第29話

「チッ!」


 炎の向こうから、親父の舌打ちが聞こえる。一時的とはいえ、赤外線モードのバイザーを潰すことはできたはずだ。俺は炎の向こうに目を凝らし、親父に狙いを定めた。情け容赦なくペイント弾を見舞う。


 べちゃり、べちゃりと貼りつくペイント弾によって、スラスターの噴射口は次々に潰されていく。あたりを見回していた親父も、ようやく異常に気づいたようだ。


「そうか、分かったぞ潤一! このスーツの弱点を突いたつもりなんだな? だが、それはまだ時期尚早――」


 と、親父が言い切る前に、俺はついにRCを起動した。視界が明瞭になり、四肢の動きが軽くなる。倒壊したコンテナ群を跳び越え、蹴りつけ、自らの身体を跳ね飛ばしながら一気に接敵する。

 バイザーの感知度を調整し終えたのか、親父はぶるぶるとかぶりを振って俺を見上げた。しかし、遠距離武器を持っているわけではない。上方に回し蹴りを繰り出して、俺を迎撃するのがやっとだろう。


 俺は空中でグレネード・ランチャーを肩から外した。腰だめに構えて、最後の一発を発射する。親父に、ではなく、その背後の壁を狙って。

 すると、呆気なく壁に大穴が空いた。以前、憲明がガトリング砲で穴だらけにしてくれたお陰だ。親父が爪先を繰り出す直前、俺は今まで以上の勢いでコンテナを蹴り、接敵。両足を前に突き出して、思いっきりスーツの胸板を突き飛ばした。


「おおっ!」


 よろめく金属製の人影。その眼前に着地した俺は、今度は両の掌に力を集中し、腕をバネのように使って親父を弾き飛ばす。相撲の突き出しの要領だ。


 俺が考えていたのは、点や線ではなく、面による攻撃だった。ただの蹴りや拳では、スーツを破壊することはできない。ならば、スーツの全身を揺さぶった方が、ダメージは見込める。

 それに、ここは海のすぐそばだ。倉庫の反対側は、岸部になっている。スーツにかなりの重量があるのかは把握済みだ。一度海中に落とされれば、そのまま沈んでいくしかあるまい。どれだけの酸素を積んでいるかは不確かだが、スーツは沈む棺桶になるだろう。

 それを避けながら戦うのは、親父にとっても相当な困難を伴うはずだ。


「小癪なッ!」


 親父は前傾姿勢を取り、滑空して鉄拳を見舞おうとする。だが、遅い。スラスター出力が低下しているのだ。

 逆に、ランチャーを捨てて身軽になった俺は、飽くまで突き出しにこだわり、打撃を繰り返す。親父は防戦一方となり、少しずつではあるが、岸壁へと後退させられていく。

 

 あと十メートルと迫ったところで、俺はいいものを見つけた。鉄柱だ。二メートル弱の長さの鉄柱を持ち上げ、思いっきり横薙ぎに振るう。親父は腕を上げ、身体の側面をガードするものの、勢いを殺し切ることはできない。


 このまま海に叩き落とし、スラスターの余力で浮き上がって来たところを仕留める。それが俺の作戦だった。そのためには、どうしても戦闘序盤はRCを封印し、後半に力技を使えるようにするしかなかった。


 ジリジリと足元を滑らせ、水際まで押されていく親父。しかし、それで黙って突き落とされる親父ではなかった。


「ッ!」


 いきなり鉄柱の動きが止まった。素早く腕を回した親父が、わきに挟み込むようにして鉄柱を掴み込んだのだ。単純な力比べでは、俺は負ける。だったら。

 俺は素早く鉄柱を手離し、親父にわざと引っ張り込ませた。突然のことに、たたらを踏む親父。その隙に、俺は再び鉄柱を引っ張り込み、


「でやあっ!」


 親父の腹部を思いっきり突いた。

 流石にこれは効いたらしい。親父は思いの外呆気なく、背中から二メートル下の海面へと落下した。ざばり、と波が砕ける音がする。


「はあっ!」


 俺は思わず膝を着いた。RCの残り時間は、あと四分半といったところ。親父に止めを刺すには十分な時間がある。

 俺は海面を覗き込んだ。次の瞬間、


「ぐっ!」


 何かが首に巻きついた。ワイヤーだ。そう気づいた時には、俺は勢いよく海に引きずり込まれていた。俺は急いでそれを解いたが、その時には親父の鉄拳が顔面に迫っていた。ワーヤーは、親父の拳から射出されていたらしい。

 思いっきり殴打され、俺の肺に海水が殺到する。身体が反射的にそれを吐き出そうとするが、海中ゆえに上手くはいかない。

 すると今度は、親父は俺の首を掴み込んだ。道連れにするつもりなのかと思ったが、ここで死を選ぶほど、度胸のある男ではない。案の定、親父はスラスターを全噴射して上昇し、俺を岸壁に叩きつけてから埠頭に戻った。


 俺はようやく、呼吸器系や消化器系から海水を吐き出した。両膝と掌をつき、これでもかとむせ返る。海水の潮臭さ、というより、工場の廃液の薬品臭さが鼻腔を埋め尽くし、いくら吐いても吐き出しきれない。


 その間も、俺は親父から目を離さなかった。一挙手一投足、一瞬でも見逃せば俺は死ぬ。すると、親父のスーツに異変があった。

 プシュッ、と短く白煙が噴き出したかと思うと、ところどころが脱落し始めたのだ。きっとスラスターが、海水が流れ込んだことで使用不能になったのだろう。ガチャン、ギリギリと金属の擦れ合う音を立て、親父の身体からパージされていく。しかし、身体の急所にあたる部分には、相変わらず装甲板が貼りついている。


「まったく、こうも粘られるとはな」


 呼吸を乱す俺が立ち上がるのを見ながら、親父が無感情な声で言う。既に余剰パーツを外し終えたのか、一気に痩せ細ったように見えた。だが、それで弱くなったわけではない。

 俺の体感時間によれば、RCの機動可能時間は残り三分。仕留められるだろうか。


 それを確かめるべく、俺は自ら突進した。スーツがパージされてできた肩部に、鉄拳を叩き込む。

 それに対し、親父は完全に受け手に回った。自ら突進するには、推力不足だと判断したのだろう。代わりに、手足の駆動は滑らかだった。俺の鉄拳は、あっさりと親父の掌に掴み込まれる。が、俺はブーツのつま先で親父の肘を蹴飛ばし、強制的に拳を引っ張り戻す。


 その時、凄まじい現象が俺を襲った。前回親父が使った電撃が発動したのだ。


「―――――――ッ!!」


 全身の表皮が剣山に突き破られ、一方で、身体の芯が焼き尽くされるような激痛。海水でびしょ濡れになっている俺にとって、これは文字通り致命的な事態だった。

 RCが発動していればこそ、意識を保てたようなものだ。いや、それだけではない。危うく心臓が止まる可能性すらあった。

 いずれにしても、親父の眼前で膝を着いた俺に、生き残れる見込みはなかっただろう。即死するか撲殺されるか、そのどちらかだ。


 しかし、俺が覚悟した事態は、一向に訪れなかった。ついに俺が、親父から視線を逸らしてしまったにも拘らず、だ。


 俺はなんとか立ち上がった。感覚はまるでない。RCが機動しているのかどうかすら分からない。ただ一つ感知できたのは、俺はまだ生きている『らしい』ということだ。

 そんな俺の眼前で、親父はふらついていた。足元が安定しないのだ。何が起きたのだろう。戦闘中であることも忘れて、俺は親父の姿をじっと見つめた。


 次の瞬間、俺の意識は急速に体感を取り戻した。


「ぐあぁあっ!」


 再び襲い掛かって来た激痛に耐え切れず、屈みこむ俺。その前で、親父はよろめきながら後退していく。辛うじて顔を上げると、スーツの関節部から火花が上がっているのが見えた。バイザーも点滅し、やがて音もなく消えた。


「な、ど、どうしたんだ!? これは、何なんだ!?」


 次々にシステムダウンしていくスーツに、動揺を隠せない親父。その場にひざまずくのは、今度は俺ではなかった。


 今は親父を倒す絶好の機会だ。これを逃すわけにはいかない。

 俺は前回、敗北を喫した時同様、覚束ない足運びで親父に向かって行った。一歩一歩、荒いアスファルトの地面を踏みしめる。

 そして、親父の顎を思いっきり蹴り上げた。


「がはあっ!」


 バイザー部分が明滅する。今の蹴りで、光学も赤外線も探知できなくなったようだ。

 追撃を試みる俺を、親父は腕を振り回して遠ざける。


「うっ!」


 再び後方に倒れ込む俺。その隙に、親父は慌ててメットを取り外した。

 今顔面に鉄拳を叩き込めば、俺は勝てる。ゆっくりと、俺は千鳥足で親父に接近した。これで、葉月の仇を討てる。

 しかし、それは叶わなかった。


 先ほどの出撃で麻痺しかけた俺の身体。それは、いつの間にかアスファルトに前面から倒れ込んでいた。

 どうしたことだろう。違和感を感じて腹部に手を遣ると、なにやら液体が掌を染めた。

 海水ではない。街灯に晒してみると、真っ赤だった。


 俺が、撃たれた……? きっと狙撃されたのだろう。親父め、自分の援護役を配備していたのか。一対一だと思っていたのに。


 しかし、再び妙なことが起こった。親父が、後方に倒れ込んだのだ。

 その額に真っ赤な華が咲くのを、俺は確かに認めた。

 それからしばし、銃声がいくつか聞こえたようだが、それが収まる前に、俺の意識は輪郭をなくし、真っ白になって、消えた。

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