照明に溜まる虫の死骸

滝川創

照明に溜まる虫の死骸

 二○二号室の瀧沢さんは今月も家賃を払っていない。

 彼はすれ違うたびに気持ちの良いあいさつをしてくれるし、いい人ではあるのだがとても忘れっぽく、毎月のように家賃の延滞をしていた。

 私が最後に彼を見た時、彼は面白い生き物を見つけたとか言って興奮していた。

 彼の仕事は小説家で調子の良いときは一週間ほど家に引きこもって作品を書いていたし、調子が悪いときは外に出て新しい発見を求めていた。

 好奇心旺盛でいつも色々な事に挑戦していた。

 私はそんな彼を心から応援していた。


 あの日から私は彼の姿を一度も見かけていない。

 たぶん良いアイデアが浮かんで作品創作に励んでいるのだろう。

 だが、家賃はきちんと払ってもらわないと困る。

 私は二階までの階段を上る。息を吐くたびに、口から水蒸気がモクモクと出て、冬の寒さを倍増させる。

 外に立つ木々は、夏には鮮やかな緑の葉をつけていたが、今では疲れ切ったように茶色く染まった葉をぶら下げている。

 私は二○二号室の前に立つと、インターホンを押した。


 ピンポーン


 古いインターホンからかすれた音が廊下に流れる。



 出てくる気配がない。もう一度押す。


 ピンポーン


 今度はインターホンで瀧沢さんを呼んだ。


「大家です。家賃の支払日過ぎてますよー」


 出てこない。おかしい。

 いつもは、インターホンを押すとすぐに出てきて支払いをしてくれる。

 彼は疲れて眠ってしまう事もあるが、その時はインターホンで名前を呼んだら確実に出てきてくれた。

 何か用事でもあって留守にしているのだろう。

 そう思い、私は後日また訪ねることにした。


 それから三日間、私は毎日瀧沢さんの部屋を訪ねたが、一度も返事はなかった。

 私は、彼が病気か何かで倒れてしまっているのではないかと不安になってきたので合鍵で部屋に入ることにした。

 私は合鍵を鍵穴に差し込んだ。

 ガチャリと鍵が開く。


「失礼しまーす。大丈夫ですかー?」


 ドアは何かが引っかかっているようで、なかなか開かなかった。

 しょうがなく扉に体当たりして、やっと扉は開いた。


 部屋の中には誰もいなかった。


 部屋の中は真っ暗で、窓から入ってくる日の光さえも完璧に遮断されていた。

 私は懐中電灯を持ってきて、それで床を照らした。持ってきた懐中電灯は電池の寿命が残り少しで、チカチカ点滅していた。

 見えずらかったが、電池を取り替えるのが面倒くさかったので、そのままそれを使った。

 いつもは綺麗に整頓されている部屋の中がだいぶちらかっていた。ゴミ箱はひっくり返り、筆記用具も散乱している。


 私は中に入って様子を見た。

 まるで、誰かと取っ組み合いになったかのような荒れ方だった。

 机の上に置いてあるカレンダーには、終わった日付にばつ印が付けられている。今日は十一月二十五日だが、ばつ印は二十二日で終わっている。

 私は自分の足が、何かを踏んでいることに気付いた。

 足元を照らすとそこにはノートが落ちていた。

 表紙には瀧沢さんの独特な字で大きく「日記」と書かれている。私は気になってそれを持ち上げた。

 勝手に人の日記を読んではいけないと思いつつも、私は好奇心に負け、ついそれを開いて見入ってしまった。


        ***


 ーー日記ーー



 十一月十日


 今日から日記を書くことにする。

 最近は小説のネタが思いつかない。

 自分の生活を振り返ることで何か発見ができるかもしれない。

 そういう考えで日記を書くことにした

 早速、今日は面白い物を見つけた。

 アイデア探しのために山の中を歩いていて道端であるものを見つけた。

 それは生物のようで、いままで私はこれを図鑑でも見たことがない。

 なんとも言えないが、紫色と緑色が混ざったような色をしており、うねうねと波打つように動く。

 さらに棒で突くとキューッと鳴いた。

 一体これは何なのだろう。

 今、この生きものは虫かごに入れて作業机の上に飾ってある。

 今日は一応カブトムシ用のゼリーを入れておいた。

 この生物を観察しつつ、小説を書いていければと思う。


        ***


 どうやらこれは、十五日前に書き始めたようだ。私が最後に彼を見かけたのもこれくらいだったはずだ。

 私はページをめくった。


        ***


 十一月十一日


 今朝、目を覚ますと、あの生物は消えてしまっていた。どうやら逃げ出してしまったらしい。

 私は部屋中を探したが、どこにもアレの姿はなかった。

 せっかく、良いネタになりそうだったのに……。

 でも、この寂しさから愛犬を失ってしまった男の話が思いついた。

 なかなか面白い話ができそうな気がする。



 十一月十八日


 この一週間、ほとんど小説を書いていた。

 もう少しで、愛犬と男の話が完成しそうだ。

 今できているところまでのあらすじは次のような感じ。


 まず、主人公が家に帰ってくると家から犬の姿が無くなっている。

 主人公は必死になって犬を探すがどこにも見当たらない。

 主人公は警察に届け出を出し、町の中に愛犬の捜索ポスターを貼ってもらう。


 まだ、思いついたのはここまでだが、自分でも驚くようなアイデアが次々と湧いてきている。

 この作品が世に出れば大ヒットすると思う。

 題名が思いついていないのでどんなものにしようか迷っているところだ。

 そういえば、部屋の照明に最近虫が溜ってきて影を作っている。

 夏に虫たちが飛び込むのはわかるが、こんな十一月のど真ん中で外が寒くなってくる時期だというのに、日に日に虫の死骸が増えているのだ。

 異常発生だろうか。



 十一月十九日


 物語がクライマックスの直前でなかなか先が思いつかなくなってしまった。

 そのため、今日はずっと山の中を歩いていた。

 あの生物が他にいないか地面に落ちた葉っぱを裏返したり、木に空いた穴をのぞき込んだりしたが結局見つけることは出来なかった。

 夜寝る前に照明を見上げると、中にある虫の死骸はさらに増えていた。溜りすぎて中心が真っ黒になっている。

 今度、掃除をしないといけなさそうだ。



 十一月二十日


 物語のクライマックスが思いついた!

 主人公は愛犬と再開するという希望を捨てる。

 その後、迷子になったネコが主人公の家に入り込んでくる。

 自分の犬とそのネコが重なり、主人公はネコの飼い主の捜索を始める。

 今作ったのはそこまでだ。

 明日続きを作るのが楽しみでしょうがない。

 照明の死骸だが、何だか動いている気がする。いや、正直に言うと動いているようにしか見えない。なんだか気味が悪い。

 たぶん、疲れて幻覚を見ているのだろう。今日は早く寝ることにする。



 十一月二十一日


 寝坊してしまった。

 起きて、時計を見ると午後の二時になっていた。

 私は食パン一枚を口にほおばり、すぐに作業机に向かった。

 昨日から今日にかけて、二十時間ほど寝たことになるが、まだとても眠い。寝過ぎで眠いのかも知れないがとてつもなく眠い。

 眠すぎて頭が回らない。

 なんだか、部屋の中に不思議な色の粉が舞っている気がする。

 天井を見ると、照明と天井の隙間からあの生物と同じような色をした触手が伸びていた。

 余程疲れているようだ。

 今日も早く寝ることにする。



 十一月二十二日


 もう少しで、小説が完成する!

 何とか眠気の中でここまで思いついた。


 主人公は隣町でネコの捜索の張り紙を見つけた。

 その写真に出ているネコは主人公の家に迷い込んできたネコだったのだ。

 主人公はすぐにネコをその張り紙を掲示していた施設に届ける。

 施設に入って手続をしていると一人の女性が駆け寄ってくる。

 そのネコの飼い主だった。そして、その手には主人公の愛犬が抱えられていたのだ。

 女性の顔を見て主人公は衝撃を受ける。

 なんと、彼女は



 十一月二十三日


 昨日は、日記を書いている途中に寝てしまった。

 もう耐えられない。

 朝に起きて眠気覚ましのために家から出ようとして気づいたのだが、家の壁中に触手が伸びているのだ。

 玄関は触手で塞がれ、ドアが見えなくなっていた。

 助けを求めようとして、ケータイの電源をつけようとしたが充電が切れてしまっていた。

 充電をしようにも、コンセントが触手によって隠されている。

 家の固定電話を使おうと思ったが、受話器は触手の下敷きになって壊れていた。


 触手の大きさは小さな物から大きな物まで様々で太いものだと私の胴体よりも太い。

 天井を見ると照明は取れて無くなっており、代わりにラフレシアのような物が生えていた。

 そのラフレシアのようなものは内側に鋭い歯が生えており、いかの口のようにも見えた。

 私は定規で触手を突いてみた。

 一瞬にして、定規はドロドロに溶けた。

 ラフレシアの口から気持ちの悪い液体が落ちてきて湯気を立てたりもしている。

 この部屋は地獄のようだ。ここから出たい。

 触手がスクスクと成長しながら、部屋中を這いずり回っている。

 なんだか、エサを探して這いずり回る蛇のような動きだ。

 私はあの触手に捕まって、溶かされながら謎の生物の栄養分になる運命なのだろうか。


 触手が生えてきたときに、助けを呼べば良かった。

 いや、それ以前に照明の中が真っ黒になってきた段階でこれは虫じゃないのではと疑うべきだった。

 まずこんなもの拾ってこなければ良かった。

 私の頭は後悔で一杯だ。


 こんな所で死ぬのは嫌だ。


 私は今、触手で埋め尽くされたこの狭い部屋の中で日記を書くらいしかやることがない。

 家族に最後の言葉だけでも言わせて欲しい。

 誰にも知られずにこの部屋で死ぬなんて、耐えら



        ***



 そこで、日記は終わっており、次のページには血痕がついていた。

 日記を最後まで読み終わったところで、懐中電灯の電池が切れた。真っ暗で何も見えないので、ポケットからケータイを取り出して、画面の光をライトの代わりにする。

 なんとか薄暗い視界を取り戻したところで、自分が今対面している状況の恐ろしさに気づいた。

 私はこの日記に綴られた地獄のような部屋に足を踏み入れてしまっているのだ。

 自分の呼吸が乱れてきたのが聞こえる。

 そういえば、入ってきたときにはドアを開けっ放しにしておいたはずなのに、現在、玄関から光は入ってきていない。

 耳を澄ませるとズルズルと何かを引きずるような音がする。


 呼吸をするのが苦しい。全身に鳥肌が立っている。


 私の手汗で日記は濡れ、今にも破れそうになっていた。

 ライトに使っていたケータイが手から滑り落ち、床に落ちたケータイの光が天井へ向けられる。


 私はケータイから発せられた光を目で辿るようにして、天井を見上げた。

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照明に溜まる虫の死骸 滝川創 @rooman

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