ライヤ:5 警察ごっこのお姉さん
朝だ。
冬が近づいているのだろう、窓からは冷たい風が吹き込んでくる。
俺はタオルケットを除けて起き上がる。
住みかである図書館の二階。もとは子どもたちの遊び場だったらしいふかふかのマットが敷かれたスペースを、俺たちは寝室として使っている。
昨日買ってきた米で朝飯を作ろう。そしてその後は、
(王都に行くんだ)
「ライヤ?」
朝飯の後、図書館をこっそり出ようとする俺を、ルカイ兄は見逃さなかった。裏口のロビーで声をかけられる。
「どこ行くの?」
ルカイ兄は壁に手をつき、こちらを見ている。
「…えっと、その…どっか適当な店で働いてくるよ」
「………」
ルカイ兄は不審そうに眉をよせた。
わざわざ裏口から出ようとしているのだから、そりゃ怪しまれるだろう。
…ルカイ兄は、今日も調子が悪そうだ。いつものことだが顔色が悪い。
ルカイ兄は俺の兄だ。その病弱な体で一生懸命働いて、弟の俺を育ててくれた。珍しい薄茶の髪と目をしていて、外を歩けば女の子がみんな振り返るほどの美人だ(つまり俺も将来モテるってこと)。
ルカイ兄は首に下げた宝石型のロケットを長い指でいじっていたが、やがて頷いた。
「わかった。でもいいかいライヤ、いつも言っているように、安全には十分注意すること。それから」
そう、それはいつも言われていることだ。
「ヨコハマ駅と、西の畑と、王都。この3つの場所には絶対近づかないこと。いいね?」
小さいころからずっとそう言い聞かされていた。絶対に行ってはいけないと。
「はい」
でもごめんルカイ兄。
俺は初めてルカイ兄との約束を破ります。
いつもの図書館を飛び出して、俺は王都へ走りだした。
2時間ほど歩いただろうか。
ヨコハマ駅から線路を辿って、北へ北へと歩き続けて、俺はようやく目的地に着いた。
「これが、王都…」
だが、期待していたような都会の風景は見られなかった。考えてみれば当たり前だ、いかに豊かな王都といえど、柵ぎりぎりの端の方まで栄えているわけがない。
真っ黒な柵の向こうに見える家々は、ヨコハマのものとあまり代わり映えしない――つまりは廃墟だ。
「なんだ…拍子抜けだな」
2時間もかけて来た意味はなんだったのだろう。時間と労力を無駄にした気がする。
周囲を見渡すと、キジマの言う通り、飛ばされてきた新聞紙がちらほら見えるけれど、俺は紙に困ってはいないし…。
「ここまで来たんだ、どうせなら…」
王都の中心部を見てみたい。
目の前には柵。鉄条網はかかっていない、高さもそれほどでもない。
(……いけるんじゃないか?)
―――王都には近づいてはいけないよ。
ルカイ兄の忠告が一瞬心を掠めたけれど、
でもそう、少しだけ、なら―――
真っ黒い無骨な鉄柵に、俺は手を、
「ライヤ少年、王都侵入は犯罪なんだよ」
「うわあああああ!?」
ぽん、と冷たい手に肩を掴まれた。
その手はそのままぐいぐいと俺の肩を引っ張って、俺は柵から強制的に遠ざけられた。
「あ、あ、あんた…、け、警察ごっこのお姉さんじゃねぇか…」
驚くほど冷たい手をしたこの人は、警察ごっこのお姉さん、と呼ばれている。乱れた髪、薄汚れたYシャツにタイトスカート、何よりそのおかしな言動。廃都でさえも気味悪がられている。
「久しぶりかなライヤ少年。ちょっと大きくなったようだね」
「そう、ですね…2年ほど会ってない気がしますけど、こんなところにいたんですか」
お姉さんは首をかくんと傾ける。
「もうそんなに経っていたかな?それはそれとしてライヤ少年、王都侵入は犯罪なんだよ」
「う…、い、いや、入るつもりは」
なかった…わけではないが。
「だめだよ、気をつけるんだよ。警察は私みたいに優しい人ばかりじゃないからね」
「………」
ほら、これだ。
『警察ごっこのお姉さん』。
もちろん廃都に警察なんてない。ましてやこの人が王都の警察であるわけがない。
この人は、自分が警察官であると思いこんでいるのだ。
「…あなた、警察じゃないでしょう。まだ言ってるんですか」
「失礼な。私は警察だよ」
「…お姉さん、名前なんでしたっけ」
「名前?ミソラ、じゃなかったかな」
「前に会ったときはマリエって言ってたと思うんですが」
「あれ、そうだったかい?」
「その前はミライだったような」
「………」
…この通り。お姉さんはちょっとおかしいのだ。
「結局、本当はなんていうんです?」
「さあ?」
「さあって…」
「忘れちゃったんだよね」
「忘れるって、自分の名前を?そんなこと…」
「あるんだよ。ライヤ少年も気をつけるんだよ。王都侵入は犯罪だからね?」
「わ、分かってますって。というか、ちょっと触ろうとしただけで」
「触ってはいけないよ。その柵、電気が流れているからね」
「はい……え?……えっ!?」
俺は黒い柵を振り返る。
電気?ってことは、あれに触れていたら!
「死ぬよ。気をつけるんだよ、ライヤ少年。こんな危ないところへは二度と来てはいけないよ」
「は、はい。ありがとうございます…」
危ないところだったのだ。お姉さんが止めてくれなかったら、俺は恐ろしい目に遭っていた。
「私はもう行くよ。絶対に、もうここに来てはいけないよ?ルカイ少年によろしくね」
ルカイ兄はもう少年って歳じゃないよ。それとも彼女には、もはや時の流れすら認識できないのか。
警察ごっこのお姉さん。怪しいひとだ。でもなぜか嫌いではない。
「ああ、そうだ」
背を向けて歩きだしていたお姉さんは、足を止めてこちらを振り向く。
その瞳は暗かった。
何も映していなかった。
「近づいてはいけないといえば―――、
西の畑にも、絶対に行ってはいけないよ」
西の畑。コウ先輩の話。ホトトギス。万病に効く秘薬。
行ってはいけない――。
ルカイ兄もそう言っていた。
虚栄王国 煌 @kira-ma9
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