第2話夢食みジャック
逃げ出していく男の背中を見ながら、
「やり過ぎたかな」
白髪まじりの短い髪の頭をかきながら社長は言った。
ははっと社長の田宮は乾いた笑顔を浮かべた。その顔には後悔の念は一ミリグラムもない。
「社長……」
じっとタクヤは信頼する男の顔を見た。
「飯でも食いにいくか」
薄いタクヤの背中をポンポンと叩きながら、田宮は言った。
田宮はタクヤの過去をなんとなくではあるが、知っている。
だが、それについては何も言わない。
言いたくないことは言わなくていい。
それが彼の主義であった。
ただ、このように本当に困っているときには今みたいに体をはって助ける。
田宮はそういう男であった。
定食屋で生姜焼きを食べているタクヤに社長の田宮は彼の顔を見ながら、
「最近、顔色悪いな」
と聞いた。
「ちょっと寝れなくて……」
「どうした」
「よく、覚えてないんですけど、なんか変な夢をみてるみたいなんです」
「覚えてない変な夢か……」
焼き肉定食の肉をほおばりながら、田宮は言った。口のなかにものをいれながらなので、やや聞きとりにくかった。
「そういや、うちのが言ってたな。悪い夢を見たときのおまじないがあるってよ」
「なんなんですそれ」
タクヤはその言葉を冗談として受け取った。軽口をよくはさやむのが田宮の良くも悪くもくせであった。
その日の夕方から夜にかけてかなり忙しくなった。バイヤーが工場にとんできて、土下座するのではないかというほど頭をさげた。
「頭をあげなさいな」
その様子を見ながら、困った顔で田宮は頭をかいていた。
今回の出店は百貨店側からしても目玉のひとつであった。
一部では幻とも言われるタミヤ硝子の製品が出品されるのだ。
契約の撤回は大きな損失であった。
事態を知ったバイヤーは重役のもとに直談判し、首覚悟で重役の息子をどなりつけた。
何故、自分がこのような目にあっているのか。
それが理解できない。
甘やかされて育ったもの特有の暗い目でバイヤーをその青年は見た。
この後、このことが原因で重役は失脚するのだが、それはタクヤらには関係のない話であった。
「あんたがそこまで言うなら、まあ、いいでしょう」
田宮はそう言い、契約は取り消されることはなかった。
そして夜。
眠りについたはずのタクヤはどうしてかわからないが、夕方の教室にいた。
暮れなずむ夕陽がまぶしい。
教室には誰もいない。
遠くでカラスの鳴き声だけが聞こえる。
ひとり、彼は椅子に座っていた。
足にいいようのない違和感がした。
スースーと涼しい。
腰から股のあたりをさわった。
スカートをはいていた。
黒いスカート。
股をさわるとあるはずのものがなかった。
ないはずの物があった。
恐る恐る胸元に手をあてると慣れない柔らかさがあった。
何度かその膨らみを揉みしだいているといいようのない感覚が脳を襲い、思わずうっという微かな声をもらしてしまった。
女になっている。
服はセーラー服だった。
タクヤの高校の制服はセーラーではなかった。なぜ、このような服を着ているのか、こんな体になっているのか。理解の外であった。
ガラガラと教室のドアが開けられた。
ひとりの男が入ってきた。
瞳孔のひらききった目でタクヤを見ている。
ぎざぎざの牙のような歯をむき出しにして笑っていた。
学生時代にタクヤをいじめぬいたあの男に似ていたがどうも様子がおかしい。
まるで人間味がない。
どこか作り物めいている。
ゆっくりゆっくりと男は近づいてくる。
椅子から滑り落ち、タクヤは床に座りこんだ。
その様子を下品な目で男はみていた。
その目を見た瞬間、タクヤの体から完全に力が失われていく。
その男の目が金色に変わった。
黄金ではなく金メッキのような安っぽい色だ。
四つん這いになり、ううっと低いうめき声をあげた。
男の体が変化していく。
筋肉が増大し、黒い針金のような毛が全身をおおう。
耳がとがり、鼻も黒くなる。
顔は猫科の動物のそれであった。
愛らしさはドブ川にでも捨てたのだろう、凶悪な表情だった。
錆びた鎌のような爪が生え、長く太い尻尾を揺らしていた。
口からチロチロと赤い舌が見えた。
それは蛇のように先端が二つに別れていた。
男はおぞましい化け猫へと変化した。
「おまえを犯して犯して犯しつくしてやる」
くぐもった聞きとりにくい声で化け猫は言った。
「おまえは俺のものだ。さ、さ、逆らうことは、ゆ、許さない」
その声は人のそれではなかった。動物が無理やり話している、そんな印象を受けた。
黒猫の濁った金色の目にはいったいどのような魔力があるのだろうか。
タクヤは逃げ出したくても逃げ出せない。
体がいうことをきかない。
心臓のあたりがなぜだか、ちくちくと痛んだ。
ゆっくりと黒猫はタクヤの胸元に爪をかけた。
びりびりと引き裂く。
形のよい、ふっくらとした胸があらわになった。
自分の体がどうしてこうなったか、タクヤには理解できなかった。
ただ、無力な女性にされ、化け物におかされそうになっているという現実だけは理解できた。
どうにかして、逃れようとするが、ほんの少し、体を後退できただけだった。
耐え難い臭い息を吐きながら、黒猫は薄汚い舌で乳房をなめた。
脳に軽い電気のようなものが走り、いいようのない快楽がタクヤの体を走り抜ける。
「そ、そ、そういうふうに、し、したのだ」
人間の言葉を発するのは、かなり苦しいようだ。
これほどの屈辱はあるだろうか。
手も足もでずに、怪物にいいようにされ、その行為に快楽まで感じさせられている。
その時、タクヤはは社長の言葉を思い出した。
ダメ元で彼は言う。
「夢食みさん、夢食みさん、夢食みさん。お願いします。悪い夢を食べてください」
涙まじりのその声に、
「やあ、呼んだかい」
酒やけした、女の声が答えた。
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