第8話 年末
彼女が越してきてから初めての年末だ。
クリスマスイブの前の祝日、彼女は部屋に帰ってこなかった。事故や事件だったらと心配していたけれど、いつもテーブルの上に置いてあるメイク道具一式がなくなっていて、外泊の準備をして出かけたのだとわかった。
真っ暗で静かな部屋の中、僕はひとりだった。時折、外の道を陽気な声が通る。
恋人がいるなら部屋に呼べばいいのに。僕が見定めてあげるし、おかしなやつならこの黒いもやもやを頭に載せてやるのに。
僕が一晩かけてどんよりさせた部屋の空気は、帰宅した彼女が一掃した。うきうきと楽しそうに鼻歌まで歌う彼女のおかげで、前日以上に部屋は明るくなったのだった。
結局、彼女が誰とどう過ごしたのか僕にはわからないままだ。
今、彼女は旅行の荷造りをしている。何度か電話で母親と話している様子だったから、おそらく帰省だ。
年越しはまた僕ひとりだ。
戸締りを確認して、トランクを持った彼女を僕は玄関まで見送る。
『気をつけて。あと、できれば早く帰ってきて。部屋が暗くなってしまうから』
聞こえていない、伝わらないとわかっている。
『本当は行かないでほしい』
彼女に手を伸ばす。僕の指先には黒いもやもやが纏わりついている。
それが彼女の髪に触れる寸前、彼女はくるりと振り返った。
「それじゃ、後はよろしくね」
『え?』
「なんて、誰もいないけど」
ふわっと笑って、
「行ってきます」
パタンとドアが閉まる。
鍵がかかる音を僕は呆然と聞いていた。
それからずっと彼女の意図を考えるのに費やしたため、僕ひとりの部屋の状況はクリスマスほど悪くならなかった。
非双方向コミュニケーションの顛末 葉原あきよ @oakiyo
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