中編 悪口は聞こえない所で言って!

 幼稚舎からの付き合いの四人は、当然知っていることだから――。

「あの事件なんだけどさぁ……」

 わたしが単刀直入にズバリと切り出せば、四人はそれぞれに何とも言いようもない表情を作った。

 トモちゃんは「えっ!」と驚きに目を見開き、サラちゃんは「こりゃ、マズッた……」と眉を寄せ、ノンは焦ったようにあわあわと言葉を探している。

 マダムが動揺を隠すように、無表情を作ろうとしているのなんて見え見えだ。

 その四人の気の使いようが何だか嬉しいようで照れ臭くもあり、わたしはムスッと唇を突き出した。



 あの事件とは、わたしが生まれるずぅーと前、戦後すぐにわたしの家が田舎に所有する屋敷で起きた、連続殺人事件のことだ。

 当事者として事件の渦中に巻き込まれたお婆ちゃまは、事件のことを多く語ろうとはしない。わたしにはただ一言、「あなたのお爺さんは、誰よりも優しい人だったの」と、どこか遠い目をして懐かしそうに言っただけだ。

 両親はまるで無かったことのように、わたしの前では何も話さない。

 でも、当時は殊更センセーショナルに、上流家庭のスキャンダルとして新聞に書き立てられたそうだ。

 その事件をモチーフに、二十数年の時を経て一本の小説が書かれた。

 青い湖の水面から突き出す二本の足、白いゴムマスクの不気味な男のお話しと言えば、誰もがピンッと来るはずだ。

 この小説は発表されるや否やベストセラーとなり、映画化されて大ヒットした。その後、三回のドラマ化を経て、同監督、同主演俳優にてリメークされ、再び大ヒットする。

 わたしがちょうど幼稚舎に入学する年だった。



 何処にでも、迷惑な心ない人たちは居るものだ。

 さも訳知り顔でSNSに、憶測や推測を臆面もなく実名を上げて垂れ流す人。それを調べようともせず、疑うことなく鵜呑みにして拡散する人たち。

 そんな人たちのやっかみや反感は、やがて悪意ある中傷となって広がり、そこに居もしない怪物を創りあげる。

 それが大企業を作り上げた創業者だとわかれば、なおさらだった。しかし、大企業を作り上げた創業者が相手では、振り上げた拳を振り下ろすには分が悪い。その不満は、一番弱い家族へと向かった。

 苦労知らずで、我がままで、甘やかされた威張りん坊の嫌な子供、それがネット上で創られたわたしの姿だ。

 やがて小学部に進級して親の手から離れ、一人で登下校するようになったわたしは、間違った正義感を振り回すには丁度よい相手だった。

 まだ見上げなければならない大人たちに悪意を込めた眼差しを向けられ、ヒソヒソと噂話をされ、聞こえるように悪口を言われる。そんなことは、日常茶飯事だった。無理に手を取られ、誹謗中傷の限りを怒鳴り散らされたことだってあった。

 それを傍で観ていた、この四人はわたしが毎日のようにビービー泣いていたのを知っている。そして、何も知らない素振りをして、ただ明るく、いい子を演じるようになったことも。



「昨日、お婆ちゃまのところに若い弁護士さんが来て、あの事件を再調査したいって頼まれたの」

 ブスッと口先でもごもごと吐き出せは、四人は目をまん丸にして同時に質問を口にした。

「もう、とっくの昔じゃない?」

「どうして、今ごろ?」

「誰よ、そいつ?」

「あんたのお祖母ちゃんは、ウンって言ったの?」

 わたしは順番に顔を見回し、質問に応える。

 右を見てトモちゃんに、

「あの事件は状況証拠と関係者の証言だけで、科学的な調査がなされてないって」

 そして、左にいるサラちゃんに顔を向け、

「ある人の無実を証明する裁判に、必要なんだってさ」

 まだ提訴前だからと口止めされているので、ボケボケに簿かして言いえば、背後から抱き付くようにノンが顔を付き出し、わたしの顔を覗き込む。

 キスするんじゃないんだから、近いわよっ!

 その顔を押しやりながら、

「金田一 耕助さんのお孫さんで、工藤くどう まことさんって言うの。まだ弁護士になったばかりの24歳で――――そうだっ! 出身高校は隣の都立校だって」

 押しやられて顔をひしゃげながら、ノンが質問を重ねる。

「何で、そこまで知っているのよ?」

「お婆ちゃまには、前もって金田一探偵事務所から連絡が来てたの。工藤さんの身上書も持ってた……」

「そこのハーレム学校のマコトちゃんねっ!」

 共学と聞けば、すぐにハーレムだと考えるのは間違いだと、他校から入学した同級生には言われているけれど、わたしたちからしたら同じ教室に異性がいるだけでもハーレムだ。

 ノンは奥歯をギリッと噛み、素早く身を離してスマホをプッシュ、耳に当てる。

 きっと大学生のお兄さんに頼んで、工藤さんの写真を手に入れようとしているのだろう。

 コールすること2回。ノンはわたしたちには決して聞かせない、舌足らずの甘えた猫撫で声で話す。

「あ、お兄ちゃん。あのね、お願いがあるの。ちょっと調べ物なんだぁ…………」

 その顔がだんだんと冷たいものへと変わり、その目が吊り上がる。そりゃ、急にじゃ断られるのが当たり前よねぇ…………だけど、そんなことで諦めたりするわけない。

 他人の事情なんて、何処吹く風なの? それがノンだ。

「やだやだやだやだやだもんっ! 今じゃなきゃ、いやっ!

 もうお兄ちゃんと遊びに行ってあげないし、口も聞いてあげないっ!!」

 ノンの呼び名に相応しい、駄々っ子攻撃だ。背の高い、優しそうなお兄さんなのだが、シスコンなのが欠点。

 その愛する妹にBL漫画の主人公にされ、好き勝手に使われているのも知らないで……。

 やがてすぐにスマホを切ると、ノンは鼻息も荒くVサインだ。



 大きくため息を吐いて顔を戻せば、じぃーーと見詰めるマダムの視線にたじたじと腰を引く。

 ――わかってるわよ! 忘れてないから。

「お婆ちゃまなら……」

 あの時のことを思い出し、わたしは頬をかぁー火照らせながらボソリッと呟いた。

「わたしと結婚するならいいって!」


                      つづく

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