第5話 トラウマの虎はまじで怖い その4

 コモリは夢を見ていた。


 それは遠い遠い昔のことのようにも、ついさっきのことのようにも感じる、馴染み深くも懐かしい夢だった。


 その日は高校の授業参観があった。


 コモリは背中に感じる視線に渋さを覚えた。ちらっと後ろに目をやると、すぐさま視線が合った。


目を爛々輝かせる女性は興奮ぎみに、手を小刻みに振った。それが自分へ向けられたものだと分かってコモリは、すぐに黒板へと顔を戻した。


 来るなって言ったのに……


 コモリは、はぁと小さくため息をついた。


 自分の子供の勇姿を見ようと集まった参加者の中に、誰よりもコモリに熱視線を向ける彼女は、コモリの姉 子守 深雪だ。誰もが2度見る美貌とは裏腹に、彼女には女性として大きな問題があった。弟を愛しすぎている。……重度のブラコンである。


 会社を早退してまで弟に会いに来る深雪に、コモリはいつも通りの鬱陶しさを覚えるはずだった。だが、今日は違った。針積めた緊張感が彼を支配していた。


 よりにもよって、なんで今日なんだ……!!


 ──コモリは『自主規制』を漏らしそうだった!!


 5時間目。チャイムが鳴ったのと同時に、そいつは訪れた。


 うねるような痛みが下腹部に走り、ぎゅるると苦しげな声が耳に届く。それに呼応し、自然と尻に力が入った。

 額から、つーっと冷たい汗が垂れた。


 やばい。漏れる。


 17年間、何度となく感じたこの緊張感に、頭はすぐに答えを出した。そして流れるように解決法方の模索し始める。


 どうする。どうする。どうする。


 ゴールはトイレに行くこと。そのためには何が必要だ? 先生にトイレに行くことを伝えることが必要だ。だがそんなことが可能なのか? 可能ではある。だが……だがだ、授業中に手をあげて、立ち上がって、クラスのみんなに注目された状態で、「先生、『自主規制』に行ってきます」なんて言えるか!? かつ今日は、よりにもよって参観日。子を見守る親の前でそんなこと言ったら、いい笑いものだ。ありふれた食卓に僕の恥というおかずが一品増えてしまう。最悪すぎる。だが、それ以上に最悪なのが姉がそれを見てしまった時だ。姉のことだ。僕が『自主規制』に行ってきますなんて言ったら、「たっちゃん、『自主規制』行きたいの? お姉ちゃんと一緒に行こうね!」とか言ってきそうだ。そんなことやられたら、僕の学校生活まで逝ってしまう。どうする。どうする。


「子守……」


 このまま我慢するか? それはリスキー過ぎるんじゃないか?


「子守」


 尻に力をいれ続ければ、可能性は……。


「子守っ!!」

「はいっ!!」

「お前の番だ。150ページ。3行目から。読め」


 先生はきっぱりとした口調でコモリに言った。どうやら気づかぬ間に、音読の順番がコモリまで回ってきたようだ。


 コモリは指定されたページを読み始める。


「ん? どうした。立って読まんか」


 座ったまま音読を始めるコモリに、先生は当然立つように指示をする。だが、コモリは立ち上がらない。否、立ち上がることが出来なかった。


『自主規制』が『自主規制』に『自主規制』しそうだったのだ。


 原因は驚いた拍子に出た大きな声。腹に力が入ったせいで、腸で蠢く『自主規制』が、外の世界に向けて、光に向けて前進したのだ。強固なる壁にヒビが走り、理解する。立ち上がったら終わる。漏らした後のビジョンが鮮明に浮かぶ。


「いやー。あのー。そのー」


 コモリの目は行く宛もなく走り回る。額からは汗が、先程と比べ物にならないほど垂れてくる。


「いい加減にせんと怒るぞ」


 先生の顔の雲行きが怪しくなる。声には黒い雲が覆い被さり、今にも雷が落ちそうだ。


 どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。


 コモリの目の前に2つの選択肢が浮かぶ。


 1 立ち上がって漏らす

 2 怒られて漏らす


 完全に詰んでいる……いや、まだだ!


 コモリの脳は人生最大の回転を見せる。誰にも見つけられなかった。見つかるはずかなかった第3の選択肢を。遅い来る絶望を跳ね返し、コモリが傷つかない。コモリが幸せになるための未来を模索する────


「たっくーん。がんばってー」

「うるさいな!!……あっ」


 目の前が黒く染まる。パンツも黒く染まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひきこもりの子守くんが異世界でもひきこもりもるのは当たり前!! @shiropen

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ