時代はIoTだが、IoTはよく見ると泣いている顔に見える話

 総一郎は首をかしげた。

 学校から帰宅して自室のエアコンをつけたのだが、まったく涼しくならないからである。


 自室のエアコンの吹き出し口に手をやった。やはり冷たい空気は出ていない。

 どうやら死亡したようだ。


(もう古いからな)


 ルームエアコンの設計上の標準使用期間は、たいていのメーカで十年とされている。それは総一郎の知識の中にあった。

 このエアコンはもう二十年物。寿命を迎えたとしても不思議ではない。


(壊れるタイミングは不幸中の幸い、か)


 三日後、隼人が勉強するためにこの部屋に来る予定である。

 今日は金曜日なので、土日が挟まる。

 近所の電器屋は即日での工事対応が可能であったはず。今日親に相談すれば間に合うだろう。


(さすがにエアコンがまったく効いていないと暑いな)


 暑さには割と強いほうと自覚している総一郎も、少し汗ばんできた。

 まだ梅雨明けではないが、今日は晴れていた。西日が当たる部屋はこんなものかということで、いま着たばかりのロングTシャツを脱ごうとした。


(……!)


 そこで、総一郎は非常にまずいことをひらめいてしまった。


 この部屋で勉強するとき、隼人はいつも学ランを上だけ脱いでいる。

 脱いだ中身は、初回はTシャツ一枚だけだったが、二回目からはTシャツの中にピチピチで薄いと思われるインナーを着ていた。


 Tシャツの中にインナーというのは、一昔前ではなかなかない発想。

 しかし、最近のアンケートで、夏場の男性ファッションで最も嫌われるものが『透け乳首』という結果が出ている。それを防止するために『Tシャツの中にインナー』派は着実に勢力を増してきているらしい。


(彼は月曜日もTシャツの中にインナーを着てくるだろう。そのときに……)


 エアコンが故障したままで、灼熱部屋となっていたら?


 ……彼は、ピチピチのインナー一枚になる可能性が高いのではないか?


 その姿はTシャツ姿とはまた違った趣があるだろう。

 見たくないといえば嘘になる。


(いや、何を考えてるんだ。普通にボツだ)


 彼は勉強しに来ている。

 自分はその勉強に付き合い、必要に応じて教えるために傍にいる。暑すぎては勉強にならない。


 そのような愚案をひらめく時点で話にならん。純粋に赤点回避および学力向上を目指す彼にも失礼――。

 総一郎は拳で自身の頭を一発叩くと、両親にエアコン故障の件を報告しにいった。




 * * *




 月曜日――。

 隼人を部屋に迎え入れ、円卓を囲んで恒例の二人勉強会が始まった。


 彼は下が学ランに上が白のTシャツ。予想どおりTシャツの中はインナーだ。

 ちなみに総一郎は帰宅後に着替え済みのため、グレーのパンツとネイビーのポロシャツという格好である。


 隼人が問題を解き始める。

 それを確認すると、総一郎はスマホをちゃぶ台の上に置いた。

 立ち上がっているのは、エアコン操作アプリ。


(時代はIoT。便利な世の中だ)


 IoT。Internet of Things。モノのインターネット。

 新しいエアコンは無線LANを搭載しており、流行りのIoTに対応していた。スマホアプリで細かい操作ができるのである。


(もう少し温度を下げたほうがいいかな?)


 今現在、総一郎には『普通』という体感温度である。暑くも寒くもない。快適だ。

 が、隼人は前に見た練習試合にて、かなり汗をかいているように見えた。

 彼は運動選手。代謝が普通の人間よりもよいのだろう。『暑がり』の可能性がある。


 総一郎はそう思ってボタンを押そうとする……


 と、そこで。

 また一つ、案が勝手に降りてきた。


 総一郎は暑さが苦手ではない。

 そして隼人は総一郎の予想では暑がり。

 それはつまり、総一郎は耐えられるが隼人は耐えられない、という黄金の温度帯が存在することになる。

 ジワジワ温度を上げていけば、確実にそのゴールデンゾーンに到達できるだろう。そうなれば彼はTシャツを脱いでインナー一枚に――。


(いや、駄目だぞ?)


 金曜日に浮かんだ愚案の類似ヴァージョンを、すぐに頭から消去した。

 絶対に温度を上げるなよ、と自分に言い聞かせてから、慎重に設定温度を下げるボタンを押した。


 しかし。


(ん。少し暑くなってきたな。どうなっている?)


 間違いなく設定温度は下げている。それで体感温度が上がってきているのは明らかにおかしい。

 総一郎は不思議に思いながらも、再度アプリのボタンを押し、さらに温度を下げてみた。


 ところが。


(――!?)


 なおも暑くなる。

 感じるエアコンからの風も、まったく涼しくない。

 総一郎も汗ばむレベルになってきた。


 総一郎は隼人のほうを見た。

 問題を解いている彼の顔には、粒の大きな汗。

 汗腺の鍛えられている運動選手は、成分が水に近くサラサラな汗をかくという。

 焦る気持ちとは裏腹に、その爽やかな輝きがとてもまばゆく感じた。


 彼がその汗を、いつのまにか首にかけていたスポーツタオルで拭う。

 先日見た、練習試合での彼の雄姿が頭に蘇る。

 なんと爽やかな――


 と思っている場合でない。

 総一郎は頭を現実世界に引き戻した。


 なぜか愚案を実行するかたちになってしまっている。

 どうにかしなければならない。

 さすがに彼も室温が不自然であるとは思っているはず。

 すでに「意図的ではないか」と不信感を抱いている可能性もある。一刻も早く打開しなければ信頼を失う。


「総一郎」


 焦りモードに再度切り替わったところで声をかけられたため、心臓が跳ねる。


「い、いや、隼人君。これは違うんだ。僕は――」

「あれ? あ、ほんとだ。この答え違うな。ありがと!」


(――!?)


 どうやら疑われてはいなかったようだが、事態は悪化する。

 隼人がTシャツを脱ぎ始めたのである。


「よっと」


 初めて見る黒のインナー一枚の姿。

 ピチピチゆえに露になった体のラインは、実に野球部のエースらしいものだった。

 締まった肩と二の腕。無駄な脂肪などなさそうだ。


 さらに。

 二人が円卓を挟んで真正面ではなく斜めに座っているため、なおのことよくわかる……程よく盛り上がり弾力のありそうな、胸。

 けしからんどころではない。


(こ、これは……眼福…………なんて思っている場合ではない)


 頭を現実世界に引き戻すと、置いていたスマホを持ち上げ、顔に近づける。

 興味よりも、ますます増した焦りが勝った。


(早く温度を下げなければ……あ、しまった、アプリを閉じてしまった……早くもう一度温度設定を……あっ、違う、カメラじゃない。ええと……あっ――)


 パシャ。


(○▼※△☆▲※◎★●――!!)


 手が震えてカメラのシャッターボタンを誤タッチしてしまった。

 しかもそのときスマホは真正面ではなく、無情にも彼の方向を向いていた。


 当然、彼は気づいた。


「ん? いま写真撮ったのか?」


 驚いたように総一郎のほうを向き、そう言った。


(あ、僕終わった……)


 手にしていたスマホが、ストンと落下した。

 続けてエアコン、カーテン、掛け時計、蛍光灯、すべてが落下した気がした。


 さすがにこれはリカバリー不可能。

 土下座? 謝罪会見? 謹慎? YouTuberに転向?

 一通り頭が混乱したのちに、総一郎の頭が髪ごと真っ白になっていく。


 しかし――。


 彼は驚いた顔をすぐに崩すと、シャーペンを円卓に置いた。


「お前だけズルいぞ! 俺も撮っていいか?」


 疑問形だが、隼人は総一郎の回答を待たず、満面の笑みでスマホを向けてくる。


「あ、手ぶらだとアレだから、コレ持ってくれ」

「え? あ、ああ」


 バッグから取り出し渡されたのは、一個の野球ボール。汚れを拭いた跡があった。


「もうちょっと笑ってもらってもいいかー?」


 展開に戸惑う総一郎だったが、なんとか笑顔を作る。


 パシャ。


「一回撮ってみたかったんだよなー。サンキュ! あ、二人一緒のやつも撮ろうぜ」

「え? え? ああ、僕は構わないが……」


 サッと総一郎の横に移動した隼人は、左腕を総一郎の首に回し。

 いつのまにか用意していた自撮り棒を前に伸ばした。


「ハイ笑ってー。ボール握って前に出して」


 パシャ。


 二人の笑顔がスマホに収まると、隼人は「ありがと!」と総一郎の肩を叩いて元の位置に戻っていった。

 そしてまた手元の問題を解き始めた。満足そうにニヤニヤしながら。


(これは……また彼に助けられたのだろうか?)


 総一郎は渡されたままの野球ボールを、しばらく両手で包んで転がしていた。




 * * *




(なんか今日は部屋がちょっと暑かったな?)


 総一郎宅から退出して道を歩きながら、隼人はそう振り返っていた。

 途中「総一郎、暑くないのか?」と言おうとしたが、ちょうどそのタイミングで問題の解答ミスを指摘され、そのまま言いそびれてしまった。


 隼人は汗っかきなほうではあるが、野球部の練習のおかげで暑さにも汗をかくのも慣れている。

 彼の部屋に汗を垂らすのはまずいので念のため一枚脱いだものの、我慢できないほどではなかった。

 逆に総一郎のほうは大丈夫だったのだろうか? と少し心配だった。


(ま、暑けりゃエアコンの温度下げるだろうし。そうしなかったってことは平気ってことか)


 彼はいつも涼しい顔をしている。自分と同じくあまり暑さを気にしないタイプなのかもしれない――そう思って、隼人はその問題を考えることを終わりにした。


 それよりも、である。


 さっき、貴重なものを入手した。

 それは汗で失った水分を補って余りあるものだった。

 思い出すと自然と顔が緩む。


 勉強している姿をいきなりパシャっと撮られたのには驚いた。

 が、それは写真を撮り返すまたとないチャンスのようにも思えた。

 チャンスは逃さず、たたみかけなければならない。野球と同じだ。


 隼人はスマホを上に掲げ、二枚の写真を表示させた。


「よっしゃー! 写真ゲット――っ!!」


 夜道に響く大声。

 すれ違う帰宅途中のサラリーマンが訝しげな視線を送ってくる中、隼人は駅へと向かった。






(『時代はIoTだが、IoTはよく見ると泣いている顔に見える話』 終)


 ※注 エアコンは初期不良でした。

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