平成で亡くなった遠藤ミチロウに捧ぐ
@akihik0810
平成で亡くなった遠藤ミチロウに捧ぐ
ZINE「文化系女子になりたい 駄目人間について考える号」を手に取ってくれた皆さん、ありがとうございます。タムラ昭彦です。「文化系女子になりたい」を読まれた方、ぜひ感想をツイッター(@akihik0810)かブログまで感想をください。ぜひおねがいします。
ZINEに入りきらなかったマンガを、ボーナスコンテンツとして発表します。
マンガだけ配布するのも恥ずかしいので、この謝辞の他ここにエッセイも載せます。
ゴールデンウィークの連休中、ずっとマンガを描いていた。普段マンガは読む一方で、描くことはしないからか、描きあぐねていた。たかが10Pのマンガを描くのがこんなに難しいなんて…。元号は平成をまたいで、令和に変わった。
ツイッターをみていると、「R.I.P.」の文言が流れてきた。追悼?新元号に変わった瞬間なのに、誰が亡くなったのだろう…。
記事を見ると、「元ザ・スターリンの遠藤ミチロウさんが死去」という記事だった。あのミチロウが亡くなった?ガンで闘病してるのは知っていたが、あのミチロウだぞ?と思った。これが令和初のニュースだなんてあんまりだ…。
私は、スターリンが活動していた時代(80年~85年)は産まれていなかったので、直接は曲を聴いたことはなかった。スターリンについては「ライブで臓物を投げてたバンド」という知識しかない。というか、1曲だけ「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」をYoutubeで聴いたことがあるだけで、たぶんファンでも何でもない。
にもかかわらず、ミチロウの死はずしりと来るものがあった。ああこれは、忌野清志郎と、エンケン(遠藤賢司)が亡くなったときに感じた気分だ…。
今はRCもエンケンも大好きでよく聴くけど、彼らが亡くなった時には「テレビでたまに流れてそのときに聴く人」という認識だった。特にファンではなかったなかったはずだが、訃報を聞いたときには何とも言えない寂しさが襲ったのだった。
なぜ私は、ファンでもないのに、彼らが好きだったのか。それはもちろん、彼らが「カッコイイ大人」の代名詞だったからだ。渋い。それでいて自由奔放。そんなイメージがあった。漫画家や俳優にはない、ミュージシャンだけが持つたたずまいというか、ギター一本でまくし立てて歌う、「自由をシャウトする」姿に憧れたのだ。
ミチロウは間違いなくカッコイイ大人だった。年をくっても(享年68歳だそうだ。その年齢でこの「若さ」は凄い)世間に反抗しているはずなのに反抗的でなく全くの自然体で、永遠に少年みたいなおじさんだと思っていた。
自分はもう立派な「大人」な年齢になるのに、自分が「大人である」ということにしっくりきていない。なんなら今でも中学生くらいの気分だ。いい加減大人になれ、と自分でも思うが、どうやら私は心の底から大人になれる日は永遠に来そうにない。だからミチロウのような「少年のような大人」の存在に、歌は聴かなくても共感していたのだ。俺もあの人を励みに生きていきたいと。
そんなふうに思える大人の一人だったミチロウが、令和を待たずして死んだ。平成は清志郎が亡くなったし、そういう時代だった。令和もたぶん、私の大事な人が亡くなるのだろう。そしてそれでも私は生きていくのだろう。
最後に、私の描いたマンガ『テンノーの祈り』を、平成で亡くなった遠藤ミチロウに捧げて、私にとっての平成を終わりにしたい。
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