関係の始まり

 彼女はかばんからノートとペンを取り出すと、カ、チ、と、ペンを労わるようにゆっくりと先を出す。そして普段の無口で無表情で無関心な「3M」の装いをまとったまま、言葉を書き連ねていく。やや丸みを帯びた、なんとも可愛らしい字だ。


 分かっていた。彼女の口が開くことはないことくらい。声を聞く、というのはあくまで比喩表現でしかない。

 だが、そんなことは頭の片隅に追いやられてしまうくらいに、彼女の手から発せられた言葉は、僕の頭の中を支配した。


『付き合うって返事したつもりだった。だから昨日一緒に帰った』


 そう告げる彼女の表情に変化はないが、アホ毛は左右に揺れている。それはいつの日か見た、推理小説を読んでいるときの感情とほぼ一緒だ。

 彼女と出会ってからの記憶をさかのぼりつつ、僕は彼女に倣い、ペンを取り出して返事を返す。


『気づかなくてごめん。ありがとう、嬉しい』


 同時に同じノートに書くとなれば、二人の距離は肩が触れそうなほどに近くなる。

 心臓がうるさい。彼女に聞こえてしまってないだろうか。彼女はどう思っているのだろうか。

 ちらりと彼女の方を向くと、前髪の隙間に見える彼女の澄んだ目が僕の目を捉えた。僕の胸はドキリと一つ大きく鳴動し、耳に熱がこもるのを感じる。

 僕の感情を知ってか知らずか、僕の視線を押さえつけていた瞳は逃げるようにして再びノートへと向かった。

 彼女自身からは彼女の表情は読み取れないが、それを代弁するアホ毛の速さは、推理小説のときのそれを上回っていた。


 これは勝手な推測であり想像に過ぎないが、アホ毛が左右に激しく揺れるときはなんとなく「ドキドキ」であるような気がする。


 推理小説、告白、そして今の接近。

 改めて振り返ってみると、多少の違いはあるものの、たしかに鼓動が速くなりそうなシーンではある。


 しかしこれはあくまで僕の想像。

 これからはこういう推測をしながら彼女の感情を読み取ろうと決意しつつ、明日からの生活に胸を躍らせた。

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アホ毛のきもち 寄鍋一人 @nabeu

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