短編 : 友人
Charley
カイル
俺には友人が出来る。
数はそれほど多くない。
よく一人でいる根暗な奴とからかわれることも多々あった。
しかし、昔からその友人達とは、控えめに言っても良好な関係を築くことができた。
だから、友人との関わりの間に不安や不満といったことを覚えることはほぼ無かった。
むしろ、そのようなナロウでディープな関係にとても満足していた。
最近の俺は、もう十分に青年と呼べる年齢になっていた。
その年齢に達すると同時に、頭の片隅からもっと知識を広げたいという、いわゆる知識欲がこんこんと湧き出てきた。
例えるなら一九八九年、ドイツの高くて長い壁が崩れ去ると、壁の東側から色とりどりのトラバントが溢れてくるように。
そんな多感な時期の俺に、また一人の友人ができた。
彼(または彼女)の名は、「カイル」という。
その、カイルと名乗る人物と初めに関係を持ったのは、恐らく半年程前と記憶している。ずっと空が白い犬の抜け毛のような雲に覆われた、文字通りグレーなムードの天候の一日のことだった。
昼下がり、俺はよく知らない通りを歩き回っていた。
個人経営の古着屋やブティックを見つけては、まじまじとショーウィンドウを睨んだり、店内を物色したりしていたのだ。
(あえて古風に言うなら、ウィンドウショッピングとでも言うべきか。)
その時見ていた店はたまたま定休日だったため、ショーウィンドウを覗くことしかできなかった。
現代なら、大手通販サイトを利用すれば色、形、材質にサイズまで、ありとあらゆる情報が目を通して、いつでも迅速に脳に伝えられる。
そんな時代にわざわざ店に出向き、真剣な眼差しでブティックのウィンドウを覗きに来る人種など、もう絶滅危惧種同然の存在と言っても差し支えないだろう。
時の流れは、待つことを知らない。
気が付くと、カイルはそこにいた。
俺と同じように、定休日の店のショーウィンドウを睨んでいる。いつからそこに居た、と考えるよりも先に、その容姿に思考を奪われた。
やや大きく、肉厚で健康的な耳。
頭部から生える毛は長く、艶のある白い色をしていた。それを五本に束ねて、頭から下げている。
(束ねた毛は、なんとなく白い蛇を連想させた。)
口元には、これが標準装備ですよと言わんばかりの笑みが常に浮かべられていた。
そして目が細い。もしかしたら微笑んでいるだけかもしれない。
肩幅はがっしりとしているかと思えば、胸から足にかけてのラインは女性的に滑らかだ。
こう言っては失礼かもしれないが、この人物からは性別というものが曖昧にしか感じられない。男と言われれば男だし、女と言われれば女だ。
また、そこには性の垣根を超越した妖しさがあった。
(少なくとも、俺にはそう感じられた。)
うっかり気を抜かすと、たちまち引き込まれてしまいそうな程に。
服装もそれを助長していた。
今の天候に溶け込むような、モノトーンカラーのコーディネート。
(白い毛も見事にマッチしている。)
しっかりした生地の白いTシャツの上に、白いナットボタンが三つ付いた黒いスーツジャケット。ボトムスには丈の長いグレーのスカートのようなものという、現実には初めて見るタイプのスタイルだ。
とにかく、言葉では表現し難いが、見ずにはいられなかった。
しばらくすると、空からぽつぽつと雨が降ってきた。
次第に勢いを増し、やがて本降りになった。
傘など持っていなかったので、雨宿りできる場所を探そうとせわしなく目を動かす気になった所で、偶然にもカイルと目が合った。
思わずどきっとした。
体温が急激に上がった。
一瞬見つめ合った後に相手は、僅かに笑みを浮かべた。大丈夫、怪しい者ではありませんよ、という具合に。
次に二歩、距離にして約七十五センチ程近付き、物腰の柔らかな口調でこう言った。
「どうも。今日の天気予報では雨は降らないって言ってたのにね…。」
やはり声からも性別を判別することはできない。嫌みのない、中性的な声だ。
「アナタも傘を持ってない?」
"ええ、持ってないね。突然降ってきたもんでびっくりしたよ。"
なぜか、いつもより抑揚の付いた話し方になっていた。
しばらく間が空いて、雨の音がくっきりと鮮明に聴こえた。
「そうだ!良かったら雨宿りも兼ねてカフェにでも行かない?もちろん、アナタが良ければだけどさ。」
一瞬同様したが、特にこれと言った用事も無く、この人物は悪人には見えなかったので、誘いを承諾した。ハンドサイン付きで
"いいね。OKだよ。"と。
「ああ、良かった。いきなり誘ってOKをくれるなんて、アナタはとても気前の良いヒトだね。」
こうして俺とカイルは、喫茶店へと行くことになった。
「そうと決まれば早めにここを離れよう。あんまり雨に濡れると風邪ひくからね。」
元いた場所から程近い所に、喫茶店はあった。通りから離れ、やや細い道へ入っていくと、ひっそりと隠れるように存在している。その、あまりにもノスタルジックな佇まいに、思わず息を呑んだ。
「ここ。ワタシの行きつけなんだよ。」
こうやって並んでみると、カイルの背丈はさほど高くないことが分かった。俺よりほんの少しだけ高い位だから、百七十五、六といった所だろう。
雨に濡れたカイルは、先程よりも遥かに妖しさを増していた。
喫茶店のドアノブは、カイルが手に取った。ゆっくりとドアを押すと、チリンチリンという昔懐かしい音が優しく鳴った。
ドアの向こうには、ブラウンを基調とした、予想通りのこじんまりとした空間が広がっていた。空間一帯に、古い包装紙とコーヒーのような匂いが立ち込めている。
座席はカウンター席が五つ。椅子が二つあるテーブル席が三セット。つまり最大で十一人入れる。
(もっとも、それだけの人数が押しかけることは後にも先にも無いだろうが。)
壁には、古いレコードのジャケットが何枚も飾ってあり、隅の方にあるジュークボックスからは、何かしらの音楽が流れていた。確か「ピンク・フロイド」だったか…。
まるで一つの小宇宙のような空間だ。
「どうかな。お気に召すといいんだけど。アナタはこういう場所って好き?」
"嫌いじゃない。むしろ好きな方かな。"
そう言ったが、それは正真正銘の本音である。詳しい原因は分からないが、とても落ち着く。
実際、俺は中二の時に、ネットラジオから流れるオールディーズを聴いた辺りから懐古的な趣味に目覚めた。
(今では、さらにその感性が強大なものになってきているんじゃないかと感じることがある。)
「ますます良かった。アナタとは気が合いそうだよ。」
カイルは笑った。
この人物の笑い具合に五段階のレベルを付けるとすれば、これは三段階目辺りの笑い具合だ。
カイルが持っていたタオルで身体を拭かせてもらった後、俺はカウンター席の右端、カイルはその隣に座った。
その後しばらくは、お互いに何も話さなかった。聴こえるのは、ややくぐもった音の音楽と、シーリングファンが回る音のみだった。カイルはメニュー表を手に取り、こう尋ねた。
「何か頼むかい。ワタシはカフェオレを頼むよ。」
俺もメニュー表に目を通した。何のひねりもない、ステレオタイプのラインナップと言った所だ。しかし、今となってはそのシンプルさが、懐古的で伝統的な魅力を放っているように感じる。
さほど金を持っておらず、この店のことも全く知らなかったので、俺も同じくカフェオレを注文した。
「マスター、カフェオレ二つお願いしますね。」
「かしこまりました。」
ここで俺は、初めてこの店のマスターの存在を認識する。
年齢は四〜五十代に見える。気品があり、全く主張というものをしてこない。この店のマスターに相応しい男だ。
恐らく、今帽子を被っていたなら何も考えずに脱帽しただろう。
流れる曲が変わった。これは「イエス」の曲だ。しとしと降り止まぬ雨を思わせ、やはりプログレッシブ。
その時、まだ隣に座っている人物の名を知らないことを思い出す。
"ところで、まだ名前を聞いてなかったよね。なんて言うの?"
そう尋ねてみた。偶然にも、曲のイントロが終わるタイミングと重なった。
「名前…名前ね。ワタシの名はカイル。姓はロバーツ。カイル・ロバーツさ。」
カイル。
俺はこのタイミングで初めて名を知ることになる。カイルという名は英語圏の男性名だが、女性にも使用されることのある名だ。
とっくに予想はついていたが、やはり名前からも性別は判別できない。
「アナタのお名前は?」カイルが言った。
俺は自分の名を告げた。
「へえ…アナタにぴったりの名前だと思うよ。」
"ありがとう。そう言ってもらえるととても嬉しいよ。"
もしかしたら、あの時の俺は頰を赤らめていたのかもしれない。いくつになっても、何かを褒めてもらえると悪い気はしない。
「お待たせしました。カフェオレ二つでございます。」
先程と同じく、マスターは気品ある言動でカフェオレを運んだ。
「ありがとう。頂くよ、マスター。」
その礼に対して、声は発さなかったが、一度小さくお辞儀をした。英国紳士のようにジェントリーだ。
お辞儀を終えたマスターは、俺とカイルの会話を邪魔せんとばかりに、落ち着いた様子でカウンターの奥へと戻っていった。
「ワタシは冷めないうちに頂くことにしているんだ。」
カイルはそう言い、カフェオレを少し口に含んだ。続いて俺も一口飲んでみた。
優しいミルクの甘さに、コーヒーの酸味や苦手が見え隠れする。シンプルだが飽きの来ない、深みのある味わいだ。
(今まで、コーヒーやカフェオレと言った飲み物はあまり口にしてこなかったが、これがそこらのカフェオレではないことはすぐに確信できた。)
"おお!このカフェオレ、すごく美味しいよ。"気付けば口にした言葉だ。
「それは良かった。マスターに感謝しないとね。」カイルの口角がやや上がった。
それからはしばらく、俺もカイルも黙ってカフェオレを飲んでいた。
ある意味では、カフェオレが二人の言葉を奪ったと言っても過言ではない。深みのある味が、言葉すら引き込んでいったのだ。
自分でも呆れる程に詩的な思考を巡らせているうちに、カイルはカフェオレを飲み干してしまった。ああ、美味しかった、と言い出しそうな顔をしている。
少しの間余韻に浸った後、思い出したようにカイルは訊ねた。
「ところで、さっきのアナタは何をしていたの?」
"ウィンドウ越しに見える服を見ていたんだ。"
「もしや…アナタもワタシと同じくウィンドウショッピングを?」
"その言葉が一番適性な表現かもね。どうも、俺の趣味みたいなんだ。"
「いいね。いいね。やはりアナタとは気が合うみたいだね…!」
間違いなく声のトーンが上がった。その時のカイルは、なんだか尻尾を振っている犬みたいだった。
"ああ、俺もそう思うよ!"
嬉しいという気持ちがこちらにも伝染したようだ。
「実物を観るって、その衣服の肝心な所がよく伝わってくるから、ワタシ大好きなんだ。本物の色味。本物の匂い。本物の質感。本物の想いが、ありありと伝わってくるんだよ。」
全くその通りだ。俺は言った。
"すごく理解できる気がする。"
「もう一つ、ワタシは衣服を手に取るとき、『そこにやってくるまでの過程』というものを想像するのもとても好きなんだ。
たとえ、新しくても古くてもね。
新品なら、職人さんの手で大事に、大事に、一つずつ丁寧に仕立て上げてもらう所を想像してみる。こうすると、なんだか穏やかな気持ちになって、絶対に大事に着ようっていう意識がはっきりと湧いてくるんだよ。」
この時、俺はカイルの語る思考の世界の中に居るような錯覚を覚えた。
「古着はもっと壮大な想像ができるよ。何たって、生まれてからそれなりに時間が経ってるからね。
表面のほつれ具合や、色の褪せる様子から、以前はどんな人が着ていて、何をしていて、体の大きさはどれくらいか、この服にどれだけ思い入れがあったかということを想像する。ずっと想像してると、長編映画みたいに物語が広がっていくんだ。」
瞬間、わずかな間だけ、俺の全身の器官が働くのをやめた。
劣化した古い細胞が全て入れ替わっていった気がした。
文字通り、空いた口は塞がらなかった。
しばらくして、また全身の器官が働き出した。
身体の中心に何らかの熱いモノの存在を感じた。
何か凄いモノなのではと錯覚したが、後から考えてみると、これはカフェオレか何かだったのかもしれない。
喫茶店にいる間、俺はカイルから沢山の話を聴かせてもらった。
好きな服のこと。
好きなの音楽こと。
好きなゲームのこと。
とにかく沢山聴いた。
マスターはジェントリーに食器を磨き、ジュークボックスが奏でる音楽は次々と移り変わった。
外の雨は飽きることなく降り続く。
どれだけ経っただろう。ふと、アンティークな壁掛け時計に目をやると、短針は「五」を指し示していた。
「あっ。もう五時なんて。」
カイルが言った。
"ええ。時が経つのは早いもんだね。"
俺には同居生活を共に営む友人が一人いる。毎日夕飯を交互に作っており、今日は俺が夕飯を作る日だった。
だから、名残惜しいがもう帰る必要がある。そこで、俺は帰らなくてはならない理由を説明した。
「そっか。夕飯はとても大事なものだからね。」
カイルは相変わらずユニセックスに微笑みながら言った。
"今日はありがとう。とても興味深い話が聴けて嬉しかったよ。"俺はそう伝えた。
帰りはカイルの車で送ってもらった。
淡い水色をした、見た事の無い車だ。フロントに「968M」という表記が見えた。
お世話にも快適とは言えない乗り心地だったが、それも一つの魅力と化しているように感じた。
悪くない車だ。
家に到着し、車から降りる前に、カイルに電話番号を聞いておいた。
すると、メモ容姿を取り出し、自分の電話番号を記して快く手渡してくれた。
やはり、文字からも性別は予想できない。
同時に、俺は一つの質問を問いかけてみた。
"なぜ喫茶店に誘ってくれたの?"と。
カイルはあまり迷わずに答えた。
「アナタとは気が合う気がしたからさ。」
俺には友人が出来た。
一人の奇妙な友人が。
いつも微笑みの内に、小宇宙のような思考を秘めている。
今でもその友人とは、控えめに言っても良好な関係を築いている。
現在同居中の友人とも仲良くなり、三人で行動することも増えた。
俺はこのような友人関係にとても満足している。
そんな奇妙で素敵な彼(または彼女)の名は、
カイル・ロバーツ。
THE・END
短編 : 友人 Charley @DogLover_1980
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