第2話
派生形として、
アニメや漫画では、新妻=『裸エプロン』みたいな風潮があるが、俺は無しだ。前側は隠れているが後ろは丸見えじゃないか。
隠れていることに意味がある。そうは思わないだろうか!
そして何が言いたいのかというと、『
目を覚ますと、乳白色の壁に包まれていた。所狭しと棚に並んだ薬品、各生徒の実験試料、人数に対して多すぎる丸いす。どれも見覚えのある物ばかりで、ここが自分の所属する研究室であることが推測できた。
蛍光灯はついていないが、部屋はほんのりと明るい。校舎内の位置の関係で朝日しか入ることがないため、まだ9時前なのだろう。壁掛け時計は春休み前から壊れているので正確な時間はわからない。
状況を把握してきて、当然気になるのは俺を沈めた犯人だけれども、視線を頭上に向けると、いた。
あまりにも余りある丸いすの1つに腰掛けこちらを見下ろす赤髪の少女は、俺の服を着てコップを片手にしていた。
「白目むかないでくれる? 怖いわ」
それは確かにホラーだろう。床に寝かされていてきしむ体にむち打って、よっこらしょと彼女にむき直した。
「おはよう、よく眠れたよ」
「ホントにね。驚くほど簡単に気を失ったわよあなた。拘束だけのつもりだったのに、貧血かしら」
「貧血であることは否定しない。けどシンプルに寝不足でもあったんだ」
嘘ではない。昨日の夜は忘れ物が気がかりで上手く寝付けず、毛布の中でスマホとにらめっこしていた。もちろん俺の負けだった。
彼女はあきれた顔でこちらをうかがう。しかしすぐに興味を失ったのか俺から机にくるっと後ろを向いた。そのままの勢いで一回転して再び視線が合わさる。すると彼女はコップを二刀流に変えていた。増えた一つを「んっ」と
絞め落とされたこちらの言い分としては気の進むものではないが、受け取らないのも可哀想なので「どうも」とだけ言って、うやうやしくも両手で受け取った。そんな気を使えるならば渡す前に手首のなわとびをほどいて欲しかった。
どうやら俺が覚醒するまでのどうしようもない暇を、水を飲むことで薄めていたようだ。
日差しに散々いじめられた心身を潤すためにコップを口に運ぶ。しかし、すんでのところで気になった、この水の出所はどこなのだろうか。
コップは卒業生が置いていったものがいくらでもある。また、水も蛇口はいくらでもある。しかし、研究室の水には種類がある。それが問題だ。
一般的な水道水、井戸水の他に、イオン交換水――ようするに純水――がポリタンクに溜めてある。またその上の超純水というものもある。井戸水は言わずもがな危険かもしれないし、純水2種も飲み過ぎるとお腹を壊すのだ。
つまり確率は4分の1しかない。
忠告してやるべきか……。
まぁ、義理はないな。
俺は笑みを浮かべ、さりげなくコップを置いた。
少女がいぶかしげな眼差しをぶつけてくる。そんなに信用が出来ないのかと。
できない。
それに構っている暇もない。呑気なことをしている場合ではないのである。
「あなたは誰なんだ?」
聞きたいことはこれに収束する。児童虐待を受けた薄幸の乙女かと思っていたが、どうやら違っていた。完全に騙された。あの動きは名うての暗殺者か、他国のスパイかSWATかその辺りでないと説明できない。
俺の勘では暗殺者説が濃厚だ。ぜひともハズレて欲しい。
この問いかけに彼女はわずかに口元を緩ませたような気がした。
よくぞきいたとばかりに少女は立ち上がって答えた。
「私の名前はアンネ・ソテイラ・ユーゲンハフトよ!」
……………………。
どや顔でのたまったのも関わらず俺が全然反応を示さないので、彼女、アンネは首をかしげてもう一度言おうか迷っている様だった。
なにも俺は無反応なわけではない。無反応という反応をしているのだ。だってそうだろう。一対一の対面で自己紹介されて何も反応しないやつなんて絶対おかしい人である。
俺が無反応な反応をしているのにはそれなりに理由がある。誰と聞かれて見ず知らずの人に名前だけ言うのもどうかと思うがそういうことでもない。
では、そろそろアンネが再度大声を出しそうな雰囲気なので、ここいらでそのわけを伝えておこう。
「読みやがったなぁぁぁぁあ!!」
「えぇぇぇぇぇえ!!」
ついに読まれてしまった門外不出、女子禁制のアナザーワールド! せっかく人の目に触れないように朝早くやってきたというのに意味がなくなってしまった!
アンネ側の机には俺の妄想ノート『これが僕の、アナザーワールド』が見開いて置かれていた。俺が朝早くにやってきた原因である。
いや、確かに研究室に置きっぱなしにしてしまったのは俺のミスだ。けど、だからってなじるように登場人物を演じることないじゃないか。
「あんた、性格悪いな」
「その評価は不本意なのだけど」
「妥当だ!」
「えっ!? なに? 急に叫びだしてなんなの? 大丈夫?」
アンネは心底うざったそう…………いや、心配そうな目をしていた。
「いや、なんでそんな顔してるんだよ」
「私がムリに絞め落としちゃったからおかしくなっちゃったのかなって申し訳なくて……」
「たしかに君が原因だけど気絶したせいじゃないから」
「そう、ならよかったわ」
そういって胸をなで下ろす。「じゃあなんでなの?」
「そのノート読んだでしょ」
「ノートってこれ?」
彼女が俺のノートをちょいと手に取り俺に渡した。
「読んだわよ」
「ほらほらぁぁぁあ!」
「叫ばないでよ! 読んだけど読めなかったわ!」
「え、どういうこと?」
字が汚かっただろうか。
「こんな字読めないわよ!」
「ごめんね、汚くて……」
「汚い以前の問題よ! どこの国の文字よこれ?」
「日本語だけど?」
それと英語がちらほらだ。
「ニホン? 聞いたことないわ。だいぶ遠くまで飛んじゃったみたいね……」
今度は深刻そうに、どうしようかしらと唇を動かした。
その様子はよほど演技には見えない。字も習わないほどに虐待をされていたわけでもなさそうである。
「アンネは日本人じゃないのか?」
「えぇ、マイティア王国の外れの生まれよ」
「またノートの内容を!」
「違うわよ! 私は本当にマイティア王国の勇者、アンネ・ソテイラ・ユーゲンハフトなの!」
「うそだ!」
彼女は自分を勇者と言った。この世界には存在しない職業だ。こんなものはすぐに嘘だとばれてしまう。
それでもなぜ、彼女は頑なに俺のノートの内容を言うのだろう。正体を明かせない理由があるのだろうか。博士にせまられた名探偵でもあるまいに。
ただ辱めたいだけかもしれない。可能性が高い。やはり性悪か。
このままでは堂々巡りだとお互いがそう感じ始めた、その時だ。
かつ、かつ、と。
階段を上る音が響いてきた。誰かがくる。
俺の心臓が大きく体を打った。脈が早まる。
「わかった、アンネ! ここにいるのもなんだから1回俺の家へ戻ろう!」
「わかってない!」
「本当さ! とにかく一旦ここから出よう! ここはまずいんだ!」
「あんたについて行く方がまずそうだわ!」
足音はまっすぐこの研究室に来ていた。
「いいや、ここの方がまずいね! ここには日夜ヘビを溺愛しているようなヤツや目に見えないものを眺めてニヤついているようなヤツがうようよしているんだ! 見つかったら何されるかわかんない!」
「私はあなたもトントンの変態だと思っているんだけど」
「ああもう! いいから早く!」
「あ、ちょっと!」
俺はアンネの手と『これが僕の、アナザーワールド』を引っつかみ、隠密かつ迅速にこの場を離脱した。
走りながら、最後にアンネが言ったことも、もっともだと思った。
アンネは今、俺の服を着ているのだ。ということは俺の着る分が無くなるというのが世の道理であり、悲しい現実なのである。やったのは確実にこの少女なのだろうが。
しかし、彼女も人の子だったらしい。
俺は今、裸ではない。純白の布、研究者の正装、属にいう『白衣』を着せてくれていたらしい。
いや、自分で着ろよ! わざわざ剥ぐなよ!
ボクサーパンツに白衣が1着。実質裸白衣の完成だった。
唯一の衣服がはためかないように気を張りながら、俺は学生が集まりだした大学を逃げるように去って行くのだった。
風さんのエッチと叫ぶことを許された、俺の5月のゴールドエクスペリエンスである。
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