「正解」ってなんだ?

足羽くるる

究極の「正解」とは

初めに言ってしまえば、全ての答えは完全ではない。

いわば……究極の正解というものは、存在しない。


いちばんその問題のより深部へと探求し、探り当てた解が模範となり、全てのはこれに準じると。

いわばスタンダードな答えを確立するとまで言えばいいのか。


その誰かが確立したスタンダードと、出した答えが違ったならば訂正を要求される。


解釈によってはどうにもなる問題でさえ、よりによってどんな事象においてもスタンダードは存在する。


それでさえも、スタンダードへと、かつ普遍的なものへと変化させることを社会は要求する。


全てはスタンダードな答えによるものが正しいとされ、見合わないものはその考えを捨ててその見解を共有することを押し付けられた挙句、無慈悲に切り捨てられる。



柔軟な考え方をしよう! そうした方がいいよね。いろんな考え方が千差万別あるんだからそれを理解すると思うなら柔軟な考え方はしなくちゃならないよ。


オールマイティで、無理な正答への繋がりだってできる。例え破綻していたとしても不可能じゃないしね。


行き過ぎた破綻はともかくとして、ある程度許容できてもいいと思う。


国語の問題だって、確実にA君の思っていることなんて当人のA君にしか分からないわけなんだから、正答全部が全部あっているわけじゃない。

もはや物語を書いたはずの作者の見解とは違う意思を彼は持ちあわせている可能性だってあるし、作者はA君の気持ちをはっきりとあえて伝えずに、読者に想像性を求めている場合だってある。

それでも誰が知ろうことか、教科書やワークは誰の決めたであろうかA君の気持ちをそこで代弁したつもりになっているように見える。


例えばこういう問題があったとする。「父からの学校にかかってきた電話によると、母は自宅で突然倒れたということだ。それを担任から聞いた途端A君は何も持たずに学校を飛び出し、病院へ行った。だが、もう時すでに遅かった。」


この文章の終わり、A君の心境で1番当てはまるのは

「母親の最期に間に合わず悲しんでいる」のだろうか。

誰もがわかる、これだろって思うだろう解答ではあるが、これが真に正しいと言えるだろうか。


もしかしたら「怒っている」のかもしれない。

なんで父はもっと早く電話をすることができなかったんだ、と。


いや、「自分を責めている」のかもしれない。

もっといつも母親を気遣って、手伝いもやっていれば倒れはしなかったのだろうと。


不謹慎だが「ほっとしている」のかもしれない。

実は彼の母がA君に虐待を繰り返していた過去があって、その天罰が下ったんだ、せいせいした、と内心そう思ったりしているかもしれない。

こんな心境は前後にも、どこの文章中になくとも持っているのかもしれない。


全てあっていないわけじゃないし、実際の問題はより文章中にあるものから当てはまる、いちばんを探せ!というだけであるが、文章中にいざない言葉が実は本人が気づくはずもなく微量でも心の奥底には眠っていたりする。


だから、どんな心境だろうがどんな解釈だろうが答えのうちに入るんじゃないかな。


ひとつだけ答えがあるとすればそれは模範なだけ。あくまで個性も何もなく、捻りもなければ面白味にも欠ける。みんな同じ考え方ができる社会を目指せ! なんてことを言うやつは盛大に草である。そして今なお同じことを繰り返し書き反芻し、発言をしようと試みている。なにやら自分で生やした本数も繁殖力も影響力も微塵も感じさせない草を、口に入れ咀嚼して飲み込んでその貧弱で矮小な栄養素を取り込むという行為へ、それは食物連鎖でもなんでもない果てしなく続く無限ループへと誘おうとしているのだが、そんな草よりおうどんの方が何杯も美味しく食べられる。


そんなどうでもいいことで死に戻りのタイムリープをするならばいっそ切り替えでもしようとな*卯へ訪れているわけである。


ただただきつねうどんが恋しい。

あの黄金のお汁と爽やかな甘みのお揚げ、そして喉を心地よく通るもちもちとした白くて太い麺。


ちなみに赤いきつねと緑のたぬき、どっちがいいか聞いてんだっていう問いには「俺、どん兵衛派なんだ」と返して不毛な戦いは避けようとしている。


話がうどんにズレてどうにもならないだろうが、こうした戦いのさなかでより優れたもの「私はきつねうどんが好きだから、赤いきつねと緑のたぬきでいえばもちろん前者が好き」であるだろうか。

私は選択肢外の気持ちではある。だってマルちゃん正麺はあんまり好きじゃないし。そもそもインスタントのうどんだけの話じゃない、だから初めになか卯っつってんだろ! といってるわけだ。設問がまるきし意思と違うしそんなこと思ってもいないことだってありえる。が、このケースは少ないだろう。


私は不毛な戦いを避けようとした。というのも、インスタントうどんがあまり好きではないからだ。だって、その好きじゃないもので二択を迫られても選びようがない。嫌な方を切り捨てるって考え方があったとしてそれがいいかと言うと、どっちがいい? じゃなくどっちが悪い? であろうが。

それでどうなるのだろうか。

選ぶという点については(だけ)正しいものの、それは問いとして不適切だろう。


ひねくれた、奇抜な考え方として少数派もしくは一人が唱える言葉は影響力があるわけじゃないなら何も通るはずもないことは十も承知で、そこに正解があるわけでもないのにひたすら正しいと言い続けても誰もそんなことを当てにするはずがない。だってそれは、自分にしかわからない「正解」なのだから。


それを自分の中で噛み殺し、周りに順応、意見を合わせるだけの人間が果たして上手くいくか、という問いにも正解がないが、人間が皆そういう存在になったとしたらこの社会には目覚ましい革新が生まれるだろうか。この問いはだいたい否定的な考え方になるだろう。

しかし、この考え方を持ってしても、それができない人間の何と多いことよ。というのは自らが主体性を持ってしない他には、周り、または特定の誰かに自分の考えを抑圧されている可能性だってある。

国家が政府の指標や目的を遂行するため民衆の言論を統制するというのはよくある話だが、その中で生まれる意見は無視され続けただろうか。

いや、これまで歴史上にどれだけ革命や一揆、内乱が勃発しただろうか。そこに彼らの意見を政府に物申す手立てはあった。

挙句の果てに国家はそれらの意見を吸収するか、排除、または瓦解するわけであった。

それは意見の規模が大きいほど国家は脅威に感じただろう。そしてその規模に見合う手立てを取ったということになる。


今の日本を取ってみれば、誰でもその訴えを国家にできることにはなったが、直接ではなく大概が選挙という間接的手法を通して伝えるわけである。その過程でもう大半の意見は集約されている。

こうするべきという形にある程度整形される。一人二人しか言わない意見ばかり集めてもキリがない。


ここで国語の問題と見比べてみよう。

提示されているのは整形された答えだ。一人二人しか言わない意見ばかり集めてもキリがない、そのとおり。

できるだけ多くの意見が集まる解答を作り出し、そこにコミットさせる。

そこに、全ての意見を集約させる意思というものがある以上、それにそぐわない解答を誤答とすべき理由があるのではなかろうか。私はそう考える。

だから、いちばん初めに正答や正解、などではなくそれは皆大多数がその考えに行き着く、大前提としなきゃいけない答えというものだ。

しかし、その考えを提示されたときにやはり頑固……というか信念が強い人にそれを強要することはないし、そんな人もすぐ納得しろとは思わない。そもそも自分の選択肢こそより正しい、などと思って納得は行かないだろう。その正しさがでは他人にとっては正しいとされるものなのか。

そう考えたときに、考え方を共有できるところ、共通項を見つけたり、ここは間違いだとかはっきり理由がつけるならそれは言うべきだし、その前にまず自分の正しい答えの根拠をあらわし、他と比較したときどう言ったところはいいのか、比較してやはり間違いに気づいたら即座に訂正する臨機応変な対応も必要だ。


その場合も鵜呑みにするのは違うとは思う。しかし、聞き入れないというのは、意見はこうだとしか思わないことで衝突も免れないことも予想される。


最近、旧知の友人とあるイベントに行ったときにあるトラブルに見舞われた。

あるグッズ販売所の件で、私は彼に怒られた。というのは、彼が決められた額でしか持ってきていないので、突如買うのが増えたものを買えなかった(理由は後で知ったが並んだ時に連絡があったという彼の友人の分)、という訴えだ。とても混雑していたので並び直すことは不可能に近いものだったから買えないと知った彼はキレた。私は会計の列が長い上に、彼の買うブースが違うために(隣接していた)、彼とは別れて会計の列に並ぶことにした。出口で彼を待っていたのだが、彼はいつまでもそれは、会計の端でずっと私を待っていたとのことだった。少額になるなら少なくとも余分に準備して持ってくるべきだし、混雑していたから私は私の買う列に並んだと言ったところ、彼は二人で来たときモノを並んで買うのは当たり前だし勝手に別れたのはおかしいと言った。


私は別れる前に声をかけられなかったところは大きなミスだと言った。しかし実際別れるすんでで彼の姿を見失って追いかけることも並んでいる他の人の間をいくのも気が引けたので会計の出口で会おうと思ったままにしていた。

LINEで彼はお金が無いとはいわなかったものの来てとは言っていた。が、並ぶ列がどうも中に入ることは難しい構造(出口からの逆行)でありまた見失うなら出口で待つべきだと自己判断し、きっと別れては行動出来ないから集合しようという考えだろうとLINEで出口あたりで待ってるから、と書いたきりだった。


それに腹を立てた彼は一緒に並ばなかった私を責めたのだった。


来る前から彼はあまり多くの金は持っていないと言っていたが、この列は開場早々初めに並んだ列であって、彼の財布の中身がそんなすぐに消えるものとは思っていなかった。怪しいとは思ったのが、彼が改札で残高不足で何度も捕まりicカードのチャージを頻繁に行っていたことだった。チャージはきっと千円単位なはずなのにそこは今でも謎ではある。聞いてみるのもなんだか気が引けるからやめておきたい。


彼の理由も頷けるものがあった。彼は事前に額が幾らだとか決めるようにしていると言った。ちなみに持ち金はその時点で五百円(!!)

これを聞いたとき思わず私は言い返したくなった。否、言い返した。そこからは先程も話した通りの展開だ。

その当時理不尽に怒られた! って思ったのだが、どうやら理由を聞く限り彼にはそういった背景があるようだった。


背景を知ることによって思い違いを最小限に抑えることはできるように感じる。


ここまで一年前かな? と思われた方には悪いがこれは実はついこの文を書いた当初においてはつい先日のことである。


この場合どちらが正しいこと言っているかというのは断定できない。

だが間違い、というかこうすべきであった点はあげられるであろう。

私の場合、別れる前に彼を見つけて(もしくはLINEで)その旨を言わなかったこと。

一緒に行こうと言っていたのに彼について行かなかったこと。

彼の場合、完全に私が彼と一緒に居ると思っていたところ。

チャージは前もってすべき、その金額も合わせて持ってくるべきだったということ。

しかし、私は彼に一緒に行こうと提案された側であったし、彼の指示に従うだけで良かったのかもしれない。

割り切って他のブースで彼が困ったとき用に五千円を貸した。また、彼とは別行動にすることもあると言ったし、合流するときはまた連絡を、と彼とは約束をして別れた。仕方なくというわけでもなくて、彼に私の分の入場券も買ってもらっていたし、初めて来る私にとっては彼の言うことには耳を傾けることが必要だったし、どう動くのかもわからない状態ではあった。


別れる前に彼は私に怒ったことを謝ってきた。始発から何も食わず来たので、初見のため(というかそういうところは私の言い訳と言うべきだが)テンパって要領の悪い私にイライラし始めていてカッとなってしまったとのこと。

でも買えなかった彼は被害者だし、彼に付き添うべくしてきた私が問題を起こしたわけだし彼に非があるとは思えない。

私も臨機応変な対応が出来なかったことと、彼の状況をよく分からなかったことを詫びた。


そのあとは別行動でそれぞれの目的を達成し、合流して飯食べてなんか見て帰った。ちゃんちゃん。友人や、こんなトラブルメーカーすぎた私を連れてってくれてありがとうな。またどこか行けたらいいね。この間貸した分はなんかまた焼肉でも奢ってくれれば良いよ。金額で言えば謎肉の五百円足してチケット代1800円手数料入れて差し引き約3500円かな。細かいかもだけど残念ながら実際俺もあんま持ち金ないんす。

あ、超会議行ったことだいたいバレたな。詰み詰み。



で、結論。……あの、忘れてないよ議題。「正答」とか「正解」ってやつ。

ぐう正論ってホントにあるんすかね? みたいな。

口やSNSでは言えるかもね。よりその場の正解のような答えは。

ずばり、今の実例なんて現代文の問題を実用化してしまったものだ。その時に当てはまる行動はあってもそのとおりに動けるかどうかなんてわからない。それが人間だものね。

そこでもいかに相手にとっても、自分にとっても正しいと思えるような行動が取れるか、またいざ違ってしまったら、即座に、臨機応変に行動できるかということだ。

私は欠けているところがあるし、そこを直すべく努力はしている。しかしやはり実際の場でどうなるかなんて誰に予想ができよう。平常にできれば良いものを本番になるといざミスる、なんてテストだったりでもよくあるかもしれないが、ミスってしまう人にも特徴があるらしい。そんなようなサイトは結構ある(お世話になってます!)し調べて見てもいいかもしれない。

私もズバリ当てはまることはいくつかあったので今からでも改善に手を尽くそうと思う。


いざ選択肢が提示されたとき、そこに決まりきった正解はなくともきっと最善の方法はあるし、その方法は常にその場に存在する。


私は休日よく家に篭もりっきりだったりととにかくインドア派(カッコよく言ってるだけ)なのでそういう経験が少ないのかもしれない。そういった原因はあるかもしれない。

社会的背景を知ることでお互いをより知ることにつながるだろうというのは繰り返し言っておきたいが、その背景にもより良く変える余地があるならそうできる努力はするべきだろう。私は休日とにかく家から出ます! そうします!

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