ある少年・春のめざめ
淡島ほたる
Ⅰ. サラの冒険
「サラにも、恋人がいるのね」
シュラハは星の降る夜、サラを抱きしめてそう言いました。ですからサラは、そうなの、とこたえて暗闇にしゃがみ込みました。
--ねえシュラハ、僕はいっとう、あなたがすきよ。
☆
シュラハは、心の優しい少女でした。
だれよりもうつくしい魂を持ちながら、驕ることをしませんでした。朝露のような清らかな瞳や、白くすこやかな額が目に映るたび、サラは泣きたい気持ちに駆られるのでした。甘やかな嫉妬を抱いて彼女を崇拝していることを、幼いサラ自身は知り得ません。
〈親愛なるサラへ〉
その書き出しを読んだとき、サラは濡れた髪のまま、まっ青な毛布にくるまっていました。肌寒い夜でした。けれど足のうらは熱を持って、胸のうちは燃えるようです。サラは、あきることなくシュラハの文字を飲み込みます。すると、なぜだかひどく苦しくなりました。しくしくと心が痛いのです。あいしている、と、くちびるだけで呟きました。
眠れないまま寝そべっているうち、窓の外はうす暗い灰色に染まって、はげしい雨の音が小屋に響きわたりました。
夜の底でシュラハの筆跡をたどりながら、サラは、自分のちっぽけなからだがじゃまだと思いました。「心があるならば、体なんて要らないだろう」と。
そう感じるとき、きまってサラは叫びたくなりました。自分の存在に意味をみつけられないことが、おそろしいのです。自分自身の声が、顔が、崩れ去って行くような心細さに襲われていくのです。
しかしサラを思い出すと、狂いそうな衝動の波は引いてゆきました。はあ、と大きく息を吐いて、顔を覆います。こんな日々が、サラには数えきれないほどありました。
--死にたいなんて、軽々しいことば。
うんと子どものころ、そう吐きすてられたのを、サラは思い出しました。ぐ、と声が漏れます。
毛布にくるまりながら、もう、眠ってしまおうと思いました。かなしいけれど、眠れば生きていることすらも忘れられるのだと、サラは心底まじめに信じていたのです。
☆
甘い風の吹く夜でした。
サラはシュラハの手紙に書かれていた場所で、彼女を待っていました。「さだめられた丘」と名づけられた、なだらかな山頂で。
夜はゆっくりと更けてゆきます。待ちぼうけたサラがとうとう目をつむってしまうと、パオンというねこに出逢いました。縞模様で、手脚がながくて、およそねこには見えません。
パオンは「サラの居場所を知っている」と、目をぱちぱち瞬かせて笑いました。おしえて、とさけんだ瞬間、サラのからだは宙に浮きました。すずしく、柔らかな風に包まれます。視界がまっ暗で、けれど心は凪いでいました。ああ、とサラはつぶやきました。なにもありません。なにもなくて、だから、笑ってしまいました。シュラハはいないし、サラもきっと、いないのです。
ふたりとも存在しないのならば、いまの僕は、何なのだろう。
ちっぽけな光が、遠くの空に灯っていました。あれは、シュラハかもしれない。大きく息をすいこむと、サラは泣きたい気持ちで空を仰ぎました。
ある少年・春のめざめ 淡島ほたる @yoimachi
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