第28話 夏の海にて

「暑い……」

 眩しさに耐えきれぬように目を細めながら、アルトはうめき声を洩らす。


 真夏へと向け、勢いを増して燃え盛る太陽が、紺碧の海と白い砂浜を照らし出していた。


 今、アルトとコーデリア、そしてカリナの三人は、リーフ公国でも最も南に近い場所に位置する、ベリス半島の砂浜に来ている。

 涼しい北の村育ちのアルトには、夏の海の暑さは思いのほかに堪えるものだった。


 アルトの故郷であるプレア村には、北の最果てにあるという氷の大地から、風とともに凍てつく冬がやってきていた。その影響か、夏でもあまり気温が上がらず、かつては避暑地として多くの人々が訪れたこともあった。


 一方、大陸の南では、水平線の彼方にある常夏の海から、海流に乗って熱気が運ばれてくるという。


 大陸の南に突き出した半島の東岸に位置するこの海岸は、アルトにとって全く未知の環境であった。

 南北に長く伸びた国土を持つとはいえ、一つの国の中でこれほどまでに気候が違うことに驚かされる。


 塩田の管理人は、今は所要によりここを離れているようだ。

 獣の襲撃により塩田の準備が中断されており、それに従事していた者たちは今は近くにある街で別の仕事に就いているらしい。


 カリナとコーデリアは着替えると言って、塩田管理のための小屋を借りていた。

 わざわざこんなところで着替える意味がよくわからなったが、アルトはカリナに言われるまま、浜辺で二人が出てくるのを待たされている。


「お待たせ~」

 カリナの声に振り向く。そこには、アルトが想像だにしていなかった光景があった。一瞬、裸かと思うほど、大量の肌色が一挙に視界に飛び込んで来る。


カリナがその身に纏うのは、胸と腰だけを最小限隠した、奇妙なほど露出度の高い真っ赤な衣装。


 拳士というだけあって、カリナの体は鍛えられ、引き締まっている。それでも、その胸や腰は、自分たち男とは明らかに異なる柔らかな丸みを帯びていた。


 それは、初めてアルトに、カリナのことを異性として意識させるほどに。


「な、な、な…………」

 アルトの顔が赤く火照り、言葉もうまく出てこない。もともと村では、同年代の女性はほとんどいなかった。親しかったのは少年同然だったカリナと、病弱でほとんど家を出ることのなかったシエラくらいのため、こういうことには慣れていないのだ。


「な……何なんだよ、その格好は!?」

 しどろもどろになりながら、やっとそんな言葉を絞り出す。


「何って、ああ、水着は初めて見るんだね」

「水着?」

「工房のモニカが作ってくれたんだ。どう? 似合う?」

 アルトに見せつけるかのように、カリナは彼の目の前でくるりと一回転してみせた。


「まるで下着みたいじゃないか。恥ずかしくないのかよ」

「いいの! これは海で遊ぶための服なんだから」

「遊ぶって……仕事に来たんだろう?」

「どうせ、小屋が襲われたのは夜なんだから、それまでは楽しみながら英気を養ってればいいのよ」

「まったく……」


「あ、あの~」

 呆れて、反論の言葉を探していたアルトの背後から、かなり控えめに声が掛けられる。その声にアルトの体は一瞬硬直した。


 コーデリアの声であることは言うまでもない。問題は、彼女がどんな格好をしているかだ。


 カリナがあの状態なのである。コーデリアも似たようなものだろうか。しかし、彼女の印象からしてこんなはしたない……といってはカリナに悪い気がしなくもないが……というか露出度の高い服は着ないだろう、という気もする。

 それでも、コーデリアのそんな姿も見てみたい、というのも正直否定しきれないところではある。


 一瞬のうちに、そんな複雑な思いがアルトの心中を駆け抜ける。そしてアルトは、おそるおそる彼女の振り返っていた。


 そして、アルトの目に飛び込んできたのは海と砂浜。

 もちろん、今現在浜辺にいるのだから、それらが見えるのは当然のことだろう。

 だが、コーデリアの姿を見たアルトの脳裏を、改めてその言葉がよぎっていた。


 日に焼けたカリナとは異なる、透き通るような白い肌。それを包むのは、いつもの法衣と似た青い布地だ。

 同じ人物が作ったためか、全体の印象はカリナのものと似ている。ただ、動きやすそうなカリナのものより、やや面積が広く、露出度は低くなっている。

 コーデリアの信仰する、海神のイメージカラーである青い水着が海で、白い肌が砂浜。

 動きだけでなく思考までも止めて、しばし呆然とコーデリアの姿を眺めたのち、アルトはようやく第一印象の正体に思い当たる。

 普段の法衣姿と清楚な印象からは想像できないが、その体は思いのほかに女性らしく、胸と腰は豊かな丸みを帯びている。以前から男っぽいと思っていたカリナにも、少しは女性らしさを感じたアルトだが、コーデリアから受ける印象はそれとはまるで比べ物にならない。


「あ、あの……アルトさん……あんまり見ないで下さい……」

「ああっ、ご、ごめんなさい」

 コーデリアの声を受け、アルトは慌てて彼女に背を向ける。目のやり場に困る、というのはまさにこのような状況のことを言うのだろうか。

 そこではたと思い出す。カリナに恥ずかしくないか、などと言ったのも、聞かれてしまったかもしれない。なんとか取り繕わなければ。


「えっと……あの、その……よくお似合いですよ」

 とはいえアルトの口から出るのは、やはりその程度の陳腐な言葉。同世代がいない村では、女性の扱いなど学びようもなかったのである。


「あ……はい、ありがとうございます」

 それでも、コーデリアからは照れたような礼の言葉が返ってくる。


「なんでそんなに、コーデリアさんばっかり見てるのよ。私の方は全然見てないのに」

 後ろからカリナが絡んできた。

「え? いや……カリナだってじろじろ見られたら怒るだろ?」

「そりゃあそう……かな? いや、そうでもない、かも……」

 だんだん、カリナが何を言っているかもよくわからなくなってきた。

「だいたい、昔はアルトと一緒にお風呂に入ったことだってあったのに!」

 しばらくぶつぶつ言っていたカリナだが、急に思い出したかのようにアルトに向かって叫びだす。

「ちょ、待て……! 何年前の話だよ、それは!? それに今、風呂なんて関係ないだろ!?」

 二人のやり取りを見て、コーデリアは口に手をやり、くすくすと笑った。

「仲がいいんですね、二人とも」


 その後も色々とやり取りがあった末、アルトも海で遊べる格好に着替えさせられていた。といっても、上半身は裸、下半身は短いズボンという格好である。

 これは、故郷では川遊びの服装であり、川魚を捕る時の格好でもあった。


「ふぅーん、へぇー……」

「な、なんだよ!?」

 カリナがアルトの周りを歩き回りながら、値踏みするようにその体を見回している。

 上半身裸の自分の体をじろじろと観察され、アルトは上ずった声をあげた。


「意外と、鍛えてるのねえ……」

 しみじみとしたカリナの呟きに、何と答えてよいのか返事に迷うアルトであった。


    ◆


 どこまでも透き通っていて、それでいて空よりも青に満ちた世界。そんな青い世界を、アルトは飛ぶように泳ぐ。


 言葉にすれば同じ青になってしまう。しかし、単調なグラデーションの空とは異なり、海の青は様々な色を含んでいた。

 それはまるで、アルトが見慣れた森の緑が単色ではないのと同じように。

 太陽の光だけでなく、時には海底の姿に、時には生き物たちの暮らしに染められて、海はその色を変える。


 海底は海藻や珊瑚で覆われ、色とりどりの魚たちが舞い踊る。その姿はまるで、地上の森に棲む鳥たちのようだ。そして海面近くを泳ぐアルトは、さながらそれを上空から見下ろす鷹になった気分だった。


 ふと、そこに影が差し、何かがアルトにぶつかってくる。柔らかく、それでいてしなやかな襲撃者。カリナだ。


「ぶはっ!? な、何すんだよ、いきなり」

 慌てて海面に顔を出し、アルトはカリナに抗議する。


「何ひとりで遊んでるのよ」

「森を、いや、海を見てたんだよ」

「そんなの、一緒に見ればいいじゃない。一人で見たって、面白くないでしょ?」

 カリナは不満そうに頬を膨らませる。


「いや、獣たちが海から襲って来るって言うから、このあたり何か手掛かりがないかと思ったんだけど」

 それを聞いて、カリナの顔が軽く引きつった。


「ふ、ふぅん……そんなことまで考えてるんだ……意外……」

「意外って、何だよ……」

 そう呟くアルトの近くの海中を、白い影がよぎる。

 そして、白い影はアルトたちを追い越し、青い水着の女性が波間を割って彼らの前に浮上する。


「意外といえば、コーデリアさん……泳ぎが上手だよね」

「確かになあ……」

 アルトにとっても、それは予想外だった。戦いをはじめ、体を動かすことは得意ではないイメージだったから。


「これでも、海神の神官ですから」

「じゃあ、みんなで競争しよ! あの島まで」

「ちょっと待って。それだと俺が一番最後に……」

 アルトの言葉を最後まで聞かず、カリナが泳ぎ出す。コーデリアもそれに続き、慌ててアルトも後を追った。

 友と遊ぶ。それは、村に長い間同世代の者がいなかったアルトにとって、久しぶりに味わう感覚だった。

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変わる世界の傭兵たち 広瀬涼太 @r_hirose

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