Ep1

ヤーブー氷山。冬は氷点下10度を下回り、夏ですら0℃を超える事は殆どない極寒の雪の世界。そこの中腹の地下には巨大な洞窟がいくつかある。この洞窟は『アイスアント』と呼ばれる蟻型モンスターの巣なのだが、その内の一つは、今は人間とアイスアントが共存する”街”と呼べるような様相を呈していた。

元々此処も『アイスアント』が住んでいたのだが、アイスアントは当時ゼロ歳だったユキトを見るなり、即行で忠誠を誓い、巣を開放した。虫人の王は極稀に虫に好かれ、言葉を交わす事が出来る才能を持つ者が現れるとされる。建国の英雄王がその才能を持っていたことは有名な話だった。その片鱗を生まれたばかりの赤子が見せたのだ。それも祖国が滅び、明日の生活も分からぬ絶王の中で、だ。臣下たちは目のあたりにした王の資質に涙を流して喜んだ。そしてそれは、それから先の彼等の人生を日輪の様に照らすことになる。


蟻とは通常地下に巣を張り巡らせるものだ。そして、『アイスアント』もまた同様に地下に巣を作る昆虫だった。

今巣には人100人、アイスアント200体ほどが生息している。巣は大きく分けて4つの機能目的の場に分けられる。一つは巣の中央にある最も大きな空間『集合場』だ。それを囲むように『寝室』や『保管庫』が幾つも造られ、地上には天然の洞窟の中に人の手により『水浴び場』が作られた。


集合場。ここは食事や集会などをする場所である。


これから何をしようかと思い悩んだ末、俺は戦闘鍛錬を始めることにした。

未だ王の自覚とか覚悟とかは良く分からない。思い立って直ぐに、覚悟を持てるほど俺は異質ではなかった。かと言って、強靭な精神は強靭な肉体に宿るなどと言う格言を信じたわけでもない。しかし、変わらなければと言う思いは強くあった。それに、弱ければ手に入らないものも強ければ手に入れられることだってあるだろう。

そう思った俺は強さをよく知っているユウスケ叔父さんに師事を仰ぐため、お願いをしに行った。ユウスケ叔父さんは集合場で食事をしている所だった。


「う~ん、強くなりたいか……。僕が直接教えたいところだけど、何分この体は手加減が難しいんだよね。その代わり僕の信頼する戦闘のスペシャリストに頼んでみるよ。」


ユウスケ叔父さんが連れてきたのは見知った茶色い短髪の男、カイルだった。ユキトは知らない事だったが、カイルは元カルネール王国暗部『根』の副長を務めた実力者だった。

そして、どこから聞きつけたのか、何故かその修行をミラーも一緒にやると言いだした。ミラーはなおもユキトに不審な目を向けるのを止めてはいなかったのだ。内心では「昨日は妙に大人しかったし、今日は今日でいきなり強くなりたいなんて言いだしたり、やっぱりおかしいわ。絶対何か良からぬことを企んでるに決まってる!」と静かに正義感を燃やしていた。裏でそんな思惑が孕んでいる事には気付かず、カイルは王の指導と言う大役を任され、張り切っていた。


「おう!二人とも動きやすい服に着替えて来たみたいだな!」


俺は白い道着、ミラーは陸上着のような服を着ている。対するカイルは黒いズボンだけを履いた上半身裸の状態だ。鍛え抜かれた褐色の筋肉が惜しげもなく晒されており、筋肉フェチが見たら喜ぶこと間違いなしだ。そして、それを見てミラーが顔を赤くしていた。その様子を見て俺は、鑑賞(これ)が目的だったのかと、ミラーが参加した理由に静かに納得する。


「まずは二人とも柔軟からだ!体が硬いとすぐに怪我するからな。毎日運動する前と後、寝る前に今から教える柔軟をやってもらう!」


初めにやったのはハッピーベイビーポーズというものだ。股関節を中心に、下半身全体の柔軟性を高めるとか、うんとかかんとか言っていた。


「やり方は簡単だ。まず仰向けになり、両膝をお腹の方向に引き寄せて曲げる。次に、足の裏を天井方向に向け、外側から手で掴む。膝の角度が90度になるように意識し、吐く息で両手を手前に引き寄せ、膝が脇の下に少し沈むようにし、股関節を伸ばす。この状態を呼吸を行いながら、数秒キープ。この時、腰や背中が床から浮かないように注意だ。」

「こうですか?」

「おお、上手いぞ。ミラー。」


客観的に見るとちょっとバカぽい格好だった。

アレをやるのかぁ。

正直嫌だなー。

と思いながらも、これも未来のためだと自分に言い聞かせ、チャレンジする。ミラーは難なくやっていたので簡単なのかなぁと思っていたが、実際やってみるとかなり難しかった。その後、長座体前屈・立体体前屈などもやったが、ミラーはどれも難なくやってのけたが、俺にとっては至難の業だった。柔軟しかやってないのにすごい疲れた(精神的に)。

地面に寝転がる俺を見て、カイルはううむと唸る。


「どうもユキトはかなり体が硬いみたいだな。技の修業はひとまず置いておいて、まずは急いで柔軟な体を手に入れよう。ミラー、手伝ってやれ。」

「はい。」


そう言って更なる地獄が始まった。


「は、外れ、外れます!」と言っても、

「心配するな。外れたら付ければいい。そのためにちゃんと接骨師も呼んである。」と言う無情な答えが返ってくる。


「死ぬ!これ以上は死ぬから!」と泣きついても、

「大丈夫よ。人は簡単には死なないわ。貴方の曲がった根性を叩きなおしてあげる。」と訳の分からない事を言って続けられる。


その日俺は早くも挫けそうになったが、夜、寝室に帰り、蜘蛛子に励まされ、何とか気持ちを繋いだ。


10日後。


「今日からは本格的な基礎訓練を始める。どんな優れた武器を持とうが小人では巨人に勝てない。最低限の力は必ず必要だ。」


腹筋、背筋、手押し車。今までもやっていたにはやっていたが、柔軟メインだったので量はそれほど多くなかった。しかし、この日からその量と密度が反転し、さらなる地獄を見ることになる。前日までと違う点があるとすれば、今回はミラーも仲良く地獄を見たと言う事だ。何の慰めにもならなかった。




Side:カイル


初めて王の稽古をしたその日の夜。カイルは自室で明日の稽古の内容を考えていた。すでに一通りは決めてはいたが、再考の余地はないか考えているのだ。どれだけ考えても考えすぎと言う事はない。王の稽古とはそれだけ大切な職務なのだ。


それを1時間余り、机に座ったまま考えていると、不意に(入り口の)垂れ幕が動き、気配を全く感じさせず男が入ってきた。垂れ幕が動いたのが目に入ったので気付いたが、そうじゃなければ絶対気付かなかっただろう。そして、暗部の副長にまで上り詰めた実力者に気付かれずに動ける者はこのコロニーでは片手で数えるほどしかいない。どれもカイルの知り合いであり、案の定、入ってきたのはカイルのよく知る男だった。

身長160㎝前半程。襟高の黒いロング丈のジャケットを着こみ、前はしっかりと閉められている。顔立ちは整っておりイケメンと言って差し支えないが、隈の濃い赤い目をしているなど、どこか病んでいる雰囲気があった。

名をクロウ、元カルネール王国暗部『根』の長。つまり、カイルの元上司だ。


「クロウ隊長。どうしたんですか、こんな時間に?」

「なに、お前が王の稽古係を任されたと聞いてな。祝いに来た。」


そうは言うが、とても祝いに来た者のする目ではなかった。怨嗟の籠った、殺意すら感じる目で、じっとりと此方を見てくる。どうして俺ではなく、お前ごときが指導役に選ばれたのだと無言で問い詰めてるようだった。カイルの背中にイヤな汗が流れる。


「あ、ありがとうございます。」


何とか絞り出すようにそう言った。


「気にするな。祝いの品だ。」


クロウはなおも変わぬ調子で右手に持った箱を手渡す。箱の中には一目で上等と分かる肉が入っていた。

もしかして本当に祝いに来てくれただけなのかもしれない。それなのに俺は………。すみません!隊長!イビリに来たのかと疑ってました!

自分の浅はかさをカイルが猛烈に後悔していると、不意に耳にクロウの声が届いた。


「お前が不慮の事故にでも合えば代わりが必要だな。」

「………………じょ、冗談ですよね。」

「………………。」

何で黙ってるんですか!

カイルの背中に再び特大の悪寒が走る。


「か、仮に俺が動けなくなっても、たぶん代わりはミランダさんとかロム爺がやる事になると思いますよ。」

「………………。」

だから、何で黙ってるの!怖い!怖すぎる!

「そ、それに、ユキト様はまだ体が出来ていないので隊長の指導には耐えられないと思います。」


語尾に行くほど恐怖で声が小さくなったが、何とか言い切った!言い切ってやった!いや、言い切ってしまった(泣)!

クロウは数瞬無言でカイルを眺めた後、納得の声を上げた。


「だろうな。だから、ユウスケもお前に頼んだんだろうしな。肉体が出来たら俺を呼べ。」

「は、はい!了解しました!」


こうして、ユキトの知らない場所で、更なる修業地獄が確定したのだった。





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亡国の王子 @miri-

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