降水確率百パーセント

朝田さやか

大好きな彼は雨男

 休み時間、教室の中心で彼はいつも友人に囲まれている。クラスの中での人気者。顔も良くて、スポーツもできて、応用クラスであるこのクラスでもいつも成績は上位。


 そんな彼の名前は前川まえがわ宇城人うきと


 人は完璧過ぎる人間には、近より難い。顔、運動神経、頭、三拍子揃っていると言うと、なんだか宇城人君が非の打ち所がない人間のように思えるかもしれない。


 だけどそれは誤解で、宇城人君は基本おっちょこちょいだ。忘れ物をしているのは日常茶飯事で、さらに方向音痴らしいし、おまけに、この前のテストではケアレスミスで十点ほど落としてしまったらしい。


 そんなわけで、宇城人君は基本、誰かにイジられている。今も、ほら。


「宇城人さー、筆箱の忘れ率高すぎでしょ」


 今日は筆箱を忘れて来ちゃったみたいだ。宇城人君、塾があった次の日は高確率で忘れてるんだよね。そっちの鞄に入れっぱなしにしてしまうらしくて。


 さすがに忘れすぎてみんなに迷惑がかかるから、学校にもう一つ筆箱を持ってくるって前にみんなの前で言っていたけれど、もしかしたらそれすら忘れてるのかも。


「ごめんって」


 宇城人君は、ごめん、と毎日言っている。もう六月にもなってこのクラスで二ヶ月も過ごすと、通常運転過ぎて誰も気に留めない。けれどクラスの雰囲気がいつも和やかなのは、宇城人君のお陰だと思う。


 宇城人君はこんな性格だから、いつも周りの人に助けてもらっているけれど、宇城人君を嫌いな人は誰もいない。むしろ、男女問わず好かれていて、他のクラスの人達にも話しかけられているのをよく見かける。もうそろそろ、誰かが告白してもおかしくないと思うんだ。


 と、かく言う私も、宇城人君に恋をしているうちの一人。


 心の中では、宇城人君、なんて呼んでいるけれど本人の前では絶対に言えない。席が隣だった先月は気軽に話せたけれど、今は無理。今月の席替えの時、また宇城人君の近くになれるように必死に願ったのに、叶わなかった。私は廊下側の一番後ろの席で、宇城人君は窓側の一番前の席。こんなことあるのっていうくらい離れてしまった。それで話しかけにいけるほど、私はそんなに活発な方じゃない。


 今だって、教室の端の自分の席から、クラスの中心で友達に謝っている宇城人君をただ見ていることだけしかできないんだ。


 宇城人君から視線を外し、そのまま教室の外の景色を眺めると私の虚しさに同調するように空は黒い雲に覆われてだんだんと暗くなっていた。


「雨、降ってきたね。」


 教室の誰かが誰かに話しかけた言葉が、私の耳にも聞こえてきた。今にも雨が降り出しそうだった空から、案の定雨が降ってきた。


「おい、宇城人ー。」

「いや、俺じゃないって。まじで。」


 どうして降り出した雨を見てみんなが一斉に宇城人君を見たのか。それは、彼にはさらにもう一つ最大の難点があるから。


 …彼は究極の雨男なのだ。


 自分で自分の事を雨女、もしくは雨男だと思っている人は沢山いると思う。けれど、宇城人君は別格だ。彼が楽しみにしていることがある日には、必ず雨が降る。そう、必ず。思えば、私達の入学式の日も雨、ゴールデンウィークにクラスのみんなで遊んだ日なんか大雨で大変だった。


 体力測定の五十メートル走なんて何回も延期になった。自分のせいで雨を降らせて、またみんなに迷惑をかけるのが憂鬱だと思った四回目の授業の日にやっと晴れになったくらいだ。私は延期になる度に嬉しかったのだけどね。


「宇城人って、絶対、雨期人だよな。」


 ってみんなに陰で言われているのは本人には秘密。六月になり、梅雨入りをした今の時期は、宇城人君の気持ちに関係なく雨が降るのだけれど、毎日からかわれて、全部宇城人君のせいにされてしまっている。それはみんなが意地悪なんじゃなくて、宇城人君がみんなに好かれている証拠でもある。


 だから、私はそこも含めて宇城人君が好きなの。





 あれは、先月のある日の休み時間のことだった。お気に入りのシリーズの本を読んでいた私に、宇城人君が声をかけてくれた。


「あ、山森さんもしかしてその本好きなの?」


 私は、宇城人君の声に緊張してゆっくりと顔を上げた。髪型や今の自分の表情を気にしながら。


「うん。」

「俺も!前から読んでるの見てそうなのかなって。」


 前から、って言ってくれるのはちょっと嬉しいな。宇城人君が興味があるのは私じゃなくて、手に持っている本だったとしても。


 私は、基本ブックカバーをつけない。好きな本なら尚更、だって、みんなに宣伝もできるから。何の本を読んでいるかを他人に知られるのが嫌だっていう気持ちが私にはあまりわからない。そして、そのお陰で宇城人君に話しかけてもらえたから、次からも絶対カバーはつけないようにしよう、と意気込むのだった。


「あ、しかもそれ、新作だよね!いいなー。俺、今月お金無いんだよね…。」


 私が読んでいた本はこのシリーズの新刊で、今月の頭に発売されたばかりのものだった。宇城人君は、私を羨ましがりながらそれはもう残念そうに言った。


「貸そうか?」


 もうすぐ読み終わるし、目を輝かせている宇城人君を見たらそう言わずにはいられない。それに、少しでも宇城人君の役に立ちたくて。


「本当に!なんか、それ狙って声かけたみたいになっちゃったな。」

「ううん。そんなことないよ。あともうちょっとだから、読み終わったら渡すね。」

「ありがとう。」


 私は少しばかり急ぎ足でその本を読み終え、放課後には渡すことができた。実はその本の内容は、ずっと楽しみにしていた新刊にも関わらず、宇城人君の事を考えるドキドキで、あまり頭に入ってこなかったのだった。




 しかし、それから一ヶ月が経つ今、その本は返ってきていない。たぶん忘れているんだと思うし、宇城人君だから怒ってもいないんだけど。それに、まだ繋がりがあるって思えるから返してほしいようなそうでないような…。



 時々本のことを思い出しては悶々とする日々を過ごしていた。そんなとき、一度もラインをしたことがなかった宇城人君から、ある水曜日の夜にメッセージが届いた。どうやらクラスのグループラインから、私を友達に追加したようだった。


「山森さん、ごめん」

「本、返してないよね?」


 言葉と一緒に送られてくる、お辞儀して謝っているスタンプ。あ、やっと気づいたんだ。


「うん、全然大丈夫だよ」


 本を返すのが遅いだとか、今更気づいたんだとか、やっぱり忘れてたんだとか、そういうのはどうでもよくて、ただ、宇城人君の方からわざわざラインをしてきてくれたのが嬉しかった。私が返信すると、既読はすぐについた。


「返したいんだけどさ、学校に持っていくの忘れそうだし持って行っても渡すの忘れるからさ」

「週末、会えるかな?その時に持っていくから」


 週末、という二文字で心が踊る。学校以外で宇城人君と会えるんだよね。宇城人君の私服姿が見られるし、私の為に時間を使ってくれるってことだよね。


「いいよ!」

「あのそれで、できたら、なんだけど本の感想語り合いたいなって-」


 せっかく会えるなら、会ってすぐに別れたくなくて、思いきって提案してみる。迷惑、かな。送信を押すのに躊躇ったが、勢いでタップした。既読がついて、宇城人君からの返信を待つほんの数秒がとても長く感じて、緊張している。


「したい、したい!」


 優しい宇城人君は快く受け入れてくれた。嫌がられてはいないのかな。感想を言い合う相手が欲しいだけなのかな。


 それから、正確な日時と会う場所を決めてトークを終了した。宇城人君に会えるのは今週の土曜日。宇城人君がどんな気持ちなのかはわからないけれど、あと三日が待ちきれなかった。


 できれば、土曜日は雨が降っていて欲しいな。









 そんな私の気持ちとは裏腹に、来る土曜日は雲量五、天気は晴れだった。梅雨入りしてから雨ばかりで、今週はずっと天気が悪かったのに今日は晴れていた。


 宇城人君は私と会っていた間中、いつも教室で見せているような元気さがなかった。待ち合わせ場所の近くの公園で感想を言い合っているときも、このシリーズが好きだと言う割に、熱くなる私とは対照的に話に熱がこもっていなかった。私の言葉に無理して笑ってくれている感じがして、楽しみだった気持ちがだんだんと萎んでいった。


 もし宇城人君が今日をほんの少しでも楽しみにしていてくれたのなら、雨じゃないなんてあり得ない。それに、今日だけ晴れなんて尚更。


 好きな人と会える日が晴れなんて普通なら嬉しいはずなのに、お願いだから雨が降っていて欲しかった。どんな小雨でも良かったのにな。天気をみて彼の気持ちを察した私は、感想を言い始めて早々に切り上げて帰った。


 きっと、宇城人君は優しい人だから、私が感想を言い合いたいという誘いを断らなかったんだ。乗り気じゃなくて嫌々来られる方が心へのダメージが大きいのに。


 三日間、あんなに浮かれていた自分が本当にバカみたいだ。別れる時に、


「また、学校で。」


 とは言ったけれど、案の定学校で話すチャンスなんてない。チャンスどころか、私はクラスの中心にいる彼を見るだけでいっぱいいっぱい。


 宇城人君と何の繋がりも無くなってしまった私には、また傍観者になるだけの毎日が訪れた。








 そして、宇城人君と会った日から丁度一週間が経った。今週の土曜日は先週とは違い、雨だった。今日は確か宇城人君がクラスの女の子と遊ぶ日。


 二人きりではないらしいのだけど、どうして今日は雨なんだろう。どうして、でもないかな。女子トイレで宇城人君と遊ぶという事を自慢げに話していたあの子は、どうみてもクラスで一番モテている女の子。


 その子は、名前からして可愛い美乃里ちゃん。ゆるふわなセミロングの黒髪に、目もぱっちりした二重。その子が宇城人君と話をしているのをよく見かける。


 美乃里ちゃんいわく、「ダブルデート」らしい。遊ぶのは男女二人ずつで、残りの二人は両片想いの二人。そんな人といたら、二人だけにさせてくっつけちゃおうという雰囲気になるに決まってるよ。でもそうすれば、宇城人君達も必然的に二人きりになる。


 クラスで一番可愛い女の子と二人きりになれるシチュエーションは、男の子からして満更でもないと思う。宇城人君だってきっと。


 結局、雨は朝からしとしとと、止むことなく降り続けている。否が応でも先週と天気を比較してしまう。それは、つまり宇城人君の気持ちを比較することで。雨音を気にしてしまって、再来週の期末テストの勉強が全く捗らない。


 そして、私はそのダブルデートが成功しているのかということを知らない。美乃里ちゃん達とあまり話さない私には、何の情報も入ってこない。この話自体が女子トイレでたまたま聞いただけ。ましてや、宇城人君に聞くのは絶対に無理だ。こんな気分になるのなら、あの休み時間にトイレになんて行かなければよかった。


 今日雨が降っているのは、単に梅雨だから?そう思いたいけど違うよね、うん。今頃、宇城人君は美乃里ちゃんと二人でいるのかな。何の情報も入ってこなくても、宇城人君が楽しんでいることだけはわかってしまう。


 前から嫌いだった雨が、尚のこといまいましく思えてくる。宇城人君のおかげで、暗い空も、重く響く雨音も、少しは好きになれそうだったのに。そんなわけないのに、晴れないかなと窓の外を見てしまう私。次から次へと落ちてくる雫を見ては、その度にため息がこぼれた。









 日曜日。昨日の暗い気分を追い払うために、午後から図書館に出かけた。家の最寄り駅から三駅分離れた、大きな駅の近くに位置する図書館。高校生になってからはなにかと忙しくて、ここに来るのは久しぶりだ。


 落ち込んでいるのを隠すように、忘れてしまえるように、一冊、また一冊と手に取り、夢中で読み進める。今日くらいは、勉強のことも忘れてしまおう。私は、ただひたすらに本を読み耽っていた。








 私がここに来てどれくらい経っただろう。不意に、声をかけられた。


「…あれ、山森さん?」


 私は完全に集中モードに入っていて、普段なら周りの音が耳に入ってこないような状況でも、その時は声をかけられたことに気がついた。


 なぜってそれは、宇城人君の声だったから。周りの人に迷惑をかけないようにと、とても小さな声だったけれど、その声は私の耳にスッと入って、きちんと鼓膜を震わせた。


「前川君。」


 嬉しくて声が大きくなりそうなのを必死に抑えて、右側に立つ宇城人君を見上げた。勢い余って下の名前で呼ばなかったのは、自分を褒めたいと思う。


「邪魔してごめん。隣、いいかな。」

「う、うん。」


 宇城人君は私の返事を聞いて、隣の椅子に座った。先週のことで気まずいのと、昨日はどうだったのか知りたいけど知りたくないのと、今日はたまたま会えて嬉しいのと、でも緊張してるのと。私の気持ちはぐちゃぐちゃだった。


「前川君、本、好きなの?」

「うん。」

「そうなんだ。」


 せっかく宇城人君が隣にいるのに、このまま本の続きを読むのはもったいない気がして、私から声をかけた。ただ、人と話すのがそんなに得意じゃない私は、この先が続けられない。そして、相手が宇城人君だったら尚更、何を言っていいのか分からなくなる。


 私のせいで、私達の間に一瞬の沈黙が訪れた。するとすぐに、話を広げられなかった私に向かって、宇城人君が話し出してくれた。


「先週さ、俺風邪ひいてたんだけどうつってない?山森さんにうつしたくなくて、実は行くの躊躇ってたんだ。」

「全然、大丈夫、だよ。」


 宇城人君の言葉に驚く。あの日元気がなかったのって、もしかして風邪のせい?雨が降らなかったのも、私を嫌いなんじゃなくて、調子が悪いのに無理矢理外に出たから?だったらいいな。私のことを気遣ってくれたってことは、少なくとも嫌われてはいないってことだよね。自分に都合の良いように解釈し過ぎているのかもしれないけれど、そういうことにしておこう。


「良かった。」


 宇城人君が呟いて、そしてまた沈黙が訪れた。けれど、今度はその沈黙が気にならなかった。私はこの空気感を壊したくなくて、そして、宇城人君もそう思ったみたいだった。どちらかともなく本を開いて、ゆっくりと読み始めた。


 それからは宇城人君と一言も言葉を交わさなかった。ひそひそ声で話すのもドキドキしたけれど、ただ一緒に本を読むだけでも心地よい。


 宇城人君の隣の席で黙々と文字を目で追って、私は時たま宇城人君を盗み見る。宇城人君はやっぱり、どの角度から見ても格好いい。どんな本を読むのかな、とか、誰の本が好きなのかな、とか。宇城人君を観察するのだけでも楽しかった。





 時間はあっという間に流れて、帰らないといけない時間がやって来た。宇城人君は集中していて、なんとなく声をかけづらかった。だから、気づかれないようにそっと荷物をまとめていたのに、


「山森さん、もしかして帰る?」


 と、宇城人君は気づいてしまった。隣に座っているから、やっぱり気づかれない方が無理だったかな。


「うん。」

「あ、じゃあ俺も。」


 え。そのまま別れの言葉を交わして、別々に帰るものだとばかり思っていたのに。


 宇城人君は読んでいた本とプラス数冊を貸出しカウンターに持って行って貸し出し手続きを終えると、帰る用意をし始めた。状況がきちんと呑み込めず、待っていてもいいのかわからなかった私は、その場で立ったまま宇城人君を見つめていた。


「ごめん、お待たせ。」

「うん。」


 宇城人君の言葉を聞いて、少し安心した。待っていても良かったんだ。


 二人で図書館から出ると、外は大粒の雨が降っていた。今日の降水確率は三十パーセントだったから、傘を持って来ていなかった。今日の天気予報は大外れだった。


 隣を見ると、宇城人君は鞄から折り畳み傘を取り出すところだった。こういう時に傘を持ってないのって、用意が悪い子だと思われるかな。


「ごめん、私、傘持ってなくて。」


 おずおずと言い出す私の方を見て、何故か宇城人君はふっと優しく笑った。


「今日、降水確率低かったからね。持ってないのが普通だと思う。俺、雨男じゃん?だから常に傘を持つようにしてるんだよね。」

「そうなんだ。」

「じゃあ地下を通って駅まで行こうか。」

「え、うん、ありがとう。」


 私のために、わざわざ遠回りしてくれるんだ。確かに図書館と駅は屋内で繋がっているけれど、地上から直線で歩いた方が断然近いのに。うん、宇城人君はいつも優しい。そしてその優しさに触れる度に、私の好きの気持ちが大きくなってゆく。


「雨、俺のせいだと思う。ごめん。」

「そうなの?」


 これは再び建物の中に入って、歩いている途中の会話。図書館のなかじゃないから、ひそひそ話をする必要はない。


「うん。だって、さ。」

「?」


 そう言って私の方をチラ見して、何も言わず、前を向いて歩きだした。結局、宇城人君は言葉を濁したままだった。


 何だろう。本読むの、楽しみにしてたのかな?図書館に行くのにウキウキしている宇城人君を想像すると、笑えてくる。脈絡もなくいきなり笑いだしたら変な子だと思われてしまうから、心の中だけでクスッと笑っておいた。


「あ!」


 私が密かに笑っているとき、宇城人君がおもむろに声を出した。何かを思い出したみたいだ。


「どうしたの?」

「カードにお金入れるの忘れてた。…それで、…今日財布持ってきてないんだよね。」


 どうやら、帰りの分の電車代が無いらしい。お金すら忘れるって宇城人君っぽいな。私がいなかったら、どうしてたんだろう。


「貸すよ。」

「ごめん、いろいろと。」

「ううん。大丈夫。」


 今日何回目の「ごめん」なんだろう。宇城人君にまた貸しができたら、教室で見ているだけじゃなくなるし。また接点が持てるってことだから、私はむしろ嬉しい。


「そういえば、昨日何してた?」


 こっちは何も気にしていないのに申し訳無さそうにする宇城人君を見て、なんだか可哀想に思えて話題を変えてみた。あくまで世間話のように、それとなく昨日の事を聞いてみる。


「昨日?昨日は四人で遊ぶ予定だったんだけど、美乃里に持ちかけて二人でドタキャンしたんだ。そしたら、あの両片想いくっつくかなって。だから、一日家でいたかな。」


 嘘、昨日は一日家で居たんだ。美乃里ちゃんと二人でいたんじゃないんだ。自分の心が一気に軽くなるのがわかった。


「そしたら、あの二人付き合い始めたんだって。」


 そう嬉しそうに話す宇城人君の顔を、しっかりと澄み切った気持ちで聞くことができた。


「山森さんは?」

「私も、ずっと家で居たよ。」

「そっか。あ、昨日の雨は俺じゃないよ。」

「うん。」


 雨が降るのは、全部宇城人君のせいじゃないってわかってるよ。


 …昨日はあれほど宇城人君のせいにしていたくせにね。


「あ。」


 そうこうしているうちに、改札の前まで着いてしまった。宇城人君と過ごしているとどんな時間でもすぐに過ぎて行ってしまう。ああ、楽しい時間はもう終わりだ。


「はい。」


 鞄から財布を取り出して、宇城人君に五駅分のお金を渡した。


「う…、前川君、今度は返すの忘れないでね。」


 ダメ。宇城人君って、嬉しいからって調子に乗って呼んじゃダメだ。私には図々しい。また悲しくなるのは嫌だから、お金を返すことは本当はずっとずっと忘れていてくれていいと思ってる。でも、いつかもっと仲良くなって、宇城人君って呼べる日が来たらいいな。


「…山森さん。前貸してくれた本の次の新作が出たら、一緒に本屋まで買いに行かない?発売日に、さ。お礼、させてよ。」

「えっ。」

「あ、俺二冊買って山森さんにあげるし、その場で読んで、今度はきちんと感想言い合いたいから、だから。ちゃんと体調にも気をつけるからさ。」


 突然の宇城人君の提案に、私は驚きを隠せないけれど、戸惑いながらも大きく頷いた。これでまた、「次」ができた。


「迷惑かけたし、お礼、どうしてもしたいんだ。」

「わざわざありがとう。」


 あくまで、お礼だよ、お礼。それなのに、私は何を浮かれ上がってるの。私は美乃里ちゃん達みたいに可愛くないし、話すのも得意じゃないし、呼び捨てで呼んでもらえるような間柄じゃない。


 けれど、宇城人君の誘いを聞いてどうしても顔がにやにやしそうになるのを抑えられなくなって、


「じゃあ、バイバイ。」


 と、宇城人君に背中を向けて、改札をくぐった。宇城人君とは改札口が違うから、ここでお別れだ。


「山森さん!」


 ホームの方へ曲がろうとしたとき、宇城人君に呼び止められた。脈拍数がまた上がるのを感じながら、私はゆっくりと振り返った。


「次は、絶対傘持ってきてね。降水確率百パーセントだから!」


 大きな声を出したことで少し恥ずかしそうにしながらも、爽やかに笑う宇城人君は、いつにも増して格好よく見えた。


「うん。」


 私は、そんな宇城人君にただただみとれて、宇城人君の言葉の意味をあまり深くは考えないで返事をした。ただ、数ヵ月後が楽しみで仕方がなかった。


 宇城人君がそう言うのなら、本当に雨が降るんだろう。それは、新刊を読めるのが嬉しいからなのか、それとも…、なんてね。なんにせよ、宇城人君はどの天気予報よりも一番正確だから。


 それに、たとえそう言われていなくても、次は絶対に傘を忘れないと思う。だって、私が宇城人君と見たいのは、雨上がりの綺麗な虹じゃなくて、いつまでも止みそうにないどしゃ降りの雨だから-。

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