ハナウタ

定食亭定吉

1

 関ヒロシ。最近、成人した二十歳の夢見る男。都心からも私鉄特急で一時間弱離れる、神奈川県西部に暮らす。

「おい!ヒロシ。まだか?くだらない鼻唄なんて吹きやがって」

朝の時間。ヒロシの父、フミオが家に一ヶ所しかないトイレに、順番待ちをしている。ようやくヒロシは出て来た。

「作曲と言ってもらいたい!それに親父こそ、いつも新聞読んでいるだろう?」

「うるさいな!成人して家にいる奴に言われる筋合いはない」

最近、彼ら二人の口論は多くなった。

 その姿を静観しているヒロシの母、いく子。彼女は長年、内職をして、家計をサポートしてきたが、最近は母親卒業宣言をし、マイペースに生きる。

「あんた、そんな事、トイレでやっていることないでしょう」

新聞を広げているフミオ。

「私も入りたいから、早くして」

ドア越しに抗議するいく子。

「小便なら外でしろ」

「馬鹿じゃないの❗私、女だし」

いつもトイレでケンカする二人。家の中で部屋は多いが、トイレは一ヶ所しかなく、いつも朝はケンカする。

「わかったよ」

ようやく出るフミオ。彼を大人気なく睨むいく子。他人だったら、遠慮しがちだが、家族という事で甘えているのかも知れない。

 他人の匂いには敏感なので、トイレの窓を全開にし、更に換気扇を回す。

(一人一つ、トイレがあれば)

便座に腰掛けながら、そう思ういく子。現実的でない事である。しかも、順番争いは平日朝の一時である。トイレットペーパーの買いだめの上に置かれたヒロシの録音レコーダーと詩作ノート。つい見たくなったいく子だが、その感情をグッとこらえた。親として言う事は言ってきたが、それ以外はヒロシのプライバシーは尊重してきたからだ。しかし、何かのタイミングで詩作ノートに挟まれたフライヤーが落ちた。それを目にするいく子。

 今日の夕方、近隣のI市のライブハウスで、ライブを行うようだ。

 ちょうど、時間にも余裕があ?ので行ってみる気になったいく子。最近、外出する気も少なかったので、気分転換も兼ねられると思ったからだ。

(夕方)

 久々に来る近隣I市。最近、有料特急が定期停車するようになったI駅で下車する。ある山への玄関口である。ライブそのものへ行くのは、昔、応援していたアイドルのライブぶりだった。ライブそのものへ行くのは、昔、応援していたアイドルのライブぶりだった。

 息子、ヒロシの事は成人してからは干渉しないので、彼を一人のアーティストとして捉えるようにした。開場が夕方六時半。アマ早く行っても気付かれるのも嫌だし、身内がくるようなアマチュアのライブを第三者として、静観しているのが嫌だったいく子。なので、ヒロシが出演する、夜七時ギリギリに到着する事にした。しかし、観客はいない客席。何とか、正体を悟られずに済みそうだった。照明が落とされ、彼の演奏がスタートする。

 うまい演奏とは言えぬがアコギとボーカル。しかし、一人のアーティストとして輝きはしないが、独特の暗さがあった。

「今日は来てくれてありがとう!僕は来月から上京します!」

しかし、冷静ないく子。ようやく出家するものだと思った。

 ライブ慣れしていない様子がわかったいく子。素人にもわかる。初心者らしさを感じさせるライブだった。

「次の曲はトイレで作曲しました」

どこかで聞いた曲だった。いつも鼻歌で聞かされたメロディー。

 そうして、ステージのヒロシといく子は目が合い、互いを認識した。しかし、成人したのを期に、互いの腹を探りあった。

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ハナウタ 定食亭定吉 @TeisyokuteiSadakichi

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