世界で人々は自分の好き勝手やるようになった。当然店は全て閉まる。人々は生きるために暴力を正当化し奪い、奪われを繰り返していた。


 四日目には道行く人は当初の十分の一になり、誰も暴力で奪おうとしなくなった。需要が減りすぎれば当然供給が間に合う、数日前まで他人を殺して手に入れていた食料は誰でも手に取ることができるものになってしまった。暴動は一気に治まり、交通事故も車が減って起こしたくても起きないようになった。


 人々は考えた。一体自分たちは何をやってきたんだ?何のために人を蹴落としてまで生きようとしていたんだ?こんな世界に生きる必要なんてどこにあるんだ?


 五日目、大量自殺が発生した。


 精神的な限界が来た人間から次々と崖から飛び降りたり、首を吊ったり、毒を含んだり、そんな多種多様な方法でこの世界から逃げることを決断した。神様は人間は消す癖に、自殺死体を消すことはなった。


海に、街に、地獄絵図顔負けの景色が広がった。


 ほんと、とことん意地悪な神様だ。


 こんな風に皮肉に笑ってみても、誰一人として戻って来ることなんて絶対ないのだけど。


 愛しかった彼女や憧れた彼が戻ってくることは一切ないのだけど。


 六日目、テレビ放送が消えた。ラジオが消滅した。インターネットも電話も何もかもが通じなくなった。人と人は直接会わない限り意思を相手に伝えることができなくなった。残った人間たちは自分たちを誰かが救ってくれる、そう思って吉報を期待し今まで手放さなかったケータイを壊し投げ捨てた。


 文明の利器なんてものはもう必要とされなくなった。そんなものはもう役には立たない。人と人を繋ぎ止めていたそれらが意味をなくすと人間と人間の間の関係はどんどん希薄になっていった。


 お互いに関心を持たなくなり、誰も自分に関心を持ってもらおうとはしなくなった。助け合いなんて言う道徳観は崩壊し、みんな目の焦点が合わないようなそんな表情になっていた。それでも生きることを選んだ人間なだけあって、しっかりしぶとく生きるという意思は感じられるほどには目に力があった。


 そして七日目………、人間が消えるのは僕らの日常になった。目の前で誰かが消えても誰も悲しまない、当たり前なことを目にするような感覚で、消えたのが他人だったら尚更自分とは全く関係の無い話しとばかりに誰もが気にしなくなった。


 新しい普通。歪んでいるはずなのにたった七日で受け入れられた不条理な現実、その末に出来上がったのは倫理観のかけらもない普通だった。残された人間はそれを受け入れることを選んだ。もちろんその中には僕も入っている。


 それ以外に選択肢はなかったのかは僕には解らない。


 でも現実はそうなってしまった。


 それから二年という年月が経って、今に至る。

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