第3話

「天才なのか?」

「だから違うわよ」

 現在、2人で俺の下宿先に避難していた。8畳リフト付きのわりと気に入っている広々空間である。

 とりあえず俺の着替えを済ませてからも、アンネと研究室での続きをしている。

 けれども結果は変わらなかった。

 アンネが話すマイティア王国は世界のどこにもない。悪のドラゴンも性根の腐った大臣も、勇者も魔法使いもなにもかも。

 俺の知る限りでは存在していない。

 ――創作物を除いては。

 さらに言えば、マイティア王国もアンネの出身地だというカロ村も、悪のドラゴンも性根の腐った大臣も、勇者も魔法使いもなにもかも。

 はたまた『アンネ・ソテイラ・ユーゲンハフト』でさえも。

 俺のノートの中には存在していた。

 これがどういうことなのか。さすがに俺でも分かっていた。

 アンネは天才だ!

「ホントに小一時間でよくも覚えれたな!」

「だ~か~ら~!」

 違うわよ! そう叫ぼうとしたとき、インターホンがなった。

はーいと玄関に向かって返事をし、扉を開ける。

誰もいなかった。

けっしてホラーではない。

首を右に曲げると小柄な女性が立っていた。

「だから俺の家は302だぞ」

「あ、先輩! また間違えちゃいました! えへへぇ」

 隣室の前で照れ笑いをする女性――久須美京華くすみきょうかがおでこをぺちんと手で打って照れ笑いをしていた。

 古くさいからやめた方がいいぞ。

「あれがとう、入ってくれ」

「はい、凛先輩! ありがとうございます」

「わざわざ悪いな」

「いえいえ! でも急に着替えをもって俺の家に来てくれなんてついにお泊まりのお誘いで――。ってどなたですかこの人は!?」

「アンネ・ソテイラ・ユーゲンハフトよ!」

「だれですか!」

「あなたもなのね!」

 俺を挟んで互いに臨戦態勢に入った。まだ朝の10時なので大人しくして欲しい。インターホンの通り、家の壁は薄いのだ。

 2人をなだめて、今までの経緯を京華に話した。彼女を呼んだのはアンネの着替えと男一人で家出少女を家にあげるとお縄になると聞いたからである。

「えーと、つまりアンネちゃんは転移魔法で別の世界から来た勇者ってことですか?」

「そういう設定だな。俺のノートを一瞬で覚えた家出系天才児だ」

「凛先輩ってあんなノート書いてるのにそういう風には考えないんですね」

「流石にないでしょ」

 異世界にからとか、魔法とか、俺にとってはすごく魅力的なワードだ。今ここに仮にアンネと名乗る少女がいることには多少の興奮を覚える。だけれど、これはいつもと違うことが起きているからという興味であって、本当に別の世界から来ているとは信じていない。

「警察には言ったのですか?」

「言ってないよ。アンネが嫌がるんだ」

「何も悪いことしてないのに憲兵のところに行くなんて嫌よ!」

「ってさ」

「うーん、なんでそんなに嫌なの?」

「その手のものがろくなもんじゃないことはウンザリするくらい知ってるのよ」

「そんなことないと思うけどなぁ」

 やはり家出少女には過去にいろいろあるらしい。

「まぁそういうことだから少しだけこの家にいてもらうことにするよ」

 本当の家の場所も言いたがらないので探しようがない。

 俺の言葉に京華が驚いて声を上げた。

「いてもらうって凛先輩の家にですか?」

「うん、他に場所も無いしね」

「女の子と二人で?」

「そういっても中学生くらいだし何もないよ」

「でも凛先輩って変態じゃないですか」

「私もそう思うわ」

「アンネは静かにしててくれ。君の処遇を決めてるんだ」

「とにかく!」

 京華は、俺とアンネを交互に見て、唾を飲み込んだ。

「私もアンネちゃんが心配なので一緒に住みます!」

 ぴしゃりと俺を指さしてそう宣言した。

「はぁ? いや流石にそれはまずい――」

「そうして! ぜひそうして! この人と二人は心細いわ!」

「はい! そうしようアンネちゃん!」

「え、えぇ……」

 なにか決まってしまったようである。

 まぁ正直に言えば、京華さえいいのなら断る理由はあまりない。女性のことは女性に任せるのが1番だと思う。

 いうが早いが、京華は自分の荷物をまとめに実家に帰っていった。こんなに慌ただしいやつだっただろうか。

 アンネを泊めるのは別に構わない。ゆっくり彼女の身元は探していくつもりである。

 その間、アンネ自身はどうするのだろうか。

「君はこれからどうするつもりなんだ?」

 彼女は迷わず答えた。「帰る方法を探すわ」一呼吸おいて続ける。

「私は戻らなきゃならないの。戻って今度こそドラゴンを倒さなきゃいけない。それが私の使命だから……」

 明後日に視線を向けてアンネは憂いを帯びた表情を浮かべる。

 こいつは重篤だ……。

 誰だ、こんな年端もいかぬ少女をスーパー黒歴史タイムに突入させたやつは。

 あれか、俺のノートか? そんなに心に響いたか? 俺の作った物語が彼女の心のあやういところにズブズブ刺さって夢や幻想やらを注入してしまったのか?

それはそれで嬉しいような気まずいような複数の感情に圧殺されようとしている。

なかなかに面倒なことになりそうだなと、窓から見える真っ白い自由な雲に視線を預けた。


「ドラゴンの住処はどんなところだったんだ?」

「うーん、一言でいうと楽園かしらね……暑くもなく寒くもなく木の実も豊富にあって、花は一面に咲いていたし文句のつけようのないくらい好条件な……場所だったわね。さすが世界最強の生き物って関心しちゃったわ……このいんどかれーっていうの? 美味しいわね!」

 会話の最中であろうとアンネはしきりに食べる手を止めなかった。

 お昼を過ぎたので家の近くのインドカレー屋に来ていた。二人が頼んだのは日替わりカレー。季節の野菜をふんだんに使った飽きのこないメニューである。未だ5月であるのに今日はカボチャが入っていたので気まぐれに作っているのだろうことがうかがえる。のどが渇く。

 俺がしばらく彼女の面倒を見ようと思ったのには、彼女が警察を嫌がる以外にも理由があった。

 たくましい想像力である。

 彼女は今、俺が趣味で書いていた小説の主人公、マイティア王国の勇者アンネになりきっている。よほど身分を明かしたくないのか、ものの見事に今のところ綻びをみせない。

 隠されたものはついつい追求したくなる質なので色々と問いただしてみたのだ。

 結果は全問正解。そのさらに上をいった。

 物語の中でアンネが知り得ない事にはきちんと知らないと答え、あろうことか自分が詰め切れていなかった設定の詳細まで語ってくれた。


――まるで見てきたかのように。


 なので俺としては小説が完成するまでしばらくそばにいて話し相手になってくれると大変助かるのだ。10代の想像力は恐ろしいものがある。

「それでまぁとりあえず最後の質問なんだが、遠くの場所に飛ばされたアンネはこれからどうすると思う?」

 これは俺のノートに書かれた最新の言葉の続きであった。

「ん? それは私がこれからどうしたいかって質問でいいかしら?」

「おう、もうそれでいいぞ」

「そうね……もとの場所に帰るための方法を探したいからどこか手がかりがありそうな場所に行きたいわ」

「王都に帰る手がかりねぇ」

 それなら俺の家が1番蔵書に優れていると思うのだが……言ったら軽く怒られそうだ。

「それなら俺の家だな」

「まじめに答えて時間が無いの」

 わりとまじめな回答のつもりなのに。アンネの俺に対するにらみ具合は齢14歳の貫禄ではなかった。これも言ってはダメな気がする。

「たくさんの情報が知りたいのならパソコンを使うか図書館に行くかだな」

「……パソコンってなに?」

 さすがの役作りなことだ。たしかに俺の小説の中にパソコンは存在しない。

「じゃあまぁ図書館だな」

「文献を漁るのね。苦手だけどやってみるわ」

「大学に図書館があるから行ってみようか」

 頷いて、アンネは最後のひとかけらのナンを食べきった。


「たくさんあるのね……」

「一応最高学府だしな」

「そう、頭が良いのね、りんたろーは」

 アンネは振り返って俺を見た。

いやに感心した顔。会ってからまだ見たことのない俺からしたら珍しいその表情。まだ半日も経っていないが。

けれど、その顔が俺にはもったいない気がしていつの間にか目線を外してしまっていた。

「そんなことないぞ……うん、ほんとに……」

「?」

 アンネは首をかしげた。

「ほら、図書館に入るぞ」

 自動ドアをくぐり、エアコンの効いた館内に入る。

 ドアがひとりでに開閉していること、そんなこと今は気にしていないようで、アンネの視線が俺の後頭部に向けられているのを感じた。

 なりきり出来てないぞ。別の世界からやって来たなら驚くのがテンプレだろう。

 俺はカウンターまで行き、手続きをしてアンネの入館許可証をもらった。それを首に掛けさせる。

「さっ、これで入れるぞ。好きなものを読んでいてくれ。俺は授業に出てくるからな」

「えっ、りんたろーは一緒にいてくれないの?」

 アンネはきょとんとした顔をこちらに向ける。

「1時間半だけな。そうしたら戻ってくるからそれまで静かに読んでいてくれ。一応これ渡しておくから。」

「なんなのこの重い板」

「スマホって言うんだ。ここを押せば俺に繋がるから何かあったら連絡してきてくれ」

 機種変更で余っていたものをアンネに渡す。1度使って見せた。

『俺の声が聞こえるだろ?』

「え、すごいわ! 板が喋ってる!」

「ちょっと! 声大きいぞ」

「あ、ごめんなさい……」

「まぁこんな感じだから、ちょっと行ってくるな」

 スマホをコツコツと触るアンネを置いて俺は教室へと向かった。

 教室の右側最後列。いつもの場所に腰掛けた。まだ始業には早く人はまばらであった。あと5分もしたらこの部屋も騒がしくなるのだろうと考えると少し気が重くなる。

 話す人もおらず手持ちぶさたなのでスマホをただいたずらに眺めて時間を浪費するのがいつものことだった。授業が始まってもいじる手を止めることもない。

 アプリで漫画を読み始めようとすると、アンネからの着信がきた。

『どうした?』

『りんたろー? あの読めないんだけど』

『へ?』

『だから、本、何が書いてあるのか分からないのよ』

『あ』

 そんな設定もあったなぁ。

 どうやらアンネを一人にしておけないみたいだ。

『わかった。今行く』

 一緒に授業を受けさせよう。俺は机に手をついて渋々と立ち上がった。


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小説書いてただけなのに!? 二文野アマリ @kei345

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