第30話【エピローグ】
【エピローグ】
真っ白で柔らかな空間に、ぷかぷか浮かんでいる。雲の上のようだ。いや、一面が真っ白なのだから、雲の中というべきか。淡く、しかし明るい空間に、俺はいる。
だが、上下左右、それに前後も真っ白、というのはどういうことだろう。視界が利かないのと同じではないか。
耳は優しく、しかししっかりと押さえつけられているようで、穏やかな低い音が鼓膜を震わせている。鼻をひくつかせてみるが、なんの匂いもしない。四肢をバタつかせようとしても、何も周囲は変わらない。自分の眼球と鼓膜だけが、ぽっかりと宙にあるようだ。
『佐山は脳震盪を起こしたようなんだ』
そんな言葉が、頭に浮かんだ。この声、そしてこの言葉、聞いたことがある。確か、この声の主は――。
「は……づき……?」
次の瞬間、俺は自分の身体が、凄まじい勢いで構築されていくような感覚に囚われた。
背中が何かに押し当てられ、後頭部や踵もそれに従って引かれていく。これは、重力だ。
そして、傍らに人の気配を感じた。
葉月? 葉月なのか? 俺は人影に向かい、感覚の戻ってきた腕を伸ばしてみせる。しかし、すぐに違和感を覚えた。
この気配は、葉月のものではない。では、誰だ? いや、葉月はどうした? 葉月は一体――。
そこまで考えてみたものの、思考は唐突に打ち切られた。鈍く、しかし重苦しい痛みが、俺の頭部を襲ってきたのだ。
「ぐっ!」
短く呻いた直後、ばっと雲が取り払われた。
「ジュン! ジュン、大丈夫なのか!?」
「おい和也、ドクを呼んでこい! 急げ!」
「あ、ああ!」
「潤一、分かるか? 憲明だ。なんとか意識を取り戻したみてえだな」
俺は自分がベッドに寝かされていることに気づいた。同時に、足音が聞こえてくる。二、三人分だ。俺の目に影を作るように、横から禿頭が入ってきた。右手を握られる。
「潤一くん、聞こえるか? 聞こえていたら、手を握ってくれ」
俺はやや戸惑いながらも、そっと右手に力を込めた。すると、その禿頭の人物、ドクのそばから、綺麗な銀髪が覗いた。エレナか。透明なコップを握っている。ドクは脱脂綿をコップの水に浸し、俺の唇にあてがった。しっとりと、水分が俺のひび割れた唇に染み込んでくる。僅かな痛みがあるところからして、唇が切れているらしい。
それよりも気づかされたのは、いかに俺の喉が渇いていたか、ということだ。
「飲めるかね?」
ドクはコップに蓋をし、零れないようにしてからストローを差し込んだ。俺の口に、その先端をくわえさせる。
口内から喉、食道を通って胃袋まで、一気に水が染み込んでいく。途端に俺は、自分の意識が明瞭になるのを感じ取った。
「ッ!」
「おっと、まだ動くなよ、潤一くん。腹部の傷が広がって――」
「葉月! 葉月は!?」
酷い掠れ声だったが、俺はとにかく喚き立てた。さっきの気配が葉月のものでないことは、なんとなく分かっている。しかし、『分かっている』ことと『求めている』ことは、全く次元の違う話だ。俺は強烈に、葉月の存在を求めていいた。
俺は憲明に両肩を押さえられながらも、葉月の名前を連呼した。しかし、痺れを切らしたのだろう、和也が叫んだ。
「葉月は死んだよ!!」
「……ぇ」
「ジュン、君だって見たじゃないか! 葉月が撃たれるのを! 彼女を埋葬したことを! 僕が……僕が君に八つ当たりしたことも!」
和也は、その場で泣き崩れた。
彼が何と言っていたのか、それはどうでもいい。だが、地面に膝を着いて慟哭する和也を前に、俺は『美奈川葉月は死んだ』という事実を否応なしに突きつけられた。
俺が呆然自失となったのを見て、憲明は俺の肩から手を離した。そして直後、俺は再び気を失った。
※
翌日。俺は相変わらずベッドに寝かされたまま、朝を迎えた。その頃には、大まかな状況整理ができていた。
葉月が親父に殺されたこと。一対一で、俺と親父が決闘したこと。そして第三者の介入により、俺は腹部を、親父は頭部を撃ち抜かれたということ。俺はなんとか、この寺に運び込まれ、九死に一生を得たこと。
そうだ。その第三者というのは、一体何者だったのか。
俺が無言でベッドに横たわっていると、昨日よりはずっと落ち着いた様子の皆が顔を揃えた。俺がドクに目を遣ると、ドクは順を追って話してくれた。
俺は三日三晩、意識を失っていたこと。辛うじて臓器に損傷はなかったこと。後方支援として密かに同行していた憲明と和也が、その『第三者』を排除したこと。
「さて、君と父上の決闘に乱入した者たちだが、三人いたうちの一人の身柄を拘束することができた。これが、その時の事情聴取の映像だ」
ドクが差し出してきたスマホを、俺は仰向けのまま見つめた。聴取官は憲明が務めている。その背中の向こう、テーブルの反対側に、貧相な顔つきの男が俯きがちに座っていた。
《で、お前ら三人の目的は何だったんだ?》
《い、いざという時に、佐山博士を殺害することだ!》
《自分たちのボスなのに、か?》
《ああ、そうだ! あのままだったら、博士は研究を続けかねない! 俺たちにも立場があるんだ、博士が捕まったら、その口から俺たち協力者の名前が出るのは時間の問題だと思った! だから、口封じを……》
《ああ、そうかい》
憲明はすっと拳銃を取り出し、男の額を撃ち抜いた。
《ドク、こいつに情報痕があるかどうか、確認をお願いします》
《了解した》
そこで、映像は止まった。
「で、何かあったんですか? 情報痕は?」
「ああ」
疲れ切った様子で、ドクは腰に手を当てた。
「この国で、パワードスーツの開発は未だ進行中だ。場所の詳細までは、この男も知らされていなかったようだが。関東地方の東部が怪しいと、我々は見込んでいる。それはそうと」
ドクは一度、自分の足元に視線をさまよわせてから、告げた。
「佐山潤一くん。君は母上と葉月くんの仇を討った。それでも、戦いを続けるかね?」
「えっ」
予想外の問いかけだった。だが、考えるまでもなく、答えは俺の口から滑り出た。
「戦います」
あまりの即断ぶりに、皆が目を丸くした。
「お、おい、もっと考えるんだ、潤一。怪我のせいで頭がよく回らねえのは分かるが……」
「じゃあ憲明、お前は、俺がこのまま、大人たちの戦いで傷つく子供たちがいることを看過すると思っているのか?」
無言で腕を組む憲明。
「ドク、俺の身体が治るまで、どのくらいかかりますか?」
「少なくとも一ヶ月は安静だ。体力的に元に戻るまで、二ヶ月といったところか」
俺は痛みを我慢して、両腕を背後に着いて上半身を持ち上げた。
「それまでに、なんとか研究施設の場所を特定できませんか?」
「不可能ではないだろうが、しかし……」
いつになく歯切れの悪いドク。
「私と違って、君にはまだ未来がある。それを、暴力行為を行うために棒に振るつもりなのか?」
「今は暴力に頼らざるを得ないかもしれません。でも、いつか戦わなくてもいい日が来るかもしれない。その間を埋めるくらいのこと、葉月はやると思います。彼女がいない以上、誰かが戦わなければ」
ドクは顎に手を遣り、じっと俺の瞳を見つめてきた。何かを探り出そうとするように。その『何か』が、俺の闘争本能なのか、復讐心なのか、もっと複雑な感情なのか、分からなかったけれど。
※
三日後。
ようやく歩き回るのを許可された俺は、葉月の墓前に立った。そういえば、埋葬してからまだ一度も墓参りをしていない。
日が昇り切らない時間に、俺は自室を抜け出して裏庭に出た。俺とドクが、二度に渡って拳をぶつけ合った場所。その片隅に、戒名の書かれた卒塔婆が立っている。そのそばに、俺は人影を認めた。ゆっくりと振り返りながら、人影は俺に向かって片手を挙げた。
「おはよう、ジュン」
「ああ、おはよう、和也」
和也の腕には、鮮やかな花々が抱かれていた。
「昨日、街に行ってきたんだ。ドクは『顔が割れる恐れがある』なんて反対したけど、自分で活ける花だし、やっぱり自分の目で選ばなきゃね」
和也は左目でウィンクして、花々を卒塔婆のそばに添えた。
俺は『そうだな』とか『それがいい』だか言った気がするが、何故か記憶が明瞭でない。
「僕は先に戻るよ。今日の朝ご飯の担当はエレナだからね。ジュンも早くしないと、食べ損ねるよ?」
そう言って、俺の横を通りすぎていく和也。俺は無言で頷き、その背中を見送った。振り返り、再び卒塔婆を視野の中心に据える。
って、待てよ。戒名が滲んで見えるのはどういうわけだ? 目元がむず痒くなっているのは何事だ? そして、卒塔婆を前に、ひざまずいているのはどういうわけだ?
俺は言葉にできない何かを、胸中で必死に繋ぎとめた。
お前にとって、俺は恋愛対象だったかもしれない。でも、よく考えてみてくれ。お前は俺を、自分の父親に似てるって言ったんだ。もしかしたら、恋愛感情を通り越して、俺たちは家族みたいなものだったんじゃないだろうか。今更何を、って思うだろうけど。
食い違ってたら、ごめんな。俺は後悔してる。せめてお前の前では、お前の望むような俺であるべきだったのかもしれない。でも、それは偽善者のすることだ。
俺とお前が一緒にいられた時間は、あまりにも短すぎた。残酷だよな。だけど――だけど、そんな思いをする人間を救うために、俺、頑張るからさ。もし天国で待っててくれる、って言うんなら、その間に料理の腕を上げといてくれ。エレナにも負けないくらいに。
ゆっくり話がしたい。作戦も人の生き死にも関係なく、お前の話が聞きたい。お前と思い出を共有したい。
お前に会えてよかった。それじゃ、また。
THE END
Teenager's High〔take2〕 岩井喬 @i1g37310
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます