終点
休日になると、Iさんと私は街を散策することが日課になった。探す場所が一致しているという点で、私はIさんに心を開いていた。Iさんを信頼し、ともすれば両親よりも近い人に思っていた。私がIさんと共に街を彷徨っていた時、三人の男に話しかけられることがあった。他の二人を率いているような男が、Iさんへ「あんた、結構昔に世話してた奴に似てるな、兄貴か」と言葉を投げた。Iさんはこの男を無視したが、男は「最近また、あいつが狂ったように求めてたあれが手に入るようになったんだよ、あれがないと生きていけない、なんて泣きついてきた妹さんに、これをやりな」と、Iさんに手のひらより一回り小さい袋を握らせた。Iさんが何も反応しないまま男たちは道を行き、再び私とIさんの二人になった。私はIさんにあの男たちとの関係を尋ねたが、Iさんは知らない男たちだ、人違いだろうと言った。そして袋を私に渡し、処分するように言った。道に捨てるのも憚られたから、私は手渡された小袋を懐に入れておいた。
その日も夕方まで街を歩き回り、そろそろ帰ろうかとIさんが提案した時、私は探し求めている場所への手がかりを見つけた。今はもう看板さえ残っていない、氷屋の跡を発見した。氷屋を中心にしてそれまで見ていた景色と幼い頃の記憶が重なり始めた。氷屋はあの時以前の私の世界の境界線だった。それを見つけてからは、記憶が再現するが早いか、Iさんを連れて道を駆けだした。
陽が暮れた頃には道は完全に当時のものだった。そしてあの時私を導いた、黄色い蝶が私たちを追い越した。私は当時の記憶を、五感の全てを以て完全に取り戻した。常に夢想した描写が、現実と変わらぬ鮮やかさで描かれる。しかし、歩くに従い、夢想の世界と現実とが微妙な不一致を見せ始めた。具体的な箇所を指摘することはできなかったが、どこかが異なる。それは訪れるのが二度目ゆえの印象の違い、蝶があの時の蝶より一回り小さいだとかそのようなことから生じるもので、気に留めるものではない、すぐに本物の世界に再び飛び込むことができるのだと、私は指摘できぬ些末な違和感を振り払うように歩む速度を上げた。夢の中では決して感じることのできない花の香が微かに私の鼻を差すと、自ずから不安は消え思考の余裕すらなかった。
茂る木々が開け、白い花が広く咲く場所に出た。Iさんは声を出さず、数歩進んで膝をつき、下を向いて泣いているようだ。人の名を何度か呼んでいるようだが、はっきりと聞き取ることはできない。どうやらIさんの探していた場所は見つかったらしい。だが、ここは私の探していた場所ではない。薄く発光する白い花は、香りこそあの場所と酷似しているが、間違いなく別の世界だ。花たちは無限に広がっているべきところが、この場では己の世界の限界を知っているかのように、木々がひしめく境界線に囲まれている。どこまでも、終わりなく広がり地面を包んでいたあの場所ではない。断じて違う。ここは、香りと道の記憶とで私を惑わす、たちの悪い場所だ。真作との違いのはっきり曝す贋作。それを弁明することのない傲慢。この場で動かなくなったIさんを置いて、私は帰路を歩んでいた。ただ一度踵を返した時に目に入った、空に浮かぶ星々のみは、目に焼き付いて離れることのない往時のそれと符合していた。
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