スピンオフ
春ノ宣告ト縷々
――烏丸 麻貴という自分の名前、嫌いじゃないけれど。
季節は薄紅色の花をつけた木々が並ぶ。桜前線が迫りくる春。この地も桜が咲き乱れていた。四季は空気を読むことをしてくれない、地球がそこまでの配慮をしてくれるわけがない。ただの人間風情にそこまでの配慮をしていたら、この世の中の歯車は簡単に狂ってしまう。あたりまえだった。
二年ぶりに卒業していった大学院の敷地へ足を踏み入れる。恩師には前もって連絡を付けていた。簡単なメール文だったはずなのに「祝ってやるから会いに来てくれ」と、――そういう性格の先生だった。法科大学院の横田先生には一番お世話になっていたし、本来ならば、卒業したらそれまでであるはずなのに、最後まで面倒を見てくれた。そもそも、俺のようなちんちくりんが公務員になれるとは、天文学的な確率で数奇なお話だった。
学院内のカフェで待ち合わせをしていた。学生に混じって一人、上等なスリーピースのスーツが目に入る。老けた六十代の白髪交じりの先生は、すらりと背筋を正したままタブレット端末を操作していた。
「お久しぶりです、」
声を掛けてから相席をすると、先生は液晶画面から視線を上げた。俺の顔を見るなり、静かに微笑んでいた。
「おめでとう、本来はこんなとんとん拍子にいくものじゃないんだがね」
「どうしても、受からねばならないと思っていたので。それでも卒業してから二年もかかってしまいました」
「いやいや、十分若いさ。これからを期待しているよ、烏丸君」
驚くのも無理はないだろう。本当に司法試験にも国家公務員採用試験にも受かるなんて。昨年の八月に貰った内定通知の書類もいまだに信じられずにいた。それなのに、四月から正式に検事官として、働く事ができるなんて。
「先生には感謝していますよ、復讐以外の方法を教えてくれた事に」
「それは君が私に心を開いてくれからに過ぎない。私はあくまでも君に選択肢を与えただけだ」
選ぶことすらできなかった俺に、選ぶ方法を教えてくれた。無知ほど愚かなことは無い、抗う方法すらわからなかったから。熱の向け方を誤った結果が過去だったから。
「――ところで、例の彼女さんは見つかったのか?」
不意にアズサの話をする。実父よりも信用して、すべてを打ち明けていたから、当然の流れだったかもしれない。
「初めて興信事務所なんてところに行きましたよ。おかげさまで、数年ぶりの再会ができそうです」
「無粋な質問だったかね。逢瀬を邪魔する気はないが、」
「いえ。すべてを話しているのは先生だけです。いずれ紹介いたしましょう、きっとアズサも先生のことを悪く思わないでしょうから」
「いやはや、なんの根拠もないだろう」
先生はすこし怪訝そうに眉を顰めた。アズサの話をふったのは先生の方なのに、この手の話題で先生の事を含めると、困ったようなそぶりを見せるのだ。
「俺は自分がよく思わない人を紹介なんてしませんよ」
「彼女さんがよく思わないさ。私は君を学業で横取りしたような人間だぞ、積年の恨みつらみがあるやもしれん」
「まさか。先生はアズサの話になるとネガティブなんですね」
「――、人見知りなのでね。性分さ」
もっと早く出会っていたら、すべてが変わっていたかもしれない。なんて、捕らぬ狸の皮算用だった。
「俺は、俺達は〝生きた心地〟のために犠牲を払うしか能がなかった。いわば、選択肢というものが無かった、どこまでも子どもだったんです」
「それはしょうがないことだろう。大人たちはいつかの子どもであった事を忘れてしまっているだけで、誰しもが通ってきた道であろうから」
「そういう事を言ってくれる大人が、先生しかいなかった」
「さようか、」
「だから感謝しているんですよ」
「司法試験に受かったのも、国家公務員採用試験に受かったのも、全部実力だろう」
先生は緩やかに言い切った。けれど俺は先生の言葉に同意しかねた。
「いいえ。ちゃんちゃらオカシイ俺を大学院まですすめるように言ってくれなきゃ受かってませんよ」
「私にとって罪滅ぼしだったからね。烏丸君には期待して悪かった」
「先生?」
「まぁいいさ。過ぎたことなど、どうでもいいことだ」
朗らかに笑う顔へ俺も似たような笑みを返す。――ある種の宣戦布告を述べても、先生だったらきっと意味を取り違えないで聞いてくれるだろうか。
「清く、全うで、真面目に、正義を貫くということが、俺にできるかはわかりません。それでも俺は、そうありたいと思って選択しました」
「現代の、あぁ、無情。と、それを言ってしまえば烏丸君に失礼か」
先生はアズサのソレと似たように、小説を引き合いに出した。外国の小説、悲惨な人々と言われてしまえば、確かに、俺もその手の人間かもしれない。
「死はひとりでに訪れる、それはさながら昼が去り、夜が来るように。当たり前ですよ、俺だって貪欲で矮小な一塊肉なので」
指先を組んでテーブルに手を置いた。なんて、ジャン・ヴァルジャンほど数奇な人生を歩むつもりは無い。アズサに預けた過去と、母親のスキャンダルは墓まで持って行く覚悟があった。
「まぁなんだ、清算のしかたは人それぞれだ。悔いのないように生きろ」
「そうしますよ。もちろん」
強気で返事をすると、先生は「私もかつての〝最低〟だった。だから、君や君の彼女さんの話を聞くと、思うところがあるんだよ」と身の上を語った。大学で先輩から聞いた噂、先生は〝
「世論がそれを許してはくれない、ならば許されるにはどうすればいいのかを身につければいい」
勝手な持論を述べた。先生は俺の言葉の意図を汲み取り、「公訴、提起されなければ罪ではない、というやつか」と訊ねる。
「それが俺の答えですから」
「さよう。ならば、幸せになりなさい」
先生はそれ以上を語らなかった。タブレット端末を小脇に抱えて立つ、俺も軽く会釈した。その後ろ姿は悠々と余裕があり、俺の発言を何一つ咎めることもない。無意識に求めていた父親という概念の像と重なるところがあった。
大学院の門を通り抜け、セブンスターに火を付ける。絶滅危惧の煙草も、はやり社会から疎まれる。いらないものになり果てる、すべての者に抵抗の狼煙を上げる兆しとなりたい。公共の利益は自分たちのようなタイプにも受け取る権利がある、そう思っていたいから。
待ち合わせを懐かしい場所にしたのが間違いだったかもしれない。路地裏に立つ彼女は、まるで幽霊みたいだった。藍黒色のセットアップコーデのワンピースと上着、古い傷を包帯で隠してはいたが、その手には鈍色の棒切れなんて持っていない。幻覚ではない彼女の姿を一瞥して、言いたかった言葉を口にした。
「なぁ、アズサ。俺はハッピーエンドが好きなんだ」
この意味、わかってくれるだろうか。
「開口一番にそれ? もっとほかに言う事があるんじゃないの」
ストレートの黒髪が春の風に靡いていた。ふわっと触れた、その毛先から香る。鉄パイプを捨てた彼女から、自分と同じ匂いがした。――それは微かな煙草の香り、同じ銘柄だった。
(終わり)
刹那的青春に鉄パイプを。 天霧朱雀 @44230000
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