ミルクレープ 下

「だからミルクレープって昔から好かれてたように見せて、実際は不遇な時を過ごした

ケーキなんですよ」


「なるほど‥

ミルクレープも意外と苦労してたのですね」


ですか?」


 素直に感心していた僕に

真剣な表情をした顔の彼女が詰め寄る。


「そんなにおかしい事を言いましたか?」


「考えてみてください。

もし、ミルクレープを食べたことがなくて

他に沢山のケーキがショーケースにある中

たまたまミルクレープがあったら買いますか?」


 誕生日・クリスマス・バレンタイン。

日本人は和菓子よりも洋菓子を食べる機会が多い国民だ。


 日本人がケーキ屋さんに訪れた時に買う

ケーキは何だろうか?

少なくともミルクレープのような薄い黄色の地味なケーキを選ぶ人は少ないのではないだろうか。


「う〜ん‥」


 赤いイチゴの乗った甘いショートケーキ

 黒く濃厚な甘さのチョコレートケーキ

 色鮮やかなフルーツがたっぷり乗った

フルーツタルト。


 見た目と味が違う数多くのケーキがある

中でミルクレープは選ばれるのか?

他のケーキに比べて貧相な外見では100人に

1人、いや500人に1人ぐらいに選ばれるのが現実的ではないか?


「確かにそうかもしれませんね‥」


「そうですよ」


 かなり悩みながら答えたのだが、

八尾さんはすでに答えを知っていたように

あっさりと結論づけた。


「でも、それは仕方のない事なんですよ」


 何かを諦めたように弱々しく呟く。

先ほどまで明るく無邪気な一面とは打って

変わって少したおやかな雰囲気を醸し出す。


「こんなに美味しくて、仕方ないで済ませられるものですか?」


「だって誰も知らないんですもん」


 そうバッサリと言い捨てた彼女は僕の残していたミルクレープの半分を躊躇なく奪い、あっという間に口へと納めた。


「このミルクレープが美味しい事を」


 悪びれもせずミルクレープを頬張った

八尾さんはモゴモゴと、美味しいっ!と声を出す。


 どうやら大人っぽい彼女はすぐにお亡くなりになられるようだ。


『だって誰も知らないんですもん』


 誰も知らないから‥か

軽く口角が下がるのを隠すように紅茶を

口へと運ぶ。


「いくら美味しくても、知られてなければ、それは無いのと同じなんですよ」


 極論とも取れる彼女の理論は鋭利なナイフのようで、有象無象の考えをスパッと斬り落とせるほどの切れ味がある。


「現実は残酷ですね」


「だからミルクレープは運があったといえるんじゃないんですか。」


 八尾さんはチラリとこちらのミルクレープを見ながら言った。

おそらくまだ食べ足りないのだろう。

物欲しそうな顔をしてる彼女から皿を少し

遠ざけておく。


「運、ですか」


「成功するには運だけじゃダメですけどね、

それでも運は必要です。

美味しかったミルクレープが大企業の人を

唸らせた美味しさも理由の1つですけど、

極論を言ってしまえば。新しくて美味しい

ケーキを探していたらミルクレープが見つかった」


 それだけのことです。

子供のように見えた彼女は、どこかドライというのか、経験か生き方なのか分からないが

割り切る所は完全に割り切り、これ以上は

言及も思考も無駄だと決めつけているようだ。


 子供のように見える八尾さんの冷淡な姿。

まるで隠された秘密そのもののように彼女の姿は何にも映らない。


「もしかしたら他に新しくて美味しいケーキがあったらミルクレープは昔に姿を消していたかもしれません。

逆に言えば、昔には日の目を浴びずに消えていったケーキがあるかもしれません」


「なるほど、ケーキが小さい子に甘い幸せを

届けるためには子供には見せられない戦いが繰り広げられてるのですね」


 少し笑みを交えた言葉に八尾さんは

うんうんと頷き、残った紅茶を一息で飲み干し、


「甘いだけじゃ生き残れないってことですよ」


 とイタズラっぽく笑う。


「大人は損ですね、

こんなに美味しいケーキを無邪気に食べる事が出来ないのだから」


 僕の皮肉のような憐れみに似た言葉は

誰に聞かせるようなトーンではなかったが、

彼女の小さな耳に届いていたようだ。


「ケーキを美味しく食べるのは子供の時が

1番美味しいという事ですね。」


 しみじみと落ち着いた声で呟く八尾さんは誰よりもケーキを美味しく食べていると思う。


「でも、大人にならないと夜中に

ミルクレープと紅茶を楽しめませんよ」


「なるほど、確かにこれは大人の特権ですね!」


 子供の頃に比べると嫌なことも面倒臭い

ことも何倍にも増えた。反対に楽しい事は

増えているのかはよく分からない。


「大人の特権か‥

 確かにそうですね」


 諦めることばかりが上手くなった、

誰かを羨み、自分を蔑む事が習慣になり、

言い訳ばかりを重ねてきた。


「でも‥」



【大人になるってどういう事ですか?】



 心の声が、こぼれるようにスルリと世の中に滑り落ちた。

仕事に疲れた20代半ばの男の愚痴。

上司に聞かれたら間違いなく生意気を言ってんじゃねぇ!と一喝されるだろう。


 責任を取れるようになったら大人

 冷静な判断を取れたら大人

 きちんと謝れたら大人


 何かの雑誌で、条件づけられた大人の定義は理解はできるけど納得はできなかった。


「大人になるですか‥」


 深く頭を抱えた彼女はロダンの作品のようにうつむいた。


 そして勢いよく顔を上げ、晴れた表情で

こう答えた。


「自分が大人になったと思ったら、

大人になるんじゃないですか?」


「自分が思ったらですか‥?」


 そうです。と笑顔を浮かべる彼女は言葉を続ける。


「子供の頃に思い描いた自分が大人になった姿は、みんなバラバラなはずです」


 子供の頃の夢は同じ道でも違う。

みんな違った夢を持ち、ウインドウショッピングのように夢を選び、気に入らなければ

飽きたおもちゃを見るように以前の夢を捨てる。


「そこに共通点があるとしたら、

自分にとって大人は魅力的で理想の人物って事じゃないですか?」


 魅力的で理想か、間違いではないのだが‥


「なんだか大人になるって曖昧なんですね」


「だから大人になるって事は、

自分が明確に大人になったと言い切れる自信を感じれないと駄目なんですよ」



「なるほど、確かに言えてますね。

でも、その考えでは僕はしばらくは大人になれそうにないですね」


 自信なんて大人になる前に捨ててきた。

いや、の間違いだ。


「焦らなくていいんじゃないですか?」


「焦りますよ、周りを見るとみんな大人に見えます」


「案外とみんな大人じゃないですよ。

上司が理不尽に怒るとか上司が大人な人だったらそんな事しないと思いません?」


 たっ‥確かに!


 雷が落ちたような衝撃の後、その通りだと言わんばかりに何度も力強くうなづいていた。


「だから自信なんて仕事をまじめにしてたら

そのうち勝手についてくるんですよ。」


 でも自信が付きすぎるとお兄さんも理不尽な上司になるので注意を、と八尾さんは笑いかける。


 彼女の考えだと大人は自分が考えているよりよっぽど子供っぽい。


 『大和は固く考えすぎ。もう少し柔らかくというか、もっと楽しんで生きなよ』


 そう言った前の自分の彼女は自分には勿体ない女だと思っていたが、改めて惜しいことをしたと思う。


 「気楽にで、良いのか‥」


 ぼそりと呟く言葉は以前の自分では発しない言葉だったのだが、その言葉は僕を


 答えのような休息地のような、落とし所を

見つけた僕は目を閉じた。


 そして、少し時間をおいて八尾さんを見つめて用意していた言葉を告げる。


「ありがとうございました。

話を聞いてもらって少しスッキリしました、

ケーキも美味しかったです」


「また、cura sunのケーキを食べに来てくださいね」


 そう言った彼女は屈託のない笑顔で僕を

見送った。



 家に帰った後、僕は紅茶を飲んだはずなのに不思議と寝つき良く夢の世界へと入れた。


 今思えばあれは夢だったのかもしれない。

あれからケーキ屋さんは姿を消し、深夜に

あの道を通っても面影すら無かった。


 店だったはずの閉まりきったシャッターは

もう開くことはないような悲しい面持ちだ。


 でも、開かなくても大丈夫だろう。

 もう僕は大人なのだから。


 今日は早めに仕事を切り上げ、自宅で

自分の考えた企画を見直そう。


 帰りの途中でミルクレープと紅茶を買って



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ケーキ屋の帳は、まだ落ちない @tanajun

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