第9話 ルーミア・ファラス

日が完全に落ちてから、月明かりを頼りにして馬車はようやくカジフへと辿り着いた。着いたころにはキサラギさんから貰ったマナポーションのおかげで、ボクのマナ欠乏症も回復していた。幸せな空間から立ち上がり、ボクはキサラギさんにお礼を言った。


「いやはや回復してくれて何よりだ。馬車では十分には休めていないだろうから、私と共に宿屋へ行こう。既に手配はしてある」


 荷物を手にして馬車を降りると、カジフの大きな関門を抜けた所だった。御者とキサラギさんは通行所の管理人に手形を見せている。


 カジフへ来るのは何回目だろうか。村からほとんど出ることのないボクにとって新しい物が直ぐに作られるカジフは新鮮だった。


 記憶にあるカジフは通行所を抜け、入ったところに大きな彫像が出迎えてくれるのだ。何でもバカラスネークのギルドマスター、キャノンショット・ジャラシャーシカの彫像らしい。その人は今も健在でギルド本部にいる。彫像になっている理由は目立ちからではなく、ギルド員が作ったとされている。

 決して亡くなったからと言って作られたわけではない。まぁ死なないって有名だから、生死に関してはボクが言えることは無い。



 どうやら街へ入る許可が出たらしい。街へ入る為の第二の関門が開かれる。

 門が開かれると、これまで静かだったこの場が喧噪に包まれる。

 日が暮れたというのに、人、人、人、人で溢れかえっている。冒険者風の装備をした集団が酒場へ入って行ったり、路上で歌う吟遊詩人に、踊り子小屋の売り子。目まぐるしい程に人が目の前を通り過ぎてゆく、まるでお祭りと勘違いしてしまう程賑やかだ。


「宿屋はこの目抜き通りを抜けた場所にある」


 キサラギさんは本日の手間賃を御者に渡してからボク達の方へ歩み寄って、目抜き通りの奥を視線で指して言った。


「今日はどうやらカジフ感謝祭の初日らしい。いつも以上に混雑しているから、逸れないように。何ならカーウィン君、手を繋ごうか?」


 ボクの歩幅や体力を気遣ってくれての事だろうが、王国騎士団副団長に手を引かれて歩く姿を想像するとみっともなかった。女性と手を繋げるのは何よりだけど、相手にその気が無い為に、幸福度より羞恥心が勝ってしまう。


「ありがたいですが、遠慮しておきます」


「そうか。こっちだ、離れないでくれ」


 キサラギさんが歩き始めると、ボクとリンジはキサラギさんの後に続いて歩き始めた。


 目抜き通りの中に入れば喧噪はより一層大きくなる。しかし誰も王国騎士団副団長を気にする人物が少ない。キサラギさんを見ても直ぐに自分のお目当ての場所へ行ってしまったり、自分がしていた事の続きを始めてしまう。この街では王国騎士なんて物珍しいわけではないわけか。


「兄ちゃんどうよ!一杯やってかない?可愛い子もいるよ」


 喧噪の中に紛れていた声がハッキリと聞き取れたのはボクに向けて言われたのかと思ったからだ。だけど客引きのおじさんが声をかけたのはボクではなくリンジだった。ボクは声すらも掛けられない。そんなにお金持っていなさそうに見えるのだろうか?


「へぇ~可愛い子って?」


 客引きの甘い声にリンジは耳を傾けた。


「もうそれはそれは女神が降りて来たかと思うほどの可愛さだよ」


「ほうほう」


「君達と言う奴は!」


 客引きの巧みな?誘導に食いついて中へ入ろうとしているリンジと見守るボクの間にキサラギさんが怒り肩で割って入ってきた。


 王国副騎士団長がいきなり目の前に現れたので客引きは面を食らって違う客の方へと逃げるように去ってしまった。


「逸れたら探すのに日を跨ぐ可能性があるのだぞ!現を抜かすのは問題が解決してからにしてもらいたい!取りあえずまずは宿屋だ」


 そう言って逸れない為にリンジの手を掴み、キサラギさんは引きずるように連れて行ってしまった。ボクは先程遠慮したので手を繋いで貰えなかったみたいだ。そんな計らいを少し寂しく思いつつボクも急いで二人を追いかける。


「きゃっ」 


 想いふけっていた所から急発進したので隣で歩いている人物に当たってしまった。ぶつかった相手はよろめいて片手を地面につけて、そのままの態勢で動かない。


 相手は女性、と言ってもボクより幼く見える。メイド服と貴族が召すようなドレスの間くらいの奇妙な服を着ている少女だ。


「いったぁ~痛いわね!どこに目をつけているのよ!肉食系動物でももっと視野広いわよ!」


 紅紫色の瞳が怒りを込めてボクを睨み付けて、更には的確な罵倒をされてしまった。


「す、すみません。大丈夫ですか?」


 彼女が怒るのも当然だと思いつつ、慌てて安否を確認する。


「大丈夫?大丈夫じゃないわよ!見なさいよ!この私の手に砂がついたじゃない!どうしてくれるのよ!」


 ボクは手を差し出したけど、彼女はボクの手を払いのけて、己の手についた少量の砂を見せた。


 どうしてくれるのか?と訊かれたが、どうするもなにも、こうするしかない。ボクは彼女の手を取って砂を掃ってあげた。うん、怪我がないようだし、これで掌も綺麗になった。


 しばらく彼女は自分の手を見つめていた。その間、周りにあった喧噪は無くなって、息を呑むように皆こちらの状況を見つめていた。どうしてこちらを見ているのかはボクには全く理解できなかった。


「そ・・・」


 消えそうなくらい小さな声が少女から漏れた。


「そ?」


 周りはまるでいつ爆発するか解らないモノを見ているかのように様子を伺っている。王国騎士副団長のキサラギさんが通った時は見向きもしなかったのに、この子の時はどうして注目するんだろうか?カジフの有名人か何かかな?


「そういう事を言ってんじゃないわよ!この私に地面へ手をつかせた責任をどうとるのかって言ってんのよ!」


 少女は甲高い金切り声を上げて小石の跡が残る掌を再度見せつけるようにボクへと向けた。


「お、お金ですか?」


「違うわよ!それじゃあ私が強請りになるじゃない!あんた何なの!私の事知らないの!田舎者なの!」


 どんどん彼女の金切り声は高くなっていく。お金で解決するなら誠心誠意謝るしかないが、それも先程したし解決法が思いつかない。とりあえず、彼女の問いに答えておくか。


「ここらへんのお店の有名な看板娘・・・とか?」


「違・・・違うわよ!」


 声のトーンが二段階くらい下がったし、なんだか嬉しそうな否定だった。


「いい?田舎者。私はギルド、バカラスネークの期待の星、ルーミア・ファラス様十七歳よ!目に焼き付け!畏怖しなさい!」


 ファラスは尻餅を着いたまま無い胸を張る。この状態を畏怖するならボクは草花や小動物に畏怖することになる。バカラスネーク内の可愛さの期待の星なのだろう。そうだとすれば納得である。彼女は可愛らしい。


「ちょっと!何ニヤニヤしているのよ!ま、まさかあんた、私の美貌に当てられて変な事を想像しているんじゃないでしょうね!」


 良からぬ者を見る目で胸を手で覆い隠してボクを指さした。


「変な事って言うか、君が可愛らしいなぁ、なんて」


 嫌にボクらしくない言葉を口にしてしまった。こんなことをボクが言うと、相手を不快にさせるだけだ。すぐに謝ろう。今すぐに。


 ファラスも俯いて体を震わせ、怒りを露わにしているのが見て取れる。それにキサラギさん達を見失ってしまった。これではまたキサラギさんに怒られてしまう。


「ご、ごめんね。あ、ボク人を待たせているから。またどこかで会ったら、ちゃんとお詫びさせてもらうね」


「待ちなさい」


 その場から逃げようとしたボクの袖を強い力で掴まれる。余りにも強い力に後ろへと倒れそうになるけどなんとか踏ん張れた。


「ここまで虚仮にされたのは久しぶりよ!どこかで会ったら詫びを入れるですって?なら今ここで入れさせてあげるわ!決闘よ!決闘!一対一の決闘!立ち合い人はここにいる民草よ!見た所あんた魔術師のようだし、丁度いいわ!私、魔術師って大っ嫌いなの!」


 怒りの中に私怨も入り込んだ声を張り上げて彼女は立ち上がった。


「ちょ、ちょっと待って、争い事は止そうよ」


「あら、女性を傷つけるのは趣味じゃないって?キザな事を言ってくれるじゃない、大丈夫よ。あんたに私は傷つ一つつけれずに地に這いつくばるの」


 駄目だ。彼女、ルーミア・ファラスは完全に決闘する気でいる。ボクが何を言っても鬱憤を晴らすべく決闘へと持って行く気だ。絶対にさっきの「可愛い」との発言が癪に障ったんだ。もう謝っても、お金を払っても許して貰える雰囲気ではないぞ。


 周りの人達は円を描くようにボク達を見ている。人の垣根、人口リングは既に出来上がっていた。もうボクは逃げられない。野次を飛ばす人は一人もいない、ただボクを同情しているのか、可哀想な目で見つめているだけだった。


「魔術師のようだし、一応ハンデを上げるわ。私は拳しか使わない。貴方は別に魔術を使ってもいいわよ」


 どうすればいいのだろうか、決闘を受けて魔術を使ったとしても魔術の精度が甘いボクは周りの人に当ててしまう危険性があるし、建物も破壊してしまう可能性もある。それに彼女の言う通り、ボクは彼女を傷付けたくはない。かと言って断れる雰囲気でもない。この魔術本を上げるから許してくれないかな。


 ん?・・・そうだ。


 ボクは荷物の中から一つの魔術本を取り出してルーミア・ファラスと対峙する。


「あら?どうやらやる気になるようになったようね。本媒体ね、成程。マナの量は多そうね」


 ボクは魔術本を開いて戦闘態勢に入った。


「それじゃあ、決闘開始よ!」


 ルーミア・ファラスの合図で決闘は始まった。ルーミア・ファラスは魔術に一切の警戒もせずに真っ直ぐ突っ込んでくる。


 ボクが開いた魔術本はと言うと、補助魔術ミストの魔術本だ。ミストの魔術の効力は、周囲に霧を発生させるだけ。戦闘では敵の視界を奪い、奇襲攻撃を仕掛けたり、敵から逃げるために使う、自然現象を利用できる応用が利く魔術。


 視界を奪って決闘を有利にするとか、奇襲攻撃を仕掛けるとかそう言った目的ではなくて、勿論、ボクは今この場から逃げるために使うのだ。


「包み込み、発生させる、その名は、ミスト!」


 詠唱を終えた途端に周囲が煙に包まれる。視界不明瞭な中でもルーミア・ファラスの足音が止まることは無かった。しかしボクが位置に向けて拳を突きつける前に足を止めた。


「何?視界を奪って奇襲って事?見かけ通り姑息な人間ね!」


 ルーミア・ファラスは己の感覚で霧の中にいるボクを探っているようだった。ボクが元いた位置と、周りの人間のどよめきに紛れてボクが移動した足音を聞き分けているのだろう。


「どうしたの?撃ってこないの?ならば!」


 ボクの影を捉えたルーミア・ファラスは駆け足で寄って、そこに掌底を入れた。


 するとパリンと言う音共に影は崩れてしまった。


 影はボクがブリザで作り上げた氷の塊だ。それをボクと間違えてルーミア・ファラスは掌底を叩きつけたのだ。


 ボクは戦う気はさらさらない、ただ逃げるチャンスを伺っていたのだ。今度出会ったら平謝りではなく、粗品を持って謝ろうと思う。だから今はキサラギさんの後を追わせてほしい。


 ボクは自分がカジフに来た事が両手で数えられるくらしかない事を忘れていたのだろう。これは逃げた罰だろうか。


 ルーミア・ファラスから逃げおおせたのはいいが、宿屋の名前も位置も聞いていないボクは迷子になったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

召喚術士と妖怪王 須田原道則 @sudawaranomitinori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ