夢食みジャック
白鷺雨月
第1話望まない再会
出されたインスタントコーヒーは飛び抜けて美味しいものではなかったが、タクヤはそれが嫌いではなかった。
一口、二口とすすると、取引先の百貨店のバイヤーが室内に入り、挨拶した。
「いやぁ、お待たせして申し訳ない、タミヤ硝子さん」
少し後退した額に浮かぶ汗をハンカチでぬぐいながら、男は言った。
タミヤ硝子というのは、タクヤが勤める小さな硝子加工工場の名前であった。
日本の職人展という催事を百貨店が企画することになり、タクヤの勤める工場も出店することになった。
「そんな事ないですよ」
にこりと笑い、タクヤは答えた。
お前は俺とは違い顔と愛想がいいからな、こういう交渉ごとはまかせたよ。
そう言い、豪快に笑う社長の顔が頭をよぎった。
硝子づくりにしか興味のない社長である。
腕もセンスも天才といっても過言ではない人物であったが、交渉や商談といった才能は皆無であったため、二十歳を少しすぎたばかりのタクヤがやるはめになっていた。
タミヤ硝子は社長とタクヤの二人だけの小さな会社である。
タクヤもたまに硝子製品をつくるのだか、まだまだだな、といつも笑われていた。
豪快で気のいい社長であったが、頑固なところもあり、今回の出店もバイヤーの粘り勝ちのようなところがあった。
タクヤの勤める工場もわたりに船だった。社長の性格が災いしてか、経営状況はあまりよくなかったからである。
一通り、バイヤーと詰めの話をした後、タクヤは会議室を後にした。
「それでは、よろしくお願いします」
そう言い、バイヤーは頭をさげた。自分よりも年上の人間に頭を下げられるのは仕事とはいえ、気分の良いものではなかった。
「いえ、こちらこそ、お願いします」
タクヤはそう答えた。
百貨店の廊下を歩いていると、かなり強引に肩をつかまれた。
振り向くとそこには見覚えのある顔があった。
見るのは数年ぶりであった。
その顔には嫌な思い出しかない。
思い出したくもない記憶。
「タクヤじゃないか、おまえ、こんなところで何してるんだ」
下品な笑みを浮かべながら男は言った。
その笑みを見た瞬間、タクヤは蛇ににらまれたカエルのような気分になった。
背中に汗がにじみ、喉がひどくかわく。
まるで砂漠にほうりだされたような渇きを覚えた。
高校時代にタクヤはひどいいじめにあっていた。
いや、それはいじめなどという平がなで表現するようなものではなかった。
犯罪といって良いだろう。
靴や教科書をかくされるのは日常茶飯事であった。それぐらいなら、まだましであった。
女性のようにやさしげな顔だちをしていた彼は、女物の制服を着せられたこともある。
繰り返される暴力に暴行。
耐えきれなくなった彼は高校を中退した。
自殺を考えたこともある。
そのときの主犯が目の前の男である。
高級なスーツを着て、にやにやとタクヤの秀麗な顔をながめていた。
その目はどこか肉食獣に似ていた。
「おまえ、こんなところで何をしてるんだ」
かすれた声で男は言った。
「し、仕事だよ」
吐き出すようになんとか、答えた。
どうにか、この場を去りたい。
だが、それができない。
刻まれた、忘れていた恐怖が甦り、体を重くする。
舌なめずりし、ジロジロと男はタクヤを眺めている。
「俺は知ってるんだ。おまえの会社、うちの百貨店に出店するだろう。俺の親父はここの重役なんだ。経営も厳しいってのも知ってるんだ。なあ、出店を取り消したくなかったら、わかってるよな」
そう言い、男はタクヤの男性にしては、細く白い首に手をかけた。
ざらざらとした手の感触はむかしとかわりなかった。
自分を殴り、辱しめを与えた手。
どうにかして、払いのけたいが、その力は自分にはない。
微かな涙が目のはしに浮かぶ。
くやしくて、くやしくて仕方がなかった。
「やるならやれよ。それなら、こっちから願い下げだ」
聞きなれた低い声。
太い腕が現れ、男の手を間接とは逆にねじあげた。
「しゃ、社長」
タクヤは言った。
その腕の持ち主はタミヤ硝子の社長である田宮志郎であった。
「痛い、痛い、痛い」
聞いたこともない情けない声で男は言った。
その声を聞いた瞬間、心のなかの呪縛という鎖がちぎれとぶ感覚をタクヤは感じた。
滑稽なほど、男は泣き叫んでいる。
安堵の目でタクヤは社長を見た。
「おい、おまえ、二度と俺たちの前にあらわれるな。今度姿を現したら、腕を引きちぎって、硝子を食わしてやるからな‼️‼️」
そう言い、男を床に投げ捨てた。
男はひっくり返り、床を転がるように逃げていった。
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