後編 明日の鍵

 そりゃニュアンスも、言葉も違う。

 まぁ、お婆ちゃまが言った言葉をそのままに再現してみれば――

「あなた、それならこの娘と結婚してみなさい」

 まるで何でもないことのように、そう言った。

 わたしはひっくり返るくらい驚いたが、工藤さんはもっと驚いたみたいだ。

 それまでは弁護士さんらしい、落ち着いた口調で能弁に必要性を説明していたのに、一瞬で言葉を無くし、茫然としていた。

 お婆ちゃまに

「――どうしました。出来ませんか?」

 と問い掛けられ、チラリとわたしも驚いているのを確かめてから、猛然と反論したくらいだ。

 だけど歳を重ね、すっかり足腰が弱くなって車椅子のお世話になったとはいえ、お婆ちゃまも大企業に数えられる、うちの会社の創業者。幼子の駄々をあやすように、ことごとく反論は退けられる。

 最後は「考えさせてください」と、大きく息を吐いた工藤さんの姿が印象的だった。



「それで、あんたはウンッて言っちゃったの?」

 身を乗り出すように答えを待つ四人。わたしは工藤さんを真似て、大きく息を吐く。

「そんなわけないでしょ! 昨日、初めて会ったのよ」

 ……でも、お婆ちゃまを相手にしても冷静に落ち着いた口調で話す姿は、大人の男の人って感じでちょっとカッコいいなぁ、なんて思っていたのは内緒だ。

「――なら、ノープレブレム! 問題無しじゃない」

 簡単に言うノンの声に、わたしはガクッと肩を落とした。

 そうも行かないから、昨日は大変だったのだ。わたしにとっての強敵は、もっと身近にいた。

 当然、一緒に反対してくれるだろうと思っていたママが…………工藤さんを見送った時こそ開口一番、「お義母さま――!」なんて目を吊り上げていたが、渡された工藤さんの身上書を見ているうちに、「ちょっとお付き合いするだけなら……」と方向転換したのだ。

 そこには工藤さんの学歴の他に、高校と大学のときの成績表。

 これまで付き合ってきた女性

――――初めてお付き合いした女性は、高校三年生のときの同級生。本人はかなり本気だったらしいが、受験勉強で疎遠に。春には大学に受かって浮かれているはずが、食事もろくに食べられないほど落ち込んで―――などと。

 その他にも、普段の生活習慣とクセ、私室のようす――――最後に付き合っていた彼女から貰った縫いぐるみのクマが、まだ机の上にちょこんと座っている――――だのと、一緒に生活して居なければ知らないようなことまで、細々と書かれていた。

 よくよく考えてみれば、金田一探偵事務所の所長さんって工藤さんの伯父さん、お母さんのお兄さんだ。きっと情報源はお母さんに違いない。

「まだ学生なんだから、今すぐではないの。

 ちょっとお付き合いしてみて、お互いのことをよく知ってからお返事しても……ねぇっ?」

 なんて、ママのほうがすっかり乗り気になっていた。



「そりゃ、そうよ!」

 しぶしぶと話した愚痴が終わるや否や、マダムが声を張り上げた。

「弁護士って言ったら、医者と並ぶ人気職業なのよ。結婚相談所だって、男の弁護士と医者は入会金無料なんだから」

 わたしたち三人はキョトンッ!

「……よく知ってるわね」

 トモちゃんがボソリと呟けば、サラちゃんがクスリッと笑った。

「マダムは、いずれお世話になりそうだもんね……」

 その茶々に揃ってアハハ…と爆笑が広がれば、マダムがいきり立って足をドスンッと踏み鳴らす。

「あんたは笑ってる場合じゃないでしょ! お祖母ちゃんしだいで、本決まりじゃないっ」

 わたしは一瞬でシュンとしてうつむいた。

 そうだった…………さすがに同業他種の医者の娘。社長であるパパの上に、会長のお婆ちゃまがいる、うちの事情をよく知っている。



 衝撃発言でことの原因を作ったお婆ちゃまだが、実は工藤さんの真意を確かめただけで、そう本気でもなかったみたいだ。

 わたしの手を取り、積極的に説得しようとするママに苦笑しながら、「遥の好きにしていいよ」と笑ってくれた。

「あの弁護士さんなら、このくらいで諦めたりしないから――明日には、きっとウンと言ってきますよ」と。

 そしていつも膝の上に乗せているポーチから古い鍵束を取り出し、

「あなたは、自分で明日を見付けなさい」

 そう言って、わたしの手のひらの上に乗せた。



 一晩中うだうだと悩んで、ただ何となく持ってきてしまった鍵束。

 それをカバンから引っ張り出し、四人の目の前にかざした。

 大きいカギが一本と小さいカギが二本、丸い銀のリングに嵌っていた。まるで昔話に出てくる、宝箱のカギみたいだ。

「たぶん田舎の屋敷のだと思うんだ……」

 わたしの声に、「これが犬神家の鍵ね」と四人が見入る。

「これって、ハルカにも一緒に行けってことでしょ?」

「だって屋敷に入るのだから、誰かが一緒に行かないと。お婆ちゃまは足が不自由だし、パパとママはお仕事があるもの――」

 ふいに背後から肩に手を置かれた。

「これ持って一緒に行ったら、頭からパックリだよ」

 耳元に囁かれる声に「はぁ……?」と振り向けば、ノンが唾を飛ばして力説する。

「高校、大学と勉強ばっかしている奴なんて、オタッキーに決まってるじゃないっ! 季節ごとに深夜アニメをチェックして、空いてる時間は18禁のギャルゲー。セーラー服に、ブルマとスク水が大好物のオタク野郎よ」

 オタクはお前さんだ! なんて思ったら、トモちゃんまで……。

「机に縫いぐるみのクマを飾ってるなんて、きっと後ろの書棚は美少女フィギアでいっぱいね」

「うわーっ! きっと下から眺めて、スカートの中を覗いてるわよ。キモッ」

 サラちゃんが両手で自分の肩を抱く。

 わたしは大きなため息を吐きながら――

「そんな風に見えなかったわよ……」

 むしろ昨日見た工藤さんはパーカーにデニムというラフなスタイルがよく似合った、ちょっと気難しそうなスポーツマンみたいだった。

 するとマダムが苦笑しながらも、真面目な声で唸る。

「でも勉強ばっかりしている人って、三十歳になったらハゲそう」

 あんたまでもかいっ!

 もうため息しか出ないっ――なんて思っていたら、ノンのスマホがピロロンッと鳴った。

 ノンが満面な笑顔でスマホをかざす。

「――来たわよっ! これがロリリロリ変態ピッカリ君よ」

 画面を軽くタップして、四人がスマホを覗き込む。

 


 みんな、無言だった。

 そこには、昨日より少し幼さを残した工藤さんが写っていた。

 カメラを真っ直ぐに見詰めた真面目な顔は、きっと高校の卒業アルバムのものだろう。そして、もう一枚。友人とくだけた笑顔でポーズを取る工藤さんは、昨日とはちょっと印象が違う。親しみやすいっていうか、何と言うのか、わたしたちと同じなんだなぁ。

 ほっこりと思わず笑ってしまえば、躊躇いがちなマダムの声だった。

「あのさぁ、ハルカが嫌なら……わたしが変わってあげても……」

 そう言いながら、おずおずとカギに手を伸ばす。そのカギが横から引っ手繰られた。

「わたしが行ってあげるっ! ロリコンなら、わたしのほうがピッタリだもん」

 ノンが誇らしげにカギを持ち、にっこり笑う。

 そのカギが頭の上からヒョイッと横取りされた。

「ブルマだったら、わたしのほうが似合うもん。この鍛え上げられた足で悩殺よっ」

 トモちゃんが威張ってへへェーと笑えば、さっと手が伸びて横取りされる。

「だったら、ぼくのほうが足が長いもんねっ」

 サラちゃんが鼻を膨らませてニィーと笑った。

 その姿に、ガタッと音をさせて椅子が倒れた。前髪を垂らしたマダムがフラリと立ち、髪のあいだから三人を睨んでいる。

 ヤバい、マジ怒りだ。

 とばっちりを喰わぬよう、わたしはズザザザ…と椅子ごと退避。その瞬間、マダムの声が響いた。

「返しなさいっ! それはわたしの愛のカギよっ」

 だけど三人は引け腰になりながらも、果敢に言い返す。

「マダムが行っても初対面のマコちゃんじゃ、何も話せないでしょ!」

「マコちゃんだって、ずっと無言じゃ困るじゃない!」

「どうせ告白も出来ないクセにっ!」

 さしものマダムもこれにはゴクリっと息を飲む。それでも、口先でもごもご言い返した。

「愛に言葉なんて、必要ないのよ……」

 その声に、三人が同時に突っ込んだ。

「あんたの告白は、即ベッドインかいっ!」

 たじたじと腰を引きながら、マダムがキレた。

「いいから返しなさいっ!!」


 

 カギの奪い合いに、手から手と四人のあいだをカギが行き来する。わたしはそれをちょっと離れたとこからから、ただぼーと見てた。そして、ふと気が付いてしまった。

 古いカギのはずなのに、何だか光っている。

 それは布で磨いたというよりも、いまだに現役で使い続けられているカギみたいに手で擦られたようだった。

 ふと思い出してみれば、お婆ちゃまは困り事や重要な決断があると、幼いときだったらバックの中に、今は膝の上のポーチの中にいつも手を入れていた。

 きっとあのカギを握ってたんだ。



 そうわかった瞬間には、身体は勝手に動いていた。

 四人のあいだを彷徨っていたカギをさっと奪い返し、みんなに宣言する。

「わたしが自分で行くわっ!」

 事件の当事者だったお婆ちゃまのほうが、わたしなんかよりもっと酷いこと言われてきたに違いない。それでもお婆ちゃまはこのカギを握り締めて、前に進んで来た。

 わたしもきっと――

「このカギで、明日を見付けて来るっ!!」

 曇天だった曇り空からはいつの間にかに薄日が差して、わたしが掲げたカギを輝かせた。

 キメポーズで、カッコよく決まった! と思ったのだけど……ボソボソ話す四人の声だった。

「こりゃ、もう心のカギは貸し出してるわよ」

「身体のカギを貸し出すのも、すぐね」

「夏休みに初体験」

「ありがちなパターンね」

 あんたたちはさっきから――!!

 キッと眉を逆立て睨み付けると、四人がわらわらと逃げ出した。その背後を走って追う。

 わたしが全力で駆け抜けることになる夏休みは、もうすぐそこに迫っていた。


                     THE END

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

犬神家の鍵貸します (犬神 遥 明日の鍵) 穂乃華 総持 @honoka-souji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ