ファイナル・ジャンプ

ロボモフ

第1話。

「もう脱獄はあきらめたらどうだね?」


「塀を越えるところまでは完璧なんだが、その向こうの犬がな」


「人間誰しも弱点はあるものだよ。まあしばらくはおとなしくしておくことだ」


「犬さえいなければ、俺はこんなとこにはいないのに」


「まあ、そう腐るなよ。ところで509号、今度大臣が君に会って話がしたいそうだ」


「大臣? 法務大臣か?」


「違うよ。君の跳躍に興味があるみたいだ」


「月に飛ばされるんではあるまいね」


「ふふ、まあ話せばわかるさ」







「是非、君の力を貸して欲しい」


「どうして俺なんだ? 他に選手はいくらでもいるだろう」


「絶対に勝たねばならない。そのために、私は来た」


「まあ、俺は誰にも負ける気はしない。俺のために、何度壁を高くする改修工事が行われたことか。俺、一人のためにだぞ」



「話は全部聞いているよ。その後の、失敗についてもすべてね」


「ふっ、あの犬どもさえ邪魔しなければな」


「何度やっても同じだろう。壁と犬とは離れることがない。現世と来世のようなものさ」


「どうせ、俺の行く先は鬼が罰ゲームを用意して待ち受けているはずだ」


「君を救う方法を、私は知っているんだが」


「どうせ、ろくな話ではあるまい」


「国の代表として出場して欲しい」


「代表? あんた本当に大臣か? 俺が勝ったとして、まあその可能性は十分すぎるくらいにあるだろう。国民が喜ぶのか? 俺をたたえるとでも? 俺は罪人だぜ」


「勝てばいいだよ。その才能を国のために役立ててみたくはないかね?」


「正気の沙汰とは思えないね。スポーツマンシップはどこに行った? 俺は紛れもない罪人なんだぜ。俺がいったい何やったってんだ」


「そんなことはどうでもいいんだ。政府は才能と人格を切り離すことに方針転換したんだ」


「見返りはもらえるんでしょうね」


「勿論。君が信頼に応えてくれれば、私たちも誠意を持って応えよう」


「本当に助かるのか?」


「栄光と自由を保証しよう」




 各国のジャンパーたちが次々と大ジャンプを決めていく。みんな知らない奴らばかりだ。俺のいない10年の間のすっかり世代が変わってしまっている。変わっているのはそればかりではない。ジャンプを取り巻くすべての環境が変わっていた。それを奴らは、考えなかったのだろうか。あるいは、それほどまでに俺の技術を信頼しているということかもしれなかった。俺はまだ、何かにずっと見張られている気がしている。観客の声援や期待よりも、どこかから俺の心臓を打ち抜こうと銃身が向けられているのではないかということが、気にかかっているのだった。


「やあ、久しぶりだね」

 まだ俺のことを覚えている奴がいるとは思わなかった。それは俺が現役時代に、数少ないライバルと数えられた選手の一人だった。今は、若手選手のコーチとして来ているという。

「しかし、君が戻ってくるとは思わなかったよ。確か君は……」

「まあ、色々とあってね。でも神様がまだ俺に翼をくれるというわけさ」

「君のいない間に、ルールもすっかり変わってしまったよ」

「そのようだね」

「厳しくなった。君にとってもね」

「まあ、何が変わっても、飛ぶことには変わらないさ」

「確かにその通りだ。君の健闘を祈るよ」

「飛んでみせるよ。命をかけてね」


 冗談ではない。この大きな空の向こうに、俺の命とこれからの自由のすべてはかかっているのだった。昔の戦いとはわけが違う。あの頃は、ただ勝ちたいため、あるいはただ報酬のために飛んでいた。そして、あの罪さえ犯さなければ、俺は何も変わることなく、ずっと飛び続けていたのかもしれない。愚かな着地は、今は死を意味する。だから、俺は飛ばなければならない。過去の罪と、あらゆるハンディを越えて、飛ばなければならないのだ。俺はずっと、それを夢見ていた。もう一度、飛ぶことを、ずっと夢に見ていたのだ。

「シャバの奴らに負けるはずがない」


 そして、俺は飛んだ。圧倒的な飛距離を出して、優勝した。俺は助かったのだ。自分の力で、未来を切り開き、再び栄光を手に入れたのだ。やはり俺は強かった。誰よりも才能があった。奴らの目に、少しの狂いもなかった。世界中のメディアが、俺にカメラを向けていた。世界中のファンが、賞賛の拍手を送っている。今夜は俺の人生の壮大な幕開けとなるだろう。

 表彰台の真ん中に立った俺に、メダルが授与される。

「おめでとう!」

 首にかかったメダルは急速に縮んで、俺の首をしめつけていく。

「あ、あ、りがと……」

 もう、声を出すのも苦しくなった。崩れ落ちる俺を、両脇の選手が抱え込んだ。誰だ、おまえたちは、いったい誰なんだ……。なんて手の込んだやり口だ。これが最初から奴らの狙いだ。

(俺は処刑されたのだな)

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