エピローグ





 ――6月下旬。梅雨の足跡がちらほらと見え隠れするようになったその日、伊都が所属(というか、伊都しかいないのだけれども)している俳句部の部室が、リニューアルされた。



 いったいどうして……それは、舞香のおかげであった。



 有り体にいえば、舞世を助けてくれたお礼……というやつらしい。伊都からすれば見返りが欲しくてやったわけではないのだが、何かお返しをしないと気が済まないから……というわけであった。


 お返しと言われても、伊都に欲しい物などない。お金もそうだが、伊都は既に満たされている。だから、その気持ちだけが何よりも嬉しいのだと答えたのだが……舞香たちは誰一人納得しなかった。



 ……まあ、お礼を固辞し続けるのも、時には失礼に当たる。



 それで彼女たちの気が済むならと思った伊都は、何が欲しいのかと考えた……が、すぐには思いつかなかった。


 でも、返事を待つ舞香を何時までも待たせるのが悪いと思った伊都は……『部室を綺麗にしてほしい』と頼んだ。



 伊都からすれば、そこに大した意味はないし、大それた何かを頼んだつもりはなかった。



 せいぜい、掃除をする時に一緒にやってくれればという程度の、軽い気持ちでしかなく、一時間後にはお願いした事すら忘れていたぐらいの、些細なモノでしかなかった。



 だが……伊都は見誤っていた。というか、忘れてはならない部分を忘れていた。



 依然、華子が話していた『半端ない金持ちはシャレにならない』という部分を。


 その事を伊都が思い出したのは、何気なくお願いした、二日後。


 何時ものように旧校舎へと入った伊都は……あまりに綺麗になった部室を前に、思わず目を擦ったぐらいであった。


 何せ、床一面、壁一面、天井一面が新品になっているのだ。加えて、ガラスもカーテンも新品になっているだけでなく、これまた新品な備品やら電灯などの設備やらが増えていたのだ。



 ……つまり、どのように部室の中が変わったのかといえば、だ。



 まず、部室の中にあった備品は軒並み撤去されていた。


 まあ、備品といっても使われることなく放置されっぱなしであったので、洗っても非常に使い辛い有様にはなっているが……それはいい。


 何よりも目立つのは、部屋の隅……窓際に畳のスペースが増設されているということ。床ではない、畳だ。一段高い位置になるようにせっちされたそこは4.5畳分の畳が設置され、和の雰囲気を醸し出している。


 次に、本棚だ。しかも、ただ本棚があるわけではない。頼んだ覚えはないのだが、俳句に関する本や漫画などがぎっしり詰まった本棚が、壁一面。ご丁寧に転倒防止処置まで施されているという、よく分からない徹底ぶり。


 他には、『定期的に補充&交換されます』と書かれた冷蔵庫に、何故か増設されたキッチン一式。電気ポッドを始めとした細々な電化製品に……衣装箪笥まで、用意されていた。


 まるで、一人暮らし用の部屋をそのまま持って来たような有様だ。ぶっちゃけ、伊都も最初は誰かの家に紛れ込んでしまったのかと錯覚したぐらいであった。



 当然、さすがにここまでは求めていなかった伊都は舞香に抗議をした。これでは、余計に貰い過ぎてしまった……と。



 だが……伊都は、この時も忘れていた。


 いや、正確には、変わり果てた部室を見たショックでソレが頭から飛んでしまったのだが……とにかく、伊都はこの時も忘れていた。


 ――舞香が、半端ない金持ちの娘であるということを。


 何故なら、抗議を受けた舞香は、驚いた顔をした後で……申し訳なさそうに、こういったのだ。



 ――御免なさい、明日には元に戻しておくから……と。



 これには、さすがの伊都も怖気づいた。


 だって、考えてほしい。部屋一つ分を改装し終えたその日の内に、『また元に戻す』というのだ。それに掛かる費用を欠片も気に留めずに、だ。


 いくら伊都が常識に疎いとはいえ、物の価値、お金の価値に関してそこまで疎いわけではない。人が生きてゆくにはお金が必要で、お金というのが今において如何ほどに重要な存在なのかも分かっていた。


 だからこそ……おそらくは百数十万は掛かっているであろう費用と手間を瞬時に無かったことに出来る、その感覚に……伊都は、有り体にいえばドン引きした。


 ……その結果。


 気付けば、伊都はこれで十分過ぎるから何もしなくていいと口にしていた。安心したかのように手を叩く舞香を前に、伊都は乾いた笑みすら零せなかった。




 ……。


 ……。


 …………そうして、さらに一週間後。期末テストを終え、何処となく開放的な空気が流れ始めている学校の中……その、旧校舎の一室の一つである、『俳句部』の中では。



「……舞香さん、華子さん、どうしてお二人が此処に?」



 増設された畳スペースにて正座をし、俳句をしたためていた伊都がいた。だが、伊都の視線は手元ではなく、畳スペースの傍の……ソファーに座る、二人へと向けられていた。



「テストが終わったから、ちょいとヒマで」



 そう答えたのは、華子であった。先日、陸上部であることを教えられた伊都がその事を尋ねれば、「ここ、そこまで本気でやっているわけじゃないんだ」という答えが返された。



「伊都ちゃんに相談したいことがあって」



 本気で……まあ、当人が了承しているのなら、伊都が口を挟むものでもない。


 そう思った伊都は、次いで、舞香へと目を向ける。そうしたら返された言葉がソレで、「――妹さんの事ですか?」伊都は思わずといった調子で居住まいを正した……が、当の舞香から、違う違うと首を横に振られた。



 ――舞香の妹の、崎守舞世。



 あの夜、無事に肉体へと魂を戻した後の騒動と来たら……凄まじいの一言であった。まあ、無理もないことである。



 何せ、一年間近くも重度の精神病を発症し、自我を失った状態……と、思われていた子だ。



 それが、一夜にして正気を(あくまで、表向きはの話だが)取り戻せば、事情を知らぬ者からすれば青天の霹靂でしかなかった。


 実際に肉体に戻った舞世を見て泣き崩れる舞香に、涙を堪えて俯く真人。もらい泣きする華子に、目尻に涙を滲ませる滝川を始めとした館の者たち……そして、場の雰囲気から如何に軽率な行動を取っていたのかを改めて自覚し、大泣きする舞世。



 阿鼻叫喚とは、正にあの事を言うのだろう。



 そのうえ、気を聞かせた誰かが両親に電話を繋ぎ、舞世が正気を取り戻したことを伝えてからは……もう、言葉では言い表せられないモノとなった。


 それを人伝(というか、舞香から聞いた)で知っている(巻き込まれる前に、その場を後にしたから)からこそ、伊都は居住まいを正したのだが……しかし、違うとなれば、いったい?



「実はね、『心霊研究部』を閉めようと思っているの」



 そう思って尋ねれば、舞香からそう話を切り出された。既に華子は相談を受けていたのか、特に驚いた様子を見せなかった。


 ……まあ、それはいい。とりあえずは、どういう事なのかと続きを促せば、「元々ね、舞世を助ける為に始めた事なのよね」舞香はそう話を続けた。



「そりゃあ、オカルトにも楽しい部分あるし、否定はしない。でも、私以外誰もいない部活を、一人黙々とやっているのも……ねえ?」

「それは私に対して、遠まわしに喧嘩を売っているのですか?」

「伊都ちゃんは達観している部分があるし、精神年齢数百歳なんでしょ? こっちは人生十数年、もっと遊びたいし、色んな思い出を作りたいの。そう思って、悪い?」

「……悪くありません」



 言われてみればそうだったと、伊都は納得した。



 考えてみれば、確かにそうだ。修行漬けの日々とはいえ、数百年の時を過ごした伊都に比べ、舞香はまだ成人すらしていない子供だ。


 今までは妹の舞世を助ける為にという目的が有ったから続いていた事でも、これからは違う。


 言うなれば、これまで彼女の中にあった『目的』であり『目標』がぽっかりと消えてしまったのだ。


 肝心の舞世はリハビリだの何だの(学校等には、病気療養中の為と説明していたらしい)で、舞香の手を離れて早速忙しい日々を送っている。


 妹に構おうと思っても、今はとにかく遅れた学力を取り戻す為に舞世自身が望んで頑張っているらしいから、あんまり邪魔は出来ない。


 かといって、舞香自身の学業には何の問題もなく、改めて何かをする必要はない。つまり、何をすれば良いのかが分からなくなってしまった……ということだ。


 だったら男子なり女子なりを集めれば良いのだろうが、そもそも舞香の今の部活自体が、その男子なり女子なりのせいでトラブルになった経緯がある。


 事情を知らない下級生ならまだしも、同級生や上級生には『その辺の経緯』がバレている。今更、そこに入ろうと思う人は……いないだろう。



 ――なるほど、だから部を閉めようと思っているのか。



 つらつらと『心霊研究部』発足に至るまでの経緯を思い出していた伊都は、そう己を納得させた。だが、同時に伊都は、はて、と小首を傾げた。


 何故かといえば、舞香の行動力から考えれば、今の発言は不自然だからだ。


 舞世を助ける為にたった一人で全てを抱え、自ら知識をかき集め、あらゆる手法を試し続けた、類まれなバイタリティの持ち主だ。


 その彼女が、閉めると決めたことを、いちいち他人に相談するだろうか……いや、しない。彼女がその事を口にするのは、部を閉めた後の事後報告ぐらいだ。


 もしかしたら幼馴染の華子には相談するかもしれないが、その場合でも、己に相談が来た時は既に、方針を固めた後だ。こんな、まだるっこしいやり方を彼女は取ったりはしないだろう。



「……本題は、何ですか?」



 そう思った伊都は、率直に尋ねた。それが正解だったのか、舞香はにんまりという言葉が似合う笑みを浮かべると。



「考えたのだけれども、新たに『心霊対策相談部』……略して、SCCD(Spirit Countermeasures Consultation Department)というのを設立しようかなって思っているの」



 そう、話したのであった。



「……心霊、対策相談部?」



 それは、これまでと何が違うのだろうか。



 再び首を傾げた伊都に、「根本から違うわ!」舞香はますます笑みを深め……ソファーから腰を上げた。



「私、舞世の件から色々考えたの。私たちは伊都ちゃんがいたからこうしてハッピーエンドを迎えられたけど、仮に伊都ちゃんがいなかったらどうなっていただろう……って」

「……どうなっていたのですか?」

「間違いなく、バッドエンド。舞世は悪霊に襲われて食われ、ラッキーも悪霊になって、私は妹を助けられず精神を壊して、ヘタレなお兄ちゃんは変な女作って騙されて、うちの中の空気は滅茶苦茶になっていたわ」



 ……それは、いくら何でも悲観的に考え過ぎでは?



 思わず、伊都の頬が引き攣った。というか、真人の扱いが何気に酷い。けれども舞香は本気でそう思っているようで、「絶対に、間違いなく、そうなっていたわ!」力強く断言した。



「でも、そうならなかった。伊都ちゃんがいてくれたから舞世は助かったし、ラッキーは成仏出来たし、私は万々歳だし、お兄ちゃんは今以上のヘタレになっていない……これをハッピーエンドと言わず、何て言うの!?」

「……は、はあ、まあ、そうまで言ってくれるのは嬉しいのですが、その……真人さんに対する扱いが酷くありませんか?」



 血が繋がっていないにしても、色々と複雑なモノがあるでしょうし……そう思った伊都ではあったが、舞香はこれまた力強く首を横に振った。



「いいの! 見た目だけは良いけど、お兄ちゃんは本当にヘタレだから。何を血迷ったか、彼女もいないのに、スマートに未来の彼女をエスコート出来るようにって滝川に弟子入りするようなヘタレなんだもの」

「……え?」

「あの顔だから、昔から女性にはモテていたのよ。良い意味でも、悪い意味でも。そのせいで私が小さい頃は、お兄ちゃん目当ての子が、先に馬を討てと言わんばかりに私にゴマを擦ってはもう……」

「は、はあ……」

「おかげで今では女性に対して奥手ですっごい苦手意識があるのよ。なのに、興味だけは有るの。女性を前にすると緊張して睨みつけるようなことするから、彼女はいないのに高嶺の花扱いでモテるっていう変な状況になっているみたいで……これをヘタレと言わず、何と呼べと?」



(えぇ……最初のアレって、まさか……ソレなのですか?)



 思わず……伊都は脱力した。


 ……他者の感情を読み取る(感じ取る)伊都のこの力は、思考を読み取るわけではない。だから、伊都は……もっと複雑な事情があるのだと考えていた。


 けれども、蓋を開けたら……こう、何だ。まさかそんな……しょうもない事から来ていたとは……苦笑する己を、伊都は止められなかった。


 ……いや、まあ、男に限らず異性にモテたいというのは、何時の時代も同じ事。その点については、それでいい……気になるのは、それよりも、だ。



「……で、それがどうして心霊対策相談部とやらになるのですか?」

「つまりね、私以外にもいると思うの。いや、絶対にいる。何処にも相談できず、相談しても解決出来ず、抱え込んでいるしかない人たちが……ね」

「……と、言いますと?」

「つまり、そういう人たちの心霊的な悩みを解決していこうっていう感じの部活にしたいのよ」

「なるほど」



 言いたい事と、やりたい事は分かった。そう頷いた伊都は……待てよ、と舞香を見やった。



「それ、どうやって対応するのですか? 素質が無いとは言いませんが、通用する程度にまで『力』を付けるには、少なくとも成人まで修行漬けの日々になりますけど……」

「だ・か・ら、相談しているんじゃないの……ね?」

「ですから、最低でも5年ぐらいは修行を……ん?」



 満面の笑みを浮かべたままの舞香に、伊都は目を瞬かせ……おもむろに、己を指差した。


 途端、力強く頷かれたのを見やった伊都は……深々と。それはもう、様々な感情が込められた深い溜息を、零した。



 ――直後、滑り込むように駆け寄って来た舞香が、伊都の前に座った。ぱたん、とシューズが床を転がった音がした。



 見た目とは裏腹の、滑らかな身のこなし。思いの外素早い動きに面食らう糸を他所に、これまた滑らかな所作で正座をした舞香は……深々と、頭を下げた。


 それはもう、深かった。というか、額が畳に付いていて……いわゆる、土下座であった。


 これには伊都も堪らず「ちょ、お、お止めなさい!」狼狽する。けれども舞香は構うことなく土下座を続けたまま、「――お願いします、伊都様!」声を張り上げた。



「様呼びは止めなさい! そのような立場になった覚えはありません!」



 なので、伊都も声を張り上げた。しかし、舞香は引かなかった。


 何とか無理やり頭を上げさせようと……したのだが、それと同時に感じ取れる舞香の感情に、伊都は……また、深々とため息を零した。


 何故なら、舞香の胸中にあるのは……使命感だからだ。


 何となく……何となくではあるが、舞香の気持ちは伊都にも察せられる。仮に、伊都が舞香の立場であったなら、似たような思いを抱いただろうから。



(自分では時間が掛かり過ぎるから頭を下げて他者にお願いする、その素直さには好感を抱きますが……ん~、どういたしましょうか?)



 だが、しかし。伊都は首を縦に振らなかった。


 一年前の伊都であれば、私が出来る事であるならば喜んでと一も二もなく首を縦に振っていただろうが、今の伊都は首を縦には振らなかった。



(手を貸すのはやぶさかではないのですが、そうなると普通の人として生きようと思っていた初志から外れてしまいそうな気が……)



 何故なら、舞香の頼みを聞くということは、当初に抱いていた目標を捨て去るに等しい事であるからだ。


 ……すっかり忘れている人も多いだろうが、伊都がこの学校に来た事だって、そもそもが『普通の人間』として生きようと決めたからなのだ。


 そりゃあ、最初から最後まで伊都が思い描いている普通には近づいていないが、だからといって諦めたわけではない。


 信頼し、貴女だからこそと頭を下げる舞香には心苦しいが、己はもう普通に生きようと決めているのだ。だから、「お気持ちは嬉しいのですが、この話は――」伊都は舞香の話を断ろうとした。



「――そういえばさあ、伊都ちゃんはどんな俳句を作っているの?」



 が、しかし……そうする前に、するりと横やりが入ってしまった。視線を向ければ、興味深そうにこちらを見ている華子と目が合った。



 ……そういえば、この人は舞香さんの味方なのだろうか。



 そう思って見つめていると、察したのだろう。「あ~、私は正直どっちでもいいんだよね」華子は初対面の時と同じ、ふわっとした可愛らしい笑みを浮かべると、ぱたぱたと手を振った。



「それよりも、伊都ちゃんの俳句の方が今は気になるかな~って」

「か、華子! 貴女、どっちの味方なの!?」

「どっちの味方でもないよ。強いてどちらかを挙げるなら、伊都ちゃん側かな」

「う、裏切り者……!」

「嫌がっている相手の側に付く。私は出来うる限りは己の良心に従いたい良い子ちゃんなのです」



 ……何だろう、漫才でもやっているのだろうか。


 白けた眼差しを向けていると、再度、華子から眼差しを向けられた。



「でもさ、伊都ちゃんもやってみたらいいんじゃない?」

「……どうしてですか?」

「俳句を作るにしたって、色んな経験をしておいた方が深いモノが作れるでしょ? せっかくそういう機会が目の前にあるんだし、やるだけやって、無理だと思ったら辞めたらいいじゃん」

 ……一理ある。そう思った途端、「あ、今、良いかもって思ったでしょ!」華子から指摘された。

「機会があるのにしないのは勿体無いよ。ほとんどの人は、そういう機会にすら恵まれないんだよ。せっかくだからさ、やってみたらいいじゃん……って、私は思うね~」

「……なるほど」



 何だか上手い事説得されたような気がしないでもないが、華子の言葉に心が動いたのを伊都は自覚する。


 故に、伊都は舞香の申し出に首を縦に振った。途端、舞香は両腕を挙げて万歳をした。



(真人さんもそうだったのですが、この人も……付き合うと印象がガラリと変わりますね)



 初対面の頃は、冷静沈着で物腰の柔らかい年上の美人な女性という、美女の条件をこれでもかと前面に押し出した雰囲気だったのに。


 そう、思っていると……不意に、こちらを見つめ続けている華子と目が合った。


 ついでに、いつの間にか我に返っている舞香からも似たような眼差しを向けられた伊都は……何度目かとなる溜息を吐くと、たった今認めていた俳句を二人に差し出した。


 どれどれ……受け取った二人は、そう呟きながら字面に視線を落とし……。



「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」



 しばらく、無言になった。集中して読む(つまり、意味を解読する事)にしても、些か集中し過ぎだろうと思った伊都は、「あの、どうしましたか?」率直に尋ねた。



「……あの、伊都ちゃん。伊都ちゃんは、俳句って初めて?」

「かれこれ百年近くは嗜んでおります」

「あ、そうなの……」



 曖昧な……困惑という感情を二人から感じ取った伊都は、ああ、と手を叩いて納得した。



「今の子たちは俳句などに触れあう機会がほとんどありませんから、読み解くのは難しいでしょう? 感想に困るのも、分かっておりますよ」

「え、あ、ま、まあ、そう……なるのかな?」



 ますます困惑を深める二人に、「――それも、致し方ありません」伊都はふふんと胸を張った。



「正直、俳句には自信が有ります。神の御許に仕えておりました時には、毎日のように認めては持って行きまして……あの御方からも、『非常に素直な想いが伝わってくる』と大評判でしたから」



 それは、伊都にとっては数少ない『自慢できる特技』であった。


 ちなみに、霊的な『力』に関しては当たり前過ぎて自慢ではなく自信になっているので、自慢ではないらしい。


 ……まあ、とにかくだ。


 『自慢げに胸を張る』という、もしかしたら物凄く貴重な光景を目の当たりにすることになった二人だが……その事に思いを馳せることはなかった。



    『西瓜はね 丸くて甘い 西瓜だもの』



 何故なら、記された字面がソレだったから。いや確かに、素直と言えば素直なのだろうが……いや、でも、これって……。



(……何で、スイカ? いや、スイカって確か季語だし、どの季節を選ぶかなんて関係ないから問題はないけど……ていうか、字余りしている……)

(素直……うん、素直だわ。素直過ぎて、それ以外の感想が出てこない……え、百年やってコレ……え、え?)



 感想が、出て来なかった。いや、『素直』という感想を二人は同時に抱いてはいた。だが、それ以外の感想が欠片も思い浮かばなかった。



「……とっても、素直な想いが伝わってくる俳句だね」



 だから二人は、伊都の話す『御方』が口にしたであろう感想を、そのまま伝えることにした。



 ふふん――と。



 自慢げに胸を張っている、伊都から僅かばかり目を逸らしながら。当の伊都は気付いた様子もなく、えっへんと鼻高々な振る舞いであった。




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伊都はかく語りき 葛城2号 @KATSURAGI2GOU

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