3.

  ファンファーレが鳴り響いた。


扉から玉座へと伸びた深紅の絨毯の両側に、床から直角に生えた姿勢でハルスバード近衛兵が居並ぶ。


アーメットで顔を覆い、各々の槍を威勢良く斜め前方へ掲げ、アーチを型取った。


その背後には、隣国から駆け付けた騎士もいる。


領主は違えど、羨望と憧憬、或いは尊崇にも似た想いの対象を一目見ようと、息を飲んで見守っている。


玉座に深く腰を落としたハルス王の傍らには、コシュールと司祭、そしてオネットが控えていた。


荘厳華麗なラッパの音色の後に続いたのは、緊迫した静寂だった。


足音、甲冑の触れ合う音、吐息、法衣の擦れ合う音、どれひとつとしてこの場には存在しない。


言うなれば、耳をつんざくほどの閑寂が、謁見の間を包み込んだ。


王が微かに息を吸い込んだ。


「参らせよ」


吐くと同時に発した言葉で、謁見の間の扉が左右に開いた。


陽光が滑り込んだ。


テラスに羽を止めていた鳩が一斉に飛び立った。


再び鳴り響いたファンファーレが、謁見の間から回廊を走り、世界へ轟いた。



一人の若者が一歩踏み出した。


背後から二人並んで続く。


微動だにしなかった近衛兵達は、その姿に驚愕を隠さなかった。


深紅の絨毯を真っ直ぐと、躊躇いなく進んで来る若者に、オネットは目を奪われた。


コシュールの報せ通り、薄汚れた身なりは場にそぐわず、手足に巻かれた布に血が滲んでいる。


一見すると下賤であるのに、不思議とオネットは高潔さを感じた。


玉座の前で立ち止まった若者は、スッと素早く床に片膝を付くと、深々と頭を垂れた。


物腰に無駄がない。


生まれ持った性質なのか、誰かに学びを受けたのか。


背後の二人も若者を真似て、静かに膝を折った。


「顔を上げよ」


感じたことのない節奏が、オネットの胸を窮屈にした。


  癖のない黒檀こくたんの髪が額に揺れ、小豆色の聡明な瞳は一直線に王のもとへと伸びる。


そこに宿る光りは下賤などとは遥かに遠く、矜持きょうじに満ちた力強さを醸し出す。


薄い唇は固く真一文字に結ばれ、重厚な面持ちだった。


なによりも、その若さにオネットは驚いていた。


近衛兵達のどよめきも、希望を託す伝説の執行人が、この城内に集う中で最も年若き者かも知れないという、信じがたい事実への驚愕だろう。


青年というよりは、未だ成人に満たない若者に思えた。


「よくぞ参った、執鋭のドラゴン=シールダーよ。名は何と申す」


「アラン=ヒューバスターと申します」


「齢は」


「十八を数えました」


再び波が起きたように間がさざめいた。


驚きの中に混じって、失笑めいた笑いが起きたことを、オネットは聞き逃さない。


また一方で失望の溜め息も漂った。


王は表情を変えず、アランを見据えた。


「その若さでシールダーを目指したのは、何故なにゆえだ。その背中に世界を背負うのは、随分と重すぎる気がするのだが。それとも、他に大義あってのことか」


「世界。……率直に申し上げますがハルス王。私は」


「アラン! 慎みなさいよ?」


静かに背後に伏せていた小柄な身体から咄嗟に伸びた右手が、アランを制した。


頬を覆っていた薄萌黄の髪がはらりと左右に流れ、真っ白な顔が露になった。


陶器のように滑らかな肌には、傷など一つもない。


そういえば、とオネットはもう片方に控える男を見る。


この男も傷を負っていない。


身なりの廃れ様は三人同じであるのに、なぜ二人は無傷なのだろう。


「そなたらの名は」


「フローリア=バートウィッスルと申します。アランと同じく十八を数えました」


「ダンクス=モーブレイ、二十一にございます」


誰もが場違いなほどに若い。


謁見の間に満ちていた恍惚とした期待は、若者達が名乗るごとに、動揺と疑心にすり変わっていく。


オネットには、人々の心の失墜が手に取るように分かった。


王の右手が豊かな顎髯に添えられた。


「ここより遥か東方の国、デンホルム教国の領土、ガーガン湖。そこには、かの伝説期に大洪水を引き起こして人々を威迫していた水竜ガルグイユが封印されていた。300年の時が過ぎ去ろうとする今、その封印が無力となる事を恐れ、怯える日々だった民の元へ、突然一人のドラゴン=シールダーが現れた。彼は水竜ガルグイユに挑み、見事打ち勝ち、竜を支配することを叶えた」


朗々と語る王の言葉に、謁見の間に集う兵は聞き入る。


「彼が背に負うは尖鋭せんえいかつ犀利さいりな伝説の剣。それが抜き放たれし時、まさに一体となって絶技を醸し、万物を断つ。その者、執鋭のドラゴン=シールダーなり」


あちこちで呻き声や感嘆が漏れた。


オネットには聞いたことがなかった。


ひざまずくアランの背中には、確かに剣の鞘が収まっている。


幾重にも薄汚れた布が巻かれ、それが竜を討伐した名高き剣だと信じるには、難がある。


「……アランよ。水竜ガルグイユを支配しているのは、そなたで間違いないか」


「我が身に封じております」


おおお、とどよめきが沸いた。


「『かつて七竜を討伐せし者、古代魔法の刻印をもって竜の身を封印す』。竜は封印された場から身動きすることが叶わぬが、その精神は明瞭だという。討伐に挑む者は多々あれど、威嚇に心を破壊され、または炎ひと吹きで死に至った。誠に、誠に脅威だ」


兵達はしんと静まり返った。


「そのように圧倒的な竜の討伐を果たした者には、封印が解けると同時に刻印が移り、そこへ竜が宿るとされた。つまりは、支配だ。七竜全ての刻印を手にした者は、七竜全ての力を手にするも同じこと。世界を統べる王となるのも、当然だろう」


恐ろしい。


オネットは震撼した。


一体の竜でさえ、一夜にして一国を滅ぼす力があるというのに。


七竜全ての力をもつなど、神に等しい。


「そなたの竜の刻印を、皆に見せてやってはくれぬか」


王の言葉に、兵士達は息を飲む。


アランの反応を確かめるように、まるで音を伴って視線が集中した。


アランは黙って王を見つめた。


やがてゆっくりと膝を伸ばし、立ち上がって右腕を差し出す。


チェーンメイルに覆われた肩口から下に巻かれた古めかしい布を、スルスルとほどいていった。


素肌が露になるにつれ気が付く古傷や、未だ癒えぬ真新しい傷に、オネットは目を背けたくなる。


ほどけた布が床に到達し、とぐろを巻く蛇のようにその場で丸くなる。


はらりと全てが落ちた時、アランは腕を掲げた。


行儀よく控えていた近衛兵や騎士達が、ついに隊列を乱した。


我先にその腕を見ようと、甲冑を当て擦りながら深紅の絨毯へと犇ひしめいた。


アランの腕に刻印を見た者は、信じがたいものを目の当たりにした。


ハルス王が玉座から立ち上がった。


「な、なんと!! その刻印は……」


「水竜ガルグイユと、木竜ニーズヘッグ……。まさか既に二体の竜を支配しているとは……」


古代民族が呪術に使用したとされる『ナーズの文字』ならば、オネットもジルから学んだ。


二十六の形を基盤に、それぞれを組み変えて表すことで、万物に意味を持たせていたという。


焼き印を押したように沈んだ皮膚は、ナーズの文字で『大海』と『世界樹』を表していた。


「なんということだ……。このような話は些かも耳に入れていなかった。アランよ、ニーズヘッグをも、既に撃ち破っていたというのか?」


「いえ。これは、遺志でございます」


アランは首を振る。


「いし、とは?」


次の瞬間、オネットの心に急速に何かが流れ込んできた。

激しく猛る思念だ。

怒りと、そして胸を割くような悲痛な哀しみ。


それとは矛盾するかのような、矜募と親愛も流れてくる。


それを発するのが、目の前のドラゴン=シールダーであることは、明らかだった。


「詳しくは申せません。ですが、この刻印は譲り受けたものです。竜の刻印が刻まれし者は、その身体が死に行く時、近しい物へと遺志を注ぐことが可能です。むしろそうしなければ、肉体が滅びた人間から解き放たれた竜は、封印が解かれた状態で跋扈ばっこします」


「なるほど」


「私はこのニーズヘッグを、父から譲り受けました」


「なんと。そのような使命があったのか。皆まで申さずとも、その意向は存分に察することが出来た!」


ハルス王の言葉により、謁見の間には歓喜と祝福の雄叫びが轟いた。


失望に沈みかけていた気がたかぶり色めき立つ。


一方でオネットは、アランの思念に囚われていた。


   違う。


きっとこの若者の目的は、王や集う人々が抱いた単純な物語ではない。


ビリビリと伝わる怒りは、どういうわけか親愛を伴い、絡まり合って大渦となっている。


身体には収まりきらぬ想いが若者を苦悩させている。


「……オネット」


「………」


「オネットよ!」


不意にかけられた呼び掛けに、オネットは驚き顔を上げた。


気が付くと全ての民が自分を仰ぎ見ていた。


咄嗟にアランを窺うと、同じ様にこちらを見据えている。


その双眼に、オネットの心は激しく揺れた。


「オネットよ。執鋭のドラゴン=シールダーに祝福と宣言を」


「な、なぜ私が? それはお父様の役目では……」


「我が国始まって以来の歴史的偉業だ。そなたに譲ろう」


「なにを仰って……」


「姫様。遠慮なさらず、アラン殿の試練を許可し、祝福を授けられよ。さすればついに、我が国が封印せし黒竜ジルニトラへの扉が放たれます」


傍らの司祭が耳打ちする。


旅人や商人への祝福とは話が違うと言うのに。


そのような大任を娘に譲る、父の意向が計り知れない。


コシュールが丁重に差し出した聖水と聖木の葉、古代紫色の布に載った黄金の鍵を、オネットは意を決して受け取った。


階段をゆっくり下り、アランの前に降り立つ。


「……ドラゴン=シールダー、アランよ。そこへ」


アランは黙ってひざまずいた。


聖水にオークの葉を浸し、アランの黒檀の髪にそっとかざす。


「……アラン。あなたに、ひとつ聞きたいことがあります」


祝福の直前、オネットは声を潜めてアランの耳元に囁いた。


「あなたは先程、王の問いに何と答えるつもりだったの?」


アランは怪訝に顔を上げた。


「ドラゴン=シールダーとなった目的は、世界の安寧を背負うため……?」


「世界など関係ありません」


迷いなき言葉がオネットに真っ直ぐ届いた。 その時。


謁見の間が微かに震えた。  


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The Same Coin 平悠希 @harurusakki

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