チッペンデールと青い猫 3への応援コメント
上野の美術館で、高校生の時だったかな。フェルメール展がやっているのを、知って学校サボって観に行って、真珠の耳飾りの少女の前に光に集まる蛾のように人が押し寄せていたのを思い出して、思わずふふっと笑ってしまいました。
二大巨匠なら、フェルメールよりレンブラントの方が沙耶ちゃんは好きそうだなと想像してしまいました。
個人的に「the three trees」と言う彼の作品が好きなのですがそれを観て、彼女がどう思うのかまた一人想像するとワクワクしてしまいます。
食べ方が下手な人は生きるのも下手、なんだか納得します。
チッペンデールと青い猫への応援コメント
「自分の好きなこと」と「人より優れて出来ることは」第三者から見ると同じに見えてしまうんだろけど、本人からしてみれば本当に沙耶が言うように「お気に入りの靴下」程度なんですよね……後者の「人より優れて出来ることって」
彼女の言葉で、ふと自分の音楽人生もそんな感じだったなと思い出しました。
私も人生のほとんどをピアノが占めていたので、なんとなくわかります。
呼吸することって、最早それは自分の一部ってことだから好き嫌いの次元じゃないんですよね。
自分語りな感想になってしまいすみません、沙耶ちゃんが好きなことに身を投じられたことが本当に良かった
夕崎
編集済
Mama’s Songへの応援コメント
なるほど。私も現代アートには、あまりいい印象を持っていませんでしたが、このような解釈もある、と唸らされました。
歴史が積み重ねてきたものがあり、今がある。ならば現在が過去に劣る道理はない。
最盛の時はいつでも、「この」瞬間。
透明人間のために 3への応援コメント
美しい物語を書きたい――。
プロフィールにあった言葉ですが、なるほど、と思いましたね。
文章の比重がストーリーではなく美しさに寄っている。
しかし〝寄りすぎている〟。
間違いなく綺麗な文章だと思いました。美しい表現だし、繊細な描写が冒頭から繰り広げられていた。文章にレベルがあるなら高レベルだと思う。
けど、美しさを意識しすぎているように思えた。
美しく、美しく、美しく。美しさをひたすら求めているのはひしひしと感じるけれど――結果として、読者を選別しているように感じた。
美術館に例えるなら――。
この作品が展示物であり、作者さんは案内人。そして私は観覧客。
入口に入った途端、案内人だけがスタスタと先に歩いて行ってしまった。
客へのエスコートを感じなかった。
良い展示物用意してるんですから、ご自由にどうぞ。みたいな。
付いてこれないなら、別にいいですよ。みたいな。
そもそもとして、万人ウケすると思って書いてはおられないでしょうが、こういう不親切さを感じてしまうと、なかなか先は読めなくなってしまう。
だから――本当はもっと読んでから感想を送るべきなんだけど、ここらで限界。
作者さんの『こういうの書きたい!!』って気持ちは伝わってきたけれど、逆に言えば、その気持ちが大きすぎて他のモノが入ってこなかった。
私個人として〝率直〟に言うなら、そんな感じです。
チッペンデールと青い猫への応援コメント
自主企画への参加有難うございます。この回まで拝見しましたが、序盤の展開にあまり見るものがないような思えます。
小説を書いている主人公はカクヨムを使っている読者にとってはシンパシーを得られやすい設定だと思いますので、もう少しキャラを絞り込んだうえで、序盤のうちに事件を起こしていたら、もう少し入り込めたかもしれません。
この辺りから面白くなってきそうな雰囲気はあるので、非常に惜しい作品だと思いました。
チッペンデールと青い猫 2への応援コメント
二人の関係が今後どのように変化していくのか気になります。
大変面白いです。
あとがき(解説)への応援コメント
一つのサブタイトルを読み終えるごとに応援コメントの文面をあれやこれやと考えていましたが、読了した今、それら全てを忘れるくらいの充実感と寂寥感に満たされています。
夏の雪解け。
本当にほんとうに、ありがとうございました。
作者からの返信
本当に優れた作品は読む以前の人生を破壊できる力があります。
あなたにとって夏雪は、今後の作家人生を揺るがすような作品だったでしょうか。
もしそうなら、僕は嬉しく思います。