東京メトロ銀座駅の公衆電話男

明乱真佳

東京メトロ銀座駅の公衆電話男

 朝九時半。

 オレは東京メトロ丸ノ内線の銀座駅で降りた。

 赤坂見附で乗客の半分が吐き出されたため車内は空いている。同じドアから降りたのは五人ほどだ。

 ドアが開くとダッシュ。短いエスカレーターの右側を二段飛ばしで改札階に駆け上がる。肩に引っ掛けたリュックが左側に立っているスーツ姿の男に当たり、舌打ちが聞こえたが気にしない。

 デジタルサイネージだらけの柱を縫って走る。

 日比谷線へ降りるエスカレーターが見えてきた時、左の耳に男の甲高い声が聞こえた。何か喚いているようだった。

 でも会社に遅刻しそうなオレは、構わずエスカレーターの右側を駆け下りた。


 三日後。

 同じ場所で、オレは男の甲高い声を聞いた。

 時刻は朝九時十五分。

 会社にはギリギリセーフの時間だ。オレは早足にだが歩いていた。

 この前のあの声だ。

 足は止めなかったが、声のする左後方を向いた。

 その声は、改札の外にある緑の公衆電話の所からしていた。

 痩せて背の高い初老の男が、大声で何か喚いている。

 右手で緑の受話器を持ち、左手を派手に上げ下げしながら。

 何を言っているかは聞き取れない。

 日本語ではない言葉で話しているようだった。


 さらに四日後。

 同じ場所にあの男はいた。

 オレは少しゆっくり歩きながら注意して聞いた。

 …やっぱり日本語じゃない。中国語のように聞こえるけどオレには分からん。

 男は背広にノーネクタイ、白髪混じりの髪は短く刈られ、縁の茶色い眼鏡をかけている。右手に受話器を持ち、大声でマシンガンのように言葉を繰り出しながら、相変わらず左手を忙しそうに上下させている。

 あれだけ喚いているのに、改札階を歩く人々は誰も男を一顧だにしない。

 わざわざ毎回、ここでやる必要があるのだろうか。

 そんなことを思いながらも、オレも立ち止まることなく日比谷線へのエスカレーターに向かった。


 そして三日後。

 あの男はまた受話器に向かって何か喚いていた。

 もう慣れっこになったオレは気にせず通り過ぎようとした。

 「中国語じゃない」

 すれ違った学生が呟いたのを聞いて、オレは思わず立ち止まった。

 左斜め後方を振り返る。

 右手に受話器を持ち、上を見上げて中国語風の言葉で喚いていた男が視線を落とした。

 目が合った。

 ニヤリ、と眼鏡の中の男の目が笑った。

 「セ・イ・コ・ウ」

 男の口が、こんな風に動いたように見えた。

 次の瞬間、男はまた怒ったような顔になり、上を向き早口で受話器に向かってまくし立て始めた。

 その言葉は突然、中国語風ではなくなっていた。

 

 オレは目を逸らし、努めて前を向いて日比谷線に向かって歩き出した。

 後ろから男の甲高い声が聞こえる。

 動悸が激しくなってくる。

 聞こえてきたのは英語、だがそれは、意味のない英単語の羅列だった。


 その日以来、オレはあの男を見ていない。


 

 

 

 

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