「はっこう」

銀冠

「はっこう」

「ここを持てばいいのね?」

「そうです。間違って結び目のところを掴まないようにするのです。ほどけて中身が落ちてしまうのです」


 じゃんぐるちほーの奥地、こうざんの麓。

コノハ博士、ミミちゃん助手、セルミミズクの3羽は、豆のぎっしり詰まった麻袋を持ち上げる準備をしていた。

山頂のジャパリカフェにある焙煎機を使って『こーひー』や『かぷちーの』を作る実験のためだ。

屋台に乗せてここまで運んできたものの、山頂に上げるのは鳥のフレンズの手で運ぶほかない。

一羽で持ち上げるには重すぎる豆袋、さりとてわざわざ半分ずつに小分けしなおすのは面倒くさい。

というわけで、たまたま近くにいたトキに協力を仰ぎ、2羽1組で持ち上げることとなった。


「じゃ、行きましょう。せーのっ」

「せーの」


 先に行った博士・助手ペアに続き、トキとセルミミズクも麻袋を掴んで飛び立った。

航跡にきらきらとしたサンドスターと、暗い色のサンドスターロウが散っていく。


「……ふふっ」


 楽しげに微笑みを浮かべるトキ。腕に掛かる重みに難儀していたセルミミズクは、その笑みを疑問に思い問いかけた。


「……楽しそうですね。物を持ち上げるのが好きなのですか?」


 トキの答えは、セルミミズクにとって意外なものだった。


なかま・・・と一緒に何かをするのは好き」

「仲間……」


 かつては命の取り合いまでした相手に、仲間と呼ばれるとは。呆気にとられるセルミミズクに、トキは更に言葉を続ける。


「アルパカがお茶の葉やお水を運ぶときは、いつも一人で担いで行っちゃって、お手伝いを申し出ても断られてたから。あなたたちが『手伝って』って言ってくれたときは、嬉しかった。だからお礼をしたいわ。……一曲、聞いてくれる?」


 少し先行していた博士と助手はその言葉に気付いて驚愕した。重い袋を運んでいる最中に至近距離であの歌を聞いたら、セルミミズクがショックで袋を取り落としかねない。


「トキ! やめ――」


 るのです、と博士が言い終わるより先に、


「わたーしはぁートぉーーーキーーーーなかまをーーー」

「!?!?!?!?!?」

「さがしてーーーえ゛ぇ゛っ゛!?」


 恐れていたことが起こった。セルミミズクは驚きと衝撃で袋を掴んでいた手を滑らし、トキも突如二倍に増えた荷重に耐えられず手を放してしまい、豆袋はぽろぽろと中身をこぼしながら地面へ落下してゆき――


    バシッ!!


 山腹から黒い影が飛んできて、豆袋を攫っていった。


「あれは!?」


 驚くセルミミズク達のところに、大きな半円を描いて戻ってきた黒い影――アンデスコンドルのフレンズが声を掛けた。


「大丈夫かい?」


 大柄の体躯を黒地の肋骨服けがわに包んだアンデスコンドルは、セルミミズク達が二羽がかりでようやく支えていた袋を一羽で軽々と抱え、相手を気遣う余裕さえ見せていた。

そんな彼女の気遣いに、博士が率先して答えた。


「ちょっと大丈夫ではなさそうなのです。その袋を山頂のカフェまで運んでほしいのです。礼ははずむ・・・のです」

「アルパカのところだね? お安い御用さ」






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 山頂のカフェにて。

セルミミズク達は運び込んだ豆を使って『こーひー』を淹れることに成功した。反応は――


「苦っ! 苦いのです! なんなのですかこれは!」

「まるで泥水なのです! 本当に飲めるのですかこれは!」


 一口飲んで拒否反応を示す博士と助手。一方、トキとアルパカはそこそこ気に入った様子で、


「頭がシャキッとする感じ。もう一杯いただくわ」

「お茶とはちょっと違う味で、新鮮だねぇ~」


 と注ぎ足していた。そして、セルミミズクとアンデスコンドルは、心底感じ入った様子で琥珀色の飲み物を覗き込んでいた。


「これが『こーひー』……痺れるような、不思議な香りなのです」

「なんだろう。初めて飲んだはずなのに、懐かしいような感じがする……」


 そのように六者六様に『こーひー』を楽しんでいたそのとき。博士の腹の虫がぐう、と鳴いた。


「むう。物を持って沢山飛んだせいでおなかがすいたのです」

「では……今から別の『りょうり』を作るのはしんどいので、じゃぱりまんで済ませましょう」


 助手がけがわの内側に入れておいたじゃぱりまん三個を取り出し、机の上に並べた。


「んじゃカフェにある分も持ってくるにぇ」


 アルパカも戸棚から三個のじゃぱりまんを持ってきた。これで六個、人数分のじゃぱりまんになる。が――アンデスコンドルはそれに手を付けず、席を立った。


「ああ、ボクは遠慮しておくよ。ごめん。『こーひー』、美味しかったよ。ありがとう」


 それまでの堂々とした様子からうってかわって、そそくさと、慌てるように去っていくアンデスコンドル。そんな様子を、トキやアルパカは不思議そうに眺めていた。


「あの子、前に私が『一緒にじゃぱりまん食べない?』って誘ったときも断ってたわ」

「恥ずかしがり屋さんなのかなぁ~」


 既にじゃぱりまんにかぶりついていた博士と助手は、わざわざ食事を中断してまでアンデスコンドルのことを気に掛けるつもりはなかった。


「んぐ、んぐ……食べ物と一緒に飲む分には悪くないのですはふぇふぉふぉふぉひっひょひほふふんぃあぁぅうぁいおふぇふ

じゃぱりまんの甘味にこーひーのあくせんとははぃはんぉああぃいおーいーおあぅえんおこれですねおええうえ


 ――セルミミズクが二杯目のコーヒーを一息に飲み干し、アンデスコンドルを尾行し始めるまでは。






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 こうざんの山腹、断崖絶壁の半ばにある窪み。

寝ぐらに戻ったアンデスコンドルは、小枝で拵えた簡素な巣からじゃぱりまんを取り出し、一人で頬張った。


 その様子を少し離れた物陰からうかがうセルミミズク。――の、様子を少し離れた物陰からうかがう博士と助手。


「セミは何を考えているのですか。まさか、あのフレンズの『かがやき』を奪う気なのですか?」

「もしそうなら、残念ですが処分せざるを得ないですね、博士。……あっ、近付くようです」


 博士らが見守る中、セルミミズクは物陰を離れ、アンデスコンドルに近付いて行った。


「あれ、君はさっきの……ええと……」

「セルミミズク、です」


 ばつの悪そうな様子でたじろぐアンデスコンドル。セルミミズクはそんな彼女の横に座ると、食べかけのじゃぱりまんをひったくった。


「あっ、やめ……」


 慌てるアンデスコンドルを尻目に、セルミミズクは奪い取ったそれをまじまじと見つめた。具の部分がなんとも言えない不快な臭いを漂わせており、ねっとりした湿気を含んでいる。指で具の一部をつまんでみると、ツーッと細い糸をひいた。

思い切って口に含んでみる。――嘔吐感をもよおす酸味、臭気、食感。すぐに吐き捨てたい衝動を全身全霊で抑え込み、噛んで、潰して、飲み下した。


「大丈夫? 気持ち悪くないかい?」


 心配そうに問いかけるアンデスコンドル。セルミミズクはそれには答えず、逆に質問を返した。


「これは……これも、じゃぱりまん、なのですか」

「うん……そうだよ。さばんなちほーとこうざんここら辺のボスが時々配ってる。他のところだと、この種類のじゃぱりまんは見たことないし、多分無いんじゃないか……と思う。分からないけど」


 セルミミズクはアンデスコンドルの顔を覗き込んで、言外にさらなる説明を要求した。


「……このじゃぱりまんを食べるのはボクと、あとはハゲワシとか、ブチハイエナくらいなんだ。ハゲワシ達は他のみんなが食べている普通のじゃぱりまんも平気で食べられるんだけど、ボクは……」

「このタイプのじゃぱりまんしか食べられない、と」

「我慢すれば食べられない訳じゃないんだけどね。どうしても……苦手で」

「それで、他のフレンズから食事に誘われても断っていたのですか」

「……そうさ。我慢してみんなと同じものを食べるのもしんどいし、かといってこれ・・を持ち込んで、皆に臭いで嫌な思いさせたくないし」

「では……お前も他のフレンズも美味しく食べられる『りょうり』があれば、一緒に食事をしてみたいのですか」

「『りょうり』……そんなものがあるのかい?」


 驚き顔で尋ねるアンデスコンドル。セルミミズクには、この変わったじゃぱりまんの性質に心当たりがあった。


「一つ確認したいのですが、お前、『こーひー』は平気だったのですか? それとも皆に合わせて我慢していたのですか」

「ああ、いや、あれはとても美味しかったよ。懐かしいような、嬉しいような、すごく優しい味だった。それと、アルパカが出してくれるお茶も大体は美味しくいただけてる」

大体は・・・? ということは、時々美味しくないお茶があったのですか?」

「え、あ……うん。たまーに」

「どの種類のお茶が出た時ですか。『こうちゃ』ですか、『りょくちゃ』、『うーろんちゃ』、それとも……」

「いや、待って、その……しゅるい、って何? お茶に何か違いがあるの?」

「分からないならいいのです、私の予想が正しければお前が飲めなかったのは『りょくちゃ』のはずなのです」


 そう言うとセルミミズクはアンデスコンドルの巣を少し離れ、ぐるぐる飛び回りながらブツブツと独り言をつぶやき考え込んだ。そして数分後、また巣に降り立ち――


「一週間後、またジャパリカフェに来るのです。本物の『はっこうしょくひん』を食べさせてやるのです」


 堂々と宣言した。






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 大見得を切って約束したセルミミズクは、その日の夕方から早速研究に取り掛かった。


「『ふはい』と『はっこう』は本質的に同じものなのです。だから『はっこう』させた『こーひー』やお茶が飲めるなら、この本に書いてある『はっこうしょくひん』……『なっとう』や『ざわーくらうと』、『なちゅらるちーず』も食べられるはずなのです」


 やたらとやる気になっているセルミミズクを遠巻きに見守りながら、博士・助手・かばん・サーバルはのんびり夕食の準備をしていた。


「アンデスコンドルさん、かぁ……ラッキーさん、何か知りませんか?」


 火の番をして暇を持て余したかばんが手元のラッキーに問いかけると、すぐに答えが返ってきた。


「あんですこんどるハ現在生存シテイル空飛ブ鳥類ノ中デ最大ト考エラレテイル鳥ダヨ。大キナ翼デ上昇気流ヲ捕ラエテ空ヲ滑空スルンダ」

「じゃあ、普通のじゃぱりまんを食べられないっていうのは……」

「あんですこんどるハ大型動物トシテハ稀ナ、完全腐肉食ノ動物ナンダ。腐ッタ肉『モ』食ベル動物ハ沢山イルケド、大体ハ食ベ物ガ無イ時ニ仕方ナク食ベルダケデ新鮮ナ肉ノ方ヲ好ムヨ。あんですこんどるノ様ニ腐ッタ肉『ノホウヲ』好ンデ食ベル動物ハ、トッテモ珍シインダ」


「へぇー」


 と感心しているかばんの傍に、食材を切り終えたサーバルが寄ってきた。


「あれ? でもかばんちゃん。前にハカセが用意してくれた食べ物の中に『ちーず』って入ってたよね? あれ持っていけばいいんじゃないかな?」


 サーバルの素朴な質問に、博士と助手はめんどくさそうに答えた。


「駄目ですね。あれはボスが運んでいるものをちょい・・・してきたのですが、どうやら『ちーず』の中でも『はっこう』が少ないタイプのようなのです」

「『ぷろせすちーず』? というもののようです。あれでは駄目、『なちゅらるちーず』でないと駄目だと」

「へぇー……難しいんだね」


 考えるのを止めたサーバルの代わりに、かばんが博士・助手との会話を引き継いだ。


「でもそれなら、新しい料理を食べるチャンスですね。ナチュラルチーズというのの作り方が分かれば……」

「駄目ですね。本によれば『なちゅらるちーず』を作るには1年以上の時間が掛かるのです。掛かり過ぎです。それに……」

「そもそも、掛かる時間が短い他のものも含めて『はっこうしょくひん』を作るのは無理なようなのです」

「え……?」

「さっきセミも言っていたですが、『ふはい』と『はっこう』は本質的に同じものです。そして、サンドスターは食べ物の『ふはい』を抑える働きがあるようなのです」

「もちろん『はっこう』もです」

「そうなんですか?」


 かばんが博士・助手に向けて発した問いに、手首のラッキービーストが答えた。


「空気中ノさんどすたーハ食ベ物ヲ含ム有機物ノ腐敗・発酵・分解・劣化ヲ抑エル働キガアルヨ。ジャパリマンニハ腐敗防止ノ為ニ、特ニ多メノさんどすたーヲ生産時ニ付与シテイルンダ」

「でもラッキーさん。アンデスコンドルさんがいつも食べてるじゃぱりまんは、その腐敗……発酵?をさせてるんですよね?」

「完全腐肉食ノふれんずノ為ノジャパリマンヤ発酵食品ノチーズ類・コーヒー豆ナドハ、空気中ノさんどすたーヲ遮断デキル専用ノ工場デ作ラレテイルヨ」

「じゃあ、僕らもその工場の中に行って発酵食品を作れば……」

「ダメデス。ダメデス。工場内ハ重機械ガ動作シテオリ大変危険デス。マタ衛生水準ヲ維持スルタメ、ひと及ビふれんずノ侵入ハ固ク禁ジラレテイマス」

「駄目かー」


 ラッキービーストの駄目出しをくらったかばんは、その発酵食品を作ろうとしているセルミミズクの方へ向き直った。


「セルミミズクさん、聞こえてました? 発酵食品を作るのは、本の通りのやり方だと難しいみたいなんですけど……」


 という呼び掛けを、博士が遮った。


「我々も同じことを再三言ったのです。ですがセミの奴、『まぁ見ているがいいです』と言って聞かないのです」

「そうなんですか……何か当てがあるのかなぁ?」


 かばんの心配をよそに、セルミミズクは嬉々として食材をいじり続けるのだった。






===================================================






 ――そして一週間後、ジャパリカフェ。

 主賓のアンデスコンドルとトキ、アルパカ、博士、助手らが座すテーブルの上に、いくつもの皿が並べられた。

 納豆、キャベツのザワークラウト、カマンベールチーズ、臭豆腐、各種野菜の漬物……


「う゛っ゛……」

「なんか……凄い臭いだにぇ」

「本当に食べられるのですか、これは」

「窓を開けるのです」


 キツい臭いに耐えかねた客たちが換気に走る。臭い自体は快いと感じていたアンデスコンドルも、フレンズ達のそんな様子を見るとさすがに不安になった。


「大丈夫かな……みんな、無理してるんじゃ……」


 そんな主賓の真後ろで、シェフは自信満々に腕を組んでいた。


「心配無用です。みな、最初は嫌がっても最後には病みつきになっているですよ」


 果たして、その言葉通りになった。初めは臭いに難渋していたフレンズ達も、一口二口と口に運ぶうちに、発酵食品の個性的な味わいに魅了され、臭いもさして気にならなくなっていった。


「このお豆、素敵……そのままでもいいし、こうしてじゃぱりまんに付けて食べるのもまた……」

「この酸っぺぇのがいいなぁー、シャキシャキしてて、なんか食べてるのにどんどんお腹空いてくるよぉ」

「もちもちした食感になんともいえないコクがあって、これは……」

「辛いのです、酸いのです、苦いのです、でも……うまいのです!!」


 他のフレンズ達の様子が好転するにつれて、アンデスコンドルの表情も明るくなっていった。


「前にトキが言ってた『誰かと一緒にじゃぱりまんを食べると美味しい』って、こういうことだったんだ……」


 しみじみと茄子漬けをかじるアンデスコンドルを見届けてから、セルミミズクは静かに窓を閉めた。そんなシェフの背中に、助手が問いを投げた。


「一体どうやってこれだけの『はっこうしょくひん』を作ったのですか? 我々がやったときはほとんど『はっこう』させられなかったのに」


 セルミミズクは後ろを向いたまま、己の左手を見つめ……


「教えてやらないのです。これはお前たちの手助けなしに、私が一人で見つけたやり方なのです。それに……」


 己の身体からかすかに立ち上るサンドスターロウの暗い輝きを見つめながら、答えた。


「教えてやっても、どうせお前たちには絶対に出来はしないのです」

「それはどういう……」


 さらに聞き出そうとする助手を制して、博士が言った。


「そんなに話したくないのなら、我々も無理には聞かないのです。ですが……」


 博士はセルミミズクの肩に手をやり、そっと振り向かせながら、続けた。


「お前にしかできないというのなら……これからも責任持ってお前がやるのですよ、セミ。あのアンデスコンドルに、美味しいものを一緒に食べることの喜びを教えてしまったのは、お前なのですから」

「それはどうい……むぐっ」


 セルミミズクがその言葉の真意を聞き返すより先に、博士は彼女の口にピクルスを突っ込んだ。


「美味しいものを一緒に食べてこその人生なのですよ」




(了)

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「はっこう」 銀冠 @ginkanmuri

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