めぐりあい、らのちゃん。

七条ミル

めぐりあい、らのちゃん。

 別に何が嫌だったとかそういうわけじゃないが、兎に角楠木くすのきは癒しを求めていた。そんなある日、楠木はVTuberなるものを見つけたのだ。とりわけ、読書が好きだった楠木が惹かれたのはバーチャルラノベ読みYoutuberである本山らのであった。彼女はそのかわいい容姿かわいい声をしながら、行動力の化身とも呼ばれ本物の作家を生放送に呼び、あまつさえその作家方に依頼を出しとうとう本山らの文庫なる同人誌なんだか公式なんだかよくわからない代物を生み出したのである。

 そしてその本山らの文庫の創刊が、今日、五月の六日、そしてその販売はまず五月六日の文芸フリーマーケットに於て行われる。。

 これは買わぬわけにはいかぬと、楠木もちょっとばかりのオシャレをして、東京モノレールに乗った。しかし日頃人と会うことをせぬ楠木であるから、正直言えば大盛況を極めた文芸フリーマーケットは厳しいものがあった。

 とはいえ、ここまで物が欲しいと思うのも珍しいことであったから、なんとか本山らの文庫の記念すべき一冊目、「本山らのと、先生と。」を購入し、限界を迎えながら本山らのと言葉を交わし、そしてその他色々な本を購入した。そして疲れ果てて、某サッカー選手がじゃんけんをしていた炭酸飲料を自動販売機で買い、会場から少し離れた場所に腰掛けた。

 プシュウッと小気味のいい炭酸の抜ける音を聞きながら、楠木はほないただきます、と炭酸飲料を一気に飲んだ。

 時刻は十七時少し前。思ったよりも、時間が経っていたから、そろそろ売り子さんたちも撤収しただろうか、とか考えた。楠木は運営だとかそういうのには無縁な人間であったから、そういうところがいまいちよくわかっていなかったが、兎に角売り子というのが大変だということだけは見ていてわかった。

 しかし、正直何よりもすごいと思ったのは本山らの本人であった。割と早い時間から出向いたが、初めに見たときから四時ごろまで、ひたすらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらゆらしていた。ちゃんとご飯を食べたのか、とか、お水をちゃんと飲んでいたのか、心配になる程度には、ずっとゆらゆらゆらゆらしていたのである。さぞ、疲れたであろうな、と思った。


 やや傾き始めた太陽に体を照らされながら楠木は一日の回想を追え、そして右を向いた。見覚えのある美少女がいた。やや青みがかった髪、裾の極端に短い和服、帯についた鈴や狐のお面、そして何より頭の上にぴょこりと揺れる耳。明らかに、コスプレという領域を超えた、それは本山らのそのものであった。

 と、本山らのから、おもむろに白い煙が立ち上った。あの美少女を、本当に本山らのであると仮定するならば、あれは所謂変化とかいう奴なのであろうか。

 煙はしゅわしゅわと炭酸ガスのように出て、そして煙が晴れたところには、一匹の狐が居た。狐、である。まんま、狐である。紺色っぽい色をした、狐。

 そして今更に、本山らのの如き外観をしていた狐はこちらの存在を悟り、ボンッという音と共に先ほどの、本山らのの如き外観へと変貌と遂げたのだった。


 楠木は現状を何と形容したらよいのか、全くわからずに、とりあえずスマートフォンに手を伸ばした。ツイッターを開いて、「本山らの 目撃」と検索する。しかし、ヒットはなし。どうやら、目の前に現れた本山らの的外観の女性を見たのは楠木だけのようであった。

 次に、「文フリ コスプレ」で検索する。しかし、文芸フリーマーケットはコスプレ禁止であるから、そんなものヒットするわけもなかった。

 顔を上げた。そこには、へちゃへちゃとする本山らの的外観の女性がやはり立っていた。改めてみると当然のようにえげつないスタイルをしていた。

 暫く、視線が交差するだけの時間が過ぎた。どちらが声を発するでもなく、かといって立ち去ろうとするわけでもない。

「見ちゃい、ましたか」

 嗚呼この声は。

 どこかで聞き覚えがある、などというものではなかった。つい数時間ほど前、ヘッドフォン越しに聞いたはずの声。聞き間違うはずも無かった。それは間違いなく本山らのその人の声であり、そして目の前にいる女性が本山らのその人に他ならぬ証拠であった。

 バーチャルラノベ読みYoutuber、キツネ、神社の巫女、くノ一。点であったものがどんどん繋がっていくのがおぼろげながらにわかった。

「ば、バーチャルじゃなくなってしまった…………そ、そう! ラノベ読みYoutuberの本山らのです! こ、こんば、こんばんらの!!!」

 動揺は伝播するものであった。

「ここ、こここ、こんばんらのののの、さささささささ、さっきもででででで電話でおおおおおお話させせせせて頂いたくくくく楠木と、とと、いいますすす」

 時間にすれば一瞬の、しかし体感的に言えば百年単位にも思われた時間が過ぎ、そして気づいたときには、神社にいた。そう、神社である。イラストで見たことがあるようなないような、そんな神社であった。

 これがボーイミーツガールというやつだろうか、と思った。

「らのちゃんはその、本当に存在してるんですか」

「見てのとおりですね。でも、みんなには秘密ですよ!」

 さっきまで遠い異世界の存在だった本山らのは、今現実として目の前に居る。その事実が上手く飲み込めず、そして楠木は消化不良に陥るのであった。

「そ、その、私はこれからどうしたら……。もしかして、僕は消されてしまったり、とか……?」

「意外と物騒なことかんがえるんですね? ……まあ、とりあえずは、こちらへ」

 事案になったりしないだろうか、とか少しだけ不純なことを考えてしまった自分の頬を思い切りつねり、そして美少女に導かれ、楠木は神社の中に入った。

 配信で見た部屋であった。文字の書かれていない紙の入った額のようなもの、生配信のときと同じく限界まで本が詰め込まれた本棚。何もかも、初めて見るはずなのに見慣れたものだった。

「まあまあ、お座りください」

 ガクガクと震える足を抑えて、ようやく座った楠木は、気がでなかった。対面での通話バーチャルで限界を迎えた人間が、現実リアルで平静を保てるわけがないのである。


 それから、時間なんてわからなかったが、楠木は本についてひたすら憧れのVTuberと現実で対面して話し続けた。

 そして気づいたときには、自宅のベッドの中に居た。夢だったのであろうか、とも考えた。もしかしたら、文芸フリーマーケットに行ったことすらも、夢だったのではなかろうか、と。しかし、鞄を漁れば、当然のように文芸フリーマーケットで購入した本は出てきた。そしてICカードの残高を幾ら計算してみても、帰りの電車賃などというものは引かれていなかった。

 楠木は、夢となく現となく過ぎ去っていった時間に本山らの文庫を読みながら思いを馳せ、少しずつ心に刻んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

めぐりあい、らのちゃん。 七条ミル @Shichijo_Miru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ