変貌

 あの体験の後、私はどのようにして家へと帰ったのかは覚えていない。あの日の出来事で記憶に残っているのは、あの景色だけだった。無数の白い星と花が一度とて私の瞼の裡から離れたことはなく、花の香りは鼻腔の奥に残り、私の夢想のほとんどはあの景色だった。


 あの後すぐに私は例の土地を離れることになり、以降あの場所を夢の中以外で訪れることはなかった。少年のうちは、私の心は虚しさに支配されていた。花や星に関する話を聞く機会があれば聞いた。それらは浪漫とは程遠く、むしろ正反対の知識だったが、せめて知識として知りたいと思った。周りの学生たちに比べて成績は高かかったため、教師からは高等学校への進学を勧められたが、学問への興味はなかったため断った。ではどこかに興味があったかといえば、特別心惹かれるものはなかった。教師は私の父親を説得し、父親は私に高等学校へ進むように強く言った。以前住んでいた例の土地の学校であれば行ってもよいと話したところ、トントン拍子に進み、私は進学することになった。


 学校が美術のものであったこともあり、私は父親の知り合いで美術商を生業にしているIさんの家で下宿をすることになった。例の土地に着いた私はIさんへの挨拶を済ませ、道に関してはおぼろげな記憶と夕陽が作り出すあの時よりも大きくなった影とを頼りに、無限の花と星が見事な協奏曲を奏でるあの場所を目指した。しかし夕陽が山の輪郭の中へ消えると、以前はなかった街灯の光が私の影を2つに分かち、薄い黄色の羽をもった蛾が街灯に集まる。街にはかつての面影はあったが、並ぶ家や店は変わっており、どこが氷屋であったかも思い出すことはできなかった。両端から街灯の生えている道は、あのころよりも狭く、はっきりとしていた。


 Iさんの家へ帰ると、彼は私がなぜこの土地の高等学校へ進学したのかを尋ねた。私は躊躇ったが、父親には秘密にすると言ったので、忘れられない景色があるのだと説明した。そして景色が織りなしていた情景についても語った。すると彼は徐に立ち上がり、奥の部屋へ私を連れていった。その部屋は、彼が蒐集した絵画が所狭しと、しかしよく見れば傷つかないよう丁寧に並んでいた。そしてさらに奥の部屋に入るよう、案内した。部屋の中央には、絹布で覆われているキャンバスがぽつんと、置かれていた。なぜ他と別になっているのか、という疑問を呈する前に、彼が露わにした絵画に、私はぎょっとした。そこに描かれている風景こそ、私が求めて止まぬあの星と花の楽園だった。Iさんにこの絵画はどこで描かれたのですかと尋ねたところ、ちょうど私と同じくらいの女性が10年前、まだこの街に街灯がともるよりも前に描いたものだ、と答えた。それ以上のことは訊くことができなかったが、それから私とIさんはこの風景を探すのに奔走した。

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