第28話


         ※


 正直なところ、俺は恐怖に苛まれていた。ビビっていたのだ。

 俺の目の前で撃たれ、命を落とした葉月。あんな仲間の死を、俺はもう見たくはない。自分が死んだほうがマシだというくらいに。

 自室への戻り道、寺の中の廊下を歩きながら、俺はそんなことを考えていた。


 きっと、俺は葉月の死を乗り越えられていないのだ。憲明も和也もエレナも、ドクだってそうだろう。ドクとの模擬戦の時は考えていなかったが、一旦『仲間の死』というものを考え始めると、恐ろしくて身体が硬直するような錯覚に囚われる。

 昨日の今日で忘れられるほど、葉月の死は軽々しく扱える事柄ではなかったということだろう。当然だ。だって葉月は――。


 その時俺は、ぴょこぴょこと廊下の反対側から駆けてくる人影を認めた。エレナだ。軽く手招きをしている。


「通信室か? 分かった。今行く」


 俺の了解の意を得て、エレナは引き帰していった。次は和也にでも声をかけるつもりなのだろう。


 俺は一旦自室に引っ込み、二、三回深呼吸をして再び廊下に出た。通信室へと足を向ける。


「ドク、何があったんです?」

「通信を傍受した。間違いなく、君の父上だ。傍受されることを前提に、音声を垂れ流している」


 複数あるディスプレイのうち一つに見入りながら、ドクが答える。そのディスプレイ上では、緑色の波形のようなものが右から左へと流れている。


「お前の親父か、潤一?」

「ど、どうなんだい?」


 後ろから乗り込んできた憲明と和也に、俺は無言で頷いてみせた。

 再びディスプレイに目を遣ると、ドクがヘッドフォンを外し、オープン回線にするところだった。


《で、その倉庫で彼らを待ち受ける、と?》

《そうだ。まあ正確には『彼ら』ではなく『彼』だが。標的は、潤一一人だけだ》

《そう上手く誘導できるものですかね? 彼らの結束の強さは折り紙付きです。あのダリ・マドゥーの一味だって、倒されてしまったのに……》

《心配するな。君らが手を出す必要はない。潤一は、必ず一人で勝負を挑んでくる。父親の私が言うんだから、間違いはあるまい?》

《は、はい。ご武運を、佐山博士》

《留守を頼むぞ》


 次の瞬間、通信は切れた。


「だ、そうだ。潤一くん、覚悟はいいか?」


 俺へと向き直ったドクを前に、俺は『はい』と一言。

 頷きながら、ドクは別なディスプレイに向き直り、しばしキーボードを操作した。


「父上がいるのは、どうやら先日のオランダの密売組織を潰した倉庫のようだ。奇妙な偶然だな」

「そうでもありませんよ、ドク」


 俺は淡々と述べた。こんなに平静でいられる自分にやや違和感を覚えつつ、続ける。


「親父はずっと、俺を追いかけていたはずです。大事な検体ですからね。そのあたりは、後で親父から聞き出そうと思います。ところで、親父が待ち構えている時間はいつです? 今晩ですか?」

「いや、明日の夕方、午後七時だそうだ。だが、残念ながら下見はできない」


 俺が眉を寄せると、ドクは言った。


「今は大規模銃撃戦の現場として、警察が封鎖している。憲明くんと和也くんは、所定の時刻に潤一君が戦闘を開始できるよう、警官隊の牽制を頼む。できるか?」

「もちろん!」


 勢いよく答えた和也の横で、憲明も頷いている。


「では、一旦君たちは山を下りて、アジトに戻ってくれ。怪しまれないようにな」


 そう言って立ち上がったドクに、俺はさっと右手を差し出した。それを見て首を傾げるドク。


「ドク、今までお世話になりました」


 すると、ドクは軽く右手を差し出す、と見せかけて、俺の手を弾いた。


「死ぬ気なのか、潤一くん? それは許可できないな。葉月くんとて、そんなことを望んではおるまい」

「えっ?」


 俺は怒った、というよりも呆れ半分で腕を下ろした。


「葉月の名前を出すとは……。卑怯ですよ、ドク」

「卑怯で結構だとも。君の生還を祈る者として、多少の罵詈雑言には耐える覚悟だからな」


 俺は、自分の頬が緩むのを感じた。どうしてこんな時に、とは思ったが、それが自然な感情の表出であることは疑いようがなかった。


「健闘を祈る。さあ皆、もう行ってくれ」

「では」


 俺がそう短く告げたのを最後に、俺と憲明、和也の三人は、通信室を後にした。


         ※


「よく来たな、潤一。私は嬉しいよ」


 翌日の午後七時、件の倉庫にて。

 親父の姿を確認するのに、そう時間はかからなかった。警備にあたっていた警官隊は、憲明と和也がこの倉庫から遠ざけてくれている。

 俺は親父を前に、沈黙を保っていた。両足を肩幅に広げ、得物を提げながら立っている。

 

「しかしなあ、いくら強力だとはいえ、携行火器でこのスーツを破壊できると思ってのことか?」


 やれやれとかぶりを振る親父。そんな彼に突きつけているのは、グレネード・ランチャーだった。葉月が以前、和也の対戦車ライフルを入手するために築いた取引先。そこから拝借してきたものだ。


 ぐっと身体の重心が右側に傾いてしまう。予想より重い。素早い挙動は取れないだろう。だが、どうしてもこの武器を使う必要があった。親父の着ているスーツの弱点を突くために。


 こうして一対一で向かい合っていると、西部劇の一場面が思い出される。もっとも、あちらは白昼の荒野、こちらは薄暗い倉庫の中ではあるが。


「だんまりを決め込むようなら、こちらから行くぞ」


 静かな口調から一転、殺気を帯びた高速タックルが、俺に向かって繰り出された。

 一見無駄であろうことは承知の上。俺は一発目のグレネードを、親父の脳天にぶち込んだ。

 ズドン、と短い爆音が響き、真っ黒な煙が上がる。微かに赤い爆光も見える。だが、案の定親父は躊躇いなく、タックルを敢行した。それを、サイドステップで回避する。


「どうした? RCは使わないのか?」


 さもつまらない、という風に、親父は振り返って肩を竦めた。だが、そこに十分なタイムラグがあるのを、俺は見て取った。


 俺が考えていたこと。それは、スーツのスラスターをどうにかして塞いでしまう、ということだった。

 親父の攻撃パターンは、前回の敗北から読めている。驚異的な速度で接敵できるが、小回りが利かないのだ。だったら、背後に回り込んでから攻撃を加え、スラスターを破壊する。そうすれば、相手はただ硬いことだけが取り柄の、防弾スーツに成り下がる。それからなら、いくらでも料理ができる。

 最初に通常のグレネードを撃ち込んだのは、親父を調子に乗らせるためだ。


「ふっ!」


 再度突っ込んでくる親父。まだRC抜きでも、挙動を読むことはできる。俺はわざと横転し、この突進を回避して立ち上がった。今だ。


 二発目のグレネードを、親父の背中に撃ち込む。


「ん? 何だ?」


 親父が訝しがるのも無理はない、今度は通用するどころか、爆発さえ起らなかったのだから。

 爆薬の代わりに弾頭に詰めたもの。それは、希釈していないペイント弾だった。スーツに当たり、破裂した弾頭は、べったりとスーツの背中にへばり付く。これこそが、俺の狙いだった。

 しかし親父は、そんなことには気づかなかったらしい。


「おいおい、不発弾を混ぜるなよ。そんな装備しか用意できなかったのか?」


 言葉を言い切る前に、背部スラスターを噴射する親父。俺は再びサイドステップでこれをかわそうとした、が。


「がッ!?」


 俺が横に跳ぶのを見て取ったのだろう、親父の右腕は、俺の腹部に思いっきりめり込んだ。俺はそのままアッパーカットの要領で突き上げられ、僅かに宙を舞い、落下。コンクリートの床面に手をつけようとして、今度は膝蹴りに見舞われた。うつ伏せに倒れ込む。


 踏みつけられる気配を察した俺は、慌ててごろりと転がって回避。コンクリートにスーツの足先がめり込むのが見えてぞっとする。

 だが、やられっぱなしでもいられない。俺は慌ててランチャーを構え、ペイント弾を叩き込んだ。スーツの胸部に当たった弾頭が広がり、視覚バイザー上にもペイントが飛び散る。


「子供騙しだ!」


 親父はローキックを放ってきたが、これはそのまま転がって回避。なんとか立ち上がり、またペイント弾を親父の頭部に叩き込む。

 すると、横一文字に走ったバイザーが、真っ赤に点灯した。光学レンズがペイント弾で潰されたので、赤外線モードに切り替えたのだろう。そうだ。それでいい。


 俺は先日の、オランダからの麻薬流入を阻止する作戦で、この倉庫の下調べをしていた。もしその時からコンテナの配置が変わっていなければ――。

 左手を腰元に遣り、手榴弾をベルトから取り外す。そして放り投げた。が、親父のいる方に、ではない。その五メートルほど手前の、『火気厳禁』の表示のあるコンテナに向かって。

 俺が慌てて伏せると同時、凄まじい轟音と爆炎が、倉庫内に吹き荒れた。

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