私には夢を
人間は自然に美を感じとり、科学という形で、次々に明らかにしてしまったようだ。一義的に解釈できるという点で人間たちは団結し、この世で起こる現象を解明し、名前を付けていった。やがて誰も否定しなければ真実となり、真実になったことは疑いを抱くということすら許さず、知らない者にその整合性を以て信じさせる。それは反証の余地がなければ体から離れることなく、知性という名をした正義となり、共通で温度のない世界へ改変していく。
私はしばらく、探索に出かけることをしなかった。Iさんは、もう目的の場所は見つけたと言ってあれから生き生きとしているが、それは私にとっては認知の残酷さというものを教えた。Iさんの探していた場所が特別に保存されていた絵画の場所であったなら、あれは私の求める場所と一致している。Iさんは最近、仕事をほとんどせずに先の花畑に出かけている。私は同行したことはない。
実は、私がいつも夢見、瞼の裏に描く景色は、その輪郭を失いかけている。その原因も恐らく気付いている。しかしそれは呪いのように私に憑依し、自力で剝すことはできない。私が初めて、そして最後に例の場所を訪れた時、私はほとんど、世界の真実というものを知らなかった。朝になれば明るくなり、夜になれば暗くなるという経験のみが私の真実だった。その後、例の場所に訪れることなく、私は少しずつ、共通認識の世界の真実という呪いにかかっていった。私の人生はあの場所を求める人生だったが、求めて手に入れた花や星の知識が今は私を苦しめる。きっと解明されている真実は知識という海では雫程度のものなのだろうが、私の狭いキャンバスに波紋を起こし暈すのには十分だった。
Iさんが思い入れを持っていた絵画は、まさに私が見た場所だった。私の見た景色そのままではないが、間違いなく同じ場所を見ていたに違いなかった。それは作者のみの真実で描かれていた。私は自分だけが観測した真実を失いかけていたから、この絵画に憧憬の念を抱いた。今の私には夢見る景色は描けない。もし世界の真実とやらに汚染されたものを描き上げてしまえば、一度形作ってしまったものに後の生涯影響を与えてしまうだろう。もはや私のパレットには、純粋な色はほとんど残っていなかった。
そのような思いを巡らせているうち、寝てしまっていた。温かな甘い香りが鼻腔を差し、目を醒ました。夕方の暗さが窓を通って私の部屋へ侵攻している。私は漂う匂いのもとを探した。鼻だけで位置を探るという行為は、考えていたよりだいぶ難しかった。形もなく、音もない。あるのは微かな匂いという、幻であることを否定できないもの一つを頼りに、私は部屋中を彷徨った。見つけたのは、以前Iさんに捨てろと言われた小さな袋だった。袋の中には砂のような粒が入っているようで、この薬のようなものが例の匂いを発しているのだった。そしてこの香りこそ、私が失いかけている匂いの記憶を確かに留める、楽園に咲く花のものだった。
私は楽園を撫でる薫風を再現するため、香を焚く鉢を用意し、袋を空けた。薬を薫らせると、次第に単純な多幸感に支配されていった。
私は薄暮の街を歩いていた。彩雲と共に夕陽が落ち、山から漏れ出る光が絶えた。私の歩みは止まらない。道から細い獣道へ入る。木が茂る森を抜けると、雲間から月光が差し込む。祝福するように雲が晴れ、星が顔を出す。星が光を注ぐ先には、一面の白い花が空を向いている。海が空の青を受けて青まるように、花は星光を受けて微かな光を放っている。風が吹けば花々は踊り、装飾品が鳴る代わりに心地よい香りが生まれる、終わりのない花畑。私の旅の目的地。地に寝れば、花を額縁にした星図が見える。このまま寝てしまいたいが、ここから出て夢の世界に行ってしまうのが恐ろしい。永遠が欲しい。
私が転がる。夜は明けない。花弁が舞う。夜は明けない。星が廻る。夜は明けない。
瞼を閉じる。星と花の光が見える。夜は、明けない。
想花繚乱 逆傘皎香 @allerbmu
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