葉桜と豆鬼さん

月庭一花

「いっちゃんっ、運命っ。運命だと思うのっ」


 バンッ、と教室のドアを思いっきり引き開けて、隣のクラスの千歳が顔を覗かせると同時に、ダッシュでわたしに向かってきた。わんこみたいに。

 ……ったくもう、騒がしいったらないんだから。

 昨日は進級早々クラスが別々になったと散々喚き散らしておいて、一緒にお弁当を食べる相手もいない、と愚痴って落ち込んでいたくせに。気が変わるのが早いというか相変わらずの気分屋というか。

 わたしは呆れながら、興奮して抱きついてくる千歳を引き剥がして、いったいどうしたの、と訊ねた。

「ほら、あの、いっちゃんと同じ剣道部の、左宮君だよっ」

「……さみや? 光太郎のこと?」

 光太郎がどうかしたんだろうか。わたしは訝しく思って顔をしかめながら、千歳を見上げた。

「だからさ、うち、今年から左宮君と一緒のクラスじゃん? それでさ、それでさ、隣の席なわけじゃん? でね、今日ね」

「おーい、一花。部活行こうぜ」

 噂をすれば影がさす、とはよく言ったもの。

 教室のドアから顔を覗かせてわたしを呼んだのは、左宮光太郎その人だった。

 がごんっという音に何かと思って振り返ると、机の角に腰をしたたかに打ち付けたらしい千歳が、うずくまって、悶絶していた。

「……大丈夫?」

「じょぶくないっ」

 なにやってんだか。

「わたし、部活行くから。じゃあね」

「こっ、薄情者っ」

 涙目で上目遣いに見てくる千歳が可愛い。

 わたしはチビなのでいつも他人から見下ろされてばっかりだから、人を見下ろすのは存外気持ちがいいのである。

 馬鹿馬鹿しいので千歳を無視して教室を出ると、光太郎がわたしに顔を近づけ、

「なあ、すっげー音したけど、千歳ちゃんのあれ、大丈夫なんか?」

 と訊ねた。

「知らないわよ。それより顔近いっての。離れて」

「あ? なんでよ。俺と一花の仲じゃん」

「誤解されるようなこと言うんじゃねぇっ」

 わたしは光太郎の尻を思いっきり蹴っ飛ばした。でも、光太郎はわたしの蹴りなんかではビクともしないでへらへら笑っている。……くそ。

「つーか逆に訊きたいんだけどさ。あんた今日千歳となんかあった?」

 背の高い光太郎を見上げると首がつりそうになる。

 光太郎はじっとわたしを見て、少しのあいだ考えるそぶりをした。

「なんもねぇと思うけど。落っことした消しゴム拾ってやったくらい? あ、あと千歳ちゃん新学期になってから髪バッサリいったじゃん? そいで新しい髪型も似合ってるねって、……ぐぎゃっ」

 足を思いっきり踏みつけると、今度はさすがに効いたらしい。変な声をあげてのたうち回っていた。

「てめ、豆鬼っ、洒落になんねーぞっ。痛ぇじゃねぇかっ」

「ふん。いい気味だわ」

 わたしは侮蔑の視線をくれてから、足早に廊下をあとにした。こいつの場合、自覚がないから余計にタチが悪いのだ。

 イライラしたまま部室棟の更衣室で着替えていると、いっこ下のまどかが入ってくるなりわたしの顔を見て、うげ、と小さな声で言った。……いい度胸してるじゃないの。

「ちす、月庭先輩。また今日は一段と凶悪な顔してるっすね。なんかあったすか」

「……別に」

「別にってツラじゃねぇっすよ」

 たはは、と笑ってみせるまどかは、当然のごとくわたしよりも背が高い。胸も大きい。わたしは自分自身のぺったんこな体を見下ろして、本当にもう、なんなんだろうな、と思う。

「……今舌打ちしました? それよか明日の新入生向けの部活紹介すけど。生徒会のえーと、何て言いましたっけ、髪の毛くりんくりんの」

「織田さん?」

「あ、そうそう、織田先輩っす。タイムスケジュールもらってますんで。あとで確認しておいてくださいって」

「光太郎には?」

「副部長には部長からお願いしますってことで」

 まどかはにやりとしながらそう言った。わたしはわかったわ、と返して、袴に足を通した。前紐を締めようとして、ふと、まどかがじっとわたしを見ているのに気付いた。

「……なに?」

「いや、前から気になってたんすけど、その袴ってえらいちっちゃいっすよね。子供用とか、すか」

 わたしはにっこり笑って、

「今日の掛かり稽古の〝受け〟、わたしがいいって言うまでまどかにお願いするわね」

 と言ってやった。まどかはしまった、という表情を浮かべて、顔を青ざめさせていた。


 部活が終わって着替えて外に出ると、千歳が自転車置き場でわたしを待っていた。どうやら千歳の所属する料理研究部の方が先に終わったらしい。千歳はわたしが来るまで所在なさげに髪をいじっていて、いかにも退屈している風だったのに、こっちを見てパッと笑顔を浮かべる……から。

 わたしは胸が詰まって何も言えなくなってしまった。

「おー。いっちゃんお疲れー。手の匂い嗅がせて、手の匂い」

 わんこ属性そのものの千歳が、いつもみたいに駆け寄ってくる。

「ちゃんと洗ったわよ」

「えー。小手のあの匂い、うち好きなのに」

 千歳はわたしの手を取って、腰をかがめて顔を近づけ、くんくんと鼻を鳴らしている。

 夕闇が彼女の顔を覆い隠す。

 手のひらに汗が滲んでいるのを、千歳は気づいているだろうか。

 ちらり、とわたしを見て、

「臭くない」

「洗ったって言ってんでしょうがっ」

 わたしは思いっきり千歳にデコピンした。

「ぐぅ、めちゃくちゃ痛いっ。いっちゃんね、すぐに暴力振るうのやめたほうがいいよ。そんなんだから〝豆鬼〟って言われるんだからねっ?」

「……そのあだ名つけたのが小六んときのあんただって、まさか忘れたわけじゃないでしょうね」

「あれ? そだっけ?」

 てへへ、と笑っている顔だけ見たら、それこそ小学校の頃と何も変わらない。うちら仲いいからさ、大きくなったら絶対結婚しよっ、なんて馬鹿なことを言っていたあの頃と。

 もっとも、千歳はそんなこと、もう覚えてはいないのだろうが。

「それよりさ、部活前に言ってた光太郎がどうのって、あれ結局なんだったの?」

「あっ、そうだそうだ。そうでした。うちは今日ね、運命を感じたわけですよ」

 わたしはポケットの鍵を自転車に差し込みながら、へー、そーなんだーと気の無い返事をした。

「もう、ちゃんと聞いてよっ」

「聞いてるって。それで? 消しゴム拾ってもらったのと、新しい髪型似合ってるねって言われたのと、あとなんかあんの?」

「うっ……そんだけだけどさ」

 むーっと頬を膨らませる千歳が可愛い。わたしはちょっと背伸びして、彼女のボブの、ふわふわの髪を撫でた。

「惚れっぽいのは別にいいけどさ。あんたの運命ってそんな安いの? まー、光太郎がいい男だっていうのは、ちょっとわかるけど」

「でしょでしょ? いっちゃんもそう思うでしょ? うちも同クラになるまでよく知らんかったけどさ。背ぇ高いし、明るいし、ルックスいいし、それに今フリーみたいじゃん」

 そうでもないかもよ、とはさすがに言えない。それはわたしと光太郎だけの秘密だから。

「それでさ、今日部活でクッキー焼いてみたわけですわ。明日渡しちゃおうかなーって思ってさ」

 千歳はそう言って、鞄の中をゴソゴソと引っ掻き回し始めた。

「……何してんの?」

「えー? せっかくだからいっちゃんに味見してもらおうと思って。あ、あったあった」

 ラッピングされたビニールの袋に、形の不揃いなクッキーがぎゅぎゅっと詰められている。

 わたしはそれを一つ手にとって、口の中に放った。サクサクとした食感と、そして、……めちゃくちゃ塩辛い。

「これ、砂糖と塩間違えてる」

 なんで光太郎のために毒味なんかをさせられなきゃならんのだ、と思うと、なんだか泣けてくるのだった。


 自分の部屋。お風呂上がりにパジャマに着替えてベッドに横になり、天井を見つめる。体がまだ少し汗ばんでいる。

 よりにもよって、なんで光太郎なんだろう。

 ため息をつきながら、あの日のことを思い出す。部活以外で……というかあんな場所で光太郎と会ったのは、本当に偶然だった。今考えても神様のイタズラだったとしか思えない。

 わたしはそのセミナーに参加するために周到に計画を立て、いくつもの嘘を重ねた。学校をサボるための嘘や、バレたときにつくための嘘もそれこそ両手の指では数えきれないくらい考えた。そんな思いをしても、わたしはその催しに行きたかったのだ。ネズミが踊る遊園地で挙式を挙げたというタレントさんカップルが来るってだけでなく、わたしはわたしのことについて、知りたかったのだ。わたしが抱いているこの気持ちが、一体何なのか。

 地方の、それも平日の昼に行われるセミナーだから、きっと大丈夫。そう思って最後の最後で油断した。

 だって、そこには光太郎がいたのだ。

 光太郎もひどく驚いていて、そして理不尽なくらい怒っていた。激昂していたと言ってもいいかもしれない。多分自分のことについて学校でバラされるのではないかと不安だったのだろう。ちょっと考えればわたしがここにいることの意味がわかっただろうに。わたしはトイレの裏で胸倉を掴まれたまま、諭すように、光太郎に言ってあげた。


 わたし、あんたと一緒だから。


 と。

 以来、光太郎とわたしは秘密の同志になった。

 恋愛相談をしたりされたりしているうちに自然と下の名前で呼び合うようになった。

 わたしが剣道部の部長になって、あいつが副部長になって、だから部員の中にはわたしたちが付き合っていると考えている不埒者もいるみたいだけど、わたしたちの絆はそんなもんじゃない。もっとドロドロしていて、ぐちゃぐちゃで、自分一人では抱えきれないから、だから同志になったのだ。


 自分が普通なんだって思い込むために。


 ふと見るとスマホが震えている。着信を確認したら光太郎からだった。

「どうしたの?」

 わたしが耳にスマホを押し当てて訊ねると、

「あー、いや。なんつーか柄にもなくちょっと反省したっていうか」

 バツの悪そうな光太郎の声が返ってきた。

「千歳ちゃんのこと。……そんな気はなかったんだけどさ。一花の気持ちも考えないで悪かったかなって。つい、こーなんての、俺口が軽いっていうか調子いいっていうかさ」

「知ってる」

 知ってるよ、そんなこと。

 わたしは苦笑した。雰囲気でそれが光太郎にも伝わったみたいだった。

「そっちは? 最近どうなの? 色恋の方は」

「全然。やっぱむずい」

「好きって伝えたり、光太郎はできる感じ?」

「……それができりゃ苦労しねって」

 そうだよね、と呟くと光太郎の苦笑いが返ってきた。

「で、さ。ついでなんだけど、明日の新入生のやつ、あれの最終打ち合わせって昼休みの前半でいいんだっけ」

「うん。大丈夫」

「要件はそんだけ。じゃ」

「あ、待って」

 わたしはスマホを持ち替えた。

「……明日さ、千歳がクッキー焼いてくるかも知んないから。受け取ってやってよ」

「は? なんで?」

「なんでって」

「それって逆じゃねえのか?」

「え?」

「応えられないのに期待持たせるようなことしちゃ駄目だろ。可哀想じゃんか。だいたい俺の気持ちはどうなるわけよ?」

「……ごめん」

「てか、それでお前はいいの? 俺がお前だったらそんなの、納得できるとは思えねぇんだけど」

 通話が切れた。答えられなかった。わたしは沈黙したスマホを見つめた。起き上がって窓際に立ち、外を眺めた。

 桜の花が散り始めていた。


 次の日、昼休みの打ち合わせが終わってさてお昼ご飯にしよう、なんて思って教室に戻ってみると、わたしの席に千歳が待っていた。どんよりとしたオーラを身にまとって、わたしはダークサイドに落ちました、って顔をしている。

 朝一緒に登校したときにはものすごいハイテンションだったのに。はて、いったいなにがあったのだろう。

「……いっちゃん」

 千歳はわたしを見つめて、小さな声で言った。

「どうしたの。暗い顔して。お腹でも痛い?」

「ううん、違う。そんなんじゃない。えと、さ。話があるんだけど、……いい?」

「これから? わたしお昼ご飯まだなんだけど」

「すぐ、済むから」

 千歳にそう言われて、連れてこられたのは校舎の屋上だった。

 フェンスの向こうの校庭の桜はだいぶ散りかけていて、所々に緑色の葉っぱが覗いている。空は黄砂を含んで濁った色をしていた。

「で? なに?」

 わたしは千歳を見上げながら訊ねた。

「うん。……あのさ、正直に言って欲しいんだけどさ。いっちゃんて、もしかして……左宮君と付き合ってる?」

「んなわけないでしょうが」

 なにを言い出すかと思えば。わたしはあきれながらため息をついて、吐き捨てるようにそう言った。

「なんでそんなこと思ったわけ?」

「だって」

 千歳はもじもじとスカートのプリーツを弄りながら、

「今日新しくクッキー焼いてきたんだけど、左宮君に渡そうとしたら断られたんだよ。一花にも昨日断るってちゃんと言ったって。ねえ、なんでそこでいっちゃんの名前が出てくるんかな。変だよね。変だと思わない?」

 あの馬鹿、なんでそう詰めが甘いのよっ。

「いっちゃんが男の子を褒めるのも初めて聞いた気がするしさ、それに、なんで……うちの髪型褒めてくれたこと、いっちゃんが知ってたんかなぁ、って」

 ……わたしの馬鹿。わたしだって相当詰めが甘いじゃない。

「……別に、部活のときに聞いただけよ。千歳が運命運命って言うから。だから、光太郎に千歳となにがあったのって。それだけ。それに……」

 言い淀んでしまう、結局最後で言葉に詰まってしまう。なんて言ったらいいんだろう。どう言い訳したらいいんだろう。

 どうしたら……わたしの気持ちを知られずに済むんだろう。

「それだけ、って? それに、ってなに? ねえ、どうしていっちゃん黙っちゃうの? 付き合ってるんだったら、はっきりそう言ってくれたら、わたし応援したよ?」

 わたしは千歳を見上げた。わたしは今、どんな顔をしているのだろうか。

 ……陽の光に暗い影となって、千歳は今までわたしに見せたことのない表情を浮かべていた。

「……もういい。いっちゃんなんて大嫌いだ」

 目の端に千歳が走り去るのが見えた。

 わたしは動けなかった。

 一歩も動けずに、ただ、黄砂に吹かれていた。


「珍しいんじゃね? 一花がトチるの。しどろもどろになってんの見て、悪ぃけどちょっと笑っちまったぜ」

 光太郎がわたしの肩をバシバシ叩きながら、ゲラゲラ笑っている。

「なあ、まどかもそう思うだろ?」

「げっ。わたしっすか? や、まー。……そっすけど」

 まどかはわたしをチラチラと見ながら小声で言った。わたしがいる手前、何て答えていいかわからないんだろう。

「新入部員が一人も来なかったら一花のせいだかんなー」

「光太郎」

 わたしは下を向いたまま。彼の名前を呟いた。わたしの、たった一人の、同志の名前を。

「ありゃ、怒った? うそうそ。冗談、冗談だからさ」

「ちょっと付き合って」

「へ? え? あ、おい、ちょっと待て。馬鹿、着替えないと目立つっての、おいって」

 わたしは返事も聞かずに早足で立ち去った。剣道着のまま、袴をバサバサさせながら。

 ため息をついて、それでも光太郎が付いてきてくれているのは気配でわかった。

 校舎の裏。見上げると葉桜の梢。今年最後の桜が舞い落ちてきて、なんだか雨のようだ。

「なんだよ。こんなとこまで連れてきて。……一花?」

 わたしは鼻をすすって、手の甲で顔を何度も何度も拭った。

「泣いてんのか?」

「悪い?」

「いや、悪くねぇけどさ。……すまん、お前がミスったの、笑って悪かったよ」

「違うっ」

 わたしは光太郎の胸にすがりついて、小さく叫んだ。

「千歳に嫌いって言われた。いっちゃんなんて大嫌いだ、って。ねえ、どうしよう。千歳に嫌われちゃった。わたし、わたしどうしたらっ」

 大きな手がわたしの頭に触れた。

「……一花も相当難儀だなぁ」

 光太郎の道着にわたしの涙が染み込んでいった。光太郎が優しい仕草で、わたしの肩を抱いてくれた。

 そのとき。

 じゃりっと、音がした。

 光太郎と一緒に慌てて振り返る。

 そこにいたのは、

「……あ。えっと、いっちゃんなんか調子悪そうだったし、心配だったから。追っかけて、あの、うち一緒に」

「……千歳?」

「うち、……ごめんね、馬鹿みたいだね」

 千歳は手に持っていた小さな包みを投げ捨てると、くるりと背中を向けた。そしてそのまま走って行ってしまった。

 わたしは蛇に出会ってしまったハムスターみたいに、その場で固まっていた。

「おい、行けよっ」

 のろのろと光太郎を見上げる。

「行けっ。馬鹿野郎っ」

 背中をバシンと叩かれて、わたしは走り出した。千歳の捨てた包みを拾い上げて、そのまま走り続けた。どっち、どっちに行った? 辺りをキョロキョロして、そして、校舎の影に消えていくゆれるスカートが見えて、……千歳っ。

「待ってっ。お願い、待ってよ千歳っ。……ちぃちゃんっ」

 千歳の肩がビクッと震えた。

 ぐしゃぐしゃの泣き顔で、驚いた表情で、千歳が振り返った。わたしを見た。

 わたしも涙でぐちゃぐちゃになりながら、走り寄って、ぎゅっと千歳を抱きしめた。

「ちぃちゃん、ちぃちゃんっ」

「……いっちゃん?」

「誤解させてごめん。ごめんなさい。言えなかった。ずっと言えなくてごめんね」

「左宮君とのこと?」

「ううん、違う。違うわ。光太郎はわたしの相談に乗ってくれていただけ。わたしが……わたしが好きなのは」

 わたしは千歳を見上げた。

「わたしが本当に好きなのは、ちぃちゃんだよ」

 千歳は驚いた表情を浮かべて、そして、何も言わずにわたしを見ていた。

「ごめんなさい。気持ち悪いよね。イヤだよね。でも……ちゃんと気持ちを伝えられないまま、嫌われるのはイヤだと思って。だってずっと、……ずっと好きだったんだからっ」

「……それって、友達の好きじゃなくて、えと……チューしたい、の、好き?」

「うん」

「……ごめん」

 そう言われるのは薄々分かっていたけれど、それでもやっぱり胸が痛かった。目の前が暗くなって、新しい涙が頬を伝った。

「ごめんね、今まで気づかなかくて。でも、わたし……女の子同士の恋って、よく……わからんくて。嬉しいよ? 嬉しいんだけど……どうやって応えてあげたらいいんかなぁ。……いっちゃん?」

「今のままでいい。そばにいてくれるだけでいい。だからわたしを……嫌わないで」

 千歳がわたしの頭を撫でた。

「馬鹿ないっちゃんだねぇ。うちが本当にいっちゃんを嫌いになるわけないじゃん」

 千歳に抱きしめられて、むぎゅってされながら、わたしは目をつぶった。

「クッキー、拾ってきてくれたんだね。それ左宮君に渡しそびれたやつなんだけどさ。いっちゃん……うちと一緒に食べてくれる?」

「……うん」

 ありがとう、と呟くと、千歳が不思議そうな目でわたしを見た。そして、なんでありがとうなの? あとちぃちゃんって呼ばれるの久しぶりでめっちゃ焦った、って。笑ってた。

 葉桜の木陰で、二人でクッキーを分け合って食べた。

 クッキーの形はいびつで不揃いだったけど、それはサクサクしていて、とてもとても、

 甘かった。

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