アルタ前にガンダム祭りが降臨した日

あきら・ド・クリエ

第1話

 1981年2月22日。"この日"というより"あの時代"に、好奇心旺盛な少年時代を過ごせた自分自身が非常に幸運であったと、今は心から感謝してやまないのである。

 さて、あの時代の記憶を呼び覚ますと、我が家にも2代目のカラーテレビが既に導入されており、自室で好きなだけテレビを満喫できた。まんが大好き少年の私は、ひな鳥が餌付けされるがごとく何でもがむしゃらに見まくった。子供向け番組の怒涛の3時間連続視聴とか日常茶飯事であった。今思えば、そのパワーを将来に生かせよ、そういうのに気づけよと、忠告したくてたまらない思いである。

 当時小6の子供ながらに、単純でワンパターンな勧善懲悪ヒーローまんがにゲップが出る思いを抱いていた私に「衝撃」が走った。2歳年上の兄から、面白いのがやってるから見ろと「機動戦士ガンダム」を見させられた。まんが大好き少年の私が知らないはずはなかったが、ザンボットやダイターンの異質な雰囲気を食わず嫌いで拒否して裏番組を熱心に見て、ガンダムのチェックを失念していたのだ。

 兄から「見ろ」と言われた番組にはハズレはなかった。どうやら兄のクラスメートに筋金入りのオタクがいるらしい。1974年の宇宙戦艦ヤマトの時にも、兄から見ろと言われて大ハマリした前例があった。私が通っていた学習塾の曜日が変更になってガンダムの放送時間帯と被ってしまったが、なんと親に宣言した上で塾をサボって堂々とガンダムを見ていた。それほど、ガンダムは革命的な番組だった。

 ほどなくガンダムは終了するが、中盤までの内容を知らぬ私は、ガンダム関連の書物を書店で探し回り、まだガンプラとは呼ばれていないバンダイのプラモデルも購入して、雑誌「アニメック」のガンダム特集を何度も眺め返し、新宿に開店した「アニメック」という店舗でガンダムのグッズを物色していたものだ。

 中1になった私は、新たにクラスメートとなったS君が私のガンダム好きを知るや、ガンダムの「設定資料集」という辞書みたいな書籍の全巻を快く貸してくれたのだ。そしてイデオンを見なきゃと言われ、「伝説巨神イデオン」にもどっぷりとハマっていった。世界観、メカとキャラ、ストーリーがぶっ飛んでいた。ガンダムの後継番組は、トライダーG7、ダイオージャと続くが、ガンダムとイデオンロスで不完全燃焼だった私の大好物のエサは、続々と発売されるガンプラだけだった。

 そして、1981年2月22日を迎える。当然ながらアニメ好きのS君から情報を得ていた私だが、アニメという言葉が浸透していない時代に「アニメイベント」というものが、何なのか理解できずにいた。ただ、当時中野区に住んでいた私にとっては、できたばかりの新宿アルタ前に馳せ参じることなど、朝飯前であった。駅前でやってるので楽勝、行かない選択肢はないでしょとばかりに直行するが、人混みが尋常でない。まともに歩けない。野次馬が野次馬を呼んでいるのか会場に近づけない。

ステージで何をやっているのかよく覚えていない。ガンダム祭りと言う表現が適切かは今となっては定かでない。人混みが嫌いな私は、忘れてしまったのでなく、記憶に残そうとしていなかったかもしれない。帰りに高円寺駅前で友達と牛丼を食べたのが懐かしい。この後か先かはわからないが、私は「劇場版ガンダム」の各種ポスター付きの前売り券を全種類分購入することになるのである。これは第三弾まで続き、劇場版イデオンでも、同じく絵柄違いのチケットと付録ポスターを全種類入手するほど、のめり込んでいったのであった。

 その後、ザブングル、ダンバイン、エルガイムの3部作を見まくってからのガンダムシリーズ各種にもハマり、ガンプラも買いまくりで部屋がパンクしそうになり作ることもできない状況になり、仕事も中途半端になるくらいに各種の趣味に没頭してしまうのである。今では自分の甘さに後悔もしているが、ガンダムとの出会いは私にとって感謝以外の何物でもないし、そしてまぎれもない事実なのである。

 さて、つかの間の現実逃避から戻っていいですかな。どうもありがとう。

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