オーエル、ティーエル

朝河侑介

パート① 明日もグッデイ

#1 どんな人でも失敗するんだよ

 今の状況を何て説明したらいいかは分からない。ただ一つ言えることは、僕は今日生まれてから二十八年間の中で一番の厄日だということは確実に証明できそうだった。

 本当に不運の塊だ。災厄を背負ってると言ってもいい。朝起きたら同棲していた彼女はベッド以外の家具を全部売っ払って居なくなってたし、突然のことに困惑してとりあえず会社に遅刻する旨を伝えるために電話をかけようとしても、そもそもスマホ自体も勝手に売られてたし。どうにか大家さんに頼み込んで固定電話を貸してもらって電話したら何故か会社に電話は繋がらないし、結局慌てて行ったら会社のビルの玄関口には倒産を伝える紙が一枚貼られているだけだったし、帰ろうにも家には家具無いし、そもそも財布の中身も抜かれてて対して入ってないし、口座の中身だけはどうにか守られていたからご飯は食べられそうだったけど正直未来への希望的な何かは見えないし。その上突然のどしゃ降りに見舞われてスーツごと頭から文字通り水被るし。

 そもそもな話、何で僕がこんな目にあっているんだろうか。決して華やかな人生や努力にまみれた人生を歩んできたわけじゃないけれど、そこそこにやってきたつもりだった。それなりの大学を出て、それなりに働いて、それなりに生きてきた。特筆することなんて何一つ無くて、きっとこのままそれなりに仕事をし続けて、彼女と結婚して、子供をもうけて、ある日ぱたりと死ぬもんだと思っていた。なのに何だこれは。僕が何したって言うんだ。

 でも多分……たぶんだけど、僕が今までそれなりの人生を歩んできたが故に神様が何かしらの転機を僕に与えようとしたのかもしれない。うん、それならきっともう少し前向きになれる気がしなくもない。さっきは何にも特筆することなんてないと言ったけれど、ただただ普通の僕が唯一長所だと言えるところはこの前向きさくらいだ。長所をなくしてしまったら本格的に僕は何にもない人間になってしまう。これくらいは僕らしさだと主張したい。

 そんな風に取り留めもなく思考を巡らせて電車に乗っていたのだけれど、ふと視線を上げたら見覚えの無い駅のホームが見えた。ん? 此処何処だ。思わずホームを見回すけれど、乗客どころか駅員さん一人すら居ない。おかしいな、確か家方面の電車に乗っていたはずなんだけど。一旦電車を降りて濡れた革靴の中でぐっしょぐしょになっている靴下がひどい音を立てているのを聞きつつ、天井に釣り下がっている錆びた看板を見上げた。


「…………ほんとにここどこ?」


 松尾ヶ丘まつびがおか。何それ本当にどこ? 誰かに聞きたくても、そもそも誰も居ないからここがどこかも分からない。一旦改札から出てみるかとICカードをピッと翳したら、三千円ちょっと持っていかれて、中身はまさかの二十三円。待って、三千円ちょっと掛かる場所に僕いるの? 完全に乗り間違ってない?

 哀しきかな、駅を出ても見えるのは山、畑、山、畑、あぜ道の向こう側に見える古びた家が数件。どう考えても乗り間違えた挙句、田舎の方に来てしまったのは明白だ。自分でやってしまったにしろ不運すぎる。踏んだり蹴ったりだ。単純に反対側のホームで電車に乗れば帰れるだろうか。その前にカードをチャージしなくちゃかと思って財布を開いて思い出した。そうだ、財布の中身のお札全部彼女に抜かれてたんだった。


「……流石にへこんでも問題ないんじゃ、これは、」


 前向きが取り得の僕でもこれは駄目だ。泣くしかない。ATMでお金を下ろさなくちゃいけないにしろコンビニを探さなくちゃいけないし、この山と畑のオンパレードにしか見えない田舎のどこに行ったらコンビニがあるんだろう。何だか一周回って僕が悪い気がしてきてちょっとしゃがみこんだ。今だけ、今だけは地面の砂に円を描いていても許されるはず。ここまで嫌なことが続いたらそのくらいは神様だって見逃してくれるはず。


「あら、若いお兄さんがこんなとこでしゃがみこんで。どうしたの? コンタクト落とした?」

「え?」


 だから突然後ろから声を掛けられて、思わずびっくりした反動で振り返った瞬間目の前にいたのが、僕より頭ひとつ抜けてデカくってめちゃくちゃに顔が良い男……なのにヒールを履いていてバチバチにメイクしてて謎のドレスを着ているおん、おと……女? 男? みたいな人がいたことで思わず固まってしまったとしても問題ないはずだ。


「…………おん、……いや、えっと、おと、」

「やぁね、オンナよ」

「えっっっ」

「嘘よ、まだ手術はしてないからオトコよ」

「ど、どっち、どっち!?」

「アッハッハ! お兄さんからかいがいがあるわね。一応まだオトコよ。オカマだけど」

「は、はあ、オカマさん……」


 人生で始めての出会いだ。まさかこんな田舎で、無人駅の目の前で、こんなにスゴいオカマさんに出会うとは思わなかった。思わず目を瞬かせてはじいっと見つめていると、どうやら買い物帰りらしい袋を引っさげている手とは逆の手を僕に差し出してきた。条件反射でそれを掴むと、物凄い力で引っ張り起こされる。めちゃくちゃに力が強かったし、引っ張り上げる瞬間の腕の筋肉凄かった。鍛えているオカマさんなのか。


「ジェニファーよ。宜しく」

「じぇ、ジェニファー、」

「あ、源氏名ね。本名は別にあるけど」

「は、はぁ……」

「お兄さんの名前は?」

「あ、えっと、貴之たかゆきです。笠原貴之かさはらたかゆき


 名乗った僕の名前をふんふんと頷いて聞いてくれたジェニファーさんは、ずぶ濡れの僕を頭からつま先までぐいーっと二度見た後、「とりあえずうちでお風呂入っちゃいなさいよ。着替えはアタシの貸すわ」と言ってくれた。


「いや、申し訳ないですよ!」

「いーのよいーのよ、こんっな幸うっすそーな若いお兄さんそのままにしてる方が見てて可哀想だわ。うち、すぐそこだしスナックもやってるから、アタシに襲われるかもーって思っても、そこいらの酒瓶で頭殴って逃げちゃえばいいでしょ」

「そういうことじゃないですし、そんなことしないですし僕!」


 ぎゃいぎゃいと三分くらい押し問答したけれど、結果的にほぼ無一文で帰る術もない僕の方が圧倒的にどうしようもないことからジェニファーさんの家でお風呂を借りることになってしまった。申し訳なさでいっぱいである。

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オーエル、ティーエル 朝河侑介 @Asagawa_yusuke

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